*王道楽土の戦争ー戦前戦中編 吉田司 NHKブックス
いやあ、おもしろかった。あの時代のエトスとはこういうものか。
歴史は事実の連続だとはおもう。しかし、今や検証できない事実は記憶によって伝えられるもでもあり、その記憶は人間を媒介とするものであるが故に時代のエトスをどうしようもなくまとわりつけている。織り込んでいる。負っている。
(エトスethosは辞書的には社会集団・民族などを特徴づける気風・慣習。習俗のこと。わたしとして、この「気風」のような意味でつかっている。感情情念のパトス、理念のロゴスはよくつかわれる。それぞれ、パッション、ロジックの元だ。ではエトスは?エシックスだろう。倫理だ。つまりエトスはその集団、社会に内在する価値観のようなものをあらしている)
山西残留部隊の全員が<新潟><福島><宮城>の兵隊たちであった
だいたいが満州は東北地方の兵隊たちを動員して建設されていったのだ。憲兵たちは他の地方出身者もいる。わたしの母の前夫もそのひとり。四国出身。しかし、底辺を支えたのは、東北出身の兵隊たちだ。部隊は県別に編成され、故郷の恥にならないように、故郷の誉れになるようにと闘争心を鼓舞されたのだという。
満州建国のトップにあった石原莞爾も東北出身者だ。上も下も東北という地域性に拘束されていたんだな。トップは薩長と奥羽の対決から満州建設をめざす。兵士は貧しさから兵役につく。
「こころざしをはたしていつのひにかかえらん」
故郷では志を果たせない構造がある。だから出て行かなければならない。
東京へ、
あるいは、満州へ
はたして帰れるのか。
帰れなかったのが奥村さんである。
昭和29年に奥村さんは帰還する。
山はあをき故郷、水は清き故郷へ
しかし、ふるさとは彼を許さなかった
ふるさと新潟は奥村さんを許すような余裕はなかった。
上越新幹線が出来たのは、東海道新幹線の20年後だった。
その間に田中角栄が登場し失脚したのだ。このことは無関係ではない。
戦争は、倫理では防げない。
極論すれば、東北弁を笑うそのエトスは、満州建国エトスと無関係ではないのだ。
わたしの姑は「東京はこわい」という。
東北の暮らしのきつさ、窮屈さをさんざん嘆きかこちながら、けして東京にはでてこない。
日本のエトスは幕藩体制から依然として変化していないのだ。
自分が戦争を起こさない側にいると考えるのはあまりにナイーブだ。
わたしたちは誰もが同じ精神構造の中にいる