ゲーテアヌム建設現場で講義するルドルフ・シュタイナー(唯一の写真)        「ラディカル」とは「ラディッシュ」と同じ語源で、「根源的」という意味。表面のみならず、その「根」を見ようとすること。このブログはそういった意味でラディカルでありたい。

2009/8/8

ワーディ・ルム砂漠そしてアンマン・いよいよ最終回  新・中東ヨルダン王国を行く

 昨日というか、今日の0時過ぎにカナリア諸島のラ・パルマ島から戻りました。ラ・パルマ島の報告をする前に、ヨルダン旅行報告を終えなければなりません。

 濃ーい、アラビア世界ヨルダン王国に少し胸焼け気味の皆さん、これで最終回です。と言っても、スペイン領ラ・パルマ島の世界もかなり濃ーいですが、これからもよろしく。

 昨日まで、ドイツは猛暑だったそうですが、2009/08/08の今日は、曇りで雨模様、かなり涼しいです。 そんな時は、ヨルダンで暖まりましょう!クリックすると元のサイズで表示します


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 これは、昨年も紹介しましたが、ペトラの全貌を高い山の上から見た所です。ここに大きな町が隠されているとは思えません。こうして、6月29日(月)、ペトラに別れを告げ、一路ワーディ・ルム砂漠へ向かいます。

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 これが「知恵の七柱」と呼ばれる岩です。ワーディ・ルム砂漠の到着です。ペトラを南下すること約2時間でここに着きます。ここはあの名画「アラビアのロレンス」のロケ地です。

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 さて、いよいよ、あのオンボロ「ジープ」で出発。

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 オーバーヒートでエンストです。運転手がペットボトルの水を入れてエンジンを冷ましています。でもこれでまた走り出しました。

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 40度を超える猛暑、同僚のテッラさんも、自然とアラビックになりました。

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 ベドウィンのテントで休憩中の「コバヤシ・グループ」の面々であります。ここで、美味しいハーブティを頂きました。

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 雄大な砂漠の風景。なぜか、ここで砂の色が変わります。不思議ですね。参加者のひとりが、ここで、かなり大きなメノウの塊を見つけました。「カルセドン」というメノウで美しい円形で渦模様が入っていました。

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 夕刻に、4時間以上かけて首都アンマンに戻りました。今日は、最後の日。街のレストランで夕食会です。

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 大きな、山羊の毛で作ったテント内で、夕食会です。もちろんアラビア料理。

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 これが前菜です。もうこれだけでかなり満腹になります。そしてその旨いこと!クリックすると元のサイズで表示します

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 これがメインディッシュです。羊肉をグリルしたものが薄く焼いたパン生地の上に添えられます。ハーブやスパイスが効いてこれもかなりの絶品でした

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 炭火で入れるアラビアコーヒーです。これもまた忘れがたい味です。コーヒーメーカーではなく、こうやってコーヒーを入れることの中にまさに「文化」を感じます。

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 手前が、ガイドのヨナスです。コテコテでかなり濃ーいので、最初は慣れない参加者もいましたが、途中から慣れ親しみ、とても良い関係になりました。彼は今月で70歳になります。彼は、と言うか、アラビアの人は私の名前「ナオキ」を旨く発音できないようで、いつも「ニコ」と呼んでいました。「ニコ・コバヤシ」であります。これから、これを私のセカンドネームにしようかなと思っていますが・・・

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 ヨナスの妻、義母そして孫です。一緒に夕食会に来てくれました。

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 ヨナスの息子さんと娘さん。赤ちゃんはこの娘さんの子です。旦那さんはサウジアラビアで単身赴任と言うことでここに来ることは出来ませんでした。

 これで、2009年のヨルダン王国とエルサレム旅行の報告を終えます。アラブの世界に少しでも親近感が感ぜられたなら、こんなに嬉しいことはありません。サラム!シュクラン!

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ペトラで買ったヨルダン王国の国旗です。ボーフムの自宅玄関に飾りました。この我が家ともあと二月ほどでお別れです。センチメンタル・ニコな気分になっている毎日です。
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2009/7/30

旅のハイライト・ペトラ再訪 その3  新・中東ヨルダン王国を行く

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 山の頂上にある、「生け贄」の場所と、ペトラ最大の神殿、通称「修道院」へ向けて延々と続く「古代の階段」を登っていきます。40度以上の気温の中、約二時間の登山です。

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 絶景ですが、谷底が丸見えで、少し怖いです。高所恐怖症の方にはかなりきつそう。

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 約300円くらい払ってロバに乗ってこの山を登ることが出来ますが、その方が、かえって怖い。ロバは必死になって、重い人間を乗せて歩きますが、左右にかなりグラグラと揺れるのです。

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 こういう所を、眼下の絶壁と谷底を見ながら、ロバでグラグラは、ちょと、何ですか、生きた心地がしないと思うのですが。

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 ここを登りつめれば「修道院」です。あー、しんど。しかし、「コバヤシ・グループ」の高齢者は、本当に元気です。この山を登らなかったのは、数名の「若い」参加者で、78歳の方を筆頭に、高齢者は皆、この山を登りました。

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 この巨大な神殿が、「修道院」です。ナバテア人のキリスト教時代に、実際に修道院として使われたそうです。

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 ここからさらに進み、頂上の「生け贄の場所」を目指します。

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 途中、振り返れば後ろにあの修道院が見えます。まさしく、絶景。

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 「世の果て」へ向かいます。とうとうここまで来たか。

 では、頂上からのすごい眺めをご覧下さい。ここは火山の火口です。

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 この一番最後の写真が、「生け贄の場所」です。溝が掘ってあり、生け贄にされた動物の血が流れ、そして下の方に溜まるように作られています。古代人は、動物の血を見ると、「脱魂状態」となり、肉体から魂が離れ、一種の「覚醒状態」で、霊的な世界を体験したそうです。そのように、ルドルフ・シュタイナーは、申しております。エルサレムの神殿でも同じ事が行われていました。

 そして、キリストの出現によって、この動物の血による「犠牲」は、その意味を失い、動物に代わって、「パンとワイン」の犠牲行為が新しい「儀式」として導入されたのです。その際、犠牲となったのはキリストで、その肉がパンであり、血がワインなのであります。

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 さて、頂上で二時間ほど過ごし、いよいよ下山です。たくさんの山羊がいます。この山羊は、これまたたくさんいるロバの糞を食べ、山道を綺麗に掃除してくれます。これぞ、リサイクリング。

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 下山途中、いたる所に崩落した岩が横たわっています。この辺一帯は、地震のある所ですので、今度大きな地震があると、まだまだほとんど発掘の済んでいないペトラが、岩で埋もれてしまう危険性が高いと、ガイドのヨナスが言っていました。

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 やっと、下山。もう17時頃でした。

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 これは、ナバテア人の神殿跡です。ここから、再び、「シク」へ30分以上歩きます。

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 ローマ人の造った大通りをえんえんと歩いて行きます。

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 もう歩くのはしんどい参加者がラクダで移動です。ひとり、約1500円だったとか。私は、もう意地で、歩きます。もうフラフラ。でも、まだまだ体力が充分あることが証明され、嬉しくもありました。

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 ようやく「シク」に到着です。夕方の光に照らされた、「エル・カズネ」が見えます。

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 ペトラよさらば!また、いつか訪れたいものです。

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 いつもこの青空。こうして、6月28日(日)は過ぎていきました。
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2009/7/29

旅のハイライト・ペトラ再訪 その2  新・中東ヨルダン王国を行く

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 アラビアといえば、ラクダ、駱駝。「砂漠の船」とも呼ばれています。すごく気位が高いので、注意。馬鹿にすると、くさーい唾をかけられます。

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 ペトラの「カフェ」で休憩をとる「コバヤシ・グループ」の面々。

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 その後この神殿跡で、日曜日の「礼拝式」をいたしました。私が、「即興」で説教をしたあと、皆で、賛美歌を唄ったのですが、この空間の音響が素晴らしく、イスラム教徒のガイド、警備兵、そして地元のベドウィンの子どもたちも聞き入っていました。あとで、ガイドのヨナスが、「こんなに素晴らしい礼拝式は初めてだ」と言ってくれたことが印象的でした。ちなみに、この神殿跡は、ナバテア人の「キリスト教時代」に「カテドラル」として使われていたそうです。

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 ナバテア人の末裔の子どもとロバ。丁度今夏休みで、多くの子どもたちが働いていました。

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 そして、いよいよこの山を登り、ペトラ最大の神殿を目指します。昨年は行けなかったので、今回はトライしました。灼熱の中、約二時間の登山です。その模様は次回に。

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2009/7/28

旅のハイライト・ペトラ再訪 その1  新・中東ヨルダン王国を行く

 6月28日(日)、早朝から夕方まで待望のペトラで一日を過ごしました。ペトラについての詳しい記事は、昨年載せましたので、そちらも合わせてご覧下さい。

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 これが二泊したホテルです。三つ星ホテルで、プール付き。食事も美味しかったです。

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 ペトラの入り口近くのお土産屋です。かなりケバイものがたくさんありました。

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 歴代のヨルダン国王のお出迎えです。

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 多くの参加者は馬に乗って、「シク」と呼ばれる渓谷の入り口へと向かいました。私は歩いて、参加者の乗馬姿をデジカメでパチリ。

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 こういった渓谷を約1600メートル歩いていきます。詳しくは昨年の記事をご覧下さい。

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 「シク」の途中にある、ナバテア人の神の石像です。目と耳と鼻はありますが、口がありません。人間の行いを見守っていますが、沈黙する、すなわち、人間を「自由」にする神です。キリストに通じる神ですね。こういった神がいたからこそ、ナバテア人は、キリスト教が伝来したとき、民族をあげてキリスト教徒になったと想われます。とにかく、ナバテア人に関しては、まだまだ分からないことがたくさんあります。まさに謎の民族です。

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 「シク」の最後地点です。光り輝く「宝物神殿」、「エル・カズネ」が岩の間から突然現れます。

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 「お久しぶりです!」神殿を前に写真を撮ってもらいました。ヨルダンでは、自分が「誰か?」を示すために、十字架のペンダントを常に掛けていました。これで、私は、キリスト教徒で、「牧師」だとアッピール出来ます。イスラム教徒は、キリスト教徒に対して敬意を持って接してくれます。一番好くないのは、自分は「無神論者」だと言うことです。神を持たない人は、ここアラブ世界では軽蔑されます。この十字架のお陰で、ヨルダンの方から、「ファザー」と呼ばれました。なんか変ですけれど。

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 あの映画「インディ・ジョーンズ」で有名になった「エル・カズネ」です。雄壮です。ここに二度も来られて幸せでした。

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 アラブ世界では、不浄の動物として嫌われている犬です。エル・カズネの前で寝ていました。こんなに可愛いのに、可哀想ですね。

 ペトラ探訪は、これからも続きます。お楽しみに。
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2009/7/24

自然保護地区・ダーナへ  新・中東ヨルダン王国を行く

 マヘイロスから、本当はそんなに遠くはないのですが、橋工事のため3時間近く回り道をしてダーナに着いたのはもう夕方でした。

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 ここが緑の多い自然保護地区ダーナです。ゆっくりと見て回ると最低でも4時間くらいはかかるのですが、時間がないので約1時間の短いコースを散策しました。

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 ガイドのベドウィンの方を先頭に散策開始です。すべて英語で説明してくれました。

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 山の上に素晴らしい玄武岩のかなり大きな柱状列石を発見。雄壮です。

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 美しい緑に囲まれたダーナの村が見えます。ここにあるホテルで後ほど休憩しました。

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 一泊三食付きで約2000円のホテルというか民宿です。その中庭でチャイやアラビアコーヒーを飲んで休憩です。

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 私たちのバスの運転手さんとガイドの方です。横で琵琶風の楽器を弾いています。

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 音楽に合わせて陽気に踊り始めたガイドさん。

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 ヨルダンのいたるところにある国王アブダラー二世の写真です。アラブ社会ではよくこういった為政者の写真を見かけます。そういえば、他では共産主義の国々でもこういった写真がいたるところにありますね。

 この後、ペトラへ着いたのは夜8時頃でした。こうして6月27日(土)は過ぎていきました。

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2009/7/23

サロメが踊った宮殿跡・マヘイロス再訪  新・中東ヨルダン王国を行く

 死海を後にして、6月27日(土)、昨年も訪れた、ヘロデス・アンティパス王の夏用の宮殿跡マヘイロスを再び訪れました。ここは、洗礼者ヨハネ終焉の地。サロメが踊り、その褒美として、ヨハネを憎んでいたサロメの母ヘロディアの指示によって、ヨハネの首が落とされた地です。詳しくは、昨年の記事とマルコ福音書をご覧下さい。

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 バスに乗って、一路マヘイロスへ。今回の運転手は、かなりのベテランで名ドライバーでした。人柄も良くとても好評でした。

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 死海周辺の茫漠たる風景です。圧倒されます。

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 向こう側に死海が見えます。もうすぐマヘイロスに着きます。

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 これがマヘイロスの全貌です。この山の頂上に宮殿があります。

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 この道を炎天下約20分ほど登ります。

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 頂上から見た死海の風景です。全パノラマをお見せできないのが残念です。凄いの一言なのですよ。

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 宮殿跡です。ここは風が強く、とても涼しいのです。夏用の宮殿をヘロデス・アンティパが建てた理由がよく分かります。ここでサロメが踊ったのです。考え深いものがあります。ここでも、死海を見ながら「ヨハネ祭」の礼拝式を行うことが出来ました。またまた、訪問者はコバヤシ・グループのみ、本当に恵まれていました。

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 山頂でゆっくりと時間を過ごし下山です。この後、自然保護地区ダーナを経由して、いよいよペトラへ向かいました。

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2009/7/22

イエス受洗の地・ベタニアと死海へ  新・中東ヨルダン王国を行く

 6月26日(金)、ネボ山の後、ヨルダン川へ向かいました。でもまずは、昼食です。生けすのあるレストランで、「ペトロ魚」を食べました。

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 食べ始めてから、写真を撮るのを忘れていたのに気づき、魚を裏返しにしてパチリ。ペトロ魚のから揚げです。新鮮で旨かったです。

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 この日は、45℃とも50℃とも言われる暑さ、まさに猛暑。でも、湿気がないのであまり苦になりません。これから、ヨルダン川の辺のベタニアに向かいます。

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 昨年も紹介したヨルダン川です。対岸はイスラエル。国境です。詳しくは昨年の記事を読んでみて下さい。

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 ここでも訪問客は私たちだけ。簡単な礼拝式を行いました。参加者の方が、福音書を朗読しています。

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 ヨルダン川から少し離れたところにある「洗礼者ヨハネ教会」遺跡。伝統的にはここでイエスはヨハネから洗礼を受けたとされています。丁度今水のあるところがそうです。イエス当時のヨルダン川は幅が200メートルもあったそうです。

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 ベタニアの後、死海のホテルへ。超高級なリゾートホテルでした。参加者は皆大喜びでした。私にとっては4度目の死海です。皆が死海でプカプカと浮いてはしゃいでいる間、私はシャワーを浴び、洗濯、そして少し休養です。かなり疲れていたので、ホテルの写真も撮るのを忘れていましたが、死海の日没だけは、夕食の際に撮影しました。素晴らしい夕焼けでした。

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 死海の上に輝く月と夜景です。対岸はイスラエルのクムランです。

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 昨日、マイケル・ジャクソンが急死。テレビを見ていてビックリいたしました。死海のホテルのテレビでマイケル・ジャクソンの追悼番組を夜遅くまで見ていました。本当に可哀想です。死海の畔で、マイケル・ジャクソンを想いながら夜は更けていきました。
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2009/7/21

モーゼの山・ネボ山の頂上に立つ  新・中東ヨルダン王国を行く

 エジプトに幽閉されていたイスラエルの民を解放し、紅海を渡って、40年間、約束の地「カナン」を目指したモーゼは、この山に登り、「カナン」を見ることだけを許され、その後すぐに死んでしまいました。だから、モーゼは、カナンに足を踏み入れる事が出来なかったのです。なんとも理不尽に思えますが、ここに指導者とかリーダーと呼ばれる人の運命の原型があるように思えます。

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 ネボ山へは一番乗り。ここでも暫くの間、私たちのグループだけがこの「モーゼの眺め」を堪能することが出来ました。

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 モーゼが、40年間の苦労を偲びながら見た、約束の地カナン、今のイスラエルです。
ここでも、簡単な礼拝式をすることが出来ました。

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 山頂近くに、古い教会の遺跡があり、ヨルダンのベドウィン伝統の「山羊の毛」で編まれたテントでモザイクが保護されています。山羊の毛は、雨で濡れると「油脂」を出し、雨が内部に入らないようにしてくれます。

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 大きなモザイクの一部です。

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 常に緊張のある中東、ここにも警備のためたくさんの警察官がいます。まあ、皆のんびりと談笑していましたが。

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2009/7/20

モザイクとキリスト教徒の町マダバ  新・中東ヨルダン王国を行く

 6月26日(金)、ネボ山と死海に近い町マダバの「聖ゲオルグ教会」のモザイクを見に行きました。この町は、人口の30パーセント以上がキリスト教徒で、女性の地位向上のための運動が盛んな町のようです。普通、アラブ社会では「カフェ」などは、男性だけの社交の場ですが、ここマダバには、" Free man cafe "があります。すなわち、男性禁制ののカフェですね。

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 マダバのホテルから見た町の様子です。大きなモスクが見えます。

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 今日は、金曜日でイスラムの休日ですが、キリスト教徒もこの日にミサをとりおこなっていました。ここは、モザイクで有名な聖ゲオルグ教会で、ギリシャ正教です。ミサは、二時間以上続きます。

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 まず、教会の隣にある「教室」で、ガイドからここのモザイクの説明を受けました。
「コバヤシ・グループ」の面々は、童心に帰ったようです。この教会には、4世紀から6世紀にわたって作られた、モザイクによる「パレスチナ地図」があるのです。

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 これは、エルサレムの地図です。かなり精巧な出来です。

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 これは、イエス洗礼の地、ベタニアの地図。魚はキリストの象徴ですね。先ほどのミサが行われていた教会の床にこれらのモザイクがあります。かなり大きなものです。

 そしてこの日、私たちはあのモーゼの山、ネボ山を訪れました。

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2009/7/20

ちょっと、ぞろ目で勝負!  新・中東ヨルダン王国を行く

 「新・中東ヨルダン王国を行く」連載記念として、ヨルダンで買ってきたポストカードを三名様に差し上げます。

 ちょっとぞろ目賞 : 14444人目のアクセスの方

 前後賞 : 14443人目と14445人目の方

 当選した方は、ブログ「はじめに」に公開してある私のメールアドレスに、氏名と住所をお知らせください。ドイツから、ヨルダンのポストカードをお送りいたします。

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        ヨルダンで乗った貸し切りバス。

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 このツアー名が書かれています。「グルッペ:コバヤシ」、すなわち「コバヤシ・グループ」

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2009/7/19

エルサレム・最後の晩餐の場所へ  新・中東ヨルダン王国を行く

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 聖墳墓教会を見学した後、私たちはエルサレム旧市街の「屋根」に登って、「岩のドーム」を望みました。この屋根は延々と続いていて「屋根の散歩道」があります。

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 歩いて、「シオンの丘」に行き、あの「最後の晩餐」が執り行われた「ツォナッコルム」と呼ばれている建物へ向かいます。

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 ここが「最後の晩餐」の場所です。建物は見ての通りゴシック様式で後世のものですが、この建物の土台はキリスト当時のものであるとか。この広間の真下に「ダビデ王の墓」があります。キリスト当時、この建物は「エッセネ派」の所有であったそうです。今日は木曜日、あの「最後の晩餐」の行われた曜日です。

 ここでも、いつもは大勢の人が見学に来ているはずなのですが、有り難いことに、私たちだけでゆっくりと場の雰囲気を味わうことが出来ました。そして、ここで、簡単な礼拝式を行うことが出来たことは本当に素晴らしいことでした。

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 「ツォナッコルム」の屋根の上です。ここからも素晴らしい眺めを堪能できます。写真に写っている方は皆「コバヤシ・グループ」の方々です。

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 午後五時過ぎ、エルサレムの渋滞です。ここからバスに乗り、また北上すること二時間、そして、国境で検閲をうけ、ヨルダン王国へ入国、また、バスで南下、次の宿泊地マダバに着いたのは、深夜過ぎでした。

 大変な一日でしたが、皆エルサレムを訪問できて大満足ではありました。こうして、旅の三日目、6月25日(木)は過ぎました。

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2009/7/18

エルサレム・聖墳墓教会へ  新・中東ヨルダン王国を行く

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 ここが巨大な聖墳墓教会の入り口です。教会内は、ローマカトリック、ギリシャ正教、アルメニア教会、コプト教会等がそれぞれの「占有地」を持って管理しています。以前、キリストの墓やゴルゴタの丘の領有をめぐって、教会内で、司祭同士による、「殴り合いの喧嘩」が続き、それを何とか回避するために、聖墳墓教会の入り口の鍵は、イスラム教徒のある一族の管理下にあります。毎朝、イスラム教徒の方が、「開門」するためにやってきます。

 キリスト教は、パウロとペトロの昔から、対立や喧嘩が多いですね。まあ、陰湿なジメジメとした権力争いより、いっそのこと、「殴り合い」でもした方がスッキリするのかも知れませんが。でも、暴力はやはりいけませんな。

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 これが「ゴルゴタ・チャペル」です。キリストが十字架に架かったゴルゴタの丘が、スッポリと覆われています。今は、ギリシャ正教の管轄です。

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 ここが、ゴルゴタ・チャペルの祭壇です。いつもこの混みようです。多くの人がここに来てガッカリするようですが、暫く、ここに佇んでいると、時折誰も来ない時間があります。その時、静寂の中で、ここで約2000年前に起きたことの「意味」が、リアルに体験されます。祭壇の下には、一人だけもぐり込むことの出来る空間があり、床に穴が空いていて、手を入れると直にゴルゴタの丘の岩に触れることが出来ます。

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 この岩盤の上で、十字架からおろされたキリストの体に「塗油」が施されたと言われています。多くのキリスト教徒が、この岩に触り、香油を塗っています。私も今回初めてこの岩盤に触れて祈りを捧げました。キリスト者共同体の多くの方々は、「そんな迷信じみたこと」を嫌うようですが、ここには何百万人ものキリスト教徒の「敬虔な想い」が込められています。それだけでも、大変な事だと私は思うのですが。宗教は、あくまでも「感覚体験」です。この「塗油の岩盤」、すごい体験を与えてくれました。

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 キリスト教をローマ帝国の「国教」にしたコンスタンティヌス大帝の母、ヘレナが、ここでキリストの十字架を発見したとされる場所です。聖墳墓教会の地下にあり、とても静寂で雰囲気のあるところです。ここへはあまり人は来ません。

 ルドルフ・シュタイナーは、キリスト教がコンスタンティヌス大帝によって「国教」になったことで、その「没落」が始まったと考えていました。

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 聖墳墓教会を出ると、「キリスト教徒地区」です。アラブ系のキリスト教徒が多く住んでいます。可愛らしい女の子が、珍しそうに私を見ています。

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 エルサレム名物の生搾りオレンジジュースのスタンドです。一杯百円くらいで、すごく美味しいジュースが楽しめます。今回は時間がなかったので、飲めませんでした。残念。

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 聖墳墓教会には、「十字軍」兵士が、ひとりひとり刻んでいった夥しい数の十字架が残されています。

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2009/7/17

エルサレム・所変わればオシャレも違う  新・中東ヨルダン王国を行く

 「嘆きの壁」を後にして、ゴルゴタの丘やキリストの墓がある「聖墳墓教会」へ向かう途中、イスラム教徒の住む「アラブ人地区」のバザールを通っていきました。そこで見つけた「オシャレ・グッズ」です。

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 イスラム教徒の女性は、このスカーフのような被り物をすることが義務づけられています。なんて言いましたっけ、このスカーフの名前、今出てきません。どなたか教えて下されば幸いです。

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 他の店で、ひとりの若い女性が、立ち止まって品定めをしていました。何とも愛らしい情景です。昔は、「君の名は」という映画で、「町子巻き」(でしったけ?)というスカーフが日本でも流行ったことがありましたね。 エッ、知らない?そうですね、昭和20年代の話でした。

 でも、右端のマネキンの顔、誰がイタズラしたのでしょうか。とても「古典的」なイタズラの仕方です。眼鏡に髭は、定番ですね。この素朴なイタズラが何とも愛おしいと感じるのは、私だけでしょうか。

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2009/7/16

エルサレム・嘆きの壁へ  新・中東ヨルダン王国を行く

 「ゲッセマネの庭」で、静寂の時間を過ごしたああと、「西の壁」、いわゆる「嘆きの壁」へと向かいました。すると、大勢の人でごった返し。

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 このユダヤ教最高の聖地には、世界中の、それぞれの民族衣装を纏ったユダヤ人達が巡礼に着ていましたが、赤いTシャツを着た若者達は、「ドイツ、アラブ、ユダヤ親善」を目的にここに来ているそうです。

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 「嘆きの壁」です。左側が男性、右が女性と定められています。男性は、帽子や、「キッパ」などの被り物がないと入場できません。

 キリスト教では、教会に入るとき帽子を脱ぎますが、ユダヤ教では、帽子を被っていなければなりません。イスラム教では、女性のみにスカーフのような被り物が、モスクに入るときの条件です。それぞれ「掟」が違いますね。

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 男性専用の「嘆きの壁」。皆それぞれの格好で、それぞれの祈り方で祈りを捧げていました。写真撮影も自由です。

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 男性だけが入ることが許された「嘆きの壁」の左奥にある「会堂」兼「図書館」。祈ったり、自分の「トーラ」解釈、すなわち聖書解釈を大声で述べ伝えたり、神学論争をしたりしていました。

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 「メアシャリーフ」という地域に住む、超原理主義のユダヤ教徒の方々です。ここでは、男性は、労働が禁じられており、仕事は「トーラ」研究のみです。

 ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教が「聖地」とするエルサレム、常に緊張があります。しかし、イスラエル建国前は、皆、平和に共存していたことを忘れてはなりません。この三大宗教間の「対立」は、あくまでも「政治」と「権力闘争」、そして、「石油の奪い合い」が本当の原因なのです。

 是非皆さんも、「パレスチナ問題」に興味を持って下さい。日本にはとても良い本がたくさんあります。特に岩波新書の「パレスチナ」は、著者の名前は忘れましたが、名著です。現代人の大切なたしなみとして、「パレスチナ問題」への理解があると思います。

 パレスチナ問題の本質が見えてくると、自ずと国際政治の構造が明らかになります。

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2009/7/14

エルサレム・ゲッセマネの庭へ  新・中東ヨルダン王国を行く

 イスラエル国境で、時間をとられ、エルサレムに着いたのは正午過ぎでした。ということは、12時から15時まで昼休みを厳格にとっている、あのゲッセマネの庭のある教会へは入れないことが判明。17時までのエルサレム滞在でのスケジュールをこなすためには、15時過ぎにゲッセマネの庭へは来られないのです。

 参加者の落胆は大きく、ガイドの提案で、とにかく行ってみて、塀越しにでも庭を覗いてみようということになりました。

 まずは、近くでバスを降り歩き始めました。

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 近くには、あの「黄金の門」があります。ここから「棕櫚の日曜日」に、イエス・キリストが、ロバに乗ってエルサレムに入城したのです。今のこの門は、後世のものですが、場所はここであったとされています。入り口は閉ざされ、ユダヤ教でいうところの「本来の」メシアが来るまで、誰も入ることが出来ないとか。イエスが、メシア、すなわち「救世主」であったとはユダヤ教では認識されてはいません。この門の斜向かいに、ゲッセマネの庭はあります。

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 ここで、参加者が、どうしても庭を見たい、どうにか頼むと、門番のお爺さんを説得、かなり懇願したので、今、立ち上がって、教会の中の人を呼んでいます。

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 しばらく、中で鍵を持っている男性と交渉、根負けしたのか、私たちを中に入れてくれました。随行したユダヤ人ガイドは、「長年エルサレムを案内しているが、こんなことは初めてだ!」と驚いていました。

 ゲッセマネの庭にあるオリーブの木です。樹木そのものは、古くなると切られるので、2000年も経ってはいませんが、これらのオリーブの木の「根」は、イエス当時からあったものだそうです。

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 普段なら多くの人でごった返している筈ですが、今日は、「コバヤシ・グループ」のみの貸し切りとなりました。静寂の中で、このゲッセマネの庭を体感出来たことは、無上の喜びでありました。

 このあと、あの「嘆きの壁」へと向かいました。

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