ボランティアとはなにか。
多くの人は「ただでなにかしてあげること」と考えているかも。
でも「有償ボランティア」ってのもある。NPOって非営利団体だけど、ちゃんとお給料でるし。何年か前に調べたときはアメリカのGNPの2割だかをNPOが稼ぎだしていた。学校や病院や放送局やいろいろな業種展開があって感動した記憶がある。
まあ、大もうけはできないな。非営利だから。
有償でも無償でもボランティアというのは意思ある人のする活動なのだ。
やらされて」ではなく「意思をもって」というのは、今ある日常から何か違うことへ一歩踏み出すということである。仕事でも家事でもない、普通すると考えられていない何か。自分の日常の中にはなかった/多くの人の日常にはないであろう何か。それをやってみる。それがボランティアだ。
だから、ちょっと無理をする。
最初の一歩を踏み出すのは勇気がいる。
その勇気が大変なんだ。
PTAもボランティアだ。やってみるとどってことないんだけども、多くの人は尻込みする。
でも一回やってみると大したことないから、一回やった人はハードルが低くなって何度もやる。竹薮もここ5、6年はかならず何かやっている。どってことないからだ。
でも、だからといって「適当」でいいわけではない。むしろ、さまざまな能力、さまざまなやり方、さまざまな思いがあってやってるわけだから、それを調整していくのは非常に難しく大変。会社なら会社の方針は上から降りてくる。それは既定のことだ。
だがボランティアの活動ではそれを自分たちがつくっていかなければならない。
日本のボランティア活動が、社会的に大きな勢力となったのは、阪神淡路大震災の時だ。この活動が評価されて/評価せざるをえず、国も特定非営利活動促進法(俗にいうNPO法)をつくったりもした。しかし、現場は大変だったと聞く。というのも、能天気な善意の人が山ほどいたからだ。
「わたしはボランティアです。そんなことまでできません。」
これだ。自分は手を汚そうとしないで、好きなことだけやって達成感を得たい人たち。
いいことしたなと、満足したい人たち。
そういう人たちの周りには、そういう人のしない仕事ばかりを引き受けてやっている人がいる。そうでないと被災地はやっていけないからだ。だから、その不合理を指摘して総スカンを食らう人もいる。そうやって皆ボランティアに傷つく。それぞれの人たちがボランティアに夢を抱いて誰かに感謝されたり、いい気持ちになったりすることを期待していたからだ。
この時点ではじめてボランティアが始まる。ボランティアとは、自分のものさしを変えることだ。そうか、そうだったのか。自分が当然だと思っていたことが違う。自分に不愉快なことばかりしなくちゃいけない。それでも、やむにやまれずやる。それを必要としている人がいるからだ。
今回、前売りを10000枚売ることは達成しなければならない課題だ。
なぜなら、今回の上映は山西残留生還者の人たちが、
生きて映画館がいっぱいになるのを見る最後のチャンスだからだ。
できませんでした。ごめんなさいではダメなのだ。
そのことが奥村さんや、その他の人たちをどれだけ傷つけるか。
奥村さんたちは、市民にまで裏切られることになりはしないか。
だから、絶対に売らなければならない。
8月15日に奥村さんが渋谷の映画館に座っていること。
奥村和一を平成の浮かれた渋谷の主役にすること。
そのための10000枚である。
公開後の評判ではこれは達成できない。
どんなに評判でも夏休みのかき入れ時に、こんな映画を映画館はロングランしない。
次の作品を用意して待っているのだ。
前売りで売るからこそ上映延長ができる。
というわけで、皆さま、前売りのご協力よろしくお願いします。
火曜日にこんな会話がありました。
た「先生。こんな映画あるんです。いかがですか?」
数M「ちなみに、僕は二枚買いました」
マダム「ちなみに、わたしは20枚預かりました」
畳み込まれて、笑いながら
「じゃあ、二枚、協力しましょうか」
なんの説明もしてません。ひどいというなかれ。
彼は読めばわかる人なんです
しばし、チラシを読んで
「つまり平成の奥崎健三ってわけですね」
わたしがしゃべらなくても、周りが固めてくれる。
自分で理解してくれる。ありがたいことです。
さあ、頑張ろう。