2013/3/12

今回の『十』!(※ネタばらしご注意!)  せがわ先生作品感想

“人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている”――シラー

略式……さらにひどくなってきていますが。

○前回の続き、なのですがサブタイトルが「敵の編成」にチェンジ。話の内容的に、次かまた次くらいにくるのだと想ってただけに、ちょっと「おお……!」と、意表を突かれた感がなくも。

○お話そのものはちゃんと前回の続きから、おちちうえが初恋の人に似てる女の人をあれこれしている場面からはじまります。
知らない人が見たら何のマニヤ向け雑誌かと眼を疑ってしまう光景だなあ……(苦笑)。

○それをはたで見ていた胤瞬坊、槍の穂を取り出したかと想うと着ているものの前をはだけ、そのままズブリと突き立て……!
「殉死じゃ…但馬殿」
そんなことぬかしてるご本人はどうでもいいとして(自分の勝手なんだし)、そばで驚愕してるお佐奈さんカワイソウ……。

○ハラキリをした胤瞬坊、お佐奈さんを押し倒して着物をひろげながら、
「転生すれば、その槍術さらに鬼神の妙を加えると、荒木は言うた!! 但馬殿、お互い再びこの世に生まれ変わって…もう一度試合おうぞ!! その時は…必ず勝つ!!」
「受けて立とうぞ…胤瞬坊…」
……あ〜。
すみません、こういうのはきっと男の人にしかわかり得ない世界だろうし、そんなところへ私なんかが言を投げたってただただ野暮の極みでしかないのでしょうけど。それでもひとこと言わせてください。
あんたらきっとあほでござる。

○そして直後に、いろんな意味で見たくないシーンが続き……。
お佐奈さん、けっきょく最後までただの道具あつかいだったなあ。仮にもお坊さんならもっとやさしくあつかってあげてもいいでしょうに。よろこべも何もあったもんじゃねえ。
そうじゃないそうじゃないぞととなえつつも、宝蔵院流と名のつく人ってこういう性格した人たちばかりなのかなあと、そろそろ気が滅入ってきましたです。(-_-;)

○そうして……ふたりが死にゆかんとしている中、柳生邸の門に立つふたつの影がありました。
位置、門内みたいですけど、門番さんよく入れてくれたなあ、と。ヴィジュアル的にお家にかかわりがあるとは想われない人たちでしょうに……(苦笑)。

○六部すがたのそのふたりは、胤瞬坊の知りあいだと言っておとないを告げます。まるで死に際してあらわれた死神のように――。
そして、お部屋に通されてみると、すでに死んでいたおちちうえはふとんの上にもどされて女の人は着替え終わっており(早ワザ……)、胤瞬坊もなしとげたらしく、息をついているお佐奈さんの上でこと切れていました。
これ身体が重たくてつぶれてしまう……というわけではないですよね、そうですよね。

○胤瞬坊にかぎっては失敗に終わってたらそれはそれで笑い話になってくれてうれしいのですけど、どうやらそうはいかなかったらしく、いま、お佐奈さんと、女の人、それぞれの眼には、おそろしいものが、まるでけぶるようにひろがりつつあります。
と――。
おちちうえの枕元に座っていた女の人が、きけないはずの口で何ごとかをつぶやきました。それは――。
「聖…オーギュスタン行長様の御霊に祈りたてまつる…」
しずかな、とてもしずかな声で。
「御呪いを世に現わさんがため…」
闇の底から響くように。
「わが罪を…許したまえ」
このシーンをはじめて読んだ時、背すじが泡立つような、異様な感覚にとらわれずにはいられませんでした。そわりと、まるで何かよくないものになぞりあげられたような感じがして。
こういう、視覚に訴えてくる表現をできるのは、漫画ならではの技法であり強みで、せがわ先生はコミカライズにあたってそれをよく活かされているなあと。回を増すごとに高くなっていくその力量に、感服の意をあらたにしましたです。

○そうして、ふたりの六部が後始末をして出ていったあとは、ふたつの死体と、畳の上に十字架の用につき立った槍の穂だけが残されていたのだといいます。
……と、おちちうえの死亡年齢が「享年七十六歳」となってますけど……?(※原作では七十五歳だった)

○それからひと月後、由比道場にて。
とあるお部屋に、如雲斎さんがいました。どうも由比正雪に面白いものを見せると言われてやって来たようですが、そのお顔はどういうわけだかうかないままで、
(但馬守が世を去ったと聞いてはや一ト月…。今のわしに…どのような面白いコトがあるというのか…)
こういう述懐(?)を読むと、如雲斎さん、何だかんだあったとしてもおちちうえのことを認めてたんだろうなあと想います。ただ、
(元を正せば尾張での…あの魔性の儀式の邪気を振り払えず、魅かれ引かれてここ…由比道場へ来たのが…間違いであったのだ)
それ以前にそもそも二十年以上ずっとうらみをひきずっていることが男としてどうなの。
転生の儀式やよみがえった人物たちが醸し出す妖気に、自分の心の中にあった負の部分を刺激されもしたのかもしれませんが、身体の割に心がちっちぇえぞ!

○しかし、いくら間違いだと気づくも遅し。自分がやっちゃった仕返しのせいで但馬守は死へころび落ち、あとにのこされた自分には空漠としたむなしさがあるのみです。
と、そこへ、不意に眼の前の唐紙があいたと想うと、次の間からふたりの女の人が出てきました。それはお佐奈さんと、そしてあの女の人。ふたりとも一糸まとわぬ裸で、眼はどこか虚空でも見つめているかのようにうつろです。その下には、天草四郎と田宮坊太郎(おひさし!)がひざまづくようにして待機しています。
ここのシーン、構図がいいですね。見ひらきを活用して、これからはじまる“ショウ”(ちょっとたとえが悪いですけど)への期待感を高めてくれていて。待機している男ふたりも、原作では「ひれ伏すように〜」とあったのでふつうに土下座状態を連想していたのですけど、姿勢がかたひざ立ちになっていて、画にするとこちらのほうがしっくりくることがよくわかりました。

○「この世に出でよ!! 宝蔵院胤瞬!!」
由比正雪の声とともに、ふたりの男が刀をふり、まずお佐奈さんの身体を破ってあらわれたのは、あの胤瞬坊! なのですが。
……ないわー。
ないわー、このヴィジュアル。(まゆげ的な意味で)

○そしていまひとり、女の人の身体を破って転生してきたのはまさかの――!
「む…宗矩ィィ!?」
天草四郎、田宮坊太郎、宝蔵院胤瞬……と、これまで3人の人物が転生をとげるシーンを見てきましたけど、このおちちうえのシーンは個人的に、先の3人以上に身ぶるいがしましたです。
乱れて出てくる白い髪、爛々とひかる眼、クワーッとおおきくあけた口からのぞく鋭い牙と先の割れた舌……。総じて、鬼ババならぬ鬼じじいみたいな、おっかない強烈な印象があって、怖くならずにはいられませんでした。

○そのまま如雲斎さんの方へと歩み出すおちちうえですが……ちょ、部屋の敷居踏んでますよって。転生したばかりだからたいした意識ないのかもしれませんけど。魔界に堕ちると礼儀作法なんか忘れてしまうのかもしれませんけど。(^o^;)

○そのとなりでどうどうと見せつけるようなポーズとってる胤瞬坊最低。

○それはともかくとして、自分の行いのせいで死へと落ちたはずの生涯の旧敵が、自分の眼の前にあらわれ、歩き、近づいてきている。それはいまの如雲斎さんにとって、まるで墓場から幽鬼が出てくるのを目撃するよりもおそろしいことだったでしょう。
こちらを見るおちちうえ、その顔は、不敵であり、挑発的でもあって、かつて自分が主膳さんを通じて発した「但馬よ来い」の挑発に「望み通り来てやったぞ」と答えられているような、そんなおそろしい錯覚さえ如雲斎さんはおこしていたかもしれません。たまらず、抜刀して斬りかかろうとします!
しかし、おちちうえの動きはその速度を上まわって、如雲斎さんの懐にもぐりこみ、おなかにこぶしの一撃を入れていました。もちろん、ぐりっとねじ込むことも忘れずに。
恐怖して斬りかかってきた相手を返り討ちにあわせて。いい意趣返しだと想います、やっぱこれ。

○今回、如雲斎さん登場シーンから燭がやたら存在感強調されてたのはこのためだったんか……(苦笑)。

○自分が落ちているあいだに何をされたかわかった如雲斎さん、うめく彼の耳もとにささやく声がありました。
「如雲斎殿! 魔界に、転生なされませ」
アップこえーよおっさん。(寝起きにいきなりそれかい)
せがわ先生、この人気持ち悪がられるようにかこうとされてません?(笑)

○調子に乗って由比正雪、如雲斎さんの劣等心をあおり、さらに、
「……あなた様は…ご子息茂左衛門様の嫁女…お加津さまを心より愛しいと思うておいででござりましょう?」
この発言および発言者のいやらしさはともかくとして……息子の嫁に横恋慕とか、江戸といい尾張といい、柳生家のトップってこんな人たちしかいないの!?

○由比正雪、想いつくままに作戦と段取りをならべ立て、天草四郎から“用意”も見せられたところで、あらためて如雲斎さんに問いが入ります。
「魔界転生の御意志!! 有りや否や!?」
そうして次のページ、見ひらきでかかれた如雲斎さんこそ見もの。まるで心の中の黒い欲望がどす黒い蒸気となって噴き出したかのようなかかれように、その中で転生の意志に激しく燃えさかる眼に、自分も固唾をのみこまずにはいられませんでした。100%の不純はまさしく純粋なんだなあ……。
如雲斎さんの答えは決まっていました。
「有る…」

○お腰の文字は転生したあとも残るのかそれともちゃんと消えるのか、とふと。

○そうして、転生のために由比道場を出た如雲斎さん。それと入れ替わりにして、ひとつの駕籠がおともをぞろぞろと連れて入ってきました。紀州大納言の駕籠です。
私的に紀州大納言、石川先生版に出てた腐乱人間のイメージしかないから、今回のように胆の太い人としてデザインされると、画がまともに見えすぎて困ってしまいます。どう見たって悪役側とつるむようなお人じゃないですよね……。
(ふと想ったのですけど、そういえば紀州大納言が『魔界転生』コミカライズでちゃんとヴィジュアル化されるのって、これがはじめてなんじゃないかしら?)

○そうしてどこかの部屋、森宗意軒とともに三人の女の人が登場したところで、今回はシメ。
未亡人とインテリ系とギャルですね、把握!
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2013/2/12

今回の『十』!(※ネタばらしご注意!)  せがわ先生作品感想

“強い人間は自分の運命を嘆かない”――ショーペンハウエル

略式でいきま……す……。

○祝・『十―忍法魔界転生―』単行本第@巻発売〜!! イェイイェーイ!!"d=(*^-^*)=b"
これまでながらく続いた連載が、ようやく単行本というひとつのかたちにまとまりはじめてくれてうれしいです♪ まあ、あの人ちっとも出てませんけどね!(笑) こんな掟破りな第@巻もめずらしいのではないでしょうか。原作にしてからがそうなんだもの。
まったくすげえ作品もあったものだぜ(笑)。

○というわけで、今回は単行本発売を記念しての巻頭カラーではじまりはじまり。
特にコメントはしません。男性向けですからね!(ゆりゆりー)
私、別に清楚でも何でもありませんが、こういう画を見てコメントに困ってしまうと、自分ってけっこう奥手な方なのだなあと痛感せずにはいられませんです。かまととぶるつもりなんかこれっぱかりもないのに……。(苦笑……)

○そして本編は前回からの続き、雨中夜半に、江戸の由比道場から出てきた駕籠をつけていた柳生さんちの宗冬さんが、尾張の如雲斎おじさんと対峙するところからはじまります。
「さきほどの手並みから見ると…おそらくは柳生の御曹司…主膳宗冬と見たが、違うか?」
いままで駕籠の中にいた人がどうやって見てたんだというツッコミはさておき、さらに如雲斎さんは刀をふりかぶって襲いかかってくる宗冬さんの懐にもぐりこみざま、自分の刀の柄をその脇腹に当ててねじこみ……!
原作では詳しく描写されなかったシーンですけど、漫画になるとちゃんとアクションのついた流れになっていて、すごいなあ、と。せがわ先生のコミカライズ、こういうていねいなお仕事があるから大好きですvv

○で、宗冬さんを昏倒させた如雲斎さん。近くにいた無事だったお侍さんに、
「袴を下ろせ」
「は?」
自分の?

○違いますよね、ええと。
「主膳の尻を晒せ!」
「え…」
「早うせい!!」
この人じつはガチの人なんじゃないかと一瞬疑ってしまった自分がいましたよ……。(原作ではそうじゃなかったのに……)(-_-;)
そんな見当違いはさておくとして、こんなこと人にさせる如雲斎さんはいかがなものかと想いました。んなこと人にやらせるなと。やりたいんなら自分でやれよと。この場の一番の被害者は宗冬さんではなく、いっしょにいたお侍さんですよ……。
この不幸なお侍さんかわいそうに、何がかなしゅうて雨の中男の袴脱がせて尻をさらけ出させにゃならんのだと想っていたに違いない。
お仕事ざむらいさんはいつも大変だなあ。おいたわしや……。

○ここでようやく自分の刀を抜いた如雲斎さん。これから何をするのかというと――。
というわけで。
Ladies & Gentlemen!!
It's a SHOOOOOOWWWWW TIIIIIIIIME!!

○……すみません悪ノリでした。ええと。(-_-;)
宗冬さんが眼を覚ますと、そこは柳生家の、おちちうえの寝室でした。眼の前には難しいお顔のおちちうえと、胤瞬坊もいっしょです。
……って、宗冬さん下はいてないし! 袴だけでなく越中まで脱がせたとか最悪だな如雲斎さん!(笑) 江戸柳生の人たちも何かはかせるとかしてあげればいいのに……。いちおうお客人がいる前なのに下丸出しとかさあ……。
「痛っ…」と腰に手をやった宗冬さんを見てよからぬ考えを抱いてしまった人は何人いるか!?

○宗冬さんの腰にあったのは、もうこはん……ではなく、「尾」の字でした。それも、刀で刻まれた傷です。
怒りにわななきながら、宗冬さんに何があったのかと訊くおちちうえ。話を聞き、相手が尾張柳生だと見抜いて、あの入道にもう一度立ち合いたいと言う宗冬さんに言って訊かせるのですが、その科白がというと、
「そちごときの未熟者では、千度立ち合おうともその入道には歯が立つまい」
未熟者だってわかってたなら何故行かせた!!

○相手が柳生如雲斎さんであることも見抜いたおちちうえ、如雲斎さんがこのようなことをした理由にも想い当たります。
それは、積年の鬱憤晴らし。二十年以上も前、江戸に来た如雲斎さんが試合を挑んできたのをお断りしたことからくるものなのでした。
もちろんそればかりでもないのでしょうが……しかし剣の道に邁進しているにしては割かしちいさなことにこだわる人種なんですねお侍さんって。それともこの人たちだけなのかしら。だったら巻き込まれる方はいい迷惑なのですが。(もはや面白すぎて笑う気も起きない)

○そうしていま、自分の息子であり江戸柳生の後継ぎであり将軍家指南役でもある宗冬さんがこのような目にあわされて返されてきたことにうめかずにはいられないおちちうえ。お家大事って大変ですね。(ひとごと)
でもって、
「…おまえに頼んだのが間違いであった…」
怒っているのは自分の判断ミスに対してだと想っていいのですよね、おちちうえ。間違っても息子さんを責めたりなんてしていないのですよね?

○如雲斎さんの狙いが自分であることを察したおちちうえ、それを聞いて胤瞬坊は、
「ならば! このわしが!! 但馬殿に代わって如雲斎を!!」
こぶしにぎって意気ごんで見せてますが、あんたただ立ち合いたいだけでしょ! 柳生家のこと眼中なしで渡りに船とか想ってんでしょ!
おかげでおちちうえの病状は一段と悪化したみたいだし宗冬さんはどんビきだし。最低だなこの坊主(笑)。

○「天下に今、生ける者のうち、柳生如雲斎の相手に立ち得る者は…この…宗矩くらいのものであろう」
胤瞬坊の申し出を退け、そう断言するおちちうえ――柳生但馬守。その言葉に、その凄烈なたたずまいに、胤瞬坊も宗冬さんも言葉が継げなくなります。
このシーンのおちちうえ、原作では「すでに死相といっていい暗灰色の顔、苦病に枯れ朽ちんとしている小柄な肉体――それからいまめらっと燃えあがるような絶大の自信と、そして凄まじい闘志〜」と描写されているのですけど、せがわ先生の画は、その中でも一番いい、最高の瞬間を切り取って、持ってきていると想います。想えば前作『Y十M』に登場して以来、たいしていい見せ場のなかったおちちうえでしたけど(だって本当なんだもん……)、この時ばかりは眼を見はって心奪われてしまうものがありました。ここにえがかれていたのは、まぎれもなくひとりの武人でしたよ。
でも、だからこそ、それほどの人が次の瞬間には魔道に堕ちてしまうのを見るのがつらくもなってくるのですけど……。

○そう、いまこそおちちうえは決意を固めます。
けわしい顔で宗冬さんをさげ(下、大丈夫かな……)、胤瞬坊とふたりきりになった時、かつての恋人に似た娘を所望して、苦渋と喘鳴とともに絞り出したのはこの言葉。
「わしは…あの娘をもって、魔界に転生したい…」
一万二千五百石(あ、直ってる)の家禄だの、将軍家指南役だの公儀大目付だのと、立身出世の面では大成功したものの、ひとりの武人としては失敗も失敗だったと想わずにはいられない己の人生。それをおちちうえは、おおいに悔いているのでした。いわにゃ、初恋のおりくさんにおいてをや。
どんなに自分の人生に満足しているように見える人(たとえ歴史に名を残すほどの大人物であっても)でも、その心の奥底に後悔があり、やり直したいという欲望や渇望があることを、〈忍法魔界転生〉というフィルターをもってうかびあがらせ、ふしぎと説得力をもって見せてくるのだから、風太郎大人の筆の冴えはさすがです。それを画にえがき出してみせるせがわ先生も、また。

○ただ、さ。
「わしはおりくと契りを交わしながら…」
どこでかわしてるのかツッコまずにはいられないんですけど。(^o^;)

○とにかく、
「転生して兵庫に!! 柳生如雲斎に!! まことの但馬守の恐ろしさ見せてくれるわ!!」
転生してる時点で“まことの”も何もあったもんじゃないと想……。
まあとにかく、おちちうえの魂の叫びを聞いた胤瞬坊、
「承って、ござる」
そう言って、女の人を連れに行きました。
女の人はおどろいたふうもあわてたふうもなく、むしろこうなることを知り、待っていたかのように落ち着いています。
そうして、続きには七十歳のオジイサンがよくやるよなあというシーンがあり……。いくら青年誌でもこれをよろこぶ読者はよほどのマニヤなんじゃないかなあ(苦笑)。

○眼の前の光景に呆気にとられてるお佐奈さんかわいい。

○そのとなりで胤瞬坊が槍の穂を抜いたところで、今回はシメ。
地獄篇ももう第七歌かあ……。
原作では第五歌までのカウントで、連載中はサブタイトルどうなのかと気をもんでもいたのですけど、一度過ぎてしまうとなんだかすっきりしてしまいました(笑)。
このままお気のすむまでやっていただきたく……!
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2013/1/16

今回の『十』!(※ネタばらしご注意!)  せがわ先生作品感想


“生きているということは一つの病気である。誰もがその病気によって死ぬ”――ポール・モーラン

今回も略式です。

○今回のはじまりは、霞が関にある江戸柳生のお屋敷から。夜中、その寝所で書状を読んでいたのは、柳生但馬守でした。
会津で見せていたむっすり顔はいまどこへやら、何かひどいものを抱えてしまっているらしく、その表情はすっかり気落ちしているかのように沈んでいます。いま、その口からぽつりともれたのは、
「…十兵衛…」
また何かやらかした……というわけではなくて。(^-^;)(十兵衛さんですからね!/笑)

○てゆか。
きゃーーーーまさかの剣侠児さん見ひらき登場きたあああああああvv \(*^o^*)/
カッコいい! カッコいい! いつ見ても作中時間がどれだけ流れていてもカッコいい!
不敵で、大胆で、じゃっかん苦みばしっていても子どものような茶目っけある笑顔。拝見するたびすてきだなあとほわほわしますv やっぱり本物のヒーローは年なんてとらないのですねええ!(※トチ狂った人の妄言です)
……すみません落ち着きます。
たしかふたりが最後に会ったのは、会津で堀のみなさんの復讐に決着がついた時でしたよね。風太郎大人の作品は独立性が高いので、漫画版でも連続したつながりがあるのかはわかりませんけど。
でももしつながりアリだとしたら、これは会津で逃げ出した時のままの十兵衛さんなのかな。それとも現在進行形のおすがたであるのかしら。
現在進行形でこのままのヴィジュアルだとすると噴射涙で天上ブチ抜いてよろこんでしまうところですが……どうなのでしょう。
できればおぐしに白いものなんて混ぜないでいただきたく……ッ!(悲願)

○しかし、このページにあるコピー、
「老剣聖は一人、憂悶の中にあった。」
いつから剣聖と呼ばれるようになったですかおちちうえ(笑)。

○話を物語にもどしまして。
沈んでいたおちちうえのところへやってきたのは、息子の宗冬さんでした。柳生家の三男坊さんで、十兵衛さんの弟さんにあたるお方です。
お顔を拝見するかぎりでは、お侍さんというよりはお役人さんみたいだなあ、と。もちろん、柳生家の人なので、剣の腕もそれなりに立つ方なのでしょうが、おカタい役職の中堅どころではたらいているのが似あいそうな方ですね。

○で、おちちうえが宗冬さんに語ったところによると、
「牛込榎坂の由比張孔堂…あれが何やらたくらんでおるようじゃ」
と、ここで田宮坊太郎転生の時からずっと(作中時間にして1年、現実には3か月ほど)すがたを消していた、由比正雪のふたたびのご登場です。
得意そうな笑顔が再登場で見ひらきゲットしたことからきているように想われなくも(笑)。

○その由比正雪は、いまやおおきな道場に三千人の門弟を抱えて、人びとのあいだでもッけっこうな評判が立ち上っているのだとか。現代ならその処世術で本出してヒットして「風雲児」とか「時代の寵児」とかってまつりあげられてそうな勢いですね。
ところで、この見ひらきのページ、脇息があっても座布団に座っていないように見えるのですけど、これはいい……のかな?(当時の風習などをよく知らないやつの疑問です、すみません)

○「あれはまともな人間は相手にせぬ大山師!」
つまりこの江戸に三千人ほどまともじゃないやつらがいるという論理が成り立……。

○宗冬さんの言う通り、最初のうちは相手にするほどのやつでもないと想ってらしたおちちうえ。しかしその張孔堂に、“容易ならざる身分のお方”が出入りしているとあっては、見過ごすわけにはいきません。そのお方というのは、よりにもよって、
「紀州大納言、頼宣卿」
というわけで、またしても見ひらきでのご登場です。多いなあ今回……と想うものの、でも由比正雪がカメラ引くことで異様なたたずまいを出していたのに対して、こちらはお顔クロースアップすることでその性格や特質を読者にひと目で感じ取れるように“ばん!”と伝えてくれていますね。
同じ見ひらきでも、使いようによってこうも違うものが作れるのだなあと、せがわ先生の腕前に感心することしきりでした。

○紀州大納言は、江戸・尾張につらなる御三家のひとつ、紀伊徳川家の太守さまで、「南海の竜」と称されるほどの人物。たぬきじじ……もとい、家康公の第十子で、現将軍家光公の叔父にあたる人でもあります。
そんなお方が山師の道場なんかに出入りしているとあっては、紀州のみならず江戸、ひいては幕府全体の威信にもかかわること、何とかしなければなりません。それでおちちうえは、ひそかにことの真偽を探らせていたのですが、探索に出した伊賀の忍は惨殺されて帰ってきたのでした。
で、その確認のため、今度は宗冬さんを派遣することにしたわけです、が。
いくら何でも息子にまかせんでもええですやん……お顔知ってる人くらい他にもおるでしょうに。
とんでもないおやじだなこの人(笑)。

○そうして送り出したあとになって、
(やはり、主膳では心もとない…)
いきなりそれかよ(笑)。
(…十兵衛が…おってくれたら…)
ご本人がどう返答するのかはともかく、「いやでござる」で拒否ってもいいんですよ、十兵衛さん。会津のあの時みたいに(笑)。

○後日、そんなおやじどのを見舞いにやってきたお客さんが。
「宝蔵院が来たと、但馬殿に申してくれい!」
ただの女連れのリア充坊主さんにしか見えねええ。
飛べない豚はただの豚だとは某ポルコ・ロッソさんのお言葉ですが、槍のない胤瞬坊はただの坊主なんだなあと想いました。葬儀のセールスならお引き取りください!

○槍の穂しょってるお佐奈さんかわいい。

○で、現在ご病気中のおちちうえ。胤瞬坊は試合しに来たつもりだったのですが、おちちうえは床から出られず、
「……わしは死病にかかっておる…。俗に“かめ腹”というやつじゃ」
腹黒……。(ぽつり)

○そのまま、自分が再試合にそなえて重ねてきた工夫を語り出す胤瞬坊。
「つまり…きにょくによって精を貯め…その極限で超絶の技をふるうということか…。なるほどのう」
あごに手をやってもっともらしくうなずいてはいますが、おちちうえ、ひたいに汗をかいてらっしゃるのはどうしてなのです? なかばあきれ返っているのではありませぬか?(にこにこ)

○さらに胤瞬坊は、ここに来る前、川での出来事を話して、そのにわかには信じがたい話でおちちうえをぞっとさせることに。
そしておちちうえは、胤瞬坊とお佐奈さんといっしょに連れ立って来ていたもうひとりの女の人――天草四郎たちといっしょにいた女の人を見やりますが、その人が、自分が柳生の庄にいたころに月ヶ瀬(柳生のご近所)で出逢ったおりくさんという女の人によく似ていることを見出したのでした。
若いなあ、おちちうえ……。それに山芋掘った帰りの農家の娘さん(おそらく)にひと目ぼれするなんて、この人にもこんなころがあったのですね。あのころはおれも若かった、というやつですか。

○しかしおちちうえがあまりに十兵衛さんに似てなさすぎて、教授、これはいったい……。

○話の空気を変えるためか、ふとご子息に挨拶することを想い立った胤瞬坊。
「ときに御長子は?」
「十兵衛か? …あれは柳生谷に放逐しておる。三年前、会津でいらざる騒動を起こしたのでな…」
おお……物語地続ききたーーーーーー!!\(*^o^*)/

○「柳生十兵衛! 不思議に掛け違うてまだ逢うたことはないが剣名は聞いておる。ひょっとしたら但馬(おやじ)殿より腕は上かもしれぬという噂も聞いたことがあるぞ!」
その噂の出どころはきっと沢庵おしょう……(笑)。

○メモ:三年前のこと
・原作=御世子ぶちのめし
・漫画=会津でひと騒動
おぼえましたし。

○「あれが柳生家を継げば…必ず柳生家をつぶす」
家をつぶす家長……すてきな響きですね。
ところで、柳生家の家禄について、原作に「一万二千五百石」とあるのに対して漫画では「二万二千五百石」とあるのですけど、これどちらが正しいのでしょう??

○そろそろお暇することにした胤瞬坊。しかしおちちうえの頼みがあって、しばらく柳生のお屋敷に、ふたりの女の人たちともどもとどまることになります。
漫画ではここで切られていますけど、原作には胤瞬坊がこの屋敷では何ごとかが進行中であるということを漠然とですが察していて、こんな一文が来るのです。

「何かある。……何が起こっておるのか?」
春はみるみる深くなってゆく。花は咲き、そして散った。三月も末にちかづいた。

名文だなあ……、と想います。本当、すばらしいまでのかきっぷり。
漫画ではこういう地の文がなくなってしまうのがつくづくと惜しまれますね。(もちろん、漫画には漫画のいいところがたくさんあるのですが)

○そうして――数日後、雨の夜半。牛込榎坂の由比道場から出てきた駕籠を、宗冬さんは追いはじめました。が、しばらく歩いたところで待ち伏せされ、襲われる羽目に。
しかし、宗冬さんはあせることもなく、相手を全員落とします。みね打ちで、相手をすべて気絶させているので、いちおうはそれなりの使い手であるみたいですね。さすが柳生家三男!
ただ、打ちどころおよび擬音を見た感じだと、骨どころか神経いっちゃってる気がしないでもなくてあわあわなってしまうのですけど……。(この時代まだあんまり介護制度充実していないのに……)

○しかし雨の中のろうそくを見られなかったのは惜しいなあ……。
もちょっとページ付け足しましょうよ、やんまが編集部さん。

○駕籠の中の人物が紀伊大納言であるかたしかめようとした宗冬さんでしたが、
「推参なり。江戸柳生」
まさかの如雲斎さんが出てきたところで、今回はシメ。最後の最後にまた見ひらきでした(笑)。
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2012/12/12

今回の『十』!(※ネタばらしご注意!)  せがわ先生作品感想

“人生は夢である。死がそれを覚まさせてくれる”――ホジヴィリ

すみません今回も略式でいきます。

○前回の続き、通りすがりの見知らぬ人物に嘲弄されてブチ切れた宝蔵院胤瞬坊。立ち合いを申し込みますが、相手は承諾しながらもその前にやることがあるという。それは、
「これなる若者(もの)と、これなる女(もの)を、この場で交合させることでござる」
それを聞いてさらに怒りをあらわにする胤瞬坊。この人がお坊さんの割に気が短くて辛抱きかないのは武人だからというより(かけない)だからなんじゃないかという気がしてきました。おびえて飛び上がってるお佐奈さんかわいそう。

○そうして、じつにふざけた申し出(?)に許しが出たところで仕度をはじめ、ことにおよぶ人たち。漫画だとモノクロの紙面でわかりづらいですけど、このとき、時刻は「暁」なのだそうです。風太郎大人の作品は色彩と光景の描写がじつにみごとなので、カラーで見られないのはじつに惜しい……ような、惜しくないような。このシーンに限っては(苦笑)。

○せがわ先生科白にハートマークつけすぎだと想います(苦笑)

○そわそわしてるお佐奈さんかわいい……のですが、持ってるものを槍のさやだと知らなければどえらい画に見えることに気づいてマジ凹み。そりゃあ、『月刊ヤングマガジン』が青年誌だってことじゅうじゅう承知してますけどさ……。(-_-;)

○そうして(ようやく)ことが終わり、立ち合いにのぞむ天草四郎。原作ではちゃんと衣服つけ直していた天草四郎でしたけど、漫画では上から一枚着ただけで、だららんとした態度ともども、より相手を馬鹿にした感が出ていていいなあと。女の人はちゃんと服着直してるっていうのにね!

○あらためて、向かいあって胤瞬坊、槍を構えます。頭にうき出た血管もだんだんとすくなくなり、槍をふるいはじめると一切の雑念が消えていました。
このあたりを、やはり剣の達人である荒木さんの視点で「さすがは…」と想わせているあたり、いい表現だと想いました。

○胤瞬坊、相手の持つ迫力に惑わされつつも槍を突き入れます。それに対して天草四郎はというと、
「忍法…髪切丸!!」
その両方の袖口から、小枝に糸をくくりつけた子どもの釣りざおのようなものが出たかと想うと四郎の手に握られ、次の瞬間にはその糸がはなたれて、空を切って飛んで胤瞬坊の槍にからみつき、柄をばらばらに破壊してしまいました。
おおおお、これがせがわ先生の〈髪切丸〉かあ……!
原作では「径三寸ほどの黒い細い環」とあり、自在に締まるチャクラムみたいなのを想像していましたけど、漫画では鞭のようになるのですね。ヴィジュアル的・アクション的にはこの方がいいかもです。

○でもって、進行の方にも多少の変動が。原作では槍の柄ばかりか穂までばらばらにされて、おかげでさらに飛びかかってくる天草四郎から泡を喰って逃げ出すことになってしまっていた胤瞬坊でしたけど、漫画では破壊されたのは柄までで、胤瞬坊はその時点で負けを認めて逃げ出すこともなく、天草四郎が第二撃に入ろうとしたところで荒木さんによるストップの声がかかりました。これは、その人(ここでは胤瞬坊)がまだ人間であり武人だったころのことをちゃんとかいておこうという、せがわ先生のお心配りなのかも。
単純にページ数の問題だとも考えられるのですが。(だいなし)

○「…胤瞬殿。これは、冗談でござる」
負けを認めて斬られる覚悟までしたというのに、荒木さんからそんな言葉を言われてふたたび(今度は一瞬で)ブチ切れる胤瞬坊。ただ、相手が「冗談」だと言うからには、そう言うだけの理由があると察したのでしょう。すぐに怒りをおさめ、話を聞くことにしました。
熱しやすく冷めやすい人の血液型って何でしたっけ?

○いま眼の前にいる天草四郎(その名を言いはしませんでしたが)はこの世の存在ではなく、自分もまた一度死んでよみがえったものであると語り出す荒木さん。
原作では転生するタイミングが天草四郎といっしょでしたけど、こうしてバックグラウンドを語られてみると、漫画版ではいっしょじゃなくて正解だと想いましたです。

○で、
「そもそも女人禁制の戒律などというものは、無駄無駄無駄!!」
……ジョジョ?(「荒木」だけに)(いちおう原作にもあるけど言いまわしがじゃっかん違うしなあ……)

○そういえば天草四郎の〈忍法髪切丸〉って体得したのは魔人になってからなのかなあ、とふと。神童さんやってたころは忍法の修行してる暇なんてなかっただろうし、よみがえってから武蔵せんせえのところにあらわれるまでの空白の時間をその修業に当てていたのではと考えると妥当性もありますけど、しかしそう考えるとお前七年もの間いったい何をやってたんだという気が起こらなくも。(^o^;)

○そうして、魔界転生を望むようになる胤瞬坊。
仏門の身である彼でさえこんなになってしまうのだから、人間って欲望のためならここまで望むようになるんだなあと、そらおそろしいものを感じずにはいられませんでした。
この場で何もなく無邪気なのがお佐奈さんひとりとは……。

○起き上った途端にくしゃみしちゃうお佐奈さんかわいいv

○あとに残された女の人がじつは口がきけないことを知ったことに気づいた胤瞬坊何だかおまぬけ(苦笑)。

○それを聞いて「いひっ」と笑う女の人とっても無邪気。こうして見るととても悪側の人には想えないんだよなあ……ふしぎー。

○そういえば天草四郎は胤瞬坊とはとうとうろくに口をきかなかったなあ、とふと。(原作には「口をきくのがひどく億劫なたち」とあるものの……/苦笑)

○ご寝所の親父どのが出てきたところで、今回はシメ。
でもって次のページに『Y十M』広告を出してくれてるものだからご覧になられてる書状にはそのことでもかかれてるのかと勘違いしちゃったじゃないですかーこんちくしょーvv
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2012/11/14

今回の『十』!(※ネタばらしご注意!)  せがわ先生作品感想


“生きるべきか、死すべきか。それが疑問だ”――シェイクスピア

○前回からの続き、謎の老人と少年が森宗意軒と天草四郎であると知った如雲斎さん。抜刀の姿勢に入り、
「それを聞いて、尾張徳川の禄を食むこのわしが、黙って見のがすとでも思うたか?」
“尾張”を忘れないあたりがさすがです如雲斎さん。江戸徳川をどう想ってるのかが気になる……。

○しかし天草四郎はそれをせせら笑って、両手の指をかぎづめのように曲げると異様な雰囲気をみなぎらせはじめます。如雲斎さんがその気配を感じ取った時、眼前には黒い翼をひろげて百万の亡者を従えた死の天使が!
おおおお、オリジナルアレンジ出たー!
せがわ先生のコミカライズ、原作に忠実に、順当に進ませながら、時折こうしたシーンを差しはさんでくださるので大好きですv おそらく、いまのところバトルシーンがあまりないし、ただ文章を画に起こしていくだけだと原作読者は退屈する一方なので、興がさめないようにというご配慮から入れられたのでしょう。いいものを見させていただきました。
天草四郎のおべべの柄が何だかお部屋のカーテンぽいのがチト苦笑どころではあるのですけど。(^-^;)
あと、巡礼袴のスリットってこんなに深いものなんですか?

○いましも忍法の名を口走って発動させようとした天草四郎でしたが、しかしそこへ森宗意軒の杖がすこんと頭に。一撃をくらった天草四郎の顔といい、みょうにおかしかったひとコマでしたここ。間がはずれたというか間が抜けたというか。
森宗意軒、そのまま見せつけるように如雲斎さんの方へ左手をかざし、
「あの宮本武蔵を…あの不幸不遇なる大剣士を…もう一度、この地上(よ)に見たくはござらぬか?」
そう、心に浸透させるようにじわじわと持ちかけて(このあたりの間の取り方、せがわ先生抜群にうまいです)、その上、
「…さらには、如雲斎殿。いずれあなたにも…魔界に転生していただこうと思うておる」
「この…わしを!?」
先ほど転生についてのくわしい説明を受けたばかりなので想い当たるところもあるのでしょうし、何よりそれ以上に、言葉そのものがじっくりとしみこんだのでしょう。如雲斎さんをふるわせたのは、身を押し包む悪寒か、それとも欲望に心がふるえる歓喜か。
森宗意軒は満足そうに笑い、
「では…如雲斎殿がこの世をさられるときに…またお逢いいたそう」
何ていやらしいじじいだ。
『甲賀忍法帖』の天海僧正といい『柳生忍法帖』の銅伯老といい、風太郎忍法帖の名作にこういう存在はつきものなのかも??(……どっちもせがわ先生がコミカライズされた作品だといま気づきました)

○そして――物語はさらに1年の時を流して。
東海道金谷宿のはずれにある川沿いの道を、連れ立って旅するお坊さんと女の人がありました。
お坊さんは名を宝蔵院胤瞬といって、槍の名手なのです。そして女の人はお佐奈さん。
これが胤瞬坊かあ……。ぶっちゃけ、はじめて見た時「えっ」という想いを隠せませんでした。
や、私の中で胤瞬坊って、OV版に出てたきたならしい乞食坊主(ゴメンナサイ)のイメージが強いもので……。なのでこんな精悍な人に出てこられると、ちょっと混乱してしまって、いわゆる「誰おま」状態だったのです。原作にはちゃんと「年はもう五十をこえているであろう。背は五尺そこそこと見えるほどひくいが、横はばは異常にひろく、まるで碁盤みたいに頑丈なからだ」だとあるのに、映像の方が優先されて焼きついてしまうのだから、ヴィジュアルってほんとおそろしい。(^-^;)

○で、お佐奈さんですが、こちらはまた無邪気な天真爛漫なふうでかわいいなあ。何だか『アナザヘヴン』ヒロインの朝子さんを想い出しました。(ほわほわ)
このお佐奈さん、もとは旅籠の娘さんだったのですが、どこぞのばか殿にさらわれ、かごの中で狼藉を受けたために、ふびんや、正気を失ってしまい、それゆえかどうか、この胤瞬坊にひどくれんちゃくいたしてしまって、そばを離れようとしないのです。うふ
(←ケイトさんそれは別の作品の別の人です)(わざわざ「うふ」までつけおって……)

○で、ふたり連れだって旅している胤瞬坊とお佐奈さんですが、ふたりの行く手に何だか妙な連中が。
逆十字のピアスをつけた髪のながいニーチャンと、木に身体をもたせかけておシリを突き出している女の人(おそらく)なのですが、ニーチャンは胤瞬坊に笑いかけたかと想うと、
「そぉ〜れ、わが素槍のひと突きじゃ!」
引いた腰を女の人のおシリへすとんと。それを受けた女の人もおかしな嬌声(さすがにかき取る気が起きない)を上げ……。
これ日本ハードゲイ協会に申請していますか?
人が見てる前で腰を振っていいのはHGさんだけですよ!?

○どうもニーチャン――言わずと知れた天草四郎は、胤瞬坊の女連れをからかっているらしく。調子に乗って槍攻撃を続けます。変にはた迷惑なところはとても聖少年とは想われない(苦笑)。
そもそも知っての通り、お坊さんは肉食ダメで女の人もダメ。そんな胤瞬坊がどうしてお佐奈さんを連れ歩いているのかというと、ひとえに修行のためなのです。風太郎大人の解説によれば、
『自分の体内に精が溜まり、濃縮され、それが限度に達したとき、繰り出された槍は異常な技の冴えを見せるのだ』
つまり禁欲生活というやつですね。
一読「何じゃそれ」とツッコみたくなるやり方ですが、でもこの方法、たしかに効果は見込めるようで、現代でもサッカー選手やボクサーさんなんかが試合前にやっているというのを何かの記事で読んだことがあります。
読んだ時はどうでもよかった知識がこんなところで出てくるなんて……。(-_-;)

○でも胤瞬坊はあくまでお坊さんで、お佐奈さんを連れ歩いているのも修行のため。だから胤瞬坊は御年56歳でありながら、
『○○である』
ごめんなさいかけんかった。(-_-;)(だって……だって、あんなにでっかく太字でずんとかき置かれるとさあ……)

○そんな胤瞬坊をからかい続ける天草四郎。しかし胤瞬坊は、最初のうちこそ“イラッ”ときたものの、すまして相手にしません。通りすぎようとします。
天草四郎、それを見て「くそ坊主め」とでも想っているような顔つきになり、持っていた木製の槍をその背に向かって投げつけます。
さすがに胤瞬坊もこれには怒り、槍の鞘を抜き払うと飛んできた獲物を叩き切って相手に穂先をむけます。(さやを取ろうとあわててるお佐奈さんがかわいらしかった!)
そこへ出てきたのは、さっきからの出来事を背に聞いていた、こちらも巡礼姿をした人。白一色(おそらく)で身を固めていますが、腰には二刀を帯びています。
どこぞの誰かさんを彷彿とさせますけど、でもあの人よりひとまわりおおきいような? ガタイはじゅうぶんにいいみたいですね。
「四郎。立ち合いの仕度をせい」
胤瞬坊、それを聞いて、相手が坊主の女連れではなく自分を戦わせようと挑発していたことがわかったのでしょう。頭に太い血管がいく筋もうかび、
「天下に聞こえた槍の宝蔵院、胤瞬殿が立ち合うてくださるそうじゃ」
いちがんぼーさんといい、くりくり頭の人は怒りの表現が見ていて楽しいですね(苦笑)。

○で、河原で立ち合うことになったわけですが、
「…これでもわしは仏門の身。いらざる殺生は好まぬが…此度ばかりはわからぬ! 回向のために名を聞いておこうか!!」
戒名のサービスはあるのでしょうかね??(←ケイトさんいらぬこと訊かない)

○ここにきてかぶっていた笠を取った、もうひとりの巡礼さん。(直前のページでまげだけ見せて、見ひらきで効果をつけるのが心にくいですね)
「…拙者、荒木又右衛門と申す」
……。
何ていうか、また濃ゆいのが来たなあ、と(笑)。
色のついた眼、とがった耳、発達した牙という転生衆フォーマットがそろっているから、この人もまた天草四郎と同類なのでしょう。でもそのみっつをのぞいてもこの人はヴィジュアル的にすごく、胤瞬坊に負けず劣らずのごつい顔をし、両の眉は鉤のよう。左右の髪はするどくはねて、ひたいにはまるで蜘蛛の脚のような髪が垂れかかっています。
何だか、どこかのデスメタル系のバンドでベースとか弾いてるオニイチャンみたいですね。着物脱ぐと背中に堕天使の彫りものとかあってもおかしくないかも。
私的に荒木さんって、石川先生版のイメージが強かったのですが、せがわ先生の手にかかるとこうなるのかあ、と。生前のすがたがどんなものだったのか見てみたい気がします。

○この荒木又右衛門と言う人は、柳生流剣術の使い手で、“鍵屋の辻”で30人を斬って仇討ちを成し遂げたというほどの人です。(ふつう、お侍さんは一度に5人も斬れればいい方だと言われています。刀が重くて運動量が半端じゃないし、血や脂で刃の切れ味が鈍ってきますからね)
その荒木さんがいま眼の前にいると知って、胤瞬坊はおどろきを隠せません。いわんや、当人が、8年も前に鳥取で死んだと聞いていたとあっては。
お互いはじめてのご対面であるみたいですが、しかしやはり荒木さんは転生衆。言葉こそ(いささか)ていねいであるものの、口調は無礼そのものです。自分が立ちあわなくても天草四郎でじゅうぶんまにあうと言い、おまけにそのために必要な前支度というのが、
「これなる若者(もの)と、これなる女(もの)を、この場で交合させることでござる」
胤瞬坊のレベルゲージが高まっていくのをあおるように、その眼の前で、天草四郎とおネーチャンはまたぞろおかしなことをやりはじめ……。
とうとうブチ切れた胤瞬坊が、槍の石突きで文字通り岩を突き壊したところで、今回はシメ。
何だか怪物に変身でもしそうな様相だったので、この人次回にはDBのナッパさんみたいになってるんじゃないかと心配になってきました。お佐奈さん逃げてー!

しかし……はじまってまだ4か月なんですよねえ、この作品。
先月までは、いまのところ1章を1回でやっているからこのままのペースで行くと単純計算でも2年はかかることになるのかな……、と想っていたのですが、前回の終わり部分がずれ込んできたために今回ハーフアップになってしまいました。さて、どうなりりますことか。
まあ、私としてはせがわ先生による風太郎大人の作品のコミカライズをすこしでもながく見られるのはうれしいし大歓迎なのですけど(笑)。
原作はまだまだあることだし、楽しんでいきましょう!
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2012/10/11

今回の『十』!(※ネタばらしご注意!)  せがわ先生作品感想

“あまり道徳的になるな。自分をあざむいて人生を台無しにしてしまう”――ヘンリー・ディビッド・ソロー

地獄篇第三歌は、前回の続きから。田宮坊太郎をこの世によみがえらせた由比正雪が、ふたりそろって名古屋の柳生兵庫邸を辞去するところからはじまります。
去り際、由比正雪は如雲斎さんに向かってこう言いました。
「我が師に…お逢いなされませ」
おそらくこのシーン、田宮さんがよみがえってからまだそんなに時間がたっていないころなのでしょう。その言葉を聞いて、先ほどの幻怪きわまる出来事をまだうまくのみこめずにいる如雲斎さん、それを披露した由比正雪よりもさらに上の人物がいるのかとすこしおどろきの表情。
すっかりのまれちゃってますね、如雲斎さん。弁舌と実証の相乗効果でとり憑かれてしまっていて、もはや由比正雪の言葉を、意味を問いはしても疑う気配はみじんもありません。人間信じてたものをくつがえされた時が一番盲信しやすい状態になっているのだといいますが、いまの如雲斎さんはまさにその状態で。もはや引き寄せられているのか、それともみずから歩み寄っているのか……。
しかし、由比正雪はそんな如雲斎さんの問いには答えず、さらにおどろくべきことを告げます。
「…いま…我が師は熊本に参られております。…死期迫った宮本武蔵殿を再生させるために…」
それを聞いた如雲斎さんは驚愕に眼を見ひらいて、肩をつかんでゆさぶらんばかりの勢いで問い返し、由比正雪はそんな如雲斎さんを見ながらその反応のいちいちを楽しんでいるかのよう。生きた達人と評されたほどのお方も、こうなるともうカタナシですね。
このあたり、風太郎大人の人間観があらわれているような気もします。達人といえどもやはり(というか、しょせんは?)人間で、心理を操作するのはけっこうたやすいのだなあとちょっと苦笑せざるを得ませんでした。

しかし……見ていてちょっと薄気味悪くなってきたのですけど、ほとんどと言っていいくらい表情変わらないなあ、由比正雪。柳生邸に来てからこっち、ずーっとみょうなうす笑いうかべたまんまで、変わった時といえば血を吐いた田宮さんをふり返った時くらい? いまも眼の前で如雲斎さんがどんな反応をしようとあまりにも変わらなさすぎて、これじつはコピーペーストなんじゃないかとうたぐってしまうくらい。(せがわ先生ごめんなさい)
「能面のように不気味な表情」という表現がありますけど、これはまさしくこういう時のために使うものなのだなあと想いましたです。原作には使われてませんでしたけどね(笑)。

そして、そんなふうにふたりが話している由比正雪のうしろには、よみがえったばかりの田宮坊太郎がいます。ここに来た時、いまにもくずれそうだった身体を支えてくれた杖を見つめながら。
原作ではよみがえったばかりのころ、まだ朦朧としている頭でお加津さんを見つけて、そのまま盛りのついた犬のごとく襲いかかろうとしていた田宮さん(※本当です)。なのでこの「ジー」も、手に持っている杖のむこう、如雲斎さんの背後にいる彼女に送られているのかと想っていたのですが、じつは見ていたのは本当の本当に杖そのもので、しかも次の瞬間、田宮さん、げんこつほどもある杖の頭よりもおおきく口をあけて、そのまま猫が鰹節をかじるようにがじがじと。
……うーん、すごい。しょっぱなからやってくれるなあ、せがわ先生。おそらく今回、後半の展開が展開なので、いままでのように「フヒッ」とか「てへ(ペロ)」を入れるわけにはいかないから前半にその要素を持ってきたのでしょうけど、それにしたってここまでやってくれるとは想いませんでしたよ。田宮さん、まだ覚醒したてとはいえ、生前の理知的な感じはすっかりなくなってしまってて、もはや「あほの子」を通り越して「ひどい子」になっちゃってるような(苦笑)。こんなにも“壊して”くれると、物語は重厚に進んでいるのに笑うしかなくなってくるからふしぎです。いまのうちだけなのでしょうけど。
まあ、私的にはこのままでもおっけーなんですけどね。由比正雪と如雲斎さんが話しているあいだの“間”を、いい感じにもたせてくれてもいますし。ていうかいいぞもっとやれです(笑)。
あ、あと、そういえば最初のページを見ていてふと気づいたのですが、よみがえった田宮さんは、お荷物は背中にくくるんじゃなくて、首から前にぶら下げるようになるんですね。
こういうこまかな面においても“違い”を出しているの、とてもいいなあと想います♪(*^-^*)

そして――数日後、ひとり熊本へやって来た如雲斎さん。
40年近く前のむかし、召し抱えられてお勤めをしていたというだけあって、胸の内にはなつかしみが起こっているみたいですが(この人もこんなお顔するんだなあと……失礼を承知で)、懐旧はさておき、目下気になるのは武蔵せんせえのことです。
さっそく藩の人にくわしいことを聞き、岩戸山の霊巌洞というところにいるという情報を得て、当地へ向かうことに。
そういえばここのところ、『五輪書』の存在もちゃんと出されていましたね! ページの都合で如雲斎さん読めませんでしたけど!(苦笑)
よく見てみると、各巻の厚みがじゃっかん異なっていて(たしか「火の巻」がけっこうな厚さだと記憶していましたので)、そのあたりのこまかさがやはりうれしかったり♪(*^-^*)

で、その日のうちに、如雲斎さんは岩戸山までやって来ました。
うつむいたまま山道を登りながら、いろいろと想うところ・考えるところがあるみたいですが(原作読みましょう、原作!)、ふと、道の上にいたお侍さんたちにその行く手をはばまれます。彼らは武蔵せんせえの門弟さんたちで、師匠の命令で人を近づけないようにしているのでした。如雲斎さんはストレートにご挨拶。
「…武蔵殿のお見舞いに名古屋から参った、柳生如雲斎と申す。兵庫と名乗っておったころ、武蔵殿の知遇を得た者じゃ。通るぞ」
如雲斎さんのお名前はひろく知られているみたいで、門弟さんたちもすぐに想い当たりますが、そんな中、相手の素性にもかまわずに止めるお侍さんがひとり。
「だめだ!! これより奥へは何人たりとも入ってはならぬ!! お引き取り願いたい!!」
この人は伊太郎さんといって、まだ幼いころに武蔵せんせえがひろって剣術を教え、以来どこへ行くにもおともするようになった人なのです。いちおう島原の乱にもついて行ってたんですよ、ええ。由比正雪が来た時はちょうどおトイレにでも行ってたのかすがたが見えなかったですけど。(^-^;)
で、その伊太郎さんは、現在病んでいる武蔵せんせえが、ただひとり近づくことを許して、食事や身のまわりのお世話などをさせているのでした。
しかし如雲斎さんにしてみれば、だからと言ってはいそうですかと引き下がるわけにもいかず。武蔵せんせえの体調といい由比正雪の奇妙な言葉といい、たしかめずにはおかないことばかりですからね。もう一度、あくまで(この人なりに)落ち着いて、今度は自分が来たことを伝えてくれと頼みます。が、
「ならぬ!! 愛弟子のわたしでさえ、今日は傍に居てはならぬと言われたのだ!! お帰りくだされ!!」
第1話ではどっかへ行ってたような人だし自分で自分を愛弟子と言うのも(いちおう事実とはいえ)ちょっとどうかと想うし、だいいち(愛)弟子と剣友とでは比較の対象にはならないんじゃあとツッコみたくなるのですが、さておき。
通行もダメ、来意を告げてもらうこともダメ。躍起になって自分を追い返そうとする伊太郎さんのその様子から、如雲斎さんは何かを感じ取ります。
「…もしや。武蔵殿はいま…死につつあるのではあるまいな?」
「来ては、ならぬと申すに!!」
その手が刀にかかるかからないかのうちに、伊太郎さんは激突を受けて倒れていました。如雲斎さんの持っていた竹杖が、その胴を薙いだのです。
くずれた伊太郎さんを見て、お侍さんたちは一斉に抜刀しようとしますが、「どけい」とどすの利いた声(まず間違いなく)でメンチを切られてはひるんで下がるしかありません。
まるでどこぞの組長さんです如雲斎さん。ふだん白スーツに派手シャツめかしこんでて金時計とか巻いてダビドフの葉巻ふかしてても違和感ないと想う。(^-^;)
ちなみにここのシーン、如雲斎さんの気性の激しさ(それとも気の短さ?)のほどをあらわすエピソードが文章で挿入されていて、これは原作では先の第二歌において語られていたものです。コミカライズにあたって組み換えられたのでしょうけど、いいところに持ってきたなあとせがわ先生の腕前に感心することしきりでした。
でもって本当ならこの時、如雲斎さんはさらなるスーパープレイを披露してくれているのですが、ページの都合によりそれはカット(泣)。
うーん、何かと急ピッチで進むなあ、序盤「地獄篇」。もっとじっくり見たいなあと想うのですが、いま物語の流れが流れ、雰囲気が雰囲気なので、こればっかりは仕方ありません。ページの都合もあるのでしょうけど、うまいことはぶいてくれたなあとせがわ先生の腕前に感心することしきりでし……た……。(ぐ、ぐ、ぐ……)

けっきょく、如雲斎さんの剣の腕と気迫に押されて門弟さんたちは道をあけざるを得なくなり、おまけに、
「おぬしたちは来ては成らぬぞ」
とにらみまできかされて、黙ってうなずくしかありません。
しかし……これ見ていて想ったんですけど、何だかひるめろみたいだなあと(苦笑)。原作読んだ時も同じ感想抱きました。
入院して寝こんでいる夫の脇で妻が看病していて親戚も何人かいて、そこへ夫の愛人が来たものだから病室の入り口で会わせろの会わせられないのと押しあい圧しあいしているようなもん? 如雲斎さんがそれなりの実力の持ち主だったから早々に片がつきましたけど、五分五分だったら骨肉だか泥沼だかでそうとう面倒くさいことになってたと想う(笑)。
武蔵せんせえモテモテですね☆ ヒューッ!(両手の人差し指を向けて)

……すみません、たちの悪い茶化し入れてしまいました。ええと。(-_-;)
そのまま如雲斎さんは霊巌洞を目指して歩き続けます。l
やがて道の上に、今度はふたりの人物――巡礼姿の若者、そして老人があらわれました。
「…そなたらは?」
如雲斎さんのこの誰何の言葉、原作の通りなのですけど、「お主らは?」じゃないんですね。どちらも意味あいとしては同じですけど、おぬしの方は同輩以下をさして使われる語なので、ちょっと気にかかってたんです。
如雲斎さんがこのように言ったのは、いちおう相手が年上であると見えるからなのか、それとも無自覚のうちに感知した何かが敬意もしくは畏怖を引き出したのか……。
それはいまはともかくとして、老人――森宗意軒はそれには答えず、「ふふ…正雪からお聞きでござろうが」と仙人のように返します。(ここで次にひとコマ置いて“間”を入れているのが、異世界に入っていくような、如雲斎さんの心がじわじわと魔魅にからめとられつつある様子をあらわしていて、いいなあと想いました)
「…武蔵殿が…女と交合して…再生するという話か?」
「ふっ…ふふ…さよう」
うわあ……。
森宗意軒、最初見た時は金壺眼の怖いおじいさんで、どこかグレイ(宇宙人の)っぽいなあと想っていたのですが、このコマ見て想いきり見方が変わりました。
公式HPでは「ファー●ーみたい」と言われてましたけど、私的にはやたらおおきな眼といいおかしなかたちにゆがむ口といい、座るとみょうにちっちゃく見えてしまう寸法といい、上向いた鼻といい上下左右に二本ずつの歯といい、これでデカ耳があればギズモだなあと連想してしまいましたです……どっちにしても本物とは正反対に邪悪ですが(笑)。
(※ギズモ……映画『グレムリン』を参照のこと)

そんなギズモ……じゃなかった、森宗意軒の笑いを聞いて、如雲斎さんは、
「…信じられぬ。武蔵殿は今年六十二歳。しかも修行のため、いまだ一度として妻帯なされたことのない孤高の剣人じゃ! いや!! もはや哲人と言ってもよい!! …それが…」
数日前に見た田宮坊太郎再生という“現実”と、いまだにその不可思議を受け入れられずにいる“不信”、ふたつの感覚が如雲斎さんの中でせめぎあっているのでしょう。しかも、いまその話題の中心にいるのは、当代にならぶ者のいない剣聖宮本武蔵。いくらいま病んでいるとはいえ、瀕死で恋人にすがりつくようだった田宮さんとは違って剣の道ひとすじに生きてきた人で、あんなことやこんなことをしてこの世に再び生まれ出ようだなんてそんなおそろしい、魔道に身を堕とすような真似を間違ってもするはずがないと如雲斎さんは信じているのです。同じ剣を志す者として、敬意と同時にあこがれのような気持ちもあったのかもしれません。
しかし森宗意軒は、そんな如雲斎さんの“武蔵像”をせせら笑うかのように、
「…身にたのしみをたくまず…」
むしろ馬鹿にするかのように、
「恋慕の思いに寄る心なし…ふっふ…」
それは武蔵せんせえの遺書ともいうべき文書「独行道」の一節(読み上げてる時の顔がまた気色悪くて、「じじいのいやらしさ」全開でした)。引用されたこの二句は、楽しいことなんかしないし、恋愛に関心なんかない、という意味あいのものですが、森宗意軒は果たしてそうかとでも言うように、言葉の中に問いかけを投げてきます。
「あの超絶の体力を持つ武蔵ほどの男が…一生女も知らずに道を求め…悟りを求めて悪戦苦闘…。六十二年の命の果てに何を得たか…ふふ…あわれ三百石の捨て扶持のみ!!」
一見、剣の道ひとすじに、清真そのものに生きて、剣人としての生をまっとうしたかに見える武蔵せんせえの人生。しかし、森宗意軒は見方を返して、いかにそれが“人間的に”むなしいものであったかを如雲斎さんに聞かせます。
もちろん武蔵せんせえもただ無為に道を歩いてきたわけではなく、自分の人生なんだから後悔しないようにと生きてきたはず。その想いあってこその心境でここまで来て、この「独行道」をあらわしたのでしょう。けど、しかし、
「…われ…事に於いて後悔せず…ふっふっ」
そんな、武蔵せんせえが到達した心の境地を、森宗意軒は本当にそうなのかとあざ笑うのです。さらに、
「不憫なことに武蔵は…恋のみならず剣をも捨てた!!」
とまで言ってのけます。どういうことかというと、
「武蔵自身の話によれば…いわゆる剣法を“一分の兵法”と呼び、“大軍の指揮や政道向きの工夫”を“大分の兵法”と呼ぶ。そして武蔵は佐々木小次郎との決闘のあと、三十歳にして“一分の兵法”を捨て“大分の兵法”を志した。それが証拠に武蔵は三十以後剣をふるってはおらぬ。少なくとも人を殺してはおらぬ」
……うん、たしかに殺してはいない。(※『剣鬼喇嘛仏』参照)
ちなみに7年前、島原の乱で軍監の任についていながら活躍をしなかったのも、その終結直後、よみがえった天草四郎たちがいかだに乗って去ろうとした際にただ黙って見送ったのも、この志しのためだったのでした。そのため、陣中からは非常につめたい眼で見られたとか見られなかったとか……。
現代的なたとえをすると、アーティストさんが方向性を間違えてプロデュースに失敗してCDの売り上げやコンサートの観客動員数が落ち込むようなもので、そうなると世間というのはつめたいものでどれだけ熱狂してた人でも手のひらを返したようにさめきって離れていってしまいます。武蔵せんせえにもそれは言えることで、たしかに戦わないヒーローなんて朴念仁とおんなじで、炭酸の抜けたコーラのようなものですからね。そんな民衆心理の不可思議さはむかしもいまも変わりないらしいです。
「だが世間の値踏みは正しい!! 斬ってこその武蔵!! 戦ってこその武蔵!! 豪剣をふるわざる武蔵など無きも同然!! 有り得ぬのだ!!」
……はいはい(苦笑)。
しかし、それにしても森宗意軒、さっきからとうとうと得意になって語ってますね。まるで自分こそが武蔵の一番の理解者だと言わんばかりの饒舌ぶりです。
たとえるなら嫁と愛人が言い争っているところへ母親が出てきた感じ?(←そのひるめろ思考いいかげん捨てなよケイトさん(-_-;))

すみません、変に得意な口ぶりにちょっと疲れてきたもので。ともかく。
もしかすると、たとえ江戸時代であっても「世間がどうした」「自分の価値は自分で決めるもんだろ」という現代的(なのかな?)な考えは通用するのかもしれませんけど、いくら心でわかっていても、世間の冷遇と現実的なみじめさはどうにもならないものなのです。
だから、人は傾いてしまう。
むなしさを感じた時、付け入る隙が生まれて、心が揺れ、安定をなくして、下手をすれば悪い方へ倒れてしまうのです。老境に入り、入滅に差しかかって、自分の人生を振り返っている瞬間ともあれば、なおさらなのかもしれません。
「…その寂寞たる武蔵野人生にただ一度…ふふ…いまや最期に大輪の花開かんとする」
武蔵せんせえが死に向かいつつある、まさにこの時をねらって、森宗意軒たちはやって来たのでした。そう、由比正雪のように、女の人をつれて。
森宗意軒が今回つれて来た女の人は、名前をお通といって、かつて武蔵せんせえが深く愛しあった女性(ひと)と同じ名前、同じすがたかたちをした、姪御さんにあたる人。再生術のためとはいえ、わざわざ播磨国まで行って探し出した上でここまで連れて来たのだから、たいそう念がいってるというか。
そして、いま、お通さんのその肢体が、クネクネと白い蛇のように武蔵せんせえにまとわりつき、頬当て、兜と身につけているものを脱がせて、武蔵せんせえは欲望と理性のはざまでふるえもがきながらもされるがままになっていって……。
原作では武蔵せんせえの前にむしろをしいて、裸になって横たわってご本人に向かって脚をひろげるという待ちの姿勢(何だそれ)にあったお通さんでしたけど、いま武蔵せんせえがいるところ、あんまりスペースに余裕ないですからね。横になった途端ずり落ちちゃうので、そこのところを考慮してか、お通さんがお着物ぬぎぬぎしながら武蔵せんせえのもとへ登っていくという流れに変更されていました。何このストリップショウ!
しかも今回、お通さん見た目によらず積極的(?)な性格なのか、嬉々として武蔵せんせえのよろいかぶとを脱がせていきます。作業におけるその手つきはみごとなもので、もはや熟練のPORNO STARのそれと変わりありません。Who is high girl !?(笑)

武蔵せんせえは、女の人から発せられる匂いに、ふれてくる肌のやわらかさに、驚愕を通り越して歓喜したように眼を見ひらいて、そのままお通さんを受け入れて法悦境へ入り……。
そこから先の出来事は、如雲斎さんもほとんど呆然自失の体で見守るばかりです。
「…まず相手となる女は、転生を望むその人が深く恋慕しておる女にかぎる」
そのかたわらで、まるで見本を見せながら学生に指導する教授のように解説していく森宗意軒。(ここで疑問がふとうかぶ。「女だったら幼女でもおばあちゃんでもいいんですか、森宗意軒さん」)
「さらには…事前にわが指のひとつを使い、その胎内に術をほどこしておかねばならぬ」
そう言って、森宗意軒は自分の左手を如雲斎さんに向かって差し出します。そこにあるはずの指は――指は、人造矮人のような親指が1本あるばかり。残りの指はすべて中ほどから断たれていて、人差し指の部分が、赤い傷口をさらしています。
これって、中ほどから断たれているんですね。や、指を見ると眼・手といっしょに足のようなものも見られるので、根もとからやってるのだとばかり想ってまして。切り落とす時にずいっと上にあがるとか? ウワアきしょい!(-_-;)

ところで、ワタクシ、原作読んでからずっと森宗意軒さんに直撃したいことがあるのですが。
「先生、先生は足の指もそんなふうになってるんですか? 足の指でも施術できるんですか?」

そしていま、「クワーッ」という声が聞こえてきそうなくらい、まるで餓鬼のようになってお通さんを襲う武蔵せんせえ。積年の想いをとげた瞬間、その眼からひとすじ流れ落ちたのは、歓喜でしょうか、それとも後悔でしょうか……。
しかし……これ原作読んだ時も想ったのですけど、見ず知らずのオジイサン(しかも伯母を捨てた人)に抱かれる上にそれを再生させる忍体になることを、お通さんよく承知したなあ。まさか催眠術でもかけて無理やりに連れてきたわけではないだろうとは想いますが(最低だ)、ふつうだったらまず断って当然であるこんな申し出を受け入れた理由は奈辺にありや? 私としてはむしろそちらの方が気にかかります。
でもって。
原作ではくわしくかかれていなかった武蔵せんせえとお通さんのもにょもにょをせがわ先生は2回にわたってえがかれたのだといいます……何でまた?(笑)(これアニメ化とんだわー深夜枠もないわー)

やがて……ことが終わって、お通さんの眼には、田宮さんを受け入れたお類さんの時と同じ、あのけぶりがあらわれます。武蔵せんせえはお通さんの身体に倒れたままこと切れます。(原作にある「花にとまった巨大な黒い蜘蛛」という、まさにピッタリな表現を、せがわ先生しっかりと画にしてくださってました〜vv)
それを確認して森宗意軒、
「忍法魔界転生、ここに成る」
……そういえばここではじめて森宗意軒が使う術の名前が出ましたね。(いま気づく)
まだ手順と名前と必要条件が出されただけで、何が起こるのか、どういう作用機序なのかはあきらかにされていませんが、そのあたりはまた追い追い出されていくのかな。
とりあえず、術と術者のその異様さは、如雲斎さんの肝をひしぐにはじゅうぶんすぎるくらいだったみたいですね。

お通さんは服を着せられ、巡礼者すがたに戻って、いちおう妊婦(?)だからなのか手をひかれて気づかわれつつ、森宗意軒のもとへ。そして森宗意軒は、そのまま如雲斎さんに別れを告げるのですが、
「ま…待て!! そもそもそなたたちは何者だ!? 名を名乗れ!!」
もともとの質問をいまになって想い出してくり返すのも何だかおかしな話ですが、とにかく、引き止めてたずねる如雲斎さん。そんな彼に、今度は森宗意軒はちゃんと名乗り、そして――
「そしてこれなるは…天草四郎時貞」
先ほどから森宗意軒とともにずっといた、もうひとりの巡礼者さん――その正体は、島原の乱で戦死し、その終結直後に森宗意軒の手によってよみがえった、あの天草四郎!
転生直後は乳幼児なみにおぼつかなかった頭は、いまははっきりしているみたいで、挨拶のかわりなのか、如雲斎さんにむかって可愛らしい笑顔をむけています。
出で立ちはというと、髪はリボンでポニーテールみたいにくくって、逆十字のピアス(こういうこまかい装飾がいいですね)とかじゃらじゃらつけてて、まるでどこぞのヴィジュアル系バンドのヴォーカルのオニイチャンみたいななりです。隠密裏に行動するためとはいえ、キリシタン(もと、ですが)が巡礼の格好をしているのはちょっとおかしかったりも(笑)。
が、その天草四郎、いきなり両腕を突き出したかと想うと、中指を人差し指にからめて、
「徳川、滅ぶべし」
……。
……これって、「えんがちょ」のサインですよね……?
私がまだちいさいころに男の子たちがこれをやってふざけあっていたので、やってることが子どもじみてるどころかガキくさい呪詛だなあと映ってつい苦笑してしまったのですけど、でもまだ呪術的な信仰が強かったこの時代、天草四郎の見せた印はひどく挑発的な意味あいをもって如雲斎さんの眼に映ります。天使のようだった笑顔も、ひらいた眼が赤くかげり、口もとが邪悪にゆがんで、まるで魔少年そのもの。おそろしいまでのそれは変貌でした。
むかし「徳川家も滅んで結構!」と堂々と言ってのけた人がいましたけど、あちらが胸が一気にすくほど快活に突き抜けてくれたのに対して、こちらはひたすら陰陰滅滅とした調子で響いてくるのだから、気が重くなるというか。上にかいた通り「ガキくさい」と想っているからたいして気にはならないものの、それでも人のいい笑顔を見せた直後にいきなり“これ”なのですから、何だか変にいやあな後味が残りましたです。
本当、いやだわあ。(-_-;)

さらにさらに天草四郎、逆賊の名前を聞いて刀に手をかけた如雲斎さんに向かって、何を調子に乗ったのか両手の親指を立てたまま下に向けて、これは「くたばれ」、下品な英語で言うところの「Back off !!」のサイン!
その画がページまるまる使ってかかれたところで今回はシメとなるのですが……正体をあかした上にこんなふざけた挑発行為までして、如雲斎さんが生かしておくとは想えません。
さて、次回どうなる!?

この武蔵せんせえの章、原作を読んだ時はいささか強引な展開だなあと想わなくもなかったのですけど、しかしその強引さも、風太郎大人の筆にかかると、ふしぎと説得力を持って受け入れられるからすごい。せがわ先生もよくコミカライズしてくださいました。
そして気絶からさめた伊太郎さんは自分が倒れてたあいだにあんなことやこんなことが起こったと知ってしまったらどんな想いを抱くのでしょう。(原作でもそこまでのフォローはされてなかったといいます……伊太郎さんひたすら不憫)

ところで、森宗意軒の声、私の中では大/塚/周/夫さんが『バ/ン/パ/イ/ア/ハ/ン/タ/ー/D』(川尻監督版の)で演じられたバルバロイ長老のあれで聞こえてくるのですが……賛成してくださる方、いらっしゃいます?
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2012/9/12

今回の『十』!(※ネタばらしご注意!)  せがわ先生作品感想

“私が死んだとき、一匹の蝿がうなるのを聞いた。部屋の中の静寂は、嵐の高まりの間の大気の静寂のようだった”――エミリ・ディキンスン

はじまりは、とあるお方の回想シーンから。
その方は、お城の堀端である人とすれ違ったあと、お互いに振りむいて声をかけあいました。
「…ひさびさに、生きた達人に逢うた…もしや、柳生兵庫殿では?」
「…はじめてお目にかかる。宮本武蔵殿」
何だかロマンス本のワンシーンみたいですが(←ケイトさん何てことを!!)、これは当人にとって、のちのちまでも忘れられない、想い出深い出逢いの記憶でした。
漫画ではページの都合もあって、このように挨拶場面オンリーのかたちになってしまっていますけど、原作ではふたりがお互いを見つけた時からすれ違った瞬間、さらにはそのあとのことまで、しっかりとしるされています。しかもそれが、風太郎大人ならではの名文でピシッと決まっていてとてもすてきなんですよ〜vv せがわ先生にも、ぜひ一連の流れを漫画化していただきたかった、というくらい。このシーン、ぜひ読まれてたしかめられてください!
で、剣を取ってはならぶ者なしとうたわれた、当代きっての名人である武蔵せんせえが「生きた達人」とまで評したそのお方こそ――

というわけで、その柳生兵庫助利厳さんです。
現在は家督を息子さんにゆずって隠居し、如雲斎と名乗っているこの方ですが、原作から引用すると「大兵肥満」で「皮膚は黒いあぶらをぬったようにつやつやとし」ていて、「不気味なくらい精気にみちている」のだそうですが。
……うん。まさにその通りだなあ、と(笑)。
おなかがぽっこりしているけどそのぶん威圧を感じさせる重量感があるし、精気はみちてるどころかありあまっていそうなくらい。肌の色がどんなぐあいであるのかは紙面では確認できませんけど、でもきっと、けっこうなものなのだろうなあ。一見したところ骨も太そうで、いかにもパワータイプの人なのに、年月ともに練り上げてきた技も相当なものみたい。もし相対することになったらたとえ竹刀でも大けがしそうですね。

そしていま、日課の鍛錬であるのか、お屋敷の庭で木剣を振っている如雲斎さん。
その頭には武蔵せんせえとの出逢いのことがうかんでいましたけど、それにつらなって江戸柳生のことまで出てきてしまったものだから、ご機嫌は悪い方へと傾いてしまったみたいです。
でも、事情を知ってみればそれも当然のこと。
如雲斎さんこそは、柳生新陰流の二世・柳生石舟斎さんのご長男の子ども、つまりお孫さんにあたり、新陰流の正当な継承者なのです。図であらわすと、

 石舟斎 → 新次郎厳勝(如雲斎さんのお父さん) → 如雲斎

となるわけです。
せがわ先生の漫画では、おじいさんとお孫さんのお顔がずいぶん違っていて、そこにどんな遺伝子のいたずらがあったのかとても知りたくもありますが、そちらへの興味はいまは置いておいて。(^-^;)
何故お孫さんが三世なのかというと、お父さんの新次郎さんは、戦乱のさなか、柳生の里を守るために奮戦し、その時にうけた怪我がたたって、流派を継ぐことが叶わなくなってしまったからなのでした。それで石舟斎さんは考えた結果、五男坊である又右衛門宗矩を徳川家につかえさせるために江戸へ送り(二〜四男はわけあって不可)、自分の剣を継ぐだけの資質があると見た如雲斎さんには柳生新陰流のすべてを伝えることを決めて、手もとに置くことにしたのです。
ちなみに又右衛門宗矩とは、先の『Y十M―柳生忍法帖―』の終盤で登場した十兵衛先生のおちちうえ・柳生但馬守宗矩のことです。……いま如雲斎さんというマン・マウンテンなお方がいるせいか、ならべてみるとみょうにほっそりして別人のごとく見えるのですけど(笑)、間違いなくおちちうえその人です。
そういえば柳生家ご事情紹介シーンには、同じく『Y十M』序盤にカメオ出演していたあの人と、終盤に登場していたあの人も出てましたね! これはせがわ先生からのサービスというかくすぐりと考えていいのかな! かな!
うれしいなあ〜、こういうの!(*^o^*)

……スミマセン、ちょっと話がそれてしまいました。もとにもどしまして。(うれしいのはわかるけどやたらコーフンするのはひかえようねケイトさん)
そんなふうにして柳生さんちの家庭の事情が語られてきたわけですが、如雲斎さんは、この尾張藩に剣術指南の職を得てから数十年がたち、隠居したいまになっても、気に喰わないことがひとつだけありました。
それは、柳生但馬守のこと。ひいては江戸柳生のこと。
身内だし、自分の叔父さんでもあるし。将軍家剣術指南役ともなれば江戸の都での隆盛にもつながっているのでしょうしで、流派の繁栄を考えるとよろこばしいことなのでしょう。
ただ、流派の正当な継承者は自分であり、柳生の本家もこちら側であるはずなのに、江戸の柳生侍たちが自分たちの方が正当なんだという顔をしているのが、如雲斎さんは気に喰わない。おれたち江戸柳生のが本家なんだぜ、但馬守さまこそがえらい人で尾張の如雲斎なんてこっちが正統だとかえらそうなことぬかしてるけどただのメタボ親父なんだぜえとわがもの顔でのさばっているのがいまも機嫌を悪くさせるのです。(←そんなこと誰も言ってない)

……如雲斎さんとfanのみなさますみません。ええと。(-_-;)
如雲斎さんは、石舟斎さんからただひとり、柳生新陰流の印可状を授けられた、と原作にはあります。
にもかかわらずこの時、尾張柳生500石に対して、江戸柳生は10000石。会社で例えると係長と専務くらいですか。
これでは第三者的な目線で見ても、石高の多い江戸の方を本家だと想いこそすれ、よほどの事情通でなければ如雲斎さんこそが正統だなんて想いもよらないでしょうねえ。かく言う私だって、原作を読むまで十兵衛さんが使う剣=柳生新陰流というアバウトどころじゃない知識しかなかったから柳生は江戸にしかないんだと想いこんでましたもん。(^-^;)
でもこの回を読んだかぎりでは、おちちうえ――但馬守にしても、自分には許されなかった印可状が甥っ子に授けられたと知って悔しかったというのはなかったのかしら、と。それでそっちがそうならこっちはこうだと言わんばかりに将軍家のご機嫌とりに躍起になって、石高やら重役やらをがっぽがっぽとかせいじゃって、ついには幕閣までのぼりつめて。遠く離れていながら、というか離れていたぶん、お互いに知らんぷりこを決めこみつつも、変に意識しすぎた結果がこれになっちゃったのかなー……って何そのおかしな恋愛ドラマみたいな関係。

すみません、変な方向へ脱線してしまいました。ええと。(※いつも)
そうして、こういったいきさつが一度双方のあいだに溝を生じたらもうおさまらず、それが時とともにひらきにひらき、深まりに深まって、ついには断絶となってしまったのですから、やんぬるかな。
この時代では、元服すればもうひとかどの男で、武士ですからね。関係上は叔父と甥でも、立場上は流派の長と長なのですから、矜持だけでは満足できず、割り切れないものもあるのでしょう。江戸があれこれ動いてたあいだ自分はあちこち旅してたんだからこんな結果になったのもしょうがないじゃんとか、兄と弟ならまだしも叔父と甥なのですから何もそんなに気にしなくても……と想わなくもないのですが。
それに当時のお武家さまたちにとっては、自分の石高がそのまま力量につながっていて、すくなければすなわち弱いちいさいと見なされていた面もありましたからね。強引に言ってしまうと、たとえばか殿であっても石高さえあればそれでよかったのです。どこぞの2代めさましかり。尾張50対江戸10000。だからこそ、向こうがうまく立ちまわったために自分(たち)が日陰にやられたみたいで、面白く感じられなかったのかもしれませんね。
かてて加えて、江戸がそのまま調子こいてえらそうにしているものだから、尾張はますますひっこむしかなくて。同じ柳生なのにこの違い、むしゃくしゃするのも無理ありません。
う〜ん、この仲の悪さ、まるでのちの世の吉宗公と尾張大納言さまを見ているようだなあ(苦笑)。
私としては、どっちもおとなげないなあと。もとは同じ柳生なのにと。それこそ海のひろさにくらべたらちっぽけなことだろと想うし、禄や体面に執着するくらいならいっそ剣の道からはずれた方がいいんじゃあと考えてしまうのですが。
でも、当世としてはそうもいかなかったし、めんつなんかもあったのでしょうね。大人の世界っていろいろあるんだな。フクザツナハナシダー。

ところで読みながらふと気になったのですが、お名前である如雲斎利厳、読みが「にょうんさいとしとし」って……私てっきり「じょうんさいとしよし」だとばかり想ってましたので、それだけに「あらら?」となってしまいました。
いちおう手もとにある原作本ふたつを見てみると、講談社文庫版では「にょうんさいとしよし」、角川文庫では「じょうんさいとしよし」とそれぞれなっていましたけど、Wィキを見ると「としとし」でもいいみたいですね。ああ、ややこしい。
とりあえず、語感のよいと想われるものを採択した、ということでいいのかな。
読みにいろいろ説があると誤植じゃないかと疑ってしまうからこういう時に困る。(^-^;)

そんな如雲斎さんにご来客があって、本日のお稽古はここまでになったのですが。
「……拙者、江戸牛込榎坂に軍学の道場を開いておりまする、張孔堂由比民部之介正雪と申す者でござる」
出ました!(笑)
柳生新陰流の正統な(※重要)継承者を相手にしているというのに、向けた表情は不敵そのもの。7年もたってお顔ののっぺり感(何だそれ)にますますみがきがかかり、如雲斎さんもうさん臭そう〜な眼で見ています。
そしてそのうしろには、前回ラストで登場した、杖を突きつきはいずるようにしてやって来た旅のお侍さんが、女の人にささえられるようにして座っています。
そのお顔、眉は漢字の一の字を置いたようにまっすぐで、意志の強いさまをあらわしているみたいですが、いまうかんでいるのは死相そのもの、ひどい咳とともに苦しげにゆがめられています。着物のあわせめから見える身体も、まるで骨にうすい皮がはりついただけのようで、いまはかたわらにいる女の人にささえられてようやくこの座敷にあり、座っているのもやっとというありさまです。
このお侍さん、お名前を田宮坊太郎国宗といって、もとは四国の讃岐、現在の香川県(ウォウ!)の方でした。
お父さんは丸亀で藩士として奉職していた方で、また抜刀術(さやから刀を抜いて相手を斬る、速さが勝負の鍵となる剣術。居合ともいう)の名手でもあったのですが、しかしその存在をうとんだを同じ藩の剣術指南役・堀源太左衛門により殺害されてしまったのです。(←これを見ると、おちちうえと如雲斎さんの関係はまだ穏当な方だったのかもなあ、と/笑)
奇しくもお父さんの命日に生まれた田宮さんは、復讐の念に燃えるようになり、幼少のころから剣術の稽古に打ち込んで、長じては江戸に出て柳生の道場でみがきをかけ、ついに18歳の時、堀源太左衛門を討ち果たしました。
会ったことのない父親のために、生まれてから青春時代の中ごろまで、ずっと復讐にささげてきた人生……想うだけで壮絶なものがありますねー……。
私、一時期香川県に住んでいたことがあったのですけど、田宮さんの話なんて聞いたこともなかったなあ……。まあこれは、私の住まいが善通寺市であり、となり町の琴平町(田宮さんが復讐の誓いを立てたという金毘羅大権現がある)に行くこともそんなになかったため、ただ単にふれる機会にめぐまれなかったからなのでしょうけど。(^-^;)
今度香川へ行く機会があったら、旧跡がないかたずねてみようと想います!
(※ネットで調べてみたところ、高松市の国分八幡宮というところに、お墓らしきものがあるそうです

その田宮さんが、どうして如雲斎さんとお知りあいだったかというと、いまから4年前、江戸を出て国もとへ仇討ちに帰ろうかという時に、尾張に立ち寄って直接会い、指導をお願いしたのがきっかけでした。
もっとも、当の如雲斎さんは、「……それには及ばず。江戸柳生と尾張柳生は違う。剣の迷いになるだけよ」としりぞけてしまったわけですが(苦笑)。
おそらく、その腕を修行で鍛えていく中で、冷静な心や、少年期特有の純粋さ、そういったものをみずからの剣に織りこんでできあがったのが、いまの田宮坊太郎という剣士であり、剣法なのでしょう。仇討ちを前にひかえた大事な時期でもあったのですから、そんな時に別の指導者が横から口を出すのは、よい結果につながるとは言えません。
なので如雲斎さんの言うことに理がないわけではありませんが、しかしお言葉の裏に上にかいたような事情を察するのは想像に難くないのだといいます……。(^-^;)

そういえばこれは公式ページでも取り上げられてたことですけど、田宮さんご紹介のくだりで、江戸に出てきてからのシーン、あの人らしい影がありましたね! みごとに隠されてましたけどね!(笑)
これはあれかな、お楽しみということでいいのかな。もっとも、原作読者にはわかりきったことですし、未読の方もネットなどから情報を得ることはたやすいくらいにたやすくできるのでしょうから、いまさらの感もありますけど。まあ、ひたすら純粋に漫画だけを追いかけている方もいらっしゃるのでしょうし、地獄篇の歌が終わるまでお名前をみじんも出されなかった風太郎大人の原作に礼儀としてのっとってもいるのだろうということで。
うおおおおおお、お待ちしてまーすvv (*^o^*)

……って、病人をほったらかして期待なんてしてる場合じゃないですね。話を本筋にもどしまして。
そう、田宮さんはいま、労咳(肺結核。当時は不治の病)を病んでいたのでした。
仇を討ったあと、これからも剣の道ひとすじに生きようと決めたのでしょう、自分をしたってくれた女の人――いまとなりにいるお類さんを突き放して、ふたたび江戸に出てきたのですが、病気になり、日に日に病みおとろえていくにつれて、自分の生き方を後悔するようになったのです。
何となく、わかるなあ、と想います。いくらふだん、怖いものなんか何もないという顔をしていても、いざ病気になってしまうと急に心細くなって、いままでしてきたことをふり返って、信じもしていなかった神さまにお詫びしてすがりついたりもして。田宮さんひとり身で、近くに家族もいないから、なおさらその想いは強かっただろうなあ……。
そんなところへねずみ男、もとい、張孔堂先生のご登場です。
前々からずっと眼をつけていたに違いない張孔堂先生、田宮さんの後悔を聞き嘆きにうなずいて、本人のために何かしてやろうと想って(なんてもっともらしいことを言って)、四国へ行ってお類さんを連れて来たのでした。気づいているのかなあ、そのことを説明しているあいだに、自分が顔にうかべているつめたい眼、みょうなうすら笑い。

で、江戸からぜいぜい言いながら出てきた田宮さんと、四国から駆けつけるようにしてやって来たお類さん。ふたりはこの如雲斎さんのお屋敷の前で会い、もう二度と離さないというかのように固く抱きあったのでした(そんなふたりをながめている由比正雪の眼のいやなこと!)。でもって、
「まことに…まことに勝手至極…厚かましきことながら…如雲斎様におすがりし…このお屋敷をお借りして…お類どのと…逢瀬を結ぶ約束をしたのでございまする」
カンタンに言ってしまうと、悪いけど自分たちこの屋敷ででぇと(ブッ)して愛しあうことにしましたからーと言っているわけです。
かりにもひとさまの家、それも剣法家というまじめな職業(?)の人の家にあがりこんでご想像におまかせするようなことをしようだなんて、およそふとどき千万なこと。当の如雲斎さんにしたところで、まさか自分の屋敷を知らないうちに勝手にそんな場にされようとしているだなんて想いもよらず、お顔にはりっぱなチャームポイントがあらわれて……「何考えとんのじゃこのどぐされ頭が」とか「いまどきの若いもんは半殺しにせんとわからんらしいのう」とか想われてそうなくらいに、どこぞの組長さんよりもすてきなお顔になっちゃってます。いくら病人だからってやっていいことと悪いことがありますよ、田宮さん(苦笑)。

「…何とぞ…何とぞお許しくださいませ…。このご恩は…拙者が再びこの世に生まれ変わってから…改めて…お返し申し上げますれば…」
苦しげな息とともに、ふしぎなことをもらして言う田宮さん。しかしそうこうしている内にまた咳きこみ、ついに喀血。いよいよあやうくなってまいりました。これを見て張孔堂先生、如雲斎さんに直截的に頼みに出ます。
「如雲斎先生。まことにもって唐突慮外なことを申しまするが…この二人のために、合歓(ねむ)のしとねをお設けくださりますまいか? ――お類に、田宮の子を孕ませまする」
現代風にもっとストレートに言えば、この人たちこれから子づくりのためにことにおよぶからここをらぶほ(げほげほ!)がわりにさせてくれと頼みこんでいるわけです。
「正雪…冗談口は時と場所を選ばねば…命に関わることもあると知れ」
言いながら如雲斎さん、いよいよお顔がメロンになってきていますが(笑顔がとってもキュートなのv)、由比正雪は「やれやれだな」とでもいうような、みょうにさめた目でひと思案してから、
「一ト月。――この二人契りてのち、一ト月を経ますれば、お類はいつなりと田宮の子を生みまする」
これはおよそ考えられないことです。通常であれば出産までには十月十日(これはむかしの計算で、現代で言えば9か月とすこし)かかりますからね。如雲斎さんも、お類さんは死んだ子どもを産むと予言しているだろうかといぶかるばかりです。
しかし張孔堂先生は、とりすました態度をくずすことなく、
「いえ…今の田宮と同じ大きさ、同じ顔だち…今と変わらぬ田宮坊太郎…。と…申すより、病める身体はきれいに癒った、新生…再生した坊太郎そのものを…」
聞くなり、如雲斎さんは抜刀しました。その白刃は抜かれるなり風のように由比正雪の首へ走ります。
由比正雪の首が落ちなかったのは、如雲斎さんが寸止めにしたからではありませんでした。一本の刀が、まるで正雪の肩からはえたようにして、如雲斎さんの刀を止めていたからです。(ここで由比正雪の右の髪がすこし乱れているのは、剣の起こした風によるものですよね、きっと。こういうこまかい描写もやっぱりいいなあ)
「めっそうもございませぬ」
自分の真横に刀などないかのように、落ち着いた声で由比正雪は言い、
「拙者はこたびのこと、如雲斎先生にもぜひ御覧いただきたいと存じて参りました。何故なら…この再生をなしえる者は、死期迫ってなお超絶の気力体力を持ちながら、おのれの人生に歯がみするほどの悔いと不満を抱いておる人物…。もう一つの…別の人生を送りたかったと熱願しておる人物でなければならぬからでござる」
ここのところ、原作では科白のやり取りだけしかなかったシーンでしたけど、そこに刀のやり取りも加えることで迫真性と切迫感をより増されていますね。愚弄(と想われてしまう冗談)に耐え切れずに刀を抜いてしまう如雲斎さんの気性の激しさはもちろんのこと。
何より、この、かみあった刀を中心にまるで魚眼レンズをのぞいているかのようにかかれたひとコマ! 構図のとり方といいその中に映し出されたものといい、すごくいいと想いました。
由比正雪の顔はふつう以上にゆがんで映されているから、その狡猾さをいや増して読者に印象づけてくれていますし、かみあった刀の先にいる田宮さんの、抜刀術においては病みながらも柳生流正統をもしのぐという腕前のほどを、ひいては、刃を向けてでも叶えたい願い――彼が妄執にも近い想いで抱いている、いまの後悔を超えたいという願いがあることを強く見せてくれた、ここはそんな場面でした。
原作のあれこれをうまく漫画に落としこみ、なおかつおおいに魅せてくれた、せがわ先生によるナイスアレンジですね。まさかここを今回一番の盛り上げどころにされるだなんて想いもよりませんでしたけど、そのぶん本当、すばらしいお仕事をしてくださいました。

そういえばここでは、由比正雪が言うところの“再生”について、ふたつの条件が出ましたね。
 ●死を前にしても気力体力がありあまっていること
 ●自分の人生に激しい後悔を抱いていること
本当は、術を成功させるためにはもうひとつの条件が必要なのですが、それについては後出しで行くのかな。それをめぐってあれこれからむドラマもあることだし(笑)。
で、そんな条件が当てはまるほどのお人というと、
「たとえばこの…田宮坊太郎」
いま血を吐きちらし喘鳴をもらしながらも、屋敷の主人(正確には違いますが)に刃を向けている田宮さんは、まさしく当てはまっているでしょう。
「そして…あなたさまのような」
まるでつめたい刃に刺しつらぬかれたかのように、如雲斎さんのお顔にはっとしたものがあらわれます。まるで、心を見すかされたみたいに。
そうして、由比正雪の弁舌にひきこまれたのか、とどめのひと言が効いたのか、如雲斎さんは刀をおさめ、ことの真偽を見とどける気になりました。
如雲斎さんに呼ばれてやって来たのは、お加津さんという人。それを見て、如雲斎さんの顔にかすかに狼狽の色があらわれますが、となりに夜具を敷いてやってくれと言われ、いまもはげしく咳きこむ田宮さんのためと想ったのか、お加津さんはすぐに行ってしまいました。その後、
「今の佳人は…どなたさまでござりますか?」
「伜…茂左衛門の嫁じゃ。所用あって今日この下屋敷に参っておる」
「……さようでございますか…」
しかしそうは言いながらも、由比正雪、何かに感づいたモヨウ。
きっと反応とか、眼の色とか表情の動きとか、かすかなものでもよく見て取ってるんだろうなあ。でもって、そういったそぶりはまったく表に出さずにあくまで平静に取りすまして。原作にもあったひとコマですが、その抜け目のなさをちょっとした描写でよくあらわしてくれているなあと感心したところでもありました。本当、まったくさとい眼をしてますこと。(フゥ、とため息をついて)
のちの展開のためにも、ちゃんとひろいあげてくださったせがわ先生に深謝ですvv

そうして田宮さんとお類さんははことにおよぶわけですが……。
先の『剣鬼喇嘛仏』の時も感じたのですけど、せがわ先生のかかれる……ええとその、濡れ場って、変なお色気がなくていいなあと(笑)。裸とか行為とかをかいてはいても、どこかドライというか、さらっとしているというか。物語を盛り上げはしても、“いやん”な意味での見せ場になっていることがないので読みやすいのです。
今回の、田宮さんとお類さんも、過去において選択を間違えてしまったことから来る猛烈な後悔と、そんな相手を受け入れようとする一途さ・けなげさに重点を置いてかかれていますから、変に眼をそらしたりすることもなくするすると読むことができました。
もしかすると男性読者の方々にとっては物足りないのかもしれませんけど(青年誌ですしね!)、そういうシーンが苦手である私としては、読むのに苦労がいらないし安心できるので、ありがたい限りですね。(^.^)
でもここ原作では如雲斎さん・由比正雪といっしょにお加津さんにも隣室のあえぎ声を聞かせるという羞恥プレイ(げふごふ)がおこなわれていたのです。風太郎大人も鬼だわー(苦笑)。

で、すべてが終わって、それと同時に田宮さんは血を吐いてお亡くなりになってしまったわけですが。
いま、お類さんのその眼に、まるで純水に血をたらしたように、何かがけぶっています。田宮さんが死にぎわに吐き出した血とは違う、別のおそろしい何かが。
お類さんの瞳にあらわれたこのけぶり、カラーではないのでどんな色であるのかははっきりとはわかりませんけど、きっと不安なものを抱かせずにはおかない、そんな色をしていたことでしょう。
そう、お類さん本人に、変化はすぐに、着実にあらわれていました。
終わったあと、布団を出て、ぼんやりとその場に立ちつくすお類さん。その顔は、何か忘れてはならないことをいままさに忘れていってしまっているかのようにぼうっとしています。本来であれば、愛しい人が自分のすぐそばで死んだのだから、遺体を抱きしめるなり、取りすがって泣くなりしてもよさそうなものなのに、そうした気持ちはまるで起こらないらしく足もとに放り出したままで、思考も、涙さえもぼんやりとかすんでいき、やがてその顔には狂気にも似たうす笑いがひろがっていって……。
はじめてこのシーンを原作で読んだ時、愛する人がすぐ眼の前で死んでしまって気がふれたか、あるいは自分の身体の中にはらんでいるんだという事実が狂的なまでのよろこびになってそのまま凄艶さにつながっていったのかと想っていましたけど(いま想えばトンチンカンな感想を抱いていたものだなあ、と/苦笑)、再読して理解し直して、そしていまこうして画になってあらためてふれることで、お類さんに起きている変容がよくわかりました。そういう気持ちがあったにしろなかったにしろ、いま起きているのは、そんな人間的なレベルのものじゃなかったんですね。
田宮さんの死と同時に何か魔性のものに巣喰われてしまって、内側からすこしずつ荒らされているような、蝕まれていっているような……。
科白や擬音が一切ないから、しずかに、しずかに壊れていくその様子がとても克明に伝わってきて、ただひたすらにぶきみなものを感じずにはいられませんでした。
あとここのところ、原作では「ときに名状しがたい凄愴のひかりをはなつ眼」「言語動作が、あくまで尋常であるにかかわらず、どこかふしぎに、夢の中に漂っているか、何かに憑かれているよう」といったふうにお類さんは表現されていて、それをせがわ先生がどのように漫画へ変換するのか気になっていたのです。次のシーンまでひと月ほど時間もあることだから、ただその様子をかいて終わるだけじゃなくて、何らかの演出をしておいてくれそうだなあと。
そして――せがわ先生は、しっかりとほどこしていてくれました。読者に向けた、見たら想わずぞっとなってしまうような演出を。
お類さんが田宮さんの遺体をながめているところから、空間に音もなくひびを入れ、それをおおきくひろげていく。そうすることで、お類さんの「壊れぐあい」がわかるようになっているのですが、それが同時に、読者の心をすこしずつ乱し、落ち着かなくさせてくれるのです。
まるで、お類さんが、愛する人をうしなったかなしみよりもおおきな何かにのみこまれていくような、その何かによって精神がすこしずつ壊されていくような……たった3コマ、1ページ半のことですが、この流れには、見ているだけでそんな、ただならない不穏さと恐怖をかきたててくれるものがありました。
ひびに入れられた「一ト月後…」というテロップの挿入も、お類さんの表情やひびの入りようとあいまってそこはかとなく怖かったです。
せがわ先生の作品では、こういうタイプでの読者向けの演出って、めずらしいんじゃないかしら?
でも、ヴィジュアルの、漫画ならではの表現で、とてもいいですね。(*^-^*)

そうして、上にもかいたとおり1か月がすぎて――。
「この世に出よ!! 田宮坊太郎!!」
柳生家の座敷、その叫びとともに由比正雪が剣をふるった先では、いままさに、お類さんの身体の皮が薄紙みたいにべりべりと破れて、その下からはたくましい身体つきをした男の人がすがたをあらわしました。
お加津さんは如雲斎さんのそでにしがみついて青ざめ、その如雲斎さんもただならぬ光景に息をのんで、事情を知っている由比正雪でさえ初仕事ということを抜きにしても恐怖と興奮がないまぜになったような顔色をしていて。
いま3人の前にあらわれた、その男の人こそ、
「同一人にして、また別人…。魔人、田宮坊太郎」
そのすがたは、眼の色は変わり耳の先はとがり、舌先もふたつに割れていて、天草四郎と同様の変化をとげて“この世に出て”きたみたい。今回はそれプラス、下まつ毛増量・上口唇に裂唇(?)というおまけまでついてきていますけど……これは個人的な変化ポイントだと見ていいのかな。前回の天草四郎には、すくなくとも見受けられませんでしたし。

しかし……本当、見ながらつくづくと想ったのですけど、由比正雪に言う通り、いまここにいるのは「同一人にして別人」、見かけは同じだけど中身はまったく違う人なんだなあ、と。如雲斎さんに恩返しなんか間違ってもしそうにないですこの人。
生前の、病みおとろえながらもやさしさと誠実さをなくしていなかった面影は、いまはもうまったくなくて。天草四郎の時はいきなり脱皮でしたけど、今回は生きていた時の田宮さんを多少なりと知っていましたから、そのぶん、同じ人間がここまで変わってしまうんだということが、いまさらのようにおそろしく感じられました……。

さて。
ワタクシ、覚悟はしてましたよ。
この新しい田宮さんが、生まれてきた直後にいったいどういう行動をとるのかは、ページ数の都合もあってはぶかれるだろうなと。せがわ先生はそこのところもちゃんと考慮に入れて、前回の天草四郎の「フヒッ」みたいに何かしら仕掛けてくるだろうなと。そこまでは予想の範囲内でした。(そして予想の通りだったから原作読んでくださいね、ってことで!)
で、ですよ。
生まれてきた人は女の人の身体を破って出てきた瞬間、幼児化したような、生前は間違っても見せなかったであろう表情やしぐさを見せるのが特徴のひとつであるらしいのですが、先の天草四郎がそうであったようにこの田宮さんも何かしらのそれを見せるだろうと。その“挨拶”をもって読者に強烈にインパクトしてくれるだろうと想って読みはじめからじっと待ちかまえていたのですよ。したら。
まさかそれがてへペロなんて……!!
もう、唖然とするやら、肩の力が抜けるやら、全身虚脱感ハンパじゃないやら。そうしてしばらく呆然としていて、ついにはおかしさまでこみあげてきてしまって。こんなネタをぽんと投入してくれるなんてただごとじゃなくて、一度はやりすぎじゃないかと想わないでもなかったのですけど、あらためて見てみると、前回とは違った、だけどしっかりとおそろしさを感じさせる方法で、物語との違和感もなく読者にインパクトづけてくれているからすごいなあ、と。ななめ上どころじゃないななめ上いかれちゃったものだからもう笑って突っ伏すしかありませんでした。
せがわ先生のばか!!!!!!!!!!
大好き

そして――。
おそらく田宮さんの誕生と同じころ、どこか草原らしきところを行くみっつの人影がありました。
その最後方にいるのは森宗意軒。またひとりこの世に“孵った”のを感じているのでしょうか、眼はどこか遠くへ向けられています。
森宗意軒さん、先のまるまった杖を持っていて、何だか西洋のファンタジーに出てくる老魔法使いを彷彿とさせますね。あながちはずれてもいないのでしょうけど(笑)。
しかし、その左手のお指が3本、小指・薬指・中指となくなっています。こういう一枚画の中に、さりげに見て取れるように情報を盛り込んでくれるのがせがわ先生の手腕の心にくいところですよね♪
しかし、先の熊本では1本だったはずの指の欠けが3本になっているということは、教授、これはいったい……?

熊本の霊巌洞に甲冑をまとって座す武者がえがかれたところで、今回はシメ。
しかし今回の巻頭、「天草四郎の転生より七年」って……。
時間の経過をコピーでしめすのはいかがなものかと。(^-^;)
あと最後、森宗意軒の先を行くふたりはお遍路さんのような巡礼のすがたをしていましたけど、先頭の人の背中にあった背負子の中身が気になります。

ところで、生前(何か違和感あるなあ、この言葉/笑)の田宮さんのお顔の「眼の下にまつげ1本」のデザインって、こちらの彼をご参考にされたのかしら?? だとしたらうれしすぎるのですけど(笑)。
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2012/8/8

はじまりの『十』(※ネタばらしご注意!)  せがわ先生作品感想

“幕を降ろせ、喜劇は終わった”――ラブレー

ついに。やっと。ようやく。とうとう。
想いうかぶ副詞はいくつもあるものの、とにかく、この時がやってきましたよ。せがわまさき先生による『魔界転生』の漫画化が!

この『魔界転生』という作品について、基本的なデータをかいておきますと――。
ことの起こりはいまから50年近くも前になる、1964年。作者の山田風太郎大人が、その着想に想わず「しめた!」と手をうったという死者蘇生の秘術〈忍法魔界転生〉を核に、物語ははじまりました。新聞紙上に連載されたこの作品は、単行本化、新書化、文庫化と、それこそ転生するようにこれまでに何度も装いを変えてうまれかわり、数多くの読者に読み継がれています。忍法帖シリーズの一作として、時代伝奇小説として、剣豪小説として、いまなお衰えぬ絶大な人気を誇っています。
連載当初のタイトルは『おぼろ忍法帖』でしたが、どのような内容になってもしっくりくるだろうとつけられたこの題名が逆にしっくりこなくなったことから、角川文庫におさめられるのに際して『忍法魔界転生』に改題。のちに、もっとシンプルに『魔界転生』となって、いまのかたちに落ち着きます。
質・量ともにすさまじいこの作品は、人気のある忍法帖シリーズの中でも特に最高傑作の呼び声高く、これまで何度もヴィジュアル化が試みられてきました。漫画、映画、舞台、ゲーム。数かずのメディアで幾度となく展開されてきましたけど、ただ、風太郎作品は画にすることが非常に難しいクリエイター泣かせの作品であるため、原作の魅力を超えることができなかったという意味では、成功例よりも失敗例の方が多いのが現状です。逆に言えば、成功例は傑作であり、クリエイターさんのたしかな手腕の証明でもあります。(※小説以外の他メディアの作品について、くわしいことは三田主水さまによるこちらの記事をご覧ください)
また、この作品が小説家の方たちにあたえた影響も多大で、中にはパロディというか本歌取りというかした作品までありまして……と、これについては語らない方が賢明ですか。(^-^;)

――というぐあいに、『魔界転生』のこれまでをざっと見てきたわけですが。
そして、そのながく多大な歴史を持つ作品に、せがわ先生が新たに付け加えられた1ページはというと。
物語のはじまりは、寛永年間、1638年3月1日の真夜中から。
しかし、あの人が堕天を決めたその時すでに、幕はもう上がっていたのかもしれません。

「…しかし、匂いますなあ…」
そう言って、半開きにした扇を顔近くでしきりにあおいでいるのは、ひとりのお侍さんでした。
すこしし離れて前を行くのは、これまたふたりのお侍さん。様子からするに、どうやら、扇の人は先行くふたりに案内されて、どこかへ向かっているようです。
「ところで貴公……あ〜」
「正雪。由比民部之介正雪でござる」
私的に、『魔界転生』の由比正雪さんというと、オリジナルビデオ版で田口トモロヲさんが怪演されてらしたいい意味であくの強いスタイルがいちばん強く印象に残っているのですけど(科白の抑揚とか、表情のたとえば口角のつり上げ方とか、絶妙に決まっているのです)、せがわ先生がかかれると物腰やわらかというか、一見やさ男ふうのヴィジュアルになるのですね。名乗った時の眼もととか、ちょっと信用ならなくてあやしい雰囲気をただよわせてはいるのですけど、話し相手にはそれを感じさせない、あるいは感じてもすぐに忘れさせてしまう、そんなたたずまいがありました。いかにも能ある策士といったおもむきですね。胸もとに手を当ててかすかに腰をかがめているらしいあたりなんて、いい動作のつけ方だなあと想いましたです。
ちなみに……上に出たオリジナルビデオ版全2巻、もしかすると、これを読まれているみなさまの町のレンタルショップの片すみに、まだひっそりと残っているかもしれません。
どのような内容のものかというと、いかにもオリジナルビデオ版らしく、エロもグロも当たり前にあります。(^-^;) 腕も首も平気で飛ぶし、おまけにどこぞの現場から連れて来たとしか想われないおねーちゃんたちが胸ばんばんほうり出してます。果ては春日のお局さまがあんなことやこんなことをしていて、これをかいているいまでも想い出すだけでアタマがバクハツしそうになります。(そして私はこれがもとで家族からあらぬ誤解を受けました……)
そもそもビデオソフトからして、出だしの作品紹介CMからいろいろつらいので(私的な意味で)、見てみようかと想われた方は、どうかくれぐれも覚悟を決められた上でご覧になられるよーに。

話がそれてしまいましたが、さて。
その由比正雪さんの今宵のファッションはというと――この時代のファッションあまり詳しくないもので原作から引用させていただきますと、[黒羽二重の衣服に繻子の袴、こうもり羽織]という出で立ち。髪はきちんと総髪に切りそろえられてオールバックにして、前をすこしだけひたいにちょろりと垂らして。眉のお手入れも抜かりありません。生まれが1605年だから、この時33歳。まだまだ男盛りです。これで腰のものがなかったら、どこかの商家の若旦那か、あるいは街の伊達男としても通りそうですね。マダムたちもきゃあきゃあはしゃいでほっておかないでしょうし、いまだって、場所が場所なら、風流ではなやかな感じさえしたかもしれません。――そう、場所が場所なら。
いま彼らが歩いているのは、見るも無残、おびただしい数の死体のあいだだったのです。
時は1638年――寛永15年。いまも歴史に残る大戦乱・島原の乱が、足かけ5か月のいくさの末に、幕府軍の完全勝利によってようやく終結をむかえたのが、この年でした。
上に「完全」とかいたのはそれがただ勝っただけではないという意味で、幕府軍は、戦乱の禍根を断つために、そして徳川の世をより強固なものにするために、いっさいの情け容赦をしませんでした。反乱軍の人たちは、女・子どもを問わずみんなつかまり、殺され、首を斬り落とされて、文字通り「全滅」させられたのです。
ちなみに反乱軍の首領である天草四郎の首も、母親によって確認され、塩漬けにされて幕府に送られました。――と、原作にはあります。
そういえばその島原の乱プレイバックのページにせがわ先生による天草四郎さんの画もありましたけど、くせっ毛でさかやきも伸ばしているのですね。私がそういうのばかり見かけてきたからなのか、たいていはストレートヘアーでさかやき剃って髷をゆった、切支丹服を着た少年武士みたいにかかれることの多い彼のヴィジュアルですけど、くせっ毛をポニーテールにしているというのは何だか新鮮な感じがしました。
お顔の方はちいさく丸めで、おおきな眼にながいまつ毛、モノクロでわかりませんけどいい色をしていそうな口唇と、女の人と見間違えてしまいそうなととのいようです。これなら将来アニメ化された時に、声優さんを誰にするかということになっても、男の人がやっても女の人がやっても大丈夫そうですね(笑)。

まあアニメ化の話はさておいて。(←そんな話出てません)(出るかどうかもわかりません)
いま、由比正雪さんたちが歩いているのは、まさにその戦乱が終わった日の夜、いくさのあとの戦場まっただ中。3万7千、落とされた反乱軍の人たちの死体が、地面が見えなくなるくらいににひろがり、そして首が、たくさんの首が、まるで地面からはえた奇形の植物のように、竹槍に突き刺されて、立てられています。あたりには死臭がただよい腐臭がたちこめ、描写こそないものの蠅も群れをなして飛び交っているでしょう。(九州だから春待ちとはいえ気温もあるしね……)
そんな中に、この[黒羽二重の衣服に繻子の袴、こうもり羽織]という出で立ちです。
たしかに、もう戦の終わった戦場によろいかぶとをつけて来てもまぬけなだけだし、これからの目的のための“正装”と見えなくもないのですけど。
だからってこれはねえ……、と。原作をはじめて読んだ時も感じていたことでしたけど、こうして画になるとよりいっそうその感が強まりました。
終わったあととはいえおよそ戦場、それも屍山血河にあまりにも似つかわしくないかっこうで、原作には「人を喰った」とありますけど、それ以上に鼻持ちならない感がそこはかとなくただよってきてなりません。きっと着物にも香のひとつやふたつたきこめてきているに違いないですよ! イエふたつ以上たきこめるものではないですけど!

で、とにかくそんな真っ暗闇の中を歩いていた3人、いつのまにか海岸に出て、岸辺や波間に死体のただよっている夜景の中を歩いていくわけですが。
そもそもこの由比正雪さんが、どうしてこのようなところへ来たかというと、
「いや実は拙者、武芸の回国修行をしておりましてな。先の征伐使板倉内膳の正殿の知遇を得て陣中往来の鑑札をいただき! こたびの御征伐ぶりを見学いたしておったのでござるが…かの高名なる宮本武蔵殿が御軍監として参軍なされておると聞き及び…是非ともお目にかかりたいと思い立った次第でござる!!」
この科白と由比正雪さんの格好だけを取り出すと、前のふたりのお侍さんたち、金持ちの若旦那の物好き道楽につきあわされているみたいですが(笑)、じっさいはそんなはずなく。どころか、満面に笑みをうかべて手ぶりまでまじえて、いかにも“うれしそう”にしている由比正雪さんの様子は、どこかピエロが愛嬌たっぷりにパントマイムを演じているかのようです。もちろん、今回こうして稀代の剣豪にお眼にかかれる機会にめぐまれて、うれしいのは本当にうれしいのでしょうけど、大好きだったり尊敬してたりあこがれだったりする人に会える時の“うれしい”の仮面をかぶって、その下に紅蓮の本心を隠しているような。そのぶあつい仮面のおかげでやってきているのだから、世渡り上手というか器用にこころよいというか。得する性格してますね。

ちなみに、その武蔵せんせえがどうして今回の戦に参加していたのかというと――漫画でははしょられているので原作をひもときますと、いまもひとところにとどまることなく、諸国を放浪している武蔵せんせえ、そんな中で豊前小倉(いまの福岡県東〜大分県北にかけてのあたり)は、佐々木小次郎さんと決闘した舟島(巌流島という名前の方がなじみがあるでしょうか)が藩領であることもあってかよく立ち寄るそうなのです。で、最近もまたやって来てそのまましばらく逗留していたのですが、小笠原藩はそのうち起きた島原の乱鎮圧のために駆り出されることになり、そのことを聞いた武蔵せんせえは藩主さまのもとに押しかけてお願いし、結果、軍監(戦において、軍を監督する目付役のこと)として臨時採用されることになったのでした。(※ちなみに、この時点で豊前小倉の藩主は、喇嘛仏与五郎さまの細川家から小笠原家へと代がわりしています)
……何だかカッコの多い説明文章になってしまって読みにくいですね。(うぬう)
と、ともかく!
由比正雪さんの話を聞いていた案内役のお侍さんのひとり、そちらの方をふり返って、
「…おぬし…武蔵殿を手蔓に小笠原家に仕官しようとしても無駄だぞ!」
「は?」
「武蔵殿は言わば臨時雇いよ!」
「戦が終わればおぬし同様一介の浪人者に過ぎぬということだ!!」
ようするにお侍さんたち、正雪さんはこの機会に武蔵せんせえとお知りあいになって仲よくなって、そのよしみで小笠原藩に取り立ててもらうよう推薦してもらおうという魂胆を抱いているんじゃないか、と。……親切めかして言ってくれているみたいですが、何だかせこい話だなあ(苦笑)。いくら相手が百戦錬磨の剣の達人とはいえ、こんな殺伐とした風景の中で仲よくなろうと言われてなれるものではないでしょうに。
だけどそれを聞いた由比正雪さんはというと――
う〜わ〜! 出ました、何だか嫌な感じの表情!
あくまで笑みはくずさずに、それでいて相手を見下すような、あざ笑うようなまなざしをして。「何言ってんのこのヒゲ親父」とか「私もちいさく見られたものだ」とか「何をえらそうに小笠原ふぜいが」とか「己の料簡でしかものを考えられない愚物が」とか、あるいはもっと毒のあること想ってそうです。いい性格しています。

しかしそんな内心が顔に現れているのにも気づかず、お侍さんたちは武蔵せんせえの悪口を言いはじめ、
「お得意の二刀流とやらで群がる敵を斬り散らすかと期待してみればその真逆!! まるで石コロのように座っておるばかりよ!! かといって兵法軍略を進言するわけでもなし! 何のための軍監か! わけがわからぬ!!」
……とんだけなしようですね。こんなひどい言われよう、武蔵せんせえならきっと、たとえ真横で聞いていても何もせずに捨て置くでしょうけど(そしてなおのこと腰抜けだの何だのとののしられそうですけど)、それでも、こんなふうに言われているのを見ると、やっぱりかなしいなあ。
もっとも、案内役のお侍さんたちがそう想うのも道理な部分もあって、戦というのは結果がすべてですからね。いくら強い兵士さんでもかしこい軍師さんでも、当人にその時どきでどれだけ深い想い計りがあり、陰ながらのおおきなはたらきがあったところで、眼に見えてわかりやすい武功戦績にかなうはずもなく。音に聞こえた剣豪宮本武蔵も例外ではなく、人の評価っていつの世もそんなものなのだなあと苦笑せずにはいられませんでした。
そしてお侍さんたちはさらに調子に乗って、
「もっとも! あの歳になってもな諸国を漂泊しておるような臨時雇いの軍師殿に、指図されるような小笠原藩(われら)ではないがな!!」
そんな態度が見え見えだったから武蔵せんせえも動かなかったんじゃないかと想うんですけど。(^-^;)
まあ、というのは表層的な見方で、武蔵せんせえにはこの時分、剣の道とはまた別にこころざしていたことがあったのでした。それはまたのちのちにあきらかにされることになるでしょうからいまここでは伏せておきますけど。
にしても。
先の大阪の役では手兵がないからとすみっこへ追いやられ、この戦ではまわりの理解を得られないまま石ころ呼ばわりされて。
天才や達人と呼ばれる人はみな孤独だといいますけれど、武蔵せんせえもやっぱりそうだったのでしょうか。同じ孤剣でも、般若侠のそれとは違って、見ていて、胸がぎゅっとなるような痛ましいものを感じずにはいられませんでした。

お侍さんたちのおしゃべりはなおも続きます。
「それに比べて感心したのは江戸から救援に来られた松平伊豆守殿だ!! あのお方は政務に練達のお人とは聞いておったが兵法の達者とは聞いたことがない! しかるにそのお方が総大将となられるや、いままでてんでんバラバラであった諸大名がまるで織機(はた)のように動き出したのだ!!」
……あまり見たくもない人が出てきましたが(人物的にもヴィジュアル的にも)、ともかく、先の『Y十M―柳生忍法帖―』においていや〜な存在感を出してくれていた、あの松平伊豆どのもまた、この戦に参加されていたのでした。しかも、お侍さんたちが話していた通り、松平伊豆守といえばお城づとめが本業のお人。軍隊指揮なんてしたことがないはずで、いくら頭が切れるったって政治と軍事は違うんだぜえ、あんた、戦のことがよくわかってるかい、ベイビー?なんてこの戦にやって来た当初はあちこちから想われていたようですが(何かスミマセン)、善戦、武器を使い、人をまとめ、兵糧物資を動かすことで結果を出して、みごとその評価をくつがえして見せたのです。後年、あるお武家さまをして「伊豆と知恵くらべをしてはならない」と評されたほどだそうですが、本当の知恵というのはまわるのに方面を問わないのだなあということを想い知るのにいいエピソードですね、これ。
で、お侍さんたちがそうしたことを両手ばなしでほめちぎる様子を、うしろの方で聞いている由比正雪さんの表情はどこか不穏で……これはあれかな、やっぱり同じ頭に自信がある人間として面白くないのかな。のちの世では『寛/永/風/雲/録 激/突/!/知/恵/伊/豆/対/由/比/正/雪』なんてTVドラマも作られてるくらいだし。(※Wィキペディア情報)
さっきから先行くふたりの話を聞きながらうかべている表情といい科白の間の置き方といい、画にした時のこういうこまかなキャラづけは、さすがせがわ先生、やはりとてもたくみですね。いまの由比正雪さんも、案内をお願いしていた時のにこやかさはどこへやら、ほそめられていた眼は不穏にひらき、口もとからは好青年の印象をふりまいていた笑まいも消えています。つまり腹が黒いということですねわかります。
こうなると、由比正雪さんが出だしからずっとふたりから離れて歩いているのは「馬鹿がうつるから近寄りたくない」の心であるような気がしてきました。そもそもこんな真っ暗な夜だったら、何があるかわからないからできるだけ近づいて歩くものですよねえ。なのでさっきの匂うウンヌンの発言も、まわりの死臭のことじゃなくて先行くふたり(長い野戦で不潔+血と硝煙)のことだったりしてとまで想われてくるように。(←何それ陰険)

「要するに! もはや戦国時代の軍略兵法など、たいした用をなさん! ということだ!!」
由比正雪さんに武蔵せんせえをたよりに小笠原家に来ようとしても無駄だと言っていたのが、だんだんとただの悪口になっていき、ついには軍事論(?)にまで。戦が終わったことから来る解放感もあってか、あれもこれもとぶちまけるお侍さんたちでしたが、そんな中、気になる一言が飛び出しました。
「それが証拠に武蔵殿…“森宗意軒を見た”などと言ってよこしたわ!!」
「…森、宗意軒?」
その名前を聞いたとたん、冷徹な笑みをうかべていた由比正雪さんの表情に、戦慄にも似たものが走ります。
森宗意軒とは、豊臣方の遺臣で、もとはキリシタン大名・小西行長につかえていた人物でした。奉公中、機会あって朝鮮やらヨーロッパやらを見てまわって見聞をひろめたものの、帰国後はドン小西(違)が関ヶ原の戦いで敗れて亡くなっていたため、その仇討ちもあってか大坂の役で豊臣方について動き、その戦で破れたら落ちのびて九州へ。この島原の乱も、首領こそ天草四郎であるものの、それを陰であやつっていたのは彼ではないかということがあきらかにされています。どこまでも徳川に仇なした人物だと言えますね。
そんな大物が生き延びていたとなるとゆゆしきことですが、しかしお侍さんたち(そしてきっと小笠原藩の藩士たち全員も)はこれを笑って、3万7千人はすべて掃討されたのだからと言ってとりあわず。武蔵せんせえ、信用どころかもはや信頼までもなくしていたのかと想うと、特にfanでない私でもかなしくなってくるものがありました。
そんな小物くささがかわいらしくもありますが、お侍さんたちは無能な軍監どの(私が想ってるわけじゃないですよ)に不平も不満もたらたらで、その矛先は何故か由比正雪さんに。
「だいたい我らの陣におぬしがヒョッコリ現れて“武蔵殿にお目にかかりたい”などと言い出さねば…ワザワザこうして確かめになど来てはおらぬぞ!!」
「さよう、さよう!」
一方がこう言えばもう一方も同意して、さらに、
「まったく! 酒宴の途中に無粋にも程がある! おぬしのおかげでとんだ貧乏籤よ!!」
「さよう、さよう!」
何このコント(笑)。たがいに文句を口にして、相手に言うことにうなずいて。このふたり、デザイン的にもやせぎすと太鼓腹で、そんな対照的な様子、何かの漫才コンビみたいです。もしかすると、けっこうなムードメイカーさんで、陣中の酒宴ではふたりそろって場をわかしたりしていたのかもですね。
そんなふたりに対して、しかし由比正雪さんは何か言うわけでもなく、つめたい眼をしているばかり。物語がはじまったばかりの由比正雪さんなら、何か身ぶりでもまじえて「いや、これはあいすみませぬ」とでも言いそうなものでしょうけど、もはや馬鹿侍(私が想ってるわけじゃないですよ)相手にお愛想を使うのにも飽きてきたのでしょう。ただただただ、ひたすらただ、つめた〜い眼をそそいでいるばかり。由比正雪さんにしてみればそんなの仕方ない、謂われない、知ったこっちゃないことなのでしょうけど、だからってここまでの眼しなくてもねえ、と。こういうのをネット世界では「disる」と言うのでしょうか。ぬわ〜と変なオーラさえ出してそうで、私、貧乏籤ウンヌンとは別の意味で、この人にこんな顔されちゃうお侍さんたちに同情をおぼえずにはいられませんでした(笑)。
でもって、そうこうするうちに武蔵せんせえのいるところへとたどり着いたのですが、太鼓腹のお侍さん、最後に、
「しょ…正雪殿、先ほどの話…告げ口はせんでくれよ…」
ひしょひしょぽしょぽしょ。かわいいおじさまって好きよv(笑)
でもこれだけしずかな夜だと、さっきから言いちらかしていた悪口雑言も吹いてくる風に乗って一言一句武蔵せんせえのお耳にとどいてるんじゃないかと想いましたが……ま、言うまい。それを想うと、たとえそうじゃなかったとしても見ひらき武蔵せんせえのお顔がものすごく怖く感じられる。(^-^;)

しかし……これ読みはじめた時からずっと想っていたのですが、3人ともあかりがなくて大丈夫なのかなあ、と。
いちおう原作に「月のない朔日の夜」とあって、星あかりもあてにならなさそうな真っ暗な中、どこに何が落ちているかわからない戦場を歩くのはあぶなっかしいんじゃないかなあと想ってしまいましたもので。見た感じ、「あちこちでおびただしい篝火が燃えてい」る様子もないですし。
ま、まあ、3人とも夜眼がきくんですよねきっと! だから真っ暗闇の戦場歩くのだってぜんぜん平気なんですよね! ……こまかいこと気にしちゃってスミマセン。(^-^;)

あ、あと、由比正雪さんの案内役について。原作では、内藤源内さんというお侍さんひとりだけがつとめていたのですが、漫画ではふたりのお侍さんがかけあい漫才みたいなことしながらその役を担っていました。
酒つぼをたたき割ってしまったり、泣き顔を入れたりしてコミカルな様子を出していて、これから起こることの不気味さをよりいっそう引き立てるいいアレンジがなされていたと想いましたです。

ともあれ、武蔵せんせえのご登場です。
先の『剣鬼喇嘛仏』で登場した時は30代だったお方も、いまや50の坂をなかばまで超えました。そのお顔にはしわがより、髪からもつやが抜けて白いものがまじるようになりしていますが、しかし身体はとても剛健で、みなぎる気迫は若いころにも増してすさまじく。年波が寄っているなんてとても信じられないくらいです。
もしかすると、場の雰囲気みたいなものもあるのでしょうか。喇嘛仏武蔵せんせえは戦ったのは最初の1回くらいで、あとはあわただしい大坂城内においてもだいたい落ち着いていて場合によってはギャグ担当みたいなところもありましたけど(ひたすら与五郎さんのせい)、いまこうして戦場に立たれると、もうすでに終わったあとであるにもかかわらず戦いの中に身を置かれているようで、そこにいるだけでもう人をカンタンに寄せつけないものがあって。私も読みながら、そのたたずまいに殺気にも似たものを感じて、身をすくませずにはいられませんでした。そして、さっきまで威勢よくあーだこーだ言っていたお侍さんたちが急に委縮しちゃったのわかるなあ、とも(笑)。

そして――武蔵せんせえは、ずっと前を見つめていました。
おそらく、由比正雪さんが小笠原の陣をおとずれる以前からそこに立って、“それ”を凝視していたのでしょう。手は刀のつかにも置かれず、何かを耐えているかのようにぐっと握りしめられています。
「む…武蔵殿!!」
呼ばれて武蔵せんせえはふり返り、小うるさいお侍さんたちを黙らせようと牽制するかのようなするどいまなざしを向けるのですが、お侍さんたちと由比正雪さんにはその様子が怪訝に見えたらしく。いったい何を見ていたのかと眼をこらすと――その瞬間、お侍さんたちの眼は、武蔵せんせえがこちらをふり返ったことで見えた、その頭のはるか向こうにある影に釘づけになってしまったのです。
そこにいたのは、ふたりの女性と、ひとりの老人でした。
老人は小柄で、宇宙人のグレイみたいな感じといえばいいのでしょうか。身体こそ痩せ枯れているもののしっかりと立ち、眉の下の金壺まなこはぶきみに炯々とひかりをはなっています。襟やそで口に輪っかのついたその服装から、どこかしら異国的な感じをただよわせてはいますが、まとった雰囲気はそれとはまったく異質のもの――怪異そのもの。その特徴は両手の指によくあらわれており、細長く節くれだった指は奇怪に変形していて、先端には針でつついて出た血のつぶのようなものがふたつ、そして胴部分にも2対の突起ができています。まるで、その1本1本が人造矮人と化したかのように。
そして、ふたりの女の人のうち、ひとりは海上にあり、さおを持っていかだを止めていましたが、もうひとりは岸近く、波間からかすかに出た岩の上にありました。はだしで立ち、着ている肌襦袢の帯をといて前をひらき、あらわになったその身体を老人の方へ向けています。……全裸で読者の方へ向いてなくてよかったです。(すみません、私的感想……(^-^;))
いま、さげていた抜き身の刀をおおきく振りかぶった老人の顔が見えて、お侍さんたちは驚愕にこわばります。
「もっ、森…宗意軒!?」
まさか先の大掃討を生き残ったとは想われなかったはずの人物が、いまこうして眼の前に、まるで魔霊のように存在しているのですから、そのおそろしさはいかばかりか。お侍さんたちはあわてて武蔵せんせえの前に出て刀のつかに手をかけますが、自分たちの眼の前にいるものが信じられないのか、それとも相手の出方をうかがうつもりなのか、その場にとどまって様子を見ます。
お侍さんたちにしてみれば、もしかすると相手が急に向きを変えてそのまま斬りかかってくるかのようにも想われたのでしょうが、しかし、刀が向けられていたのは、お侍さんたちにではなく、女の人に向かってでした。そしてそのまま、老人は、女の人に刀を振り下ろしたのです!
ふひゅん…と、空を斬るような音がしました。
森宗意軒と呼ばれたその老人は、女の人の眼前で素振りをしたのではなく、おそらく皮一枚のところを斬ったのでしょう。女の人も、その白い肌に赤いすじが流れただけで、まっぷたつに裂ける様子はありません。
しかし、次に起こったのは、身体がふたつに裂けるよりももっと奇怪な出来事でした。
女の人の肌に、すじからひびがひろがっていき、まるで薄紙のめくれるようにして音もなく破れていって、やがてその下から、ひとりの男の人がすがたをあらわしたではありませんか!
これはいったいどういうことなのか。
男が女の人の皮をかぶっていたわけではありません。女の人が最期にとっていたのと男の人が出てきた時とでは、ポーズがまるで違います。お侍さんたちが集団幻覚を見ているわけでももちろんありません。そのようなものに陥った瞬間はまるでありませんでした。
じゃあ、だったらいったい、どういうことなのか――。
ただひとり、この、まるで幻惑の世界で起きたかのような出来事の意味を知る森宗意軒だけが、おおいに満足したかのように、わずかに歯の残った口をにいぃっと歪ませて笑っています。
……なんて、どうかいたところで原作の劣化コピーと漫画の悪化ノベライズもどきにしかならないのですが。(訳:原作読んでください漫画楽しまれてください脱兎!)
しかしこれ、よく魅せてくれているなあと想います。
大ゴマや見ひらきを多用して、この異次元で起こっているかのような出来事を、読み手にひたすら強烈に印象づけてくれていますし、前半こまかいコマ割りをしておいて後半に入るなり大ゴマを多用して迫力づける構成もしっかりしたもので、視覚的効果は抜群でした。中から出てきた“人”が粘液の糸らしいものをひいているこだわり(?)もいいですし、刀を振りおろした時の「ふひゅん…」という、するどく、それでいてどこか幻怪さを感じさせずにはおかない擬音のつけ方もさすがです。
『バジリスク―甲賀忍法帖―』の時からずっと想っていることなのですけど……風太郎大人がせがわ先生の作品を見ずしてご逝去されてしまわれたことが、本当に惜しまれるなあ……。キャラクターのデザインとか、コミカライズにあたっての物語の再編と構成とか、ご覧になっていただきたいものやご感想をうかがってみたいもの、どれもこれもです。
このシーンも、原作をきちんと踏まえた上でせがわ先生なりのかたちで生かされた、とてもいい出来のものになっていました。

うっとりと立つ男の人にまとわりついていた肌の残骸や黒髪も、やがて吹いてきた海風に、まるで紙くずのように飛ばされてしまって――。あとには、老人と、いかだの女の人と、そして、それまでまったくなかったはずの男のすがたがあるばかりです。(この時、水面には出てきた男の人の影が映っていましたけど、事情を知っている者としては、それが生前持っていた道徳性とか正義感とか、そういった人間らしいものを地の底にすべて捨て去ってしまったみたいに映じました)
“生まれ”たばかりの男の人は、すぐには意思がさだまらないようで、すこしのあいだ夢見るようにぼうっとしていましたけど、やがて、その口もとがほころびはじめました。(曲線でコマを割っての経過のかき方が絶妙!)
“悪意”が人のすがたをとれば、あるいはこのようなかたちになるのでしょうか。それが笑えば、もしかしてこのような顔を見せるのでしょうか。
男の人は、片眼を見ひらき、片眼をほそめて、まるで悪魔のように笑ってみせたのです。
じつは……このシーン、本当はもうひとり、女の人の中から“生まれ”た男の人がありました。それが何ものであるのかは、おそらくのちのちに出てくることになるでしょうからここでは伏せさせていただきますけど、第1号として“生まれ”てきたのはこの人の方が最初で、その様子も振る舞いもこまかく描写されていて、いま漫画に登場しているこの人は(ちょっとアレな言い方になってしまいますけど)付け足し程度の第2号にすぎなかったのです。
おそらく展開や演出の都合などで、第1号さんの方はあとまわしにされたのでしょう。だからそのぶん、この第2号さんの見せてくれるあれやこれやが物語の行く末を左右すると言っても過言ではなくなってくるのですけど、これはまた、幕開けにふさわしい凶悪なものを見せてくれたなあ……、という印象です。
色のついた眼(赤でしょうか? 早くカラー知りたい〜!)、とがった耳、先のするどい爪と、外見的な要素だけでもじゅうぶん“そのこと”は伝わってくるのですが、それ以上に、この笑まい! 呪詛が、憎悪が、邪気が、怨嗟が。ありとあらゆる悪意が、悪意ばかりが宿っているのがひと眼でわかって、戦慄せずにはいられなかったくらいです。見るなり、「これは人じゃない」という感が寒気とともに身体を流れて、そのままぞわぞわと心を押し包んでくるのがわかりました。
……やってくれます、せがわ先生。いない第1号さんのはたらきを補ってあまりある、いいお仕事してくださいました。

その場でじっさいに見ていたお侍さんたちにも、恐怖と、驚愕をじゅうぶんに抱かせるものがあったのでしょう。
女の人の中から、まるでひなどりがかえるようにして生まれ出てきた人物は。その人物こそは。
「あっ!? あああ!!」
「天草四郎ぉ、時貞ぁあ」
森宗意軒さんがいまはじめて気づいたようにお侍さんたちの方を見ているのが何かおかしいのですが(笑)。ていうかとなりにいる人が「私を見て〜☆」とストリーキング(……)しているみたいでいやんなのですが。(-_-;)
それはともかく、いま眼の前に、幻怪そのもののように出現した男の人は、森宗意軒以上に生きているはずのない人でした。何故なら、その首は、じつの母親によって間違いないことを確認されていたのですから――。
「ばっ、ばかな!?」
まるで楳図まんがに登場する人物みたいに、後方にいた由比正雪さんも、その糸眼を裂けそうなほどに見ひらいて、驚愕の声をあげています。きっと、討ちとられたその首が母親に実検にかけられ、まちがいないとたしかめられたところで江戸へと送られた、という話は由比正雪さんも聞いていたのでしょう。およそ信じられなくて、たまらず、かたわらにいる武蔵せんせえの方を振り向きますが、ご本人おどろいているのかいないのか(笑)。由比正雪さんはもう一度前方を見ますが、それでも、先ほどからの光景に変わりはありませんでした。
死んだはずの天草四郎は、いま、生きています。生きて、動いています。からくり仕掛けでも人形でもなく、まさに、生あるものの存在として。
おどろくばかりだったお侍さんたち、ここでようやく抜刀し、怖気をふるい声を上げて斬りかかっていきますが、ここで森宗意軒が動きました。
両そでからクナイをすべり出させると、殺到してくるふたりに向かってはなって突き立てます――眼に、喉に! そして、そのままあやつっているらしく、クナイに結ばれた糸(鋼線?)は、空中でからまりあってお侍さんたちの首をしめあげ、ついには血を吐かせて絶命させてしまいました。
おおおお、じいさんやるなあ……! 原作ではアレをナニする以外に特に動きのなかった人でしたけど、こういうこともできるのだなあと。ちょっと見直してしまいましたです。……このおかげで第1号さんの存在がかすんだりしませんよーに。(笑)(……えないかもしんない)
あとこれは個人的な感想かもしれませんが、このアクションシーンも、読み手へのちょっとした気つけ(?)になっているように感じられました。先ほどの奇怪な出来事から読者の眼をさまさせること、そしてその出来事が夢幻でないことを、現実に起きていることなのだということを知らしめるためなんじゃないかなあ、と。すくなくとも、私にはじゅうぶんすぎるくらいでした。
ただ、森宗意軒さん、よく見るとその左手には小指がないのですが……まさかエンコつめたわけじゃないですよね??
(※エンコつめる……おもに893さんの使う用語で、反省や謝罪の意味をこめて小指を切って落とすこと)

あの風習って江戸時代から存在してたのかなあ……ってそんなことはさておき。
しかし……森宗意軒さんについて考えていてふと気づいたのですけど、かつて大坂の役にいたということは、『剣鬼喇嘛仏』でも登場しているはずですよね。だったらと想ってすみからすみまでじいぃ〜……っと探してみたのですけど、そのすがたらしきものは影もかたちもなく。2度・3度と読み返してみてもやっぱり見つかりませんでした。
これはあれでしょうか、ずっと陰でこそこそ動いてて、天下の目盛りがわかったら三十六計で脱兎しちゃったのでしょうか。
徳川に復讐するためなら奉公先を見捨ててでも生き延びる……間違ってもエンコつめそうになんてないですね。何ていやらしいじじいだ(笑)。

眉毛とおひげ引っぱりたい……という想いはさておき。(←きみはどれだけのことをさておけば気がすむのかね)
お侍さんたちの吐き出した血が、風に乗って飛んできたのでしょう、いまだ乳幼児みたいにあどけない(世間一般のそれとはまるで異なる意味での)表情をしていた天草四郎さんに降りかかってきます。その白い肌に飛びちった血を手にとって舐めたその舌は、先がふたつに割れていて……。
とりあえず今回見たかぎりでは、「色のついた眼」「とがった耳」に加えて「先の割れた舌」が、“彼ら”をあらわすアイコンになるのかな。それともこれは天草さんだけのものになるのでしょうか。
これから先登場するあんな人やこんな人が、いったいどんな魔物らしさを装ってあらわれるのか……楽しみです!

しかし……これ想ったのですけど、森さんでもいかだの人でも、あらかじめ女の人の肌襦袢をあずからせておかなかったのはまずかったなあ、と。せっかくこうして転生してきて、読者をおどろかせてくれているところに野暮なことを言い出してしまって申し訳ないのですけど、さっきのストリーキング(違)(……たぶん)のこともあって、何も着ないでいるとただの露出狂みたいに見えてしまってちょっと眼のやり場に困らずにはいられませんでした(苦笑)。
や、だって……だってさあ……。
上で全裸で読者の方を向いてなくてウンヌンとかいておいて何言いやがると想われるでしょうけど、ワタクシ、てっきり肌襦袢はその場に落ちるか身体のどこかに引っかかるか、あるいは生前の衣服がどこかに用意されているかとばかり想っていまして、まさかこんなことになるとは考えてもみませんでしたので……。(^o^;)
あるいはこのシーンは、せがわ先生からの女性向け読者サービスと想われなくもないのですが……如何。(←訊かれても)

まあ、そのことはさておき。
いま眼の前で起きた、悪夢のような出来事を見て、愕然となってふるえていた由比正雪さん。しばらく声もまともにあげられませんでしたけど、やがて、本人も知ってか知らずか、一歩を踏み出していました。前へ――森宗意軒たちの方へ向かって。
一度武蔵せんせえの方を振り返りますが、せんせえはまるで由比正雪さんなんかいないかのようにそこに立ったままで、止めたり勧めたり、何かと言ったりしたりするわけでもありません。
もしここで、武蔵せんせえがひと言でも何か言っていたなら、たとえそれがすすめの言葉であったとしても、由比正雪さんは想いとどまって、その場から動かなかったと想います。胸の中に、どのような心を持っていたとしても。
でも、武蔵せんせえには正雪さんの行動をどうこうするつもりはなかったのですし、そもそも理由がありません。ふたたび前を向いて、まるで熱にうかされたように駆け出し、息をきらせて森宗意軒たちの方へ行く由比正雪さん。眼は興奮にひかって、武蔵せんせえに会いに来たという心意気はどこへやら、そのまま海岸に膝をつき、離れようとしていた森宗意軒たちを止めてかき口説きにくどき立て(武蔵せんせえに言うはずだったことそっくりそのまま持ってきてますよね、これきっと)、そうして、やがて森宗意軒が承諾したのでしょう、彼らのいかだにいっしょに乗って、そのまま海の彼方へと消えてしまいました。
ワタクシ、風太郎大人の作品における由比正雪さんを見ていて、ずっとひっかかっていたことがあったのですよ。こういう人、たしかどっかにいたなあ、って。確実に憶えはあって、だけど想い当たるふしがなくて、あーだったかどーだったかとずっともんもんとしていたのですけど、今回この様子を見てようやく気づきましたよ。
由比正雪さんって、ねずみ男先生っぽいですね!(たしかな自信とともに)
変に頭のまわるところといいちゃっかりしているところといい、口八丁手八丁ですっかり相手をまるめこむ様子といい、目的のためなら心変わりだってコロッとしているところといい、うん、よく似ています。とてもよく似ている。怪奇大学不潔学科を卒業しているとかまたの名は長井風天ですとか言われても信じちゃうかもしれない。(笑)(←イヤ、信じるなよ)
これまでなかなか想い当たらなかったことにようやく気づけて、すっきりできたのと同時に、これからの展開におけるこの人の役まわりがますます楽しみになってきました♪(*^-^*)

そして、それから時は流れて、1645年2月。
名古屋城下広井郷尾張藩兵法指南柳生家下屋敷門前(漢字長ッ!)
……OK、テイク2。
名古屋城下にある、広井郷の、尾張藩の兵法指南のためにもうけられた、柳生家の下屋敷の門前に、ひとりの男の人があらわれました。杖を突きつき、身体を引きずるようにして、半死半生の体であらわれたその人は、門前に立ってひと言、
「ま…間に合った…」
そうあえぎあえぎもらされたところで、今回はシメ。
外見だけ見れば文無しか宿無しかさもなければただの喰いっぱぐれの旅浪人かといったかっこうのお方ですが(ひでえ)、お顔だちを見ればすっきりとやさしげにととのっていて、なかなかの美人さんです。子どもにふりまわされる小学校の先生、みたいな感じかな。
さて、このお方が、いったい物語にどうかかわってくるのか……?

で、さ。
伊太郎くんどこ?(←今回最大の疑問)
わーん、せがわ先生がどんなキャラ造型してくださるか楽しみにしてたのにーおししょうさまとどんなふうに会話してくれるか心待ちに待ってたのにーキィ〜!
原作では、由比正雪さんはまず武蔵せんせえのいる小屋に案内されていて、そこで口調もなめらかに挨拶をしている内に、武蔵せんせえの連れの少年である伊太郎くんが駆けこんできて、城跡から逃げ出す者たち(森宗意軒たちのこと)があった、と報告しているのです。だからせがわ先生がどんなふうにその伊太郎くんをかいてくれるかと楽しみにしてたのですが。
それが……まさか整理されてオミットされようとは……。
このことを確認した私の落ち込みようは半端じゃありませんでした。この記事が遅れに遅れたのはそのせいだと言っても過言ではありません。
かわいらしい声、聞きたかったです。つんつるてんの着ものも河童みたいな髪も見たかったです。でか木刀差してるところもおとな草履はいてこまっしゃくれた口調でしゃべるところもぜひぜひぜひとも見てみたかったです。ぜんぶ自分のツボばっか!
本当、伊豆どのとかじゃなくて、もっと……もっとこうさあ……!(←お黙りなさい)
……とりあえず、第三歌を待つことにします。ン年後だけど(泣)。

えー……こほん。

雑誌のうしろの目次&作者コメント欄では、「ついに禁断の作品に手をつけてしまいました」というせがわ先生のお言葉があります。
この「禁断の」が意味するところはビジュアル化が非常に難しいことなのか作品の持つ雰囲気的なことなのか、それともあるいは何か他の意味があるのかはわかりませんが、もし2番めのことだとすると、とてもうなずけるような気がします。
事実、紙面からは、これまでの『バジリスク―甲賀忍法帖―』や『Y十M―柳生忍法帖―』とは違う、とても不気味な感じがしているのです。
それは、これまでの物語がまだ陽のあるうちにはじまっていたことや、今回は月のない夜ということで画面の黒の率が高いことからくる視覚的効果もあるのかもしれません。
でも、それ以外に――それ以上に、この作品からは、異様で、気味の悪い、尋常ならざる気配がしてならないのです。

とにかく、『十―忍法魔界転生―』、第1話からして、ひらいたページから妖気がただよい出してきそうな傑作でした!
せがわ先生ならではの味つけがしっかりとなされていて、これだけでも、居ならぶ過去のビジュアル化作品群とならべても決して引けを取りません。
次回も楽しみにしていますよーわーいvv (*^-^*)

……この記事の最初の方をかいていてふと気づいたのですが、せがわ先生がこの作品を2014年の12月まで連載されたら、ちょうど『おぼろ忍法帖』連載スタートから50周年ということになるのですね。
まさか、それにあわせての今回の漫画化!?(←んなわけない)
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2010/4/15

今月の『山風短』(※ネタばらしご注意!)  せがわ先生作品感想

・「くノ一紅騎兵」第4話:嫡子

ここにきてまさかの予想はずれ。人名じゃない。
イヤまだお名前のない子どもなんだからと解釈できなくも!?
それともおそらく? あるいはまさか?
レポートをやってた休憩中、そんなことをウンウン考えながら今月のやんまがを読んでいたのですが、不意に携帯電話が鳴り出しました。出てみると友人Sさん。そう、あのSさんです。
『もしもし、ケイト(HNで失礼します)?』
「だよー」
『何か声がヘン。寝起き? それともエッチなこと考えてた?』
どういう論理でこういう結論が出せるんだろう。同じ女の子として、私はつくづく疑問でなりません。
最近、SさんのSは攻めのSなんじゃないかというのが仲間内でのひそかな認識になりつつあります。
「そんなわけないでしょ、Sさんじゃあるまいし。で、何の用?」
『ああ、例のアレのことなんやけど』
「ああ、はいはい。どうかしたの?」
『いちおうそっちのPCにもメール送っといたんやけど、ちょっと方向を修正したいんよ。くわしいことはかいといたけど、もうすこし具体的に言うと、――』
以下、ちょっと公開できないお話がしばらく続きます。エッチな話じゃないですよ!!
で、すこし時間を使ってそれが終わり、かるく雑談もしてそろそろ切ろうかということになったのですが、その前にふと、Sさんが想い出したように言いました。
『そういえばさあ、ケイト。こんなハナシ知ってる?』
「ハナシ? 何?」
『あのさあ、月の見える窓辺にあめ玉を置いといて、ひかりをあびせるの。で、2週間くらいたったころに、そのあめ玉をなめると、想い人に気持ちが通じるんだって』
「ああ、“月光キャンデー”ね……」
これが電話で、頬がひきつってるところを見られなくて、本当によかった。怪談話でもしてくれるのかと期待してたから、唐突さもさることながらその内容に、空気が抜けていく風船のように脱力していました。
“月光キャンデー”というのは女の子がする恋のおまじないのひとつで、やり方や効能はSさんが言ってくれたとおり。“月光”と“キャンデー”というとりあわせが何だかすてきで、どこか神秘的な雰囲気もあるのでひとつの密(みそ)か事として私は気に入っているのですが、しかしじっさいにすることはありません。何故なら、私の想う人はこの世界にはいないからです。――正確には“この次元には”というべきでしょうか。
「んで? それがどうかしたの?」
どうしていきなりそんなことを言い出したのか、なかばあきれながら訊くと、電話のむこうで何だかもじもじする気配が。Sさん、ぐあいでも悪いのでしょうか。
大丈夫なのか訊いてみようとした時、Sさんの電話口に出る気配がして、
『……わかんない?』
「……は?」
『だから、わかんない?』
「んなこと言われても…」
ふたたび、電話の奥で、今度は何やらぶつぶつ言う気配。『やっぱ違うのかなあ』とか『これじゃ期待できないかもなー』とかいう声が聞こえてきます。で、しばらくそれが続いたのち、
『ん、まあいいや。――あ、おっかちゃんが呼んでる。じゃね〜』
私はもう切れた電話を見つめながら首をかしげるしかしかありませんでした。
(この人の考えてること、やっぱようわからんわ……)
きっと1599年の千坂民部さんも似たような想いでいたことでしょう。
時は1599年、関ヶ原の戦いのまさに前年。
京都の色街に来ていた上杉家重臣さんたちの眼の前で、狼藉者(じつは徳川家のスパイ)を投げ飛ばした美少女・陽炎さんは、じつは本名を大島山十郎とい、持つべきものもちゃんと持ってる美少年だったのでした。
山十郎さんの望みは、上杉家に仕え、家老である直江山城守兼続に奉公すること。それを聞いた重臣のみなさんは、面白く想い、山十郎さんをひきあわせることにします。そして、単刀直入に何が望みかと切りこんだ直江山城どのに、山十郎さんが答えて言ったのはあろうことか衆道の法!! ……どうも直江山城どののもとで奉公したいというのは、最終目的ではなくそこへいたるまでの通過点のひとつだったようで。男どうしでするあんなことやこんなことをどうしようというのか、山十郎さんの正体ともども、謎は深まるばかりです。
そしてとうとう本拠地までついてきてしまった(笑)山十郎さん。直江山城どのの手によって、上杉家現当主である景勝公の、数多いる寵童の中に加えられることになります。
最初のうちは女々しく見えて好みにあわないということで景勝公からはまるで相手にされませんでしたけど、ある時、力自慢の田舎侍をたたきつぶすことによって、自分が女々しい少年ではなく強い男であることを証明してみせました。結果、山十郎さんは景勝公のひどくお気に召すところとなり、とうとうその日の夜からすぐに、閨(ねや)で床のお相手をすることとなりました。どのような最終目的があるのかは知らず、しかし山十郎さんはまたひとつ計画を進めたことになりますね。
そう想いつつ前回バナシを読み返していたら、頭をたたき割る直前のコマに「かませ犬さんv」とか「わたしの踏み台になってもらいます」とアテレコするととても怖いことを発見しました…(笑)。

まあそんなことはさておくとして。(山十郎さんfanのみなさまごめんなさい)
現在、上杉の領内では、戦にむけての準備が着々とすすめられつつあります。前回言ってたように、お城を作り、砦を構え、道を繕い橋を架け。いつ戦にのぞんでもいいように、急ピッチですすめられてることでしょう。
こんな時想ってしまうのは、材木問屋さんとか運送やさんとか施工業者さんとかおおもうかりしてるんだろうなあということ(笑)。物語の本旨とはぜんぜん関係ないですけど、ひとつのおおきな出来事のかげにはたくさんのちいさな出来事があるんだということでついあれこれと考えてしまうのです。戦に行くためにはなればなれになってしまう太吉とお染の話とか。(←誰それ)
……イエ、さておき。本当にさておき。
せめてこれが領民のみなさんの生活のためにもなるといいんだけどなあ…。いくさのために作ったものが平和の世でも役に立つというのは何だかおかしな感じもしますけど、生活基盤(インフラ)がととのうのであればそれに越したことはないです(笑)。

で、千坂さんたち5人の重臣さんたちは、今日は工事のすすみぐあいの確認もかねて(ですよね?)様子を見に来ていました。……ひろい領内やることいっぱいなんだからもっとバラバラに行動していいでしょうに。何気に団体行動好きだなみなさん(笑)。
「あ〜…しかし昨日の立ち合いは面白かったのう。山十郎にはおそれいったわ、たいした腕前じゃ。のう泰綱?」
お祭で見た出しものの話でもするように、愉快そうに言ったのは前田さん。おそれいったなんて言いながら笑みをくずさないでいるのだから、この人もなかなか喰えないおじさまですv
そしてそれを受けて、上泉さんは「…うむ」とお返事。お返事をするまでの間がとても気になるのですが、これはやはりアレでしょうか、山十郎さんが剣を持たせてもめっぽう強かったことに想うところがあってのものなのでしょうか。
扇屋さんでの初対面の時から、上泉さん、陽炎さん(=山十郎さん)にはほかの4人とは違う感情を抱いてそうでしたからね…。境遇に同情するような、可憐さに心動かされているような、そんな表情を折々で見せてましたから。その正体が女ではなく美少年で、けっこうな腕前の持ち主でもあったと知ってからも、心は変わっていないように想うのです。
だから、あの立ちあいを一部始終見ていて、上泉さんには何か感慨のようなものがあっただろうと想われるのですよ。上にかいたことに加えて、相手が自分がやろうとしていた人でもありましたしね。
この「…うむ」が、果たして剣法者としての返事なのか、それともある種の保護者的な感情からくるものなのかは判然としませんけれど、いろいろと深い想いをふくめていそうだなあ、と。それに言葉数や感情をおさえめにして答えているあたりは上泉さんらしい味があっていいなあと想いました。これからも山十郎さんのことを見守っていてほしいな。(^-^)

しかし重臣5人のみなさんはじつは「前回までのあらすじ」担当だったんですね。前々から気になっていたのですが、今回それを確認しました。
……もう私が上に前もってかいとく必要ないかな。(笑)(←もともと誰も読んどらんわ)

そして扉ページになるわけですが。
か…か…
か、カラーで見たかっ…!!(悶絶)
ふおおお、せがわ先生の寝みだれ山十郎さん!! 色っぽい! 色っぽすぎる!!
もうページをくればあまりにもあでやかな寝すがたがあらわれたものだからおどろきましたよ。何ですかこのはんなりエロスきわまりない画はけしからん!
……OK、落ち着きます。
ふつう肌色率の高い画はちょっと苦手な私ですけど、やはり何ごとにも例外はつきもので、この画には見た瞬間からやられてました。ちょっとながめてしまったくらい。
いわゆるハダカ画(隠すところは隠してますよ!!)であやしい雰囲気もあるんですけど、ただよっているお色気がさわやかというか、すっきりとしているというかで、おかしななまめかしさがまるでないのですよ。なので見るのにはふしぎとそんなに困らなかったです。いい感じにトーンもかけてぼかしてくれてますしね(笑)。
うーん、これ、着彩されたりしないかなあ…。
HPにアップされたりしないかなあ…。「壁紙配布サービス」とかって!(←それ、使う勇者さんいるの?)

えー…、こほん。
で、本編の方へもどりまして、時刻は夜。もうかなり更けて、ほとんどの人が寝しずまったであろう中、まだ起きて話しあいを続けてる人たちがいました。直江山城どのと千坂さんです。昼間のことと、明日以降のことを協議しているのでしょうか。図面をはさんでむかいあってますが、千坂さんがあれこれ述べて直江山城どのはそれらにコメントしているといったかたちみたいですね。吹き出しの数からも上下関係がわかって面白いです。(^-^)
そうして――話しあいがひと段落ついたところで、千坂さんがふと心配そうに訊ねました。
「…大丈夫でござりまするか? 殿と…山十郎は」
お昼間もやたらと気にしていましたけど、どうも千坂さん、ひとりだけまだ、山十郎さんへの疑いをぬぐいきれていないようで。疑惑もここまで一貫して通せると立派ですね。(とはいえほぼ半年間も抱き続けてるってどうなんだろう…)
でも千坂さんのお心もわからなくもないです。この時代、なにが起きたとしてもふしぎではありませんでしたからね。間諜や誘拐や暗殺なんて当たり前。忍法を使う人だっていたのですから(笑)。
しかも、相手がただの美少年であるならおぐしに白いもののまじりはじめた景勝公にだって対処できるでしょうけど、何せ自分の倍はありそうな巨漢を投げ飛ばし、岩くれのような大男の頭をたたきつぶしたほどの大島山十郎さんですからね…。素性も得体も知れない人間を大切な殿と、ご寝所にふたりきりにしておくことに不安を抱いてしまうのも無理はありません。
しかし、不安を募らせているそんな千坂さんに、直江山城どのはあやしく笑って答えます。
「民部」
「は?」
「わが殿とあの少年…その夜を想え」
「……」
「思うだに…そのふさわしさ、その美しさに、心も痺れるようではないか」
その言葉を聞きながら千坂さんの脳裏には、ぼんやりとうかんでくる光景がありました。
太くたくましい腕に抱かれてる細くなよやかな腰。
日に焼けた肌にゆるゆるとまきつけられる白い腕。
官能に火がついたように燃えあがるふたりの身体。
吐息が熱くなる。あえぎ声が高まる。心が揺れる。
押し倒され、くみしかれて、ひらかれて、……。
……すみません、センスないしかいてていいかげんはずかしくなってきたのでこのへんでやめときますけど。
でも、「大丈夫だ」でも「気にするな」でも「ほうっておけ」でもなく、「その夜を想え」だなんて……自分でもその言葉に心がぞわぞわと波だってくるのをおさえられませんでした。直江山城どのの手の中でころがされたような感覚。いくらいまとは時代が違うからとはいえ、こんなことを平然と、どストレートに言って、相手を蠱惑の淵にひきずりこむだなんて。ひとつの言葉の魔術ですよ…。
うーん、さすが経験者の言葉は格が違うなあ。
戦場では愛の字兜をかぶっていたこの人でしたけど、はたしてその胸に愛はあるのか、と。考えてちょっとおそろしくなってきました。この人にくらべれば銅伯老だってまだかわいいもんです。原作の表現そのまま借りてきてしまいますけど、本当、この人じつは異次元の人なんじゃないかしら。まあ衆道=異次元のことという見方もできなくもないですけど(笑)。

で、じっさいに、景勝公も山十郎さんの身体に溺れっぱなしでいて。自分の下にある美少年の、肉体もさることながら技術の方にも舌を巻いています。しかも、それが謙信公の寵童であった直江山城どのの仕込みによるものだということが想われて、ますますその忘我の境地にとろけていくのでした。言ってみれば崇拝する謙信公の域に達したようなものですからね…。精神的にも、ただ満足する以上のものがあったことと想われます。
でもこれ、片方が男だって知らないと、完璧に男と女の…ええと、それに見えてしまいますよね。隠すところは隠し、見せないところは見せないようにしているし。やっぱり青年誌で男×男をもろに見せるのはダメだということでコードが設定されてるのかな。これが乙女(おねえさん?)むけの雑誌であればそうでもないのでしょうけど、ソッチ系のは出してませんものね、K談社さん(笑)。
や、まあそれ以前に、せがわ先生がかくことをよしとされるかどうかなのですが。(^-^;)
うーん、連載開始当時まだドラマの人気があったとはいえ、あらためて、どうしてこの作品が漫画化第1弾に選ばれたのか疑問に想われてきました。(笑)(いちおう今月になってドラマ原作の文庫版が発売されてはいますが…)

あ、そういえば気づいたんですけど、山十郎さん、髪はその時もたばねたまんまでいるんですね。今回扉でもそうでしたし。おろすと陽炎さんにもどってしまう(=女の人に見えてしまう)からいつもこのままにしてあるのでしょうか。それとも景勝公のごシュミ?(笑)

そうして、またたく間に2ヶ月もの時が過ぎ去って――。
もう冬のにおいがしてくるころでしょうか。山十郎さんは寝っころがって、ぼんやりと空をながめていました。つめたい空気が鼻がツンと来たのか、くしゃみをしてはね起きてしまったりするあたりはかわいらしいのですけど、それでも、いったいどうやって上がったのか、いまいるのはいらかの波の上です。
……おてんばな女の子じゃないんだなあ、と。どれだけしぐさがかわいらしくても、と。
ややもすると忘れてしまいそうになるから困る(笑)。
そんな山十郎さんを、お屋敷の廊下から見ているひとりの女の人がありました。
険のあるまなざしでにらみをきかせてきて、上から下から横から、眉間にしわをぎゅいぎゅいによせています。しかも、口唇の片端にだけしわができているということは、きっと歯ぎしりもしてるでしょうね。
それはどうも、くやしさとかみじめさというよりも、憎しみや腹立たしさからくるものであるみたい。そこまでの気高い感情をこめて山十郎さんをにらむ女の人とは誰なのでしょうか…?
相手に見ていることに気づかれてもなお、その人はとがったまなざしをやめないで、しばらくしてから着物の裾をひるがえして奥へ引っこんでしまいましたけど、やはり味の悪いものがのこって。山十郎さんはどこかものかなしげな表情になって、ひっこんだあとを見つめています。
扇屋さんのご主人さんを気づかっていたように、やさしい人ですからね、山十郎さん。誰かを怒らせたり、困らせたり迷惑をかけたり、ということには、人一倍感じてしまうところがあるのかもしれません。目的のために動く中で生じたものだと、それはなおさらでしょう。
今回ばかりでなく、要所要所でえがかれているのを見るにつけ想うのですけど、原作山十郎さんはひたすら妖艶な美少年だったのに対して、山風短山十郎さんは可憐さと人間味のあるお人に変更されていますよね…。お話はおそらくあと2回で終わるのでしょうけど、その中にいままでのあれやこれがつながっていくのでしょうか。そういう場面があるといいな。おおいに期待したいところです。

そしてその日の夜、いつものように山十郎さんにおおいかぶさろうとした(笑)景勝公でしたが、そうする前にやんわりと止められてしまいました。
「殿。……わたし…少々…疲れました…。…しばらく…お休みを…くださりませ…」
今宵もたのしみにして床まで来たのでしょうが(間違いないですよ!)、すこしやつれたような顔で言われてしまうと、さすがにやめざるをえません。寸止めをくらってどこかご不満そうな景勝公のお顔が面白かったです。……毎晩いたしておればそれも無理はないかと想っているのかしら(笑)。
「それにどうやら、城の奥向きからのただならぬ殺意を感じ…山十郎…気に掛かってなりませぬ」
この科白、原作では山十郎さん、「ある向き」と言っているだけでそれが奥からのものだとは決して口にしていなかったのですが、こうしてはっきりと出されていると、男らしいいさぎよさみたいなものがありました。媚びを売ってるような感じがなくていいなあと想いましたです。
それはまあともかくとしまして、お昼間に山十郎さんをにらんでいたのは、景勝公のご正室――つまり奥方さまでいらっしゃったのでした。前回バナシにおいて、“まだ一度として接したことが無い”と紹介された、あのお方です。
景勝公と山十郎さんの関係において、同性からの嫉妬はおそらくなかっただろうと想われますけど(そんなことするやつは“強い男”じゃありませんっ)、異性からのそれはどうしようもないですからね…。奥方さまが景勝公のことをどう想っているかはともかく、結婚はただの政略的なものでしたし、いままで一度としてお手つきなしでしたし。
それに、直江山城どのがおっしゃるように、山十郎さんはただでさえ女の子に見える顔かたちをしていますから、「殿は年増の自分を捨てて若いおなごを溺愛している」とでもいうように見えてしまうのでしょうか。だからその存在が気にさわってしまうのでしょうか。
自分が経験がないことから景勝公のお好みは知っているでしょうし、だから山十郎さんの性別がどちらであるのかもじゅうぶんに承知しているのでしょうけど……それでもやはり、おさえられないものがあるのでしょうね。下女さんたちがしてるうわさ話を耳にしたりするなんてことも一再ならずあったでしょうし。そのあたりを想うと、奥方さまのお気持ちもわからなくはなかったです。
しかし奥方さま、ただ憎悪をこめてにらんでくるだけで、何かいやがらせとかはしなかったのかな。“トゥシューズに画びょう”みたいな感じで。
とりあえず見る限りはなさそうで、そんな正々堂々としているあたりは武家の妻らしくてよろしい。(笑)(←何で上から目線やねん)

どうやらそのあたりのことは、直江山城どのも聞きおよんでいたようで。景勝公と戦備についての談義をしている時に、主君の心ここにあらずといった様子からその話題になりました。
「拙者も話を聞くに及び、山十郎(あれ)の言い分ももっともと存ずる」
「しかし奥が殺意を向けてくるなど…これまでには無かった事だが」
「…おそらく、あの女子にしか見えぬ姿顔立ちが気に障るのでござろうが…」
女子に見えない姿顔立ちならいいのですね、奥方さま…。想わず景勝公にふれられないさみしさをまぎらすために腐女子的傾向に走ってたらどうしよとか考えてしまいましたよ。何の遊びだそれは!(笑)
でもって景勝公の科白と表情には「んもう」って感じでした。まったく、これだから女ごころのわからない人は!(苦笑)
まあともかく、いま奥方さまが山十郎さんによくない感情を抱いているのは事実。このままでは何が起こるかわかりません。
「となればここはしばらくの間、山十郎を拙者の屋敷に、引き取りましょうぞ!」
「あ? え!?」
ここの景勝公、面白すぎ(笑)。直江山城どのの即決に、虚を突かれたようなぎょっとなったようなお顔しちゃって、想わずフいてしまいました。ふだんがとても剛毅な人であるだけに、こういう表情された時は面白すぎて困ります。いっそかわいらしいくらい(笑)。でもって、
「いやなに、ここしばらくの事でござるよ。上杉家の命運をかけた戦騒ぎが終わるまで…」
そうなだめる直江山城どのの笑顔やっぱり喰えない(笑)。じつはたのしんでるでしょアナタ。
でも考えてみれば、上杉家のトップふたりが先代じこみでそちらの世界の人なので、奥方さまは出れる幕がないんですよね…。(当時は当たり前のようにあった風習だったとはいえ、お嫁に来た時、奥方さまはどんな心境だったのかなあ)
なので、原作では景勝公にもむけられていた怒りが、山十郎さんひとりに集中的にそそがれるようになってしまったのも、当然の結果というか、自然ななりゆきだったのかもしれません。このふたり、山十郎さんから聞かされるまで無頓着だったのですし。もし山十郎さんが言わずにいたら何が起こってたかわかりませんね……おそろしい。
ふと、奥方さまがそのうちたまりにたまったものを爆発させて某『●果●る館の殺人』冒頭のようなふるまいに出るんじゃないかと考えてしまったことは…ええい、ないしょにしといてやってくだされ…!!(苦笑)(←アホ妄想もたいがいにしようねケイトさん)

ま、まあそれはさておき、こうして山十郎さんは、直江山城どののお屋敷にしばらくのあいだ引き取られることになりました。こちらに来てからいろいろあったことですし、ゆっくりと静養した方がいいでしょうね。
しかしここの画、ちょっと「おや?」と。
いくら主君の寵童とはいえ、山十郎さんが馬に乗り、直江山城どのが手綱をひくだなんて…何だかおかしな図ですね、これ…。
ふたり乗りじゃ駄目だったのかしら? 山十郎さんはけっこう身軽な方だと想うのですが。じつは着ているものが地面にめりこむほどズッシリ重たいわけでもないでしょうし。(ピッ●ロさん的な)(←そんなバカな)
身体が疲れているのをいたわっているのかしら? でもそれならお駕籠を用意した方がよさそうなものですよね。
それに住まいをうつすならそれなりに用意や支度がいるでしょうに、山十郎さん、ほとんど着の身着のままみたいで。たしかに善は急げといいますけれど、でもだからって、そんなあわてないといけない、もたもたしてられないような理由は特に見当たりませんよね。
上下関係を超えためずらしい気づかいなのかもしれませんけど、にしても何だかひっかかる。
うーん。
これはひょっとするとひょっとするかも…?

ひとまずは、上杉家の内なる問題は解決した、と見てよいのでしょうか。奥方さまの機嫌もまるくおさまり、景勝公も安心して政務にはげめる……とはいかないみたいですね。
そう、いまや時代の流れは、それどころじゃないことになってきているのです。
ここからはまた史実をなぞるだけになってしまいますけど、蝋燭の火は消える前によく燃えあがり、薔薇の花はちる前にひときわかんばしく香り、お祭は終わる前がいちばん盛り上がるというとおり、この戦国の時代も、いままさにクライマックスをむかえようとしていました。
上杉家は豊臣方についているので、のちの西軍大将である石田三成と連絡をとりあわなければならず、また東軍大将である徳川家康の懐疑をかわさねばならず。しかもまわりの大名連中があれこれ言ってくるものだからそれをくんだりはねたり。味方につけるか敵にまわすか、言葉ひとつでどっちにころぶかわからないから神経おおいに使いますよね。人間関係本当厄介!
で、そのたびに軍議もひらかなければならず、肉体的にも精神的にもかなりハードな毎日が続いたことでしょうね…。
そんな中で人はなぐさめを必要とするものですが、山十郎さんをとりあげられちゃった(笑)景勝公はさぞやさみしい夜を送られていたことと想われます。

そして、徳川家康からの書状が上杉家にとどけられたのが、年あけて1600年、4月に入ってからのことでした。
いわく、
[昨年末の景勝の国元での行動不審なり。もし異心無きに於(おい)ては景勝ただちに上洛して陳弁せよ]
これはつまり、「いまならば遅くはないぞ。上杉家の興亡このときにあると覚悟せよ。――」とおどしつけているのです。
これが決してこけおどしではないことは、徳川家康という人物やその実力、そしてその後の歴史を見ればあきらかでしょう。正面きってこんな手紙を送りつけてくるぐらいですから。
だから、これを読んだ景勝公が顔色を失ったとしても、誰にもそれを笑うことはできないのです。むしろこれぐらいだとまだ上等な方だと言えるかもしれません。肝っ玉のちいさい殿方ですと、おろおろするあまり取り乱して部下の信頼をなくしたり、身のふり方を即行と独断でひるがえしたりしかねませんもの。
よくもっていた方で、そのあたりは景勝公は剛毅な方だったと、認めたいところですね。

そういえば、大御所さま(当時はまだ違うけど)の顔、『バジリスク〜甲賀忍法帖〜』以来ひさしぶりに見ましたけど…若い時からこんなんだったんだなあ…。見ひらきなのでどや顔に変に迫力あって困りました(笑)。力みすぎてしわのよった眉間といいおかげで悪くなってしまった眼つきといい、あごにちゃんと狸の(自主規制)もあって、数年のちのアレはこのころにもうほとんど完成されていたのですね。
しかし…これまた誤植でしょうか。書状がとどいたことについてかかれたところ、大御所さまが景勝公に“詰問”することはあっても“諮問”することはないと想うのですが…あとの文面を見てもそうですし…。
原作をちくま文庫版でしか持っていないので、ほかの版ではどうなっているのかわかりませんけれど、個人的には“詰問”の方が妥当ではないかとやはり想います。
(※諮問…上位のものが下位のものに相談して意見をもとめること。特に、政府などが政策決定に先立って、その専門的見解を学識経験者などに相談すること)

それはともかくとして、詰問状を読み顔面蒼白になった景勝公。いそいで腹心の部下である直江山城どのをお屋敷へ呼び出しました。
が、手紙をにぎりしめて迎えに出た数分後、そんな恐怖や困却は消し飛ぶことになります。
到着して駕籠から出てきた直江山城どのは、白いおくるみを腕に抱えていました。落ち着きはらいながら、ていねいに、大切そうにあつかうその様子は、まるで父親が赤ん坊に接する時のそれのよう。ただ、本当の意味での父親像とはいささか違っていて、直江山城どののそれはぬくもりといっしょに、まるでこの国の未来でも抱えているような、そんなひそかな興奮のようなものが見受けられます。
「? なんじゃそれは…」
いささかきょとんとなって訊く景勝公。
直江山城どのがそれに出したのは、おどろくべき答えでした。
「上杉家の御嫡子にござりまする」
「なっ、なに!? だっ…誰の子じゃ!?」
いきなりのことにぎょうてんする景勝公に、直江山城どのはあくまで落ち着きはらって、そして堂々とした態度をくずさずに答えました。
「殿の! すなわち上杉百二十万石の御世子にござりまする!!」

「なっ、なんじゃと!?」

景勝公のおどろきととまどいがいりまじった複雑な表情をえがいたところで、今回はこれまで。
「あなたの子よ」……というのはもちろんじょうだんですよ、エエ。ひるめろ的な悪ふざけです。(←本気であってたまるものかね)
しかし今回の結びのコピーを見た時は想わずフいてしまいました。
このコピーをつけた編集者さんはある種の天才ではなかろうか…(笑)。

それにしても、もう3分の2か、早いなあ…。
手をつけはじめた当初は進みの悪さとノリの悪さにイライラしっぱなしの日々でしたけど、振り返ってみればもうこんなに。早いものですね。……かいてるものにちっとも進歩はないですけど(泣)。
原作の残量と漫画化のすすみぐあいから見て、のこりあと2回くらいかな。いいものを拝めるのは当然なので(せがわ先生の作品なので)、そこへ感謝を伝えられるだけのいい記事をかけるようになりたいです。
がんばろう。おう。

ところでワタクシ、今回バナシから、脳内で直江山城どのの科白にH田H明さんのお声があてられるようになってしまったのですけど……賛成してくださる方いらっしゃいます??(^o^;)


『山風短』今日の格言。
“合戦と認知問題は先手必勝で決めろ”
1

2010/3/10

今月の『山風短』(※ネタばらしご注意!)  せがわ先生作品感想

・「くノ一紅騎兵」第3話:上杉景勝

今年の2月、用事で東京へ行ってきた時のこと。
遅刻とかかましてまわりに大迷惑かけてしまいましたけど、遅ればせながら参上し、みんなにも謝ることでそれもゆるしてもらえたので、ちゃんと反省しつつすることをしてきました。(あれがもうひと月前のことだなんてなあ……夢でも見てたみたい)
で、あいまにお友だちのSさんとあることの打ちあわせをしておりました。イニシャルはSだけどたぶんそちらの気はないでしょう。ご本人はしごくまともな方です。
あることが何なのかはともかくとして、そのさ中のこと、
「ケイト(HNで失礼します)ってさ、ホモ好きなん?」
いきなりの質問にブフォッとフいてしまう私。人生ン年生きてきた中で、そんなたぐいの質問をしかも直球でぶつけてきた人はひとりもいませんでした。
「ちょ、な、何言うのいきなり!」
「や、だって、ケイトのかいた記事読んでるとさあ、そうなんやとしか想われんところがいっぱい出てくるんやもん。ホラ、ピポパとか」
「あ、あれは、公式がそうだからかく方もしぜんそうならざるをえなかったんだってば」
無邪気な顔しておそろしいことを言う。邪気あって言われるのも嫌ですけど、なければいっしょに自覚もないのだからなおのことタチ悪いです。
「それに本棚にもそういう本あったやん」
N々原さんか。想い当たって頭が痛くなりました。
K川Rビー文庫やG研Mえぎ文庫に作品を発表している私の知人は、よく著者謹呈と称してご本をくださるのですが、私はとっておいてはいるもののいまだに読むべきかどうか迷っています。
「だからケイトってホモ大好きなんかなーって想ったんやけど。――あ、私はケイトがホモ大好きでもかまわへんよ。そういうのって、人それぞれやし」
ちょっと待て。何で大がついてんだよ。
もう彼女の中で自分はどんな風な人物像をしてるのか考えるのが怖いです……頭痛い。
しかしこのままでもいられない。
私は、はーっっ、とため息をひとつ吐くと、あらためてSさんにむきなおって、そして言いました。
「あのね、Sさん。たしかに私はブログの記事でたびたびそれっぽい記述してるし、本棚にはそれらしい本もあるけど。でもだからって、そうだと想いこむのはちょっと早計なんじゃない?」
「え、そうかなあ」
「そうそう。だって、私がホ…じゃないや、男どうしの恋愛を取りあつかってる本を読んだからって、イコールそれが好きとはならないでしょ? ただ何となく読んでるだけとか、つきあいで仕方なく読んでるとか、いろいろパターンはあるんだから」
「うん」
こっくり。
「だからまず私がそっちを好きだとは限らないでしょ。でもって、私はあくまで自分が想うまま感じるままをかいているわけであって」……
ここで誤解をといておかないと私がそっち方面を好きだという印象が一生根づいてしまいそうなのでもう必死。決してそうではないことをどうにかしてわからせようと、といて、といて、ときまくりました。しかしすべてを聞き終えたあとでSさんはひとこと。
「むきになって否定するところがますますあやしい」
訂正。やっぱSです、この人。それもどのつく。
そんなこともあって何だかやたら恥ずかしくもあった東京行きでしたが、これを口にした大島山十郎さんのはじらいは果たしていかばかりだったでしょうか。
「しゅ……衆道の法」
時は1599年、関ヶ原の戦いのまさに前年。
京都にある傾城屋・扇屋さんの養女である陽炎さん。彼女はじつは、その細腕で大の男さえ投げ飛ばすほどの力量の持ち主であり、しかもあろうことか、股のあいだに持つものを持っている男の人だったのでした。
密談のために来ていた上杉家重臣たちの前で、あらためて自分の名前を名乗り直した陽炎さん――大島山十郎さん。そのねらいは、じつは上杉家に仕官し、家老である直江山城守兼続に奉公することでした。
すべてを見ていて面白く想ったみなさんの推挙を得て、山十郎さんは家老である直江山城守兼続と対面することになります。
その際、直江山城どのは単刀直入にのぞみは何だと訊きますが、これに対して山十郎さんが出したのは、じつに意外な答えでした。
衆道の法、つまり男と男の閨(ねや)における恋愛の方法。
現代でこそ差別的な眼で見られるこの道ですけど、この物語の舞台である戦国時代ではごくふつうにあった、当たり前のことでした。原作にも漫画にもあるように、“真に男性的な豪傑と、りりしい美少年との清爽なる天上の恋”だったのです。
そして直江山城どのは、そのむかし、まだりりしい少年武士であったころに、女性関係のまったくなかった亡き謙信公にもっとも深く愛された方でありました。
お話じたいはとんとん拍子に進んでますが、山十郎さんののぞみはシンデレラボーイになるどころかとんでもない方向へころがっていってます。さて、どうなりますことか……。

そうして数日後、滞在していた京都から故郷である米沢へと帰る人たちのすがたがありました。直江山城どのを先頭に、千坂さん・前田さんをはじめとする5人の重臣さんたちが続いています。
前回詩(うた)に詠んだとおり、国へ帰って徳川相手の戦を起こすための準備に入るらしく。のんびりと馬をすすめながらも、話題はそのことに集中しているし、心のうちでもたかぶってきてるものがあるみたいですね。
「内府徳川家康…まあしょせんただ指をくわえて大阪を見ておるような、生易しい男ではないわのう」
「西の三成殿と呼吸を合わせて天下に仇なす家康(ふるだぬき)退治じゃ! これこそ謙信公以来上杉家に相ふさわしい壮挙と言えようぞ!!」
「まずは城を作り砦を構え、道を繕い橋を架け…」
「武具に兵糧、浪人なども、集めねばならぬな」
「米沢に着いても休む暇など無さそうじゃのう」
重臣のみなさんが口にしてたこれらの科白、原作では地の文なのですが(最初の前田さんの科白は直江山城どののものでした)、うまいぐあいに割りふっているなあと、まずはそこのところに感心でした。
まだ第3話だし、掲載誌は月刊ということもあって、次の号が出るころには誰が誰なのか忘れられてることもありますからね。だから紹介を入れておく必要があったのでしょう。
物語の進行に登場人物の紹介をうまくかさねていますし、また進行上必要なこととして機能させてもいますし、出番があたえられることにもなるし。地の文を科白にするにあたっても、いい感じに整理・改変されていて。これはもうコミカライズのお手本のようなものですね。早くもいいお仕事を拝見させていただきましたv (^-^)
ちなみに上泉さんの科白、「浪人」とありますけど、原作では「牢人」となっています。さんずい字の方でも間違いではないのですが、しかし同時に「故郷を失い放浪する者」という意味もあるので、やっぱりここはうかんむり字にした方がいいんじゃないかなあ、と。(^-^;)

直江山城どのは先頭を行きながら誰ともひとことも口をきいていないですけど、いまもその頭の中では1年後のための大計画が練り上げられつつあるのかしら。深沈としたご様子が、風格をあらわしてるようでいいですね。
そして――直江山城どの・千坂さん・前田さん・上泉さん・岡野さん・車さんに続いて、馬に乗ってついてきている人がもうひとり。
そう、大島山十郎さんです。
前回のお話ではけっきょく採否のお返事はありませんでしたけれど、こうしているところを見ると立派に採用されたようで。みなさんが無視してたり追い払うような気配もないようですから、そう考えていいみたいですね。(落ち着いて乗っているところを見ると、馬術もけっこうできるのかしら…?)
もっとも、先を行くうちのひとりは、いまだに気にかかって仕方ないみたいですが…。
いいかげん警戒心といてもいいころなのになあ。根拠のない不安ばかりつのらせていても仕方ないでしょうに(笑)。

そうして道中で読経坊主とかにせ大名とか女人袈裟なんてあれこれが起きることもなく、みなさんは無事故郷まで帰りついたのでした。平和よいこと!(笑)
でもって8月になると、主君さまが帰還することになります。
ここで今回のサブタイトルでもある(すなわちこの回でフィーチャーしてえがかれることになる)上杉景勝公が登場するわけですが……おおおお、これまたなかなかの姿かたちをしたお殿さまで! みなぎるものがあるというか、力が入っていていいですね〜。
特徴的なのはやっぱり眉毛でしょうか。太くて、頂点のところがピッと突き出しているのですけど、見た瞬間、「これいい!」と素直に感心してしまいましたよ。ただまるくかいたらやわらかすぎになってしまうところを、こうして手を加えることでしっかりとひきしめていて。口ひげもちゃんとととのえられているし、全体的にも、大木のようなどっしりとした感じがあります。だけど眼もとや顔だちにあたたかさもうかがわれて、やさしさときびしさをいい感じにあわせ持っているようで。きっと、領民のみなさんからもしたわれる、いいお殿さまなのでしょうね。

で、現在はこの景勝公と直江山城どののふたりで、国を盛り立てているというわけです。
[もし謙信を二つに分けたなら景勝と山城になるだろう。その機略は山城に。その豪勇は景勝に。]
いがみあうこともなく協力してやっているのだから、こういう関係っていいなあと想うです。じっさいはいろいろあったことでしょうけど、すくなくとも、かたちとしては理想的ですからね。しかも、おふたりともたいした傑物でいらっしゃることですし!(^-^)
でもって上の「謙信を二つに分けたなら」の仮定は、色恋沙汰においても言えることであります。直江山城どのは先にかいたとおり謙信公に愛され、そして景勝公は謙信公の女性不犯のご遺風を受けついだのでした。
手をふれず、ふれさせず。
武田家からむかえた奥さまはいまだまったくの手つかずで、清拭(それともマッサージ?)など身のまわりのお世話をつとめているのも男の人たち(それも年若い)ばかりです。ここまでくるともう徹底していますね。いっそ厨房も男の人ばかりだったんじゃないかとさえ想ってしまいますヨ…。(「女の作ったものが食えるか!!」みたいな)
そして英雄色を好むの言葉のとおり、景勝公は量の方もソウトウなもので、ということはつまり、
[彼は崇拝してやまぬ叔父謙信の女嫌いの習性をかたく受け継いだのだ。景勝の行くところそれに付き従う美童の群は、むしろ謙信の時よりおびただしかった。]
お小姓さんなんて10人もいればもうじゅうぶんでしょうに、その数はおびただしかったの表現どおりけっこうなもので、たとえばながい廊下を折れてしばらく歩んだあとでも、まだ列がもとの廊下にまでにずらずら続いているという。
子は親を見て育つと言いますけど、こういう場合でもやはりというか、やはりなのだなあ、と(笑)。想わず日本語が変になってしまうほど苦笑せずにはいられませんでした。
てゆか、景勝公。
私と代わ(以下略)(自主禁)

代わりがダメなら応伯爵役でも……ってじょうだんですよ、じょうだん。くれぐれも。景勝公、そういう人はよせつけそうにないことですし。(^-^;)
とにかく、そのようなうらやま…イエ、イイ生活を送っていた景勝公なのでした。
……すごいなあ。
人数だけでもけっこうなものだし、もうほとんど男大奥ですね(笑)。
(※応伯爵…風太郎大人の作品集『妖異金瓶梅』を参照のこと)

そうしてその景勝公の愛妾ならぬ愛童の中に、新しく加わったお小姓さんがひとりありました。
知っている中に見なれない顔があれば、闇夜の灯火のようにはっきりとするもの。だからとうぜん、景勝公も新しいお小姓さんの存在には気づいてましたが、しかし……。
(女々しいのう…。わしには合わぬな。兼続らしゅうもない)
同じ美童の中にあっても、山十郎さんは別の意味で闇夜の灯火のようにはっきりとしています。そう、“養女”でとおったくらい外見が女の人してるので、謙信公と同じく強い男が好きな景勝公のお好みにはあわないらしく。眼をひいたのはものめずらしさからくるほんの数秒だけで、ほとんど一瞥されただけで終わってしまいました。あらら…。
小顔だし、ほっそりしてるし、丸みもある。それに言ってたことが本当なら、山十郎さんは現在18歳。女の人であれば年ごろをむかえていてこれからますますみがかれかがやいていくのでしょうけど、でも男の人で18歳になってこれではちょっと問題視せざるをえません。女顔のおかげでじゃっかんおさないように見えなくもないし……もしかするとそのあたりもあったのかも。むかしもいまと同じでやっぱり外見(というか第一印象)というものは重要だったのですね…。
しかしたいして気にかけられていないだけであって、はずせとか言われていないのだからふしぎです。むげなあつかいもされてないし。そのあたりは景勝公も寛大だったのかな。入れたのが直江山城どのということもあってか。これは山十郎さんの天運なのでしょうか、それとも悪運なのでしょうか(笑)。
そしてご本人の景勝公を見る眼にまるで食虫植物のようなあやしさがひかっているからおそろしい…。

そうして、景勝公と山十郎さんのあいだには何の接触もないまま、季節はいつのまにか秋。短編だからどんどん時間が過ぎてきます(笑)。
この日、お城の広場にはたくさんの武芸者さんたちが集まっていました。
みなさん腕におぼえのある人たちのようで、刀、槍、めずらしいところでは鉄砲を持っている人なんかもいたりします。
おこなわれているのは、採用試験のようなもの。つまり今回はじめに上泉さんが言っていた「武具に兵糧、浪人なども、集めねばならぬな」の浪人集めをやっているわけですが、いまはもうあるていどテストが終わっていて、最終審査段階に入っています。ここまでくればもうじっさいに競わせることはなく、じっくりと見、その上で採用してよさそうなものか、そうするとしてどのあたりの職(下は雑兵から上は侍大将まで)につければいいのか、を判断しているところなのでした。……以上原作より(笑)。
で、そのあたりをよく見るために、千坂さんたち重臣のみなさんや、直江山城どの、そして景勝公も見に来られていたのですが。
この場で事件は起きました。
牢人さんのひとりが、その場にいた別の人の頭をたたき割ってしまったのです。
木刀で一撃のもとにやられてしまい、原作では木刀をへし折られ「肩をも打ち砕」かれて「のたうちまわってい」るどまりだったのですが、漫画のこれは……もう即死はあきらかでしょう。しかも、木刀は軽く当てられた様子さえなく、最初から頭をねらっていったことは間違いありません。
そんなひどいことしたのはどんな凶悪な人相をしたやつだったかというと!
……………
……………
……………
……………
……………
……そりゃあまあ、ね。私だって想ってましたよ?
主人公の山十郎さんがとてつもない美男子さんだし、景勝公にしても山城どのにしても上杉家家臣の5人にしてもふつうもしくはそれ以上の人たちばかりだし。その上今回はただでさえ美しいの率が高いときている。だから画面構成上のバランス取るためにもここらでひとつ爆弾(笑)を投入するだろうなとは想ってましたけども。けども。

 こ れ は ね え よ ! !

もう見たとたん盛大にフいてしまいました。ドバーッて。どこの岩くれ太夫さんですかこれは!(笑)
身体はてらてらと黒びかりしてそうなくらい日に焼けていて、盛りあがった筋肉で異様にずんぐりしているからまるで岩のかたまりみたい。それだけならただのマッチョマンさんなのですが、しかし問題はお顔の造作の方で、てっぺんはすくないのをむりくりまとめたみたいだし、まゆげもちんちくりんに逆立ってるし、眼は立派なスケベ型(下弦の月がならんでると考えてください)だし。割れたあごに無精ひげをはやしているばかりでなく、鼻の下から左右に飛び出たダリまがいのひげ(鼻毛といわれても信じられそう)もみょうにいやらしいです。しかも歯が1本欠けてるのがいい感じに抜け作っぷりを出してくれてるからまたアイタタタで。
せがわ先生のぶさいく顔はじめて見たなあ、そういえば。
原作でも「凶暴無比」だの「山のけだものみたい」だのと表現されていたこの人ですが、こうしていざ出てこられると、うん、あまりにもひどい(笑)。
こういうのをネット世界では「テラシュールwww」とかって笑うのでしょうか。
すみません面白すぎていろいろこらえるのに必死でした(笑)。

で、その岩くれ太夫――もとい、参加者のひとりである牢人さんが、審査員の人(と、原作にはあります)をたたきつぶしてしまい、そしておそれ多くものたまったわけです。
「殺し合いは力じゃ! 術や技など二の次よ!! それをつべこべと! 新陰流の講釈など片腹痛いわ!!」
どうもいましがた惨殺されたのは、新陰流の流れをくむ人だったようで。原作によると「会津でも名だたる使い手」だったそうで、このへんの説明はしょられているので作劇のためとはいえちょっとザンネンだなあと想わずにはいられなかったのですが(いちおうあとで上泉さんの弟子だったように捕捉されてますけど、弟子にもピンからキリまでありますからね)、それはさておくとして問題はここから。この下駄顔牢人、新陰流の門弟ひとりをしとめたことに調子づいたらしく、
「この鍬形丈兵衛を侍大将になされ! さすれば会津はどんな戦にも勝ったも同然!」
しかも、新陰流といえばこの人、上泉泰綱さんもいまこの場にいるわけですが、それを承知の上でさらに何を調子に乗ったのか、おそれ知らずにも持ってる木刀をふりまわして、
「上杉家の上泉泰綱殿とやら!! 弟子がこの程度とあらば、師の腕前も知れてはおるが、まあよいわ!!」
あ〜あ〜あ〜あ〜…。これまたいい感じにシゲキしてくれちゃって。おかげで前田さん面白がりっぱなしです(笑)。
いくらまだそれほど世に知られていない時代だったからって、仮にも武士ならつつしみとかわきまえとかいうものがあってしかるべきでしょうに。――あ、ないから浪人になっちゃったの? じゃあいいです(笑)。
……遠慮なくキツいこと言ってるのは遠慮する必要がなさそうだからなんですよ、エエ。(にっこり)

いいかげん血に酔い痴れてきたのか、これだけ言ってもまだ出てこないから相手はおそれをなしてるのだろうといい気になっているのか。無駄にえらそうな弁舌は止まりません。さらに声をはりあげて、
「さあ顔をお出しなされ! 出羽月山に聞こえたこの鍬形丈兵衛の荒技、したたかにお見せつかまつるわ!!」
おひげをクイッとやるしぐさがものそいいや…。てゆかぶっちゃけキショい。
したたかに見せられて困ってるのは読者です。
ここまでかかれると、もう今回のサブタイトル、いっそ“第3話「鍬形丈兵衛」”でもいいような気がしてきました…(笑)。

そんな感じに言いたい放題好き勝手放題(おまけにやらしさ全開ときた)の鍬形丈兵衛。ひどい下駄顔に得意げな笑みをうかべて、すっかりいい気になっています。
しかし……ご本人こうは言ってるけど、じっさいの腕前のほどはどうだったんでしょう。
すべてを見ていないので何とも言えないところなのですけど、これだとただ力まかせにたたきつぶしただけにも見えますし。もし先手必勝といわんばかりにやられてしまったのでしたら判断つきません。いちおう原作では、「木剣をもってにらみ合った」とありますが……ここでも同じようななりゆきだったと見ていいのでしょうか。ひとまずは“けっこうやる人”ぐらいに認識しておけばいいかな。
で、それを見ていて景勝公は、面白そうだから使ってやれ、かまう必要はないとおおらかに上泉さんに言うのですが、さっきから黙然としていた上泉さん、何故か自分だけ持ってた(笑)木刀を、しっかりと持ったまま、
「いえ…。出羽の山奥で山伏が猟師相手に天狗になったものと見えます。たとえお召し抱えになるとしても…………このままではかえって後の患いになりましょう」
……殺る気だ…(笑)。てゆか、この人が笑ってるところをはじめて見ました。完全にその気でいますよ上泉さん……ヒィ。
ふだん必要以上のことを口にせず、泰然としていておとなしい上泉さんですが、それだけに心の中ではいろいろ想ったり考えたり感情を渦巻かせたりしているのではないでしょうか。そんなお方が、自分のことならまだしも流派のことをここまで虚仮にされ、あまつさえ弟子のひとりを惨殺されたとあっては、黙っていられるはずもないでしょう。見ながら、その身体から怒りが陽炎のように立ちのぼるのが見えた気がして、ものすごく不穏な気配を感じましたよ。
世の中には怒らせてはいけない人というのがやっぱりいるのだなあ、と。
かようにおそろしい今回の上泉さんでありました。
そして。
私は。
眼じりにうかんだチャームポイントを見のがしてはいない(笑)。

と、そこへ進み出てきて、地面にそっと手をついた人がありました。誰あろう――大島山十郎さんです。
「……わたしが…」
短くそう言っただけで、場の空気が一転しました。上泉さんは一気に怒気が抜けてしまったようにきょとんとなり、岡野さんは理解が追いついていないような顔をし……前田さんはやはり面白がってましたけどね(笑)。
ひかえめで楚々としているあたりがきいたのかな、人の心や場の空気さえも変えてしまって。おそらく自然体の言動なのでしょうけど、それで状況を点改させてしまうんだから山十郎さんすごいなあと想うです。鍬形丈兵衛といい感じに対照的になってもいますしね。
そんな中で返事をしたのは直江山城どの。山十郎さんがこちらをうかがっているのに先ほどから気づいていて、むしろ申し出てくるのを待っていたとでも言うように、
「うむ。よかろう!」
直江山城どのの許可が下りたので、山十郎さんは上泉さんから木刀を借り受けました。誰も止める者がなかったのは、呆気にとられてたからなのでしょうか。それとも止める必要を感じなかったからなのでしょうか。
しかしよく許可出しましたよね、直江山城どの。いちおう扇屋さんでの一件を話に聞いてはいたのでしょうけど、でもじっさいにその眼でたしかめたわけではないですし。それに今回は武器を使う。素手でのやりあいとはわけが違います。みずから進み出たからにはそれなりの自信があるのでしょうけど、山十郎さんが刀を手に取るのは人前でも(そしてこの物語内でも)はじめてのことなのですから。
もっとも、機略にたけた直江山城どののことですから、これぐらいのことは考えるまでもなくご承知なのでしょう。その上で、「自分が女々しい少年ではなく強い男であると言うことを証明してみせろ」ということなのかな。だとしたなら、こころよくうなずきたいところですね。その決断やよし、と。
でも上泉さんとの勝負も見てみたかったなあ…。ていうか私としてはじつはこっちのくみあわせにしか興味がなかったです。
山十郎さんゴメン(笑)。

そうして、鍬形丈兵衛の前に進み出た山十郎さん。その身長差は遠目に見てもあきらかで、頭ふたつぶんはゆうに違います。身体つきも黒くごつごつしているのと白くなよなよとしているのとで、どちらが優位であるかふつう考えるまでもないでしょう。しかし。
「ああ? 何じゃおぬしは? いまは女子供の出る幕ではないぞ」
そうあしらわれても山十郎さんはこゆるぎもせず、しずかに木刀をかまえます。
剣先をそっと相手の方へむけ、
「ええい!! うせろ小わっ…」
次の瞬間、鍬形丈兵衛は文字どおりたたきつぶされていました。
その光景があまりにもアカデミー賞級なのでくわしく描写するのは避けますが(原作読んでね、ってことで)、山十郎さんのひと太刀が、確実に鍬形丈兵衛をとらえていたのです。地を蹴り、相手の頭に木刀を叩きつけて砕き、さらに遠く離れた地面に着地する。それは一瞬の、まるで飛燕のような速さと動きで。ただひと呼吸、相手の言葉が終わるか終らないかのうちに――すべては終わったのです。
どちらが優位か考えるまでもなかったでしょう。ふつうであれば。
おどろく人、見とどけた人、面白がる人、いろいろいますが、しかし誰ひとりとして言葉が出ません。投げ飛ばしを見ている千坂さんたちでさえ、まさかここまでのことができるとは想っていなかったのではないでしょうか、すっかり黙りこんでしまって。
格闘術ができながら、剣を持たせてもお強かったのですね、山十郎さん。木刀だからまだこれですんでるものの、真剣を持たせたらどんなことになりますか…。
陽炎さんの時からどこか別世界から来たみたいなお人でしたけど、山十郎さんになってからはますます人間ばなれしてる気がします…違う意味で(笑)。

あと、山十郎さんの着地した時の表情がすごくよかったです、ここ。おそらく一瞬のちにはもうしまいこまれていたのでしょうけど、花夜叉とでも言えばいいのでしょうか、すみずみまで神経がいきわたってるほど凛として、身体じゅうに気をみなぎらせていて、美しさといっしょに迫力があったのです。地を蹴る前のおとなしくてゆるゆるしていた様子とぜんぜん違っていて、まるで別人みたい。見て、想わずゾクッとなってしまいました。
男の人の美しさに迫力と戦慄を感じたのはこれがはじめてです。
せがわ先生…すごい…!!

そうして、やがてふるえながらも言葉を発したのは景勝公でした。
「山城…あれは、あれの名は何と申したか?」
驚愕の中に興奮がみなぎってきているその顔を、様子を、心中を、直江山城どのはふり返らなくてもよくわかっていたことでしょう(とりすましてるお顔がニ・ク・イ!)。むしろねらいどおりといったような、どこか満足げにさえ見える顔をして、平静に答えました。
「大島山十郎…と申しまする」
そうして――

 “この夜より、大島山十郎は、上杉景勝の閨(ねや)に侍る事となる。”

すべてを脱いだ山十郎さんが殿のところへ歩んでいくシーンをえがいたところで、今回はこれまで。
胸を隠すあたりはまだ乙女っぽくあるのですけど……でもやっぱりOTOKOなんですよね。(苦笑)(でもってふとももに隠れきらない部分がビミョーにはっきりとかかれてるのがまた…)
ふと、景勝公と直江山城どののあいだにはそっちの関係はなかったのかしら……と疑ってしまったのですが、さすがに先代のものに手をつけるわけにはいきませんよね、そうですよね。安っぽいひるめろのようなアタマしててスミマセン。(-_-;)

そして、今回の漫画でも、はじめて顔を見た時点からかませ犬になりそうな気配ありまくりだったわけですが、期待以上だったなあ、と。
自分をたおしたことによってお殿さまのいちばんのお気に入りになったなんて知ったら、鍬形丈兵衛、あの世でどんな顔をしますかしら。
もって瞑すべし。――瞑せないかな(笑)。

物語もそろそろ折り返し地点。牢人の子どもから一国一城のあるじのお気に入りへと、まさにシンデレラボーイな山十郎さんですが、その目的は決して玉の輿に乗ることではないはず。さて、これからどうなるでしょう?
急転直下な展開がある(であろう)次回に期待しつつ。


『山風短』今日の格言。
“やったもん勝ち”
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