2018/7/11

大逆事件以来の大量集団処刑  ]平和
 ◆ 「王」と「大臣」 (東京新聞【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)

 「社に行ってすぐ、『今朝から死刑をやってる』と聞いた」。石川啄木日記一九一一(明治四十四)年一月二十四日の一節である。
 啄木は勤め先の朝日新聞社で、幸徳秋水など十一人の処刑を聞いた(管野須賀子は翌朝執行)。明治末期の冬の朝、大逆事件の集団処刑の報は人びとの血を凍らせた。
 百七年たった六日の朝、麻原彰晃絞首刑執行のニュースを聞いた。そのあと断続的に六人の処刑が明らかになった。

 啄木の日記を思い出した後、わたしは与謝野寛(鉄幹)の詩「誠之助の死」を探して読んだ。
 「誠之助と誠之助の一味が死んだので忠良な日本人は之から気楽に寝られます。おめでとう。」


 和歌山県新宮の医者だった大石誠之助の友人だった佐藤春夫も「愚者の死」で「裏切る者は殺さるべきかな」と謳(うた)った。
 反語である。

 明治末の大量死は犯行なき「大逆事件」に対する処刑だった。
 平成末期のオウム幹部大量処刑は、実際にあった犯行への断罪である。
 「勢力を拡大し、さらに救済の名の下に日本を支配して、自らその王となることまでをも空想し、小銃の製造、サリン・VXの製造という武装化を進めた」と上川陽子法相の発言。

 テロ国家を目指した「王」と「大臣」たちは抹殺された。
 法相就任以来十人目の死刑執行。鉄幹のように「おめでとう」というべきか。

『東京新聞』(2018年7月10日【本音のコラム】)

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