2005/2/28

いま抗(あらが)わなくて、いつ抗うのですか?  ]平和
戦争とファシズムの時代がやって来ている

斎藤 貴男さん(ジャーナリスト)

 東京都教育委員会の「10・23通達」に対して、処分反対の予防訴訟をおこしたり、「君が代」斉唱時に起立しないで処分されたりしている都立高校の先生たちがたくさんいらしたので感激しました。その人たちに敬意を表します。その一方で、もっと多くの人が、その程度のことをどうしてできないのかとも思いました。生活がかかっているからというのはわからないでもないですが、僕は正直許せない。「日の丸・君が代」が大好きで、強制すべしと思っている人は立てばいいわけですが、これがいかに問題であるのかをわかっていながら立ってしまったら、その方がずっと罪深いと思います。

●星条旗の下での「日の丸」

 激しい「グローバリゼーション」の下で、アメリカの世界支配の中で、日本はアメリカの手先として世界を侵略する国になってきています。事の善悪を別にすれば、星条旗を掲げて、アメリカ国歌に忠誠を誓うところを、それではあんまり辛すぎるので、「日の丸・君が代」が癒しのナショナリズムとして使われているのです。日本は今日の「グローバリゼーション」の下で、アメリカと価値観を限りなく近づけた「支配体制」の形成に向かっています。
 日本の企業も、他国同様に安い労働力を求めて海外にどんどん進出していく。安い労働力の国はリスクも高く、企業だけでなく国もリスクをかぶれ、軍事力の行使も必要だという論法が浮上しています。海外の企業の権益を守るための軍事力行使を財界は求めてきているわけです。こういう形で産軍複合体が増殖しています。アメリカとともにある戦争ということはまさに侵略で、石油がほしいからアメリカとともにイラクに、イランにということになります。
 一方国内においては、1億2千万人の市場をアメリカに解放していくための構造改革が求められる。これは社会保障制度改革から医療制度改革から、税制改革、教育改革と全ての分野にわたり、貧富の差を広げる政策、人間どうしの対立を広げる政策に直結します。アメリカみたいに上層20%の人が富の80%を占有して、残りを80%の人が血で血を洗うバトルロワイアルを繰り広げるイカサマ社会に向かいます。
 たとえば、去年11月に自民党が出した憲法改正草案大綱で、徴兵制はしないといっているんですが、これはアメリカみたいにすることを意味します。アメリカみたいに貧乏人は戦争に行って手柄をたてないとまともな教育が受けられない、こういう仕組みを目指そうとしているのです。その中での「日の丸・君が代」なんです。いままでとは問題のレベルがまったくちがうのです。

●調教師にならないで

 都教委は卒業式の「君が代」斉唱で生徒が起立しなくても教師のせいだと言っているようですが、これは子どもたちの人格を認めていない証拠です。仮に、教師が「立つなよ」と言ったところで生徒は自分の意思で決めるわけでしょ。都教委や校長は、生徒というのは上の言いなりでしか動けないものと規定しているわけですから、これは教育じゃない。子どもなりに、子どもとしての人格があって当然なのに、それを全く認めないところで行われる指導というのは教育ではなく調教です。
 教育基本法を変えようとしている人々が、教育を国家に従わせる道具にしようとしていますが、これは調教だ。国家とか公共とか言っているけど、実のところ支配者の私利私欲のためです。何が国益かなんてぜんぜん定義もない。
 ことここにいたって、いくら内面で葛藤があろうが、それで立ってしまったらそれは教師じゃないんですよ。
 教師が教師であるためのアイデンティティが、職業的モラルがあるはずなんですね。教師が調教師になってしまったら、それは世界で最も軽蔑すべき存在になってしまいます。

●ファシズムは大衆がつくる

 いまに日本はファシズム国家になるっていうんじゃなくて、いまファシズムに覆われてしまっている。石原だとか横山がファシストだということはその通りなんですが、戦時中もそうでしたでしょうけど、誰かすごい権力者が無理矢理閉塞状況をつくっているのではなく、僕ら一人一人、大衆がそういう方向性を積極的に望んで受け入れてしまっているからファシズムなんですね。石原を攻撃してみてもはじまらないとさえいえます。石原は単に程度の低い差別主義者です。例をあげたら数限りなくあげられます。他人の話を聞く耳を持たず、人間としての葛藤とかもひとつも感じられない。そういう人を都知事にしている方がおかしいんですよ。どうかしている。ファシズムだってのはそういうことですね。
 ファシズムの時代ということをもっと真剣に考えなくてはいけないことは、NHKの問題とか、イラクの人質事件でも思います。人質事件の時は、自分でも自覚してハッとしたのですが、最初の、高遠さんたち3人の時の衝撃に比べて、香田さんの時ってあんまりびっくりしないわけですよ。「またか」となってしまっている。実際に香田さんは殺されてしまった。もっとも衝撃的だったのは、両親が出したメッセージに怒りも悲しみも表現されていなかったこと。最初に世間に対して謝っているわけでしょ。今の日本社会はもう銃後の思想で覆われていると思う。これをファシズムと言わずに何をファシズムというのでしょうか。

●東京都の教育委員たち

 東京都の教育委員の高坂節三、木村孟、米長邦雄氏に僕は直接取材しています。内舘、鳥海氏は取材していません。高坂氏は高坂正顕(京大教授、「期待される人間像」を出した中教審特別委主査)の子どもですが、この人はビジネスマン(元伊藤忠商事常務)としては一流だと思います。ただ、この人が教育に口をだしては絶対にいけない。一昨年の経済同友会の憲法問題調査会の委員長として9条改憲を打ち出した中心人物なのです。9条をなくして、自衛隊を海外に出せ、集団的自衛権を認めろという主張を、先ほど言った「グローバリゼーション」との関係で、この人が比較的きちんと表明しているんですね。木村氏は古いタイプの保守主義者だと思います。元大学教授で、中教審の委員などをしています。この二人が都教委に入ったことははっきり国の意思と財界の意思が導入されていくということです。国の本音が入り込んでいくという意味で、僕は非常に怖いと思う。今までの米長、鳥海氏らは一般の人間の情緒に訴えきる、もっと低次元の人たちだと思う。米長氏はなんでも戦時中がすばらしかったと考えている人です。「日の丸・君が代」も、男女の在り方についても。鳥海氏は何でもかんでも企業の論理にもっていきたがる人です。学校は企業じゃない。学校で企業の価値観を植え付けられたらたまらない。学校を企業の人事考課だとかヒエラルヒーでしかとらえることのできない非常に困った人だと思います。内舘牧子さんには、爺さんに可愛がってもらうことで地位を確立した女性の典型を感じます。
 社会の仕組みから性別による差別があってはいけないというのがジェンダーフリーであって、性差はあり、性差を認めないということにはならない。僕はそう理解しています。結局僕にしたって男社会の中で育ってきてますから、どこかでそれでも一生懸命考えているつもりです。いろんな人がそういう努力をしているわけなんだけど、そういう努力を踏みにじってくれる存在として内舘さんはいるなと思っています。間違った考え方をしているかもしれませんが。

●労働者の団結と共闘の道を

 「日の丸・君が代」の攻撃には教員の学校現場的結合、教職員組合的団結の解体もめざされていると思います。もともと80年代、中曽根政権の臨調・臨教審路線で、国鉄の解体と教育基本法の改悪と日教組の解体がめざされたわけです。だから、国鉄解体と国労の解体の問題を、僕らも歴史的にとらえて、あの時からその問題の本質をきちんと分析したり、組合であればそれに学んで闘うべきだった。
 戦後、今ここまで、完全に逆コースになるまでにはいくつかのポイントがあったと思うんですが、国鉄の解体、国労の解体は大きな節目でした。当時、マスコミを先頭に一般社会が国労バッシングをしていましたが、組合攻撃は順番にくるわけだからあのとき気づくべきだったのに、無自覚すぎた。それと連合になるときに日教組は分裂しちゃうわけですよね。
 日教組も全教も率先して「日の丸・君が代」をやりたいわけではないはずです。現実が戦争に向かっているのだがら、過去のいきさつがあるにせよ無理にも手を組むとならないのか。共闘しようとはならないのか。
 組合の団結も困難な上、学校では校長や管理職が横暴になっている。基本的に校長、教頭は教員あがりなんですから、学校の主人公である子どもを優先して考えなければならない職業なわけです。それが、子どもを道具として家畜として扱うようなことを、上から言われて他の先生にやらせている。それは人として恥だということを知ってもらいたい。子どもを差別・選別し、あげくのはてに兵隊にしようとしているのかと一人ひとりに問いつめたい気持ちです。

●女性国際民衆法廷

 僕がNHKの問題にこだわるのは、「女性国際戦犯法廷」がつぶされたのも、歴史の相当大きなターニングポイントだったと思うからです。
 2000年の12月、いわゆる「従軍慰安婦」とされた女性たちの正義にしたがって戦時性暴力が裁かれて、「昭和天皇有罪と国家に賠償責任」の判決が下された意義は大きい。
 僕らは戦争の悲惨を考えるとき、いつも被害者としての悲惨しか考えてこなかったでしょ。広島・長崎も、東京大空襲も、戦後の焼け跡もみんな1945年のことです。その前の侵略していた歴史を語らないできた、加害責任を語らないできた。それではどこまでいっても朝鮮や中国の人とわかりあえないのは当然で、被害者でもあったけれどまず加害者だったんだということを、この法廷を通して確認できたともいえると思います。NHKが取り上げることは意味があったのに、それをああいう形でつぶされた。このまま息の根を止められたらあまりにもなさけなさすぎるんじゃないか。抵抗しないと。
 加害責任論がなぜ大切か。イラク戦争を考える時だって、被害者としての戦争しか考えたことがないから自分が被害者にならない戦争は戦争と思わないんじゃないでしようか。
 こんなことを続けていれば、僕らの子どもは間違いなく兵隊にされる。教員にとっては教え子を兵士に仕立て、戦場に送ることになるんです。一人一人生き方を問い、こんな時代に抗わなかったら、いつ抗うのか。少しでも状況を変えるまでやらないと、抵抗があったことさえ歴史に残らないわけで、それは自分の子どもたちに恥かしいことだと思います。

http://dugonghouse.fc2web.com/2005.2.6.html

2005/2/27

◆立ち読み『藤田勝久未刊の大作?』22  [藤田の部屋
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 あの日、3 /26(金)の事・・・    投稿者  べジット  3月29日 08時、08時、09時

   あの日板高正門前に行った。
   平日なので仕方がないが予想に反して朝から来てる人が少なく心細かった。
   しかし不安な気持ちを隠し堂々とした足取りで正門前に接近した。
   するといきなりスーツの男が二人ほど近づいてきた! 
   「追い返す役の学校関係者か?」 と内心ドキドキしていたら
   なんと朝日新聞の記者だった。そしてなんと話を聞かせて欲しいという。
   これは私達の気持ちを伝えるのにとても有効な手段だと思い各自一生懸命話した。
   その様子を校内にいる人(校長?教頭?先生?判別つかず)たちが
   窓や物陰からチラチラ覗いていた、その様子が少し滑稽であった。 つづく→

   一通り記者の人との話が終わると今度はオジサンが近づいてきた・・・
   なんとTBSのカメラマンだという。
   警察が学校に入る際抗議する様子を撮りたいといってきた。
   この時この問題やこの日集まった事の重大さを再確認した・・・。
   中途半端じゃなく徹底的にやるぞと。
   あの日仕事に行くより早起きした。
   そしてとても寒かった。 来た人はみんな同じ事を思っていただろう。
   しかし誰一人ツライとか帰りたいなんて言わなかった。
   なぜならみんな『藤田先生を助けたい。校長や教育委員会などが許せない。
   できることはなんでもやるぞ。』そんな思いで集まったからだ。心強かった。

   なぜ私がこの問題にかかわろうと思ったか・・・答えは簡単。
   単純に藤田先生が好きだから、
   そして北爪校長や横山教育長や土屋議員などの方針やり方が
   はっきりいって気に食わないからだ。
   藤田先生には在学中とてもお世話になった。
   しかしだから助けたい気持ちになったというわけではない。
   ・・・・(略)・・・・
   藤田先生が捕まるのだったら・・・世の中がおかしくなっている証拠である。
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★ (前の掲示板の続き)

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 手法   投稿者  K・F   3月29日(月)  09時ーーーー
 三月二十八日 TBS 報道特集の中で、私にとって最も印象的であったのが、最後の都議T氏の発言である。
 彼はこう言うーー立派な卒業式であった。
 これは校長先生のおかげである。
 (不起立は)先生達が仕組んだものである。
 ーー事実はこうである。
 立派な卒業式であったのは、卒業生と教職員のおかげである。
 不起立は都教委と校長による強制・弾圧によるものである。
 若者達は、その鋭敏な感覚で強制に対し反発したのである。
 都議T氏は、白を黒と言って人を警察に売り、退職に追い込み、研修所送りにする。
 まことに恐ろしいことである。

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 思うんだけど  投稿者  名無し  3月29日(月)  14時ーーーー
 この前の報道特集を見て思ったんだけど、藤田先生を助けるのをまず第一優先で考えることだと思います。
 しかし藤田先生を助けたとしてもまた藤田先生のような心のある良い先生が反対して
 同じことになるような気がします。
 これは何としても防ぎたい。
 それには教育長のY氏、都議会のT氏を何とかしなければならない。
 自分は東京都民としてこのT氏に投票した人が何とも憤慨である。
 T氏のホームページを見たんだけど、報道特集のことについて述べられていた。是非とも見てほしい。さらに怒り心頭するかもしれないが・・・。
 校長は自分の地位のことしか考えていないのか。 それともウヨなのか分らないが。。

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 お願いm(_)m  投稿者  都立板橋高校卒業生  3月28日(月)  15時ーーーー

 このサイトをどの位の人が見ているかはわからないがこの掲示板を使って言いたい事がある。
 藤田先生を助けようと頑張っている人達に対してからかったりバカにしたりする発言はしないでほしい。 
 自分も実際友達に 「何熱くなってんの? がんばるねえ〜。」 などとふざけ半分に笑われ凄く腹が立った。
 言った人にしてみればたいした事ないのかもしれないが支援している人たちはこの問題がとても重要だと思っているから頑張っているのだ。
 それをバカにしたりする人達は自分に同じ災いが降り掛かってもそんな事いえるのだろうか。

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 ふと思った。  投稿者  高校生に戻りたい・・・  3月29日  15時ーーーー

 藤田先生の倫理の授業はマジ楽しかった!
 もう一回受けたい! 
 藤田先生は顔も恐いし声もでかいからなんだこの人先生か?と最初は思うけど本当はスゴイ奴だったということは授業を受けた卒業生たちは知っている!
 おそるべしカリスマ教師!

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この前に戻って読みたい方は、こちら→(21)

2005/2/26

「ツバメ通信」(3)  X日の丸・君が代関連ニュース
<転送歓迎>(少し長いです)
「都教委包囲首都圏ネットワーク」の渡部(千葉高教組)です。

ツバメが飛び始めました。

大阪では24日頃から高校の卒業式が始まりました。
すでにいくつかの高校でビラ撒きや不起立が生まれています。
ビラ撒きでは「職場の雰囲気が変わった」ようです。
また、教職員・生徒のかなりの数が不起立をしているようです。
さらに、ある高校では、「保護者は8割くらいが起立したが、残りの人たちは生き生きとして着席していた。」とのことです。

東京でも都立篠崎高校他いくつかの高校でビラまきが行われています。
これに対し校長は警察を呼ぶなどのことをしていますが、
そのことがかえって反発を招いているようです。
都立石神井高校も、市民のチラシまきに警察を呼んだそうです。
(詳しくは 以下のホームページ参照)
http://dugonghouse.fc2web.com/2005.2.6.html

また、24日には、都立高校17校に子どもたちを通わせている保護者有志らが、
卒業式で「日の丸・君が代」を生徒、保護者、教員らに強制しないよう求める要請書を都教委に出しました。
要請書は高校ごとに別々に用意したとのことです。
「朝日新聞」<東京版>(2月25日)に記事が載りました。

さらに、青法協の若手の弁護士たちが、当日学校に行き、立ち会いを求める。
門前監視行動も含めて行うとのことです。
以下がその呼びかけ文の一部です。

(弁護士 K氏のもの)
1 石原都政のもと、その意を汲んだ東京都教育委員会(横山教育長)によって、卒業式・入学式における「日の丸・君が代」の実施方針が出されて以来、東京都における卒業式・入学式は生徒の晴れの場を快く祝うという場ではなくなり、式典参加者の一挙一動を教育庁の職員が見張るという、異常な場になっています。
 今年の卒業式・入学式に向けて、当局は、生徒の内心の事由は尊重するとしていた従来の立場さえかなぐり捨てて、教員に君が代斉唱などを指導することを職務命令として命じたり、式典の場で君が代の斉唱の音量を調査して職務命令違反の口実を探そうとするなど、もはや暴挙としか言いようのない攻撃に出ることが予想されています。
 また、式典会場及びその周辺においてビラまきなどがなされた場合には、「住居侵入罪」「道路交通法違反」を活用して警察力を導入せよとの校長宛指導がなされているとの情報もあり、今年の卒業式・入学式はますます予断を許さない情勢になってきています。

2 このような石原都政の暴挙に対して、教職員らは果敢に不服従の闘いを実践し、2004年度は数百名単位の不起立者をもって反撃に立ち上がりました。また、東京地裁に「予防訴訟」を提起し、「再発防止研修」の場を教育長追及の場に塗り替えるなど、創意工夫をこらした抵抗が展開されています。
 そして、教職員の闘いに応えて、卒業生・生徒父兄らからも日の丸・君が代の押しつけはおかしいという、自然な声が湧き起こっています。

3 このような情勢の中で、卒業式における市民の応援団に弁護士も参加し、日の丸・君が代の押しつけに対して抗議するとともに、不起立を闘う教職員を励まし、さらには予想される弾圧に毅然として対応するという企画が上記予防訴訟にかかわる弁護士などから提起されています。
   (中略)
 「私たち弁護士の活動があれば大変に心強い」との強い期待が教職員の方々から寄せられています。お忙しい時期とは存じますが、東京都の子どもの未来と教職員の勇気に少しでもお力添えをいただけるよう、ご協力をお願いいたします。



闘いが始まりました。
「2・6総決起集会」で確認されたひとりひとりの『自覚と決断』が今求められています。
都教委包囲首都圏ネットワークでは、天皇発言に関する私たちの「公開質問状」に答えられない都教委を暴露するとともに、
「日・君」強制に抗議するため、3月2日、都庁ビラまきと都教委への要請行動(すでに伊沢都議が手配してくれました)をする予定です。

以上。

2005/2/25

日記2/2〜2/7  [藤田の部屋
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2005年2月7日(月曜日)     組織
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 組織というのはその組織体を守ることを至上命令とする。特に宗教組織となるとことは異様となる。
 2月6日付け、某新聞を見る。「・・の命より大事」と言われた・・の組織を断じて厳護せよ。これが正義。とあった。
 「組織を護ること」、が我が命よりも「正義」なのである。その宗教集団の中にいる者にとっては当然の理、何の訝ることもない。
 組織が振り回す正義なるものは昔からどうも生理的に受け入れ難かった。好き勝手に生きてきたせいであろう。
 高校の修学旅行もその間一人で旅行した。あとで色々面白い話を聞いてしまったと思ったが。
 軟弱な本を読んでいてああもこうも考えられるなる雰囲気に染まっていたからでもあろう。E・H・ノーマンの自決はよく分からないままショックであった。「説得かさもなくば破滅」、というなら「説得もしなければ破滅することもない」、といった逃避の世界にふらふらする心情を醸した。
 映画がまた一つの価値観に染まることを阻害した。
 まさに人生いろいろである。命賭けてまで護るべき組織はあるのか。命を粗末にする組織はそれ自体もはや犯罪的組織であろう。

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2005年2月6日(日曜日)     絶句
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 次々と事件が起こりそして忘れられていく。
 多くの人が犠牲となり一瞬世間の耳目に曝され忘れられていく。例えば交通事故の悲惨さは日々起こっているが、極端なケース以外は報道もされない。
 ニュースが一瞬頭の引き出しに放り込まれて消失していく。当事者たちは忘れ去られて、悲惨は彼等のうちにのみ滞留する。心の傷は負った者のみが抱え込んで人生を歩まざるをえない。それが世の中というものなのであろう。
 人は人に語ることによって心癒されるものであるが、語るべき友を持たない者も多い。また如何様にも語りえない事柄もある。語ることによって更に傷つく場合もある。一生黙したまま彼岸へ旅立つ者も多い。
 人それぞれに様々な危機があり、潰れたり助けられたりする。A君に対しての、「やくざと付き合うのはやめたら」と言う言葉の何と軽薄なことであったことか。「やくざのあのオジサンがあの時庇護してくれなかったら今の自分はありません」こう言い返されてそれ以上何が言えようか。親身になって人のために尽くすことのなかったわが人生の有り様を思って恥ずかしくも絶句するのみである。

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2005年2月5日(土曜日)     秩序
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 労働運動がすっかり後退した。
 大企業労働組合は、経営者と結託することによって本工労働者の既得権を守ることのみに汲々としている。もとより臨時工、準社員のことは切り捨ての対象としてしか考えていない。考慮する余裕すらない。
 官公労働者も自らの地位の保全のみである。民営化の波は失業しないという一点にのみ運動の焦点があてられる。すべての労働者の権利擁護、権利拡大という視点はほぼ消え失せた。
 弱肉強食の嵐の中にすべてが投じられる社会となった。資本の本源的蓄積段階の再来である。一日、14時間前後の労働、残業は無給である。嫌なら辞めろということ。小泉改革とはこういう事であったのだ。
 企業の社会的責任の放棄、労働者の使い捨て、低賃金、長時間労働、増税、社会保障の後退。病気したら終りだ。
 その一方でうまく立ち回った者、権力と結びついて情報を得る者、土地所有者、高級官僚、議員、資産家等々は更に富み栄えていく。
 犯罪が激増し裏の社会が表までも侵食して世の中が荒れてきた。
 警察・検察・司法による民衆弾圧でのみ秩序がようやく維持されるという社会となった。
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2005年2月4日(金曜日)     荒廃
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 今日、と言っても5日であるが、NHKスペシャル「フリーター漂流」ー製造現場を転々とする百万人の若者たちーを見た。
 製造業に於ける「請負」が解禁となって企業は生産ラインの変更による人員の増減を「請負会社」にすべて負わせる体制にした。
 いつでも一瞬にして解雇しかつ必要となれば雇い入れることが出来る。何のリスク、経費も必要としない。この請負会社は全国一万社という。前にも書いたが人買いである。
 「玉」と表現していた。「玉」をいかに揃えて送り込むかがそれら会社の事業となる。機械化しえない、又はそうすると採算が取れない部門の単純労働を担当させる。
 生産計画が変われば工場から工場へと漂流させる。これが現在の日本の製造業を支える現実である。
 三十五歳、或いは三十歳以下の若者を対象とする。それらの就職出来ない若者を集めて売るのである。
 何日働こうと技術が身に付くわけではない。あくまでも時給千円前後の使い捨て労働者である。
 企業が従業員の人生に何の責任も持たない。言うなればロボット、機械扱いである。人間の使い捨てである。社会が荒廃するとはこのことである。

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2005年2月3日(木曜日)     団結
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 結局、世の大勢を動かしているのは金の集積している組織であろう。資本家というより特権的謀略機関とでも言うべきか。
 国家を支配しかつ最大限に利用する。巨大な利潤を生むのは金融であり軍需産業であり食糧であり麻薬である。
 情報を独占しかつ操作しデマを飛ばして大衆から弱小国から金を巻き上げる。株価を支配出来れば馬の着順を事前に知るのと同じ結果を得られる。為替レートの変更も彼らは事前に知りうる。巨大な規模でのインサイダー取引である。かくして貧富の格差は益々拡大し、地球上での南北格差ははなはだしきものとなる。
 ブッシュの鸚鵡のように繰り返す「自由」とは、彼等が地球の隅々にまで好き勝手に振舞えるという「自由」に他ならない。
 歯向かう国家はブッシュの言う「悪の枢軸」であり、ならずもの国家であり非民主的国家である。空軍を歩兵を艦隊を派遣して屈服させるということとなる。
 イラクの地に強固な恒久的軍事基地を築き上げることはアメリカの悲願である。世界の油田をエネルギー源を支配することは彼等の世界戦略の根幹である。
 恐ろしいスローガンのみ跋扈する。 「万国の資本家団結せよ」

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2005年2月2日(水曜日)     星影
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 ソクラテスの無知の知ではないが、還暦も過ぎたというのに知らないことが多すぎる。というか世の中の多くを知るには人生はあまりにも短い。日頃仕事に追われて暮らしていれば当然のことだ。
 FMで音楽を聴いているとこんなにも素晴らしい曲があったのかと感動する。チェロとかバイオリンの曲にそれが多い。パガニーニやバッハの曲、ロマの楽曲、歌曲、生まれて初めて聴くのだから感動も新鮮だ。何も知らないということも或る意味素敵なことだ。
 宝物が世の中には無限にある。世界中の美術館を廻ったとしても一生かかるであろう。まして世界中の音楽を聴くなど不可能である。人の数ほど街の数ほど世界には善きもの美しきものが満ち溢れている。そして又その数ほどの残虐さや醜さ悲惨もある。
 「星影」の意味をつい最近知った。言葉は知っていた。「星影のワルツ」なんていう曲もある。しかしあらためて考えてみると「星影」を見たことが無いのに気が付いて愕然とした。チェジュドでそれを体験した人が書いていた。「夜空の星の光が真っ暗な地面に反射して、地面いっぱいに星が映るの・・・」と。

2005/2/24

東京弁護士会が都教委に警告=性教育バッシング(2)  ]平和
第5 都議会議員の視察の際の都教育委員会の対応について

 申立の趣旨には直接現れていないが、2003年7月2日、都議会において、土屋都議らによる公立学校の性教育の問題点についての質疑応答があり、これを受ける形で、同月4日、前記土屋都議ら7名が、産経新聞の記者を同行して七生養護学校を訪問した。土屋都議らは、七生養護学校の保健室等において、教職員に対して、威嚇的な口調で七生養護学校の性教育に批判的な質問をしたり、侮辱的言辞を発した。また、教材である人形を並べさせて、そのズボン等を脱がし、性器を露出させた状態にするとともに、これを同行した新聞記者に撮影させた。
 都議会には、議員調査権が認められているが(地方自治法100条)、具体的な調査権の行使は、個々の都議会議員に対して調査の派遣という形式をとることになる。しかるに、本件においては、都議会が、調査を決定して、土屋都議らを派遣した事実は認められず、それゆえ、本件訪問は、正式な議員調査権の行使ではなく、都議らが言うように、議員調査権の前提としての「視察」め領域にとどまる行為であると考えざるを得ない。
 教育基本法10条は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と規定する。同法10条は、戦前我が国の教育が国家による強い支配によって不当に歪められてきたことを反省し、教育の自主性、自律性を尊重することを明らかにした規定であり、具体的には、教育の自主性、自律性を確立するため、教育行政が国家権力・公権力による支配に服することなく行われるように教育委員会によって教育を運営していくという教育行政の仕組みを規定したものである。
 そして、ここにいう「不当な支配」とは、教育の自主性、自律性を侵害するあらゆる支配を意味することから、議員調査及び視察についても、かかる教育基本法10条の趣旨に従って、教育現場・内容への過度の介入は許されないという制約を受けることになる。
 これを本件についてみると、「視察」ということならば当然のこと、仮に調査権の行使であったとしても、授業風景や各教室・校舎その他の設備の見学、中立な立場での質問等にとどめられるべきであり、それを超えて、本件のように教育内容を批判する専政治的意味合いの強い質問はむろんのこと、威嚇的な口調での質問や教材である人形のズボンを脱がすなどの行為は、視察、調査権の行使の域を超えており、これに名を借りた教育現場への行きすぎた介入であると言わざるを得ず、教育基本法10条に反する行為と評価せざるを得ない。
 そして、都教委は、前記のとおり、教育の自主性、自律性を守るべく、教育に対して政治的圧力が加わった場合には、本来政治的支配に屈することなく、これを排除しなければならない立場にあり、当日、都議らとともに来校した都教委指導主事は、都議らの前記教育への問題言動に対して、注意を促し、その介入の程度が著しい場合には断固として抗議して、これを阻止しなければならなかったにもかかわらず、都議らの行動を終始静観して、これを放置していたものであり、かかる都教委の行為は、教育基本法10条に反する行為と言わざるを得ない。

第6 都教委の調査、指導、処分の違法性

1 事前手続きの違法性 (略)

2 処分理由とその合理性

 以下では事前手続きに引き続く処分の理由とその合理性について検討する。
(1)行政による教育内容への介入の是非及び範囲について
 教育基本法10条1項は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と定め、同条2項は、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目的として行われなければならない。」と定める。
 この条文から、法は行政による教育内容への介入(教育行政)は「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」を目的とするものに法文上限定される。
 そして、憲法26条がすべての者に教育を受ける権利を保障し、公教育がここに言う教育を受ける権利、究極には子どもの学習権を保障するための条件整備としてなさせるものである以上、ここに言う「教育の目的」とは子どもの学習権の充足=子どもの成長発達を意味すると考えられる。言いかえれば、行政による教育内容への介入は、子どもの学習権保障を目的とするもののみが認められるのである。
(2)旭川学力テスト事件最高裁判決(最大判昭51.5.21)
 旭川学テ事件最高裁判決は要旨以下のように述べる。
 「子どもの教育はもっばら子どもの利益のために行われるべきものであるが、何が子どもの利益でありまたそのために何が必要であるかについては意見の対立が生じうるのであって、関係者の教育の自由の範囲についてはそれぞれの憲法上の自由の根拠に照らして各主張の妥当すべき範囲を画するべきである。
 その観点からは、まず親には主として家庭教育・学校選択においてその自由が行使されるし、また私学教育や教師の教授の自由もそれぞれ一定範囲で認められる。それ以外の領域については、国は、子ども自身の利益の擁護のためにあるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるために必要かつ相当な範囲において教育内容についても決定する権能を有する。
 ただし教育内容に対するこのような国家的介入はできる限り抑制的であること要請されるし、また子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入は憲法26条、13条の規定からも許されない。」
 ここに国の教育内容への介入が認められると述べる部分は、上記(1)の趣旨に解するべきであって、つまり行政による教育内容への介入は旭川学テ事件最高裁判決によっても当然に認められたものではない。あくまで、各介入行為につき、その介入目的(究極目的としては子どもの学習権保障目的に限る)及び介入範囲(=大綱的基準の設定に留まる)という点の審査が必要になる。
(3)伝習館高校事件最高裁判決(最判平2.1.18)
 伝習館事件最高裁判決は、「(高等学校)学習指導要飯は法規としての性格を有ずると解することが、憲法23条、26条に違反するものではない」と述べる。
 しかし、この判示部分は前述旭川学テ事件最高裁判決の「学習指導要領などによる教育内容への介入は大綱的基準の設定の範囲に留まるべきである」という部分を前提とするものであって、子どもの学習権保障のためという制約目的を前提とする。しかも「大綱」的基準の設定にとどまるものであって、無条件に学習指導要領による教育内容への介入を認めたものとは到底解されない。
(4)教師の教育の自由について
 子どもの学習権に資する教育の自由は、恵法23条のほか、憲法26条を根拠に認められる。旭川学テ事件最高裁判決に言う「一定の範囲」の具体的内容は、この観点で解釈されるべ華である。
 そして、「子どもの教育が教師と子どもとの直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし」(旭川学テ事件最高裁判決)て考えると、現場の具体的要請に応じて教師によって具体的になされた教育内容については最大限尊重すべきであり、それに対して行政が介入をなす際には、介入をする側で、教育内容につき上記制限を越える不合理な教育内容であることを十分に示す必要がある。すなわち、介入は上記の限度、すなわち学習権保障の目的による大網的基準の設定に限られる(この点で旭川学テ事件最高裁判決のうち「教育内容に対するこのような国家的介入はできる限り抑制的であることが要請されるし、また子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入は憲法26条、23条の規定からも許されない。」という部分が想起されるべきである。)。
 旭川学テ事件最高裁判決は「教育に対する行政権力の不当、不要の介入は排除されるべきであるにしても、許容される目的のために必要かつ合理的と認められるそれは、たとえ教育の内容及び方法に関するものであっても、必ずしも同条の禁止するところではない」としている。この最高裁判決を上記の趣旨で解釈し補充すると、「目的の許容性、必要性、合理性」については、行政側が積極的に必要性、合理性をしめすことが要請されるというべきである。
(5)本件厳重注意の違憲違法性
 すでに認定した諸事実によると、本件厳重注意については、そもそもその合理性を疑わせる事情が認められるといわざるを得ない。
 まずそもそもの焦点であった七生養護学校の性教育「心と体の学習」については、その不必要性・不合理性は即断できないこと、むしろ逆に、教育内容に合理性あることをうかがわせる事情が多いことは、すでに述べたとおりである。
 七生養護学校は知的障害児に対する教育を目的とする養護学校であり、特に専門性が強く、また十分な教育効果をあげるためには教育現場の要請を重視する必要性が特に強い。このような知的障害児教育に関する教育の自由の特殊性からみると、普通学級の教師について考える以上に現場教師の自由を尊重すべき要請が強く、その点も介入の合理性判断の際には十分に斟酌されるべきである。
 また、行政(都教委)例の対応についても、介入の合理性について十分な反論・立証があるとは認められない。この点について今回の人権救済申し立てに基づく調査の際に都教委側に対し反論・立証のための機会は十分に付与したものの、都教委側の説明は従前発表した書面類を参照するよう述べるにとどまるものがほとんどで、調査に対する誠実性すら疑わざるを得ない対応であった。
 ここでなお行政による介入の合理性を判断するに、行政の反論・立証の骨子を従前の書面類から読み取るに、@学習指導要領に記載がないこと、A生徒の発達段階にそぐわないこと、の2点が大きな理由と思われる。
 しかしこれに対しては、学習指導要額の法的性質が「大網的基準」(旭川学テ判決)であることからして、学習指導要領に記載がないことはそれだけでは介入を可とする理由にならないことは明らかであり、当蔵内容の合理性を個別に検討する必要がある。
 そして当該内容の合理性についてはすでに述べたとおり、その教育内容の合理性をうかがわせる事情は複数認められるのに比して、その不合理性の十分な反論・立証はなされていないと認めざるを得ない。
 このように検討すると、七生養護学校における性教育「心と体の学習」について今回都教委がなした「厳重注意」による教育内容への介入は、その介入の合理的根拠が示されているとはとうてい言えないものであり、教師の教育の自由、ひいては子どもの学習権を侵害するものとして、憲法26条に違反の疑いが極めて強く、教育基本法10条等に違反する違法なものといわなければならない。

第7 教材等の原状回復の必要性 (略)

第8 結論
 (略)

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2005/2/24

東京弁護士会が都教委に警告=性教育バッシング(1)  ]平和
東京七生養護学校への性教育バッシングと教職員への処分に対して東京弁護士会が都教委に人権侵害を「警告」(抜粋)

        全文はこちらでご覧になれます。


2005年1月24日
東京都教育委員会
教育長 横 山 洋 吉 殿
                                       東京弁護士会
                                       会長 岩 井 重 −

                        警 告 書

1 東京都教育委員会(以下「教育委員会」ともいう。)は、2003年9月11日東京都立七生養護学校(以下「七生養護学校」という。)の教員に対して行った厳重注意は、「不適切な性教育」を理由にするものであって、このことは子どもの学習権およびこれを保障するための教師の教育の自由を侵害した重大な違法があるので、これらを撤回せよ。

2 教育委員会は、同委員会に保管されている七生養護学校から提出された性教育に関する教材一式を、従来保管されていた七生養護学校の保管場所へ返還し、同校における性教育の内容および方法について、2003年7月3日以前の状態への原状回復をせよ。

3 教育委員会は、養護学校における性教育が、養護学校の教職員と保護者の意見に基づきなされるべき教育であることの本質に鑑み、不当な介入をしてはならない。

                        警告の理由

第1 子どもの人権救済申立の内容

 当会が受理した2004年1月7日付申立人山田洋次、小山内美江子、斉藤貴男、川田悦子、堀尾輝久、蔦森樹、朴慶南ほか総数8125名にかかる「子どもの人権救済申立」の内容は、以下のとおりである。

1 事案の概要
 七生養護学校においては、同校における知的障害を有する子どもたちへの性教育の内容、方法について、10年以上前から、学校内に研究会を設けて教職員が調査、研究を重ね、保護者の意見も聴取しながら、カリキュラム、教材の開発を行ってきた。
 同校の性教育の実践については、外部にも報告され、評価を受けてきた。
 2003年7月2日、東京都議会において、小中学校、養護学校における性教育についての質疑が行われた。7月4日、教育委員会と、東京都議会議員(以下「都議」ともいう。)3名、日野市議会議員2名が七生養護学校を訪問し、性教育の内容、方法について、校長、教頭らから事情を聞いたうえ、同校の保健室に保管されている教材を提出させ、調査した。この際、同行した新聞記者が同校内に立ち入り、これらの教材を並べて写真撮影し、翌日の新聞に記事として掲載している。
 教育委員会は、これらの教材を同校校長から提出させて、委員会にて保管している。
 また教育委員会は、7月9日、同校の教職員全員からの事情聴取を実施した後、「都立盲・ろう・養護学校経営調査委員会」を発足させて、不適切な性教育が行われていたこと、学級編成、服務規程違反の実態があることの報告を受けた。同年9月4日、教育委員会の指導にしたがい、性教育全体計画が作成され、保護者への説明がなされた。9月11日、教育委員会ほ不適切な性教育や服務規程違反などの理由により、七生養護学校の教職員を含む学校管理職37名、同教員等65名、教育庁関係者に対し、停職、降格、減給、戒告、文書訓告、厳重注意などの処分を行った。
 教育委員会は、七生養護学校において行われてきた性教育の意義、必要性、効果などについて、現場の教員や保護者の意見を十分に尊重することなく、これを不適切として、同校教職員や保護者によって、開発されてきた教材の使用ができないようにし、性教育の内容を大きく変更することを処分をもって強要した。
 これらの事実は、知的障害を持つ子どもたちに、性についての正しい知識を獲得し、心と体の大切さを学ばせたいとする教員および保護者の教育権を著しく侵害し、これらの教育を受ける子どもの権利を侵害したものである。


2 申立の趣旨
   申立人が求めた申立の趣旨は、以下のとおりである。
1)人権侵害の事実
 東京都立七生養護学校において、隣接する都立入所施設七生福祉園や通学生の保護者と話し合いを重ね、何年間も試行錯誤しながら進められてきた性教育「こころとからだの学習」について、東京都教育委員会は、
(1)十分な調査をすることなく一方的に不適切等と非難し、
(2)教材を没収し、教材の使用を禁止して授業をできない状態にさせ、
(3)不必要かつ執拗な事情聴取等を行うなどの事実上の圧力を加えて教師らを萎縮させ、指導を困難にし、
(4)校長職にあった教員を降格にするなど不当な処分を行い、また、このことによって事実上当該教育を継続できないようにし、
(5)報道機関の適正を欠く取材を許し、また事実に反する報道を放置し、正当な批判・抗議をしない不作為により、生徒の教育を受ける権利及び名誉、保護者の子どもに対して教育を行う権利及び名誉、教師の教育の自由及び名誉を侵害した。

2)以上の人権侵害に対して、東京都教育変異会に対して
(1)@没収物について早急に返還をすること
  A教材くからだうた等無形の教材も含む)の使用禁止の処置を早急に止めること
  B元校長ら職員に対する不当な処分を撤回すること
  C報道機関の真実に反する報道に対して是正を求めることの勧告を求める。
(2)@教師らに対する不要な事情聴取等による圧力を加えることのないこと
  A報道機関に対する偏ぱな対応をしないことの警告を求める。

第2 調査の経緯及び内容

2004年1月 7日
 人権救済申立を受理後、子どもの人権救済センター第3部会が配点を受け、両性の平等に関する委員会及び高齢者・障啓者の権利に関する委員会委員の参加を得て、調査部会を組織する。

2004年3月19日
申立人代理人からの事情聴取
 申立に至る経緯、申立の趣旨の補足説明等を聴取した。
 申立人が不当と主張する処分について、都数委は「不適切な性教育」と「服務規程違反」を理由としているが、部会としては、申立人が「不適切な性教育」が処分の理由とされたことを問題としていることを確認した。したがって、部会の今後の調査についてはこの点に限定して行うものとし、「服務規程違反」の有無、当否等については、調査を行わないこととした。

2004年4月19日,同月30日
申立人保護者、子ども及び申立人教職員からの事情聴取
 申立人保護者及び子どもからは、七生養護学校で行われていた性教育授業の模様、保護者及び生徒の同授業に対する評価を聴取した。
 申立人教職員からは、自ら或いは他の教職員が実践していた七生養護学校における性教育の内容、同校の取り組み姿勢、保護者の性教育に対する考え方の確認方法、対外的な評価、今回の処分等についての経緯等について聴取した。

2004年5月T2日
東京都教育委員会からの事情聴取等
 七生養護学校の教職員らに対する処分等の根拠、2003年7月の同委員全委員及び都議の同校訪問の経緯及び訪問時の状況等につき聴取したが、前者については「都立盲・ろう・養護学校経営調査委員会報告について」「都立首・ろう・養護学校の不正問題に対する懲戒処分等について」等に記載のとおりであると繰り返すばかりであり、性教育を不適切と判断した根拠について十分な回答を得られなかった。後者については、都議の調査権に基づくとし、都教委として独自の立場に基づくか否かは明確ではなかった。

2004年5月18日
 七生養護学校における同校現副校長、事務室長及び教職員らからの事情聴取
 副校長及び事務室長からは、従前の同校の性教育実践の内容及び学校側の方針、2003年7月の都議及び教育委員会の来校時の状況等について聴取を試みたが、詳細は東京都教育委員会から聞いて欲しい、それが正しいとの返答であり、実質的な回答をまほとんど得られなかった。
 教職員らからは、今回の処分等以前に受けた調査の内容、都議来校以後の同校での性教育実施の制約状況等について聴取した。

2004年5月29日
 東京都教育委員会への書面による再質問
 前記のとおり、東京都教育委員会及び七生擁護学校から実質的な回答が得られなかった事項が相当あったことから、書面により、2003年7月の七生養護学校への訪問の経緯、訪問時の状況、性教育ないしその教材について不達切と判断した根拠等について再度質問した。

2004年6月4日
 上記質問に対する東京都教育委員会からの回答
 現在七生養護学校に関して訴訟が提起され、係争中であるため、回答を差し控えるとの回答であった。
2004年8月6日
 束京都議会議員らへの面会申し入れ及び書面による質問
 同月20日に都議らの代理人弁護士より連絡があり、面会に応じるか等検討するとの回答を得た。

2004年10月19日
 上記に対する回答
 事情聴取に応じることはできないとの回答であった。その理由として、第1に七生養護学校の視察は都政及び市政調査権を行使するため議員として活動する権能と義務があるが、その範囲内での行為であること、第2に本件では既に申立人らが東京都教育委員会に対して提訴していると聞いており、個別の回答は適当でないとのことであった。

策3 認定した事実 (略)

第4 七生養護学校の性教育について (略)

(続)

2005/2/23

◆立ち読み『藤田勝久未刊の大作?』21  [藤田の部屋
(続き)
・ 私も15年ほど前に聴取を受けたことがある。
  初任研反対のトラブルであった。

  すべての質問に黙秘した。黙秘とも言わずに黙秘した。
  一つの質問を管理主事が読み上げすぐにこれは割愛すると言った。
  書記の役割をあいていた主事が「割愛」ってどう書くんですかと聞いた。
  聴取を終わってドア出るとき、「かつあいぐらい知っておけ」、とつい喋ってしまった。
  若かったせいもあるが余計なことを言ったものだと今にして思う。

  (ここに弁護団作成の文書が入る)
  (前の掲示板の項は、このあとあたりに?)

★ 3月28日(日) T,B,S  報道特集(17時半〜) 土屋を追いかけ、元教員の退場シーンを放映

・3月11日、卒業式にTBSが来ていた。
 校長は都教委の推薦なので全体を撮らせたかったが教職員が反対した。会議が持たれ開式5分前の9時55分には会場を出るということになった。
 さらに当日になって緊急の打ち合わせがもたれ10時までには出るとなった。誰もが開式の遅れは当然のことと認識していた

 反対の一つの理由は、カメラに向かって卒業生がはしゃいでおかしなことをやるのではないかとの懸念である。それでカメラはグランド方向に立ち去る。それを確認して遠くに待機させている卒業生の誘導をはじめるということにしたのである。

 偶然開式前の状況を録音、撮影したTBSは報道特集の中でそれを使った。「教員は起立しないと処分されます。できましたら着席お願いします」との説明の最後の結びの文句をTBSは録音した。
 音を拾った時には都議の入場を撮っていたために、教頭がやってきて私に「もう終わったよ」と言われ、さらにその後校長が来て突如、「退去せよ」と言った場面は撮れていない。
 そのため編集によって私の声だけのテープは、そのあと撮った参列者の着席している場面にかぶせて放映された。
 その場面はすぐに、校長が「退場」と言ったあと私のそばに来て立っている情景へと切り替わる。そこから撮れたからである。
 この流れでは私の最後の言葉、「お願いします」の直後に教頭、校長、元教員がならんで立っていることになる。

 テレビとは編集によって如何様にも見せることができるものだとつくづく思った。実際にその場にいて体験している者でなければこのカラクリは理解できない。言葉で説明しても無理だろう。私が第三者の立場でこれを見たら、喋っていて突如取り押さえられたように見たと思う。

 ついで式場・体育館を出てのシーンに移る。そこでも校長、教頭、私とさらに他の人も映っていてなにやら揉めているように見える。実際は会場からやってきた保護者の男の人に私が「騒いでいるのは、校長・教頭ですよ」、と説明して納得してもらっている場面である。その方はあっさりと理解して戻って行ったのだが。カメラに映るということは想定していなかった。

 来賓入場前に話を終えるつもりで、実際は入場とともに終わったのであるが、突如、「退去せよ」と言われるとは思いもかけないことであった。こんなことなら礼服でと後から思ったが時すでに遅しである。
 実施指針に「服装」まで書いてあることに反発しての普段着姿であった。これじゃあ、印象が良くないよ。

 傑作だったのは、編集がフイルムを刻んでしまうせいかよく分からないのだが、土屋都議が式場に入ったあとに私が式場に入るシーンが放映されたことだ。
 誰も気がついていない。これは早くに来たカメラマンが都議の来校前に会場にやってきて偶然私が入って行くうしろ姿を撮ったのだ。9時半以前の出来事である。
 私も式場を早くに見に行った。放映どおりに出来事が起こったとしたら、都議は私でない別の人物が式場中央にいたのを入場した瞬間に目撃したこととなる。

 編集というのはおそろしものだとあらためて実感した。日頃ニュースを、見た通りにああこんな風であったのかと思っている。自戒せねばならない。

・ だいぶ印象が悪かったのであろう。 掲示板にもいくつかそれに触れている。

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 見た見た   投稿者  うさぱん  3月28日(日) 17時ーーーー

  TBSの「報道特集」見ました。 あの土屋っていう都議はイタイやつだね。 
板高の卒業式をモルモット扱いしやがった。 あたかも藤田のオヤジが「妨害者」になっていたのは非情に残念でならない。 こりゃ何とかしなきゃ・・・。

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 本当ですよね・・・。   投稿者   なんだなんだ  3月26日(日)  20時ーーーー

  先生お久しぶりです。 卒業生です。
 板橋高校の卒業生を名乗って、報道特集の番組制作者?という方とお話しました。
 電話口に出たのは若い男性でした。
  意見を聞くという形だったのでこちらの思いばかり伝える事になってしまいましたが、
 わかったことは「いろいろな学校の卒業式に取材に行ってその中で板橋高校を番組に出した」
  ということと「メディアとしてはどちらの肩を持つということも出来ない。
  両方の思いを報道しようとしたときに、あの場面は必要だった」と言っていました。
  学校を、先生をあんあ出し方しないで欲しいという意見には 「不快な思いをさせてしまい申し訳なかった」ということでした。
  TVや新聞、そういうところから人々は情報を得る。 そしてその力の大きさを
  番組担当者等はもっと意識しないといけないのではないかと思います。
  まぁ放送会社にも組織があって番組担当者も意見が言えないような立場にあるのかもしれませんが・・・。
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(続)

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2005/2/22

参院憲法調査会公聴会(2)  Z国際人権
※「憲法の理念が現実を批判する道具として正常に作用しているか」という観点から、特に平和の問題について申し上げたいと思います。
 現在の日本は、アジア・太平洋戦争における敗戦から再生しました。日本国憲法は、大日本帝国憲法が戦争を起こしたことの失敗をリアルに認識し、これを真摯に反省するところから生まれました。
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないやうにすることを決意し」て、恒久平和主義が憲法に明記されたのです。「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」というのが憲法9条2項。これが、改憲問題の焦点であることは、共通の認識であろうと思います。
 恒久平和主義は、この地上から戦争をなくそうと努力を傾注してきた、国際社会の良心と叡智との終局の到達点にほかなりません。
 ヨーロッパ社会に国際法ができて以来、聖戦論から無差別戦争観の時代を経て、侵略戦争違法論、戦争手段の違法化という大きな潮流が形成されてきます。
 第一次大戦後の国際連盟憲章、そして不戦条約の締結、さらに第二次大戦という戦争の惨禍を各国が経験した後に国際連合ができます。国連憲章は原則として戦争を違法化しましたが、例外を設けています。一つは締結国が武力攻撃を他国から受けた場合に、安保理が有効な手立てをするまで間に合わない期間はやむを得ないものとして自衛権の行使を認めます。もう一つは国際連合が主導して制裁措置をする戦争。国際連合憲章は戦争を完全に否定せず、武力による平和という観念を、例外としてではあるがまだ残しています。そのあとに日本国憲法ができて、恒久平和主義を取り入れた。
 国連憲章と日本国憲法成立の間に何があったか。ご存知の通り、広島・長崎の悲劇です。核の恐ろしさを人類が知って日本国憲法ができました。
 夢想された憲法ではなく、実際に第76帝国議会の議を経て帝国憲法の改正として日本国憲法が成立し、9条も採択されました。
 私は、人類の叡智が一国の憲法に盛り込まれたものと考えます。人類史上の偉業と言ってもよい。これまで、人類は憎悪と報復の悪循環の中で戦争を起こしてきました。相手が軍備を増強するからには、こちらも軍備を拡大しなければならない。こちらは「備えあれば憂いなし」「自国の軍備は防衛のため」と思っていても、隣国はそのようにはとらない。「あちらの国の軍備は、こちらへの攻撃のためではないか」「こちらも自衛のための軍備を拡充しなければならない」となります。
 お互いに、「自分の国の軍隊は良い軍隊、よその国は悪い軍隊。よその国は攻めてくる可能性がある。だからそれをうちの良い軍隊で防衛する」という、こういう発想から抜けられないのです。お互い相手国にまさる軍備を持たないと安心できない。この悪循環を断ち切るためには、軍備を持たないということが一番。憲法9条は、これを宣言しました。これまで、日本は少なくとも専守防衛の姿勢をアピールして、軍備は抑制する方向に舵を切ってきました。
 この偉大な人類の叡智を投げ捨てて、普通の国にもどってしてしまおうということは、まことに残念な人類史に対する裏切り行為だと思います。

※私は、憲法ができて半世紀を経た今、「理念としての恒久平和主義が妥当しない国際社会になったか、そのように国際社会は無法化してきたか」と自問してみて、けっしてそうではないと考えるものです。
 むしろ、武力による平和の試みのの失敗、あるいはその無力が露わになってきていると考えざるを得ません。パレスチナの悲惨、ベトナム戦争やイラク戦争における大国の介入の失敗を見れば明らかではないでしょうか。

※憲法の理念と現実とは、緊張関係にあります。理念を変えることは、当然に現実をも変えることになります。
「これまでも、9条2項の下で自衛隊が生まれ育ってきた。9条2項を削除したところで、現実は変わらない」という意見もあるようです。私は、これは楽観に過ぎると思います。
 1999年の145国会は、「憲法受難国会」というべきものでした。ここで、国旗国歌法が成立しました。よく知られているとおり、国旗国歌法は定義法でわずか2箇条。国旗国歌に対する国民の尊重義務は規定されていません。元東大学長だった文部大臣を初めとして、政府答弁では繰りかえし、「この法律によって国旗国歌が強制されることはない」「これまでとまったく変わることはない」と言われました。
 しかし、現実はどうなったでしょう。その翌年、2000年の春から、教育現場はガラリと変わりました。各地の教育委員会が卒入学式での国旗国歌の強制に乗り出し、ついには大量処分、そして法廷闘争にまで発展しています。今「日の丸・君が代」強制を憲法違反として提訴している教職員は400人に近いのです。ついには園遊会で、天皇に「日本中の学校に国旗を上げて国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」と話しかけた教育委員まで現れたのです。
 いま、「9条2項あってなお」の自衛隊の存在です。9条2項の歯止めを失えば、装備、人員、予算、作戦、いずれの面でも軍事が大手を振るうことになることは自明ではありませんか。

※憲法9条あればこそ、集団的自衛権はまだ否定されています。海外での武力行使はまだまだできません。できることは、せいぜいが武力行使とは一体とならない後方支援活動の範囲。国連軍にも参加はできません。これまで、自衛隊員が戦闘で人を殺したり殺されたことはありません。日本が紛争の火種となる事態もありません。これは憲法9条の理念が今まだ、現実を批判しリードする機能を持っている証拠だと考えます。
 憲法典という法律があるからというだけではなく、国民の平和意識・国民の平和運動と結びついて今これだけのことができている。
 仮に9条が改正されるようなことになったら、つまりは理念を現実側に押し戻せば、現実はさらにおかしなことになってしまう。この憲法9条、特に2項は守らなければならないと考えています。

※また、アジアの近隣諸国民にはかつての皇軍復活の悪夢と映ることになるでしょう。
 「憲法9条は、アジア・太平洋戦争における被侵略諸国民への国際公約だ」と言われます。まことに、そのとおりだと思います。ドイツと違って、戦後責任の清算をきちんとしてこなかった日本が9条改憲を行うということは、日本が憲法制定時の初心を忘れ、戦前と同じ間違いを繰り返すことになりはしないかと、諸国民に疑念をいだかせることになるでしょう。結局、アジアに軍事的緊張をもたらすことになります。けっして、得策ではありません。

※なお、国際貢献を根拠とする9条改憲論があります。「他国から攻められたらどうする。そのときのための軍隊は必要ではないか」という議論は、今は下火です。日本は大国なのだから、相応の国際貢献をしなければならない。そのために、海外に出て行く軍隊が必要だというのです。平和を乱す「ならず者」がこの世の中にいて、ならず者に制裁を加える為に軍備が必要だというのです。私には、何の説得力も感じられません。
 内政不干渉は、国際法の大原則です。憲法9条を持つ日本が、海外で武力を行使しなければならない謂われはまったくありません。また、武力によらない国際貢献の方法は、いくらでもあるではありませんか。
 とりわけ、国際紛争の根源は貧困、差別、そして情報や教育の不足です。これらの根本問題解決のために、日本が人も金も出すことは、現行憲法が推奨しているところだと思います。改憲までして、他国に派兵する必要はありえません。
※既に今、軍隊の存在は既成事実化し、装備の高度化が進行しています。復興支援活動名目での海外派兵までが現実となり、武器輸出三原則の見直しや、集団的自衛権行使の必要が語られています。
 また、政府を批判する言論は、些細なことでも刑事罰の対象となる現実があります。再び、国策批判の言論を封じ込めて、国の支配による教育を強行することによって、軍備や戦争に慣らされた国民が作られようとしています。
 このような事態での憲法「改正」は、日本を「歴史的な失敗の道」に本格的に踏み込ませるものにほかならず、どうしても反対せざるを得ません。

2005/2/22

参院憲法調査会公聴会(1)  Z国際人権
9条改正に賛否両論

 参院憲法調査会は21日、中央公聴会を開き、公募した学者や県議らが憲法をテーマに意見陳述し、9条改正について賛否が割れた。
 永久寿夫PHP総合研究所本部長は「国際協調が求められる中、憲法解釈で自衛隊がいろんなことをやるのは限界がある」と改正の必要性を強調。東大大学院生の高見康裕氏は「集団的自衛権の行使も明記した方がいい」と述べた。これに対し日本民主法律家協会の沢藤統一郎事務局長らが「歯止めの9条は守らなければならない」などと反対意見を表明した。
 国会や内閣の在り方については、法大の五十嵐敬喜教授が「直接民主主義を前提に、大統領制もあらためて考えるべきだ」と主張。これに対し、小田春人岡山県議は「直接民主主義は混乱に拍車を掛ける場合もある。住民投票は極力抑制的な運用が望ましい」と述べた。
(共同通信) - 2月21日21時22分更新

参議院憲法調査会での公述原稿  
  澤藤統一郎弁護士の日記です。
  http://www.jdla.jp/jim-diary/jimu-d.html
2005年02月20日(日)

※私は、弁護士として30年余の職業生活を送ってまいりました。その実務の経験を通して、現行日本国憲法は擁護すべきであり、改憲には強く反対という見解をもっています。本日は、その立場から、意見を申し上げます。
 私は、現行憲法を、人類の叡智の結実と高く評価しています。
 もっとも、日本国憲法をこのうえない理想の憲法と考えているわけではありません。個人的に希望を述べれば際限はなく、細部にいくつかの不満を持ってはいます。国民一人ひとりが異なる国家観・社会観・人生観を持っている以上、国民の数だけ理想の憲法があり得ます。万人が完全に満足とはなり得ません。もともと、憲法というものは、国の骨格を定めるもので、肉付けは日々不断の努力を積み重ねていくことになります。私が、現行憲法に不満に思う諸点は、肉付けの問題として十分にカバーできる範囲のものと考えています。
 むしろ、憲法の細部にこだわり、枝や葉に対する不満を是正しようとすることが、根や幹の部分の改正論議を後押しすることになりはしまいかと、危惧せざるを得ません。
 現実的に考えれば、一国の実定憲法として、これだけの内容を持った憲法があることはまことにすばらしいことだと思います。この優れた憲法を軽々に変えてはならない、そう考えています。

※現行憲法を優れていると考える根拠は、何よりも遅れた現実を批判する道具として極めて有効だからです。
 憲法は規範ですから、常に現実とは距離があります。現実の先にあって現実を批判し、現実が進むべき方向を指し示すことがその役割です。そのような規範として現行憲法はまことに優れものだと考えます。
 かつて私は、ある地方銀行の女性行員に対する賃金差別裁判を担当したことがあります。この裁判で、銀行側は、「男性が主たる家計の維持者であることは現実であり、社会通念でもある。だから、家族手当や世帯手当は男性には支給するが女性には必ずしも支給の必要はない」と言い切りました。確かに、このような現実や社会通念があるのかも知れません。しかし、その遅れた現実を批判する、あるべき基準として憲法14条があります。一審・二審とも、女性行員が勝訴を得ました。そして、銀行の賃金規定も変わりました。まさしく、憲法が現実批判の道具として働き、現実をリードした分かり易い事例です。このとき、私は憲法の役割を明瞭に認識しました。

※当然のことですが、人権も、平和も、民主主義も、憲法に書き込んであるからと言って、既に実現されているものではありません。理念と現実とは別物。実は、国民一人ひとりが憲法に明記された理念の実現に努力していくこと、言い換えれば現実を理念に近づけることが要請されています。そのような国民の行動や運動がともなって、初めて憲法は意味のある存在となります。
 理念と現実との齟齬は至るところにあります。
 政教分離という確固たる憲法上の原則がありながら、首相や都知事による靖国神社への公式参拝は毎年反省なく続けられています。
 憲法19条には思想・良心の自由が明記されているにもかかわらず、教育現場では「日の丸・君が代」の強制がまかりとおっています。
 憲法には両性の平等が謳われていますが、職場で家庭で教育の場で平等は実現されていません。むしろ、ジェンダーフリーという思想が攻撃されている実態があります。
 政治的表現の自由はもっとも尊重されるべきであるにもかかわらず、イラク派兵反対のビラ入れが住居侵入ということで逮捕され、勾留され、起訴にまで至っています。マンションで政党のビラを撒いたことがまた同様に弾圧されています。
 憲法では検閲が禁止されているのに、公共放送の幹部が与党の議員に事前に番組の内容を報告し、その議員の意向に添う形で番組の改変が行われたという醜悪な事実も明らかとなりました。
 これらの本来あってはならない、遅れた現実を、批判する鋭利な道具として、憲法はさらに研ぎ澄まされることが必要だと思います。今必要なのは、憲法を改正することではなく、憲法をより良く使いこなし、憲法の掲げる理念を実現することなのだと思います。
 今、声高に憲法改正の必要を唱えている人の多くは、憲法によって批判されるべき側の人々ように思えます
(続)

2005/2/21

卒業式前『決起集会』  X日の丸・君が代関連ニュース
澤藤統一郎弁護士の日記です。
http://www.jdla.jp/jim-diary/jimu-d.html

2005年02月19日(土)

また、重苦しい季節が近づいてきた。今期の卒・入学式での「日の丸・君が代」強制に対して、したたかな抵抗を続けていかなければならない。本日午後に「三者決起集会」。三者とは、「予防訴訟をすすめる会」「被処分者の会」そして、「被解雇者の会」。

疲れていることを自覚する。睡眠不足でもある。今日は取り立てて私の出番はないのだから休みたいという気持ちもないではなかった。が、現場の教員はそれこそ良心を掛け、人生を掛けての闘い。それに私より一回り年嵩の尾山宏弁護士が頑張っておられる。土曜日を休むなんて贅沢が許されるはずもない。

「首都圏ネット」「学校に自由の風を」「神奈川予防訴訟をすすめる会」の連帯挨拶で元気が出る。現場で抵抗する教員への連帯が広がっていることがまことに嬉しい。みんなの確信になっている。

その挨拶を聞きながら考える。問題の本質は、おそらくは「国旗・国歌をめぐる思想の攻防」にあるのではない。教育に対する管理・統制に対する闘いなのだ。教育とは、本来管理や強制になじむものではない。行政の支配から独立して初めて、人間の尊厳を目指す教育が可能となる。これに対して、石原教育行政が行っているものは、がんじがらめに統制して上からの指示のままに動く物言わぬ教員を作ろうということ。それを通じて、物言わぬ国民を作り出そうということ。

既に校長と教頭は、ロボットになってしまっている。まだ、ロボットにならない教員は、ロボット化するか追い出すか。学校を、ロボットによるロボット製造工場としようというのが石原構想ではないか。

教頭の会合では、「式の最中に生徒が不起立の事態となったら、式を中断して起立すべく指導し、しかる後に再開する」よう指示があったという。世も末の感が深い。が、やっぱり負けてはおられない。また元気を出さなければならない。

集会場で、1月20日の広島地裁判決を見せてもらった。広島高教組の支部が、広島県に勝訴した認容判決。
事案は、教組が教研集会開催のために公民館の使用を申し込んだのに、使用を拒絶されたことに伴う損害賠償請求。4支部に、合計250万円ほどの賠償を命じている。

公民館使用不許可の理由として、被告が持ち出した理屈が、「教研の実態は、教育行政批判で、学習指導要領に反するもの」というもの。そのために、教育行政や学習指導要領批判は許されないのか、ということが争点となった。これに対する判決の内容は以下のとおり、極めて真っ当である。

教研集会が教育行政研修とは異なる自主研修である以上、そこでの議論内容の中に教育行政側の意見と食い違う点が出てくることはむしろ一種の必然である。そのような意見の相違が一定程度存在することについては、民主主義社会において教育活動の多様性を確保する観点からは好ましいと見るべきであり、意見の相違点について積極的・建設的な対話を重ねることができれば、全体としてより一層の教育の発展を図ることができるはずである。教研集会の内容が県教委の教育方針と食い違うことを理由として自主研修の意義が否定されるべきでなく、まして教育上の支障が生ずるおそれにつながるとい うことはできない。
被告は、教研集会で学習指導要領や是正指導に反対する内容の議論がなされていることを特に強調する。しかし、学習指導要領自体もまた時代の流れに即応して度々大幅な改訂がなされていることは周知のことであって、現行の学習指導要領も将来にわたり不変のものとはいえない。このようなことを踏まえれば、学習指導要領の法的拘束力の有無にかかわらず、教職員が教研集会の場で学習指導要領や是正指導について批判的な観点を交えて検討することは教育研究の発展を図る観点からも許容されるべきことである」

われわれの担当する訴訟でも、早くこのような勝訴判決を得たいものである。



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