2007/8/16

劣等感の大切さ  主張

 今ふと考えているのが、マイナスイメージの感情の大切さです。そこで更に「劣等感」に絞ってみます。

 どのような感情でも、それは人間が持つ本来のものであって、必ず必要な要素だと、自分は考えています。例えば憎悪や嫉妬、劣等感といったものも、決して自身から排除すべき対象ではないと捉えています。
 勿論そういった感情が強くなり過ぎてしまうと、本人にも周囲にも困った結果になります。排除しようとする行為は、逆にそれらの暴走を許す温床となります。

 その中で劣等感についてですが、これ程、その人にとって原動力になってくれる感情は、他にあまり見当たりません。劣等感は辛い感情です。だからこそ、そこから抜け出すために、人間は必死になって頑張る事が出来ます。
 劣等感があるから、そこを頑張る。むしろその部分は捨ててしまい、長所を伸ばしてカバーしようとする。成功している人の半生に触れてみても、大きな劣等感をバネにしている事が多いような気がします。

 他人と比べずに、その人だけの価値を見よう。こういった考え方が、ここ数年でかなり浸透して来たと感じています。「世界に一つだけの花」は、こんな背景の中、大ヒットしたのだと思えます。
 確かに絶対評価は必要な考え方だと思います。他人と比べ過ぎてしまうのも、如何にも窮屈です。けれどもだからといって、相対評価を捨ててしまって良いのでしょうか?
 学校の成績表でも絶対評価が採用され、その人なりにどう伸びたか? どれ位頑張ったかが記されています。そして相対的にどの位置に学力があるかについては、判らないと言います。相対評価は、その中では存在しません。
 他人と自分との差や違い、ここをボヤかす教育や社会的な風潮は、本当に良いものなのでしょうか。他人に目を向けずに、果たして自分を知る事が出来るのでしょうか。いえ僕は、逆に他人と比べて劣っている部分がある、優れている部分があると明確に認識させる事で、自分自身をより正確に把握できるのではないかと思います。自分だけを見ていては、正しい自分の姿は把握できないのです。

 僕にはこういった風潮の変化は、他人と比較して劣等感を持たせないようにしようという動きに見えます。劣等感の表面的な辛さを絶対悪に仕立てて、排除しようとしているように感じてしまいます。
 運動会でも、徒競走で着順に優劣を付けずに、皆で手を繋いで一緒にゴールするというやり方があります。最初聞いた時には都市伝説かと思いましたが、実際にやっている所があるようです。理由は、負ける子が傷つくからだそうです。目眩がしてきそうです。
 良いんじゃないですかね。大いに傷ついて劣等感に苦しんでもらえれば。それをバネにして、頑張る方向に導いてあげるのが、社会の役割です。甘やかせば良いってものではありません。僕も元々運動は苦手で、体育の時間はかっこ悪い自分を表現してしまう場でしたから、憂鬱な部分もありました。けれどその時の劣等感は、むしろ体験できて良かったと感じています。
 世界に一つだけの花を綺麗に咲かせるのは、素敵な事です。けれど若い内には、他人と自分とをどんどん比べて、劣等感に苦しんだり、優越感を持ったり、妬んだり羨ましがったりしながら、周りよりも綺麗な花に咲かせようと頑張るべきだと思います。そして咲いている花をよく見ると、世界に一つだけの綺麗な姿だった。これで良いのではないでしょうか。
 他人と比べずに自分だけの世界で頑張っていても、大して能力が伸びていくとは思えません。そこに他人という目標があるから、頑張れるのです。劣等感から抜け出そうという必死さがあるから、真剣になれます。何のストレスもない環境で、元気にすくすくと伸びていくと思ったら大間違いです。ストレスをバネにするからこそ、能力や人間性はより高く成長できるのです。

 大切なのは、劣等感に押し潰されてしまわない事です。それを糧に出来るタフさと前向きさです。こんな風に思います。辛いという事が、劣等感の良いところです。



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