『忠臣蔵 SP 決闘高田馬場』
放送日:1996年12月14日 フジテレビ 忠臣蔵・討ち入り当日スペシャル(東映ビデオ VRTM 01988)
監督:鈴木秀雄 脚本:古田 求
12月14日といえば、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日です。吉良上野介が無念の死を遂げたのは、深夜12時をまわってからではないかしらんと思うのですが、江戸時代はいつ日付が変わったのでしょうか?とにかく、この12月14日を命日として吉良公の霊をなぐさめるため、吉良町では菩提寺の華蔵寺で306回目の法要が行われました。
1996年12月14日には『忠臣蔵・討ち入り当日スペシャル』という番組が放送されまして、その中で『決闘高田馬場』も放送されました。当時の新聞(東京版)ラテ欄には
“いざ吉良邸突入!!衝撃の最終回に向け今すべての名場面を一挙大放送
感動の秘話・決闘高田馬場も特別公開“
というキャプション。東海地方では放送されなかったヨ(後から、再放送枠でひっそり放送されたかも)。
これにも、片岡源五右衛門(本田博太郎)が出てます。清水一学(隆大介)と小林平八郎(誠直也)も出てれば、不破数右衛門(渡辺哲)、磯貝十郎左衛門(鷲生功)、前原伊助(篠塚勝)、高田郡兵衛(伊東貴明)も出てます。
というのは、『忠臣蔵 SP 決闘高田馬場』の始まりは、堀部安兵衛(世良公則)が“長江長左衛門”という変名で開いている道場での鳩首協議。出席者は、安兵衛、舅の弥兵衛(根上淳)、居候の不破数右衛門、磯貝十郎左衛門、それに片岡源五右衛門。京都で遊興三昧にふけっている大石内蔵助(北大路欣也)はどういうつもりか、その心底はどうなんだという心配。源五右衛門は、一人立って皆の周りを歩き回っていますが、その行動に焦燥感がにじみます。内蔵助の行動が敵を欺くためのものかどうかわかるのは来年3月14日という堀部老人の言葉にすがりつく一同でありました・・・というところに駆け込んできたのは前原伊助。高田郡兵衛が誰かと喧嘩を始めたという。
伊助の案内で安兵衛、十郎左衛門が駆け付けてみると、郡兵衛の相手は浪人・清水一学。この段階では、清水一学が浪人なのです。そして、実は、浪人時代の安兵衛の隣人だったという話。・・・その騒ぎを取り巻く野次馬の中に上杉家から吉良家に出向している小林平八郎がいて、清水一学に目をつける。
安兵衛と一学が同じ長屋の住人だったころ、飲んだくれて喧嘩三昧、“飲兵衛安”、“喧嘩安”、“ぐれ安”と異名をとっていた中山安兵衛に対し、仕官をめざして日々身を慎み勉学に励んでいた清水一学。それなのに、安兵衛は浅野家の家臣になれて、一学は浪人のまま。ど〜ぉなってるのこの世の中と恨んでいたら、仕えた殿さまの不始末で安兵衛は再び浪人に。嘲笑って去ってゆく一学。
そして、一学の去った後、十郎左衛門、伊助、郡兵衛が安兵衛から一学と隣人だったころの昔話〜決闘高田馬場の顛末を聴く趣向になっています。
世良公則の飲んだくれ振りや高田馬場での大暴れは、とてもいいですよ。この数年前に『忠臣蔵外伝 薄桜記 孤高の剣豪丹下典膳と赤穂浪士堀部安兵衛宿命の対決』
http://wind.ap.teacup.com/0208/813.htmlで堀部安兵衛を演じた竜雷太が、叔父の菅野六郎右衛門役。どこで飲み歩いているのか安兵衛がなかなか帰ってこないんで、菅野六郎右衛門は書置きをして村上三郎右衛門(黒田隆哉)、村上庄兵衛(浜田晃)との果し合いに出ていきます。やっと帰って来た安兵衛は、酔い潰れて書置きを読もうとしない。結末はわかっている話ですが、早く読んで!おじさんの加勢に駆け付けてやって!というスリルがあります。畳屋・文吉(江戸家猫八)ら長屋の連中が楽しい。
駆け付けた安兵衛におじさんは、「無念だ」の一言を残して死んでしまいます。どうやらこの経験で、「無念だ」という一言が安兵衛の仇打ちトリガーとして刷り込まれたのでは・・・と思ったね。“無念だ→仇討→仕官”の条件づけとかネ。
しかし、このドラマではそう思わせてはマズイのか、高田馬場の話のあとに、安兵衛が堀部家の婿となって初めて浅野内匠頭(緒形直人)に目通りしたときに殿の人柄に感動した話が続きます。でもねぇ、あまりいい人柄とは思えませんよ、このエピソード。それに、浅野内匠頭の笑い声が気色悪い。
そして、あっという間に3月14日。
この日になっても内蔵助から何の連絡もなく、冒頭に会合していた5人と伊助、郡兵衛の7人だけで浅野内匠頭の一周忌の法要を行うのでした。内匠頭の墓の真正面に座っているのが源五右衛門。しみじみ厳しい表情がいいねとは思うけど、ま、それだけ。

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