1月21日、土曜日。
大雪。
こんな日に外に出るやつは負け組か、あるいは犬であろう。
そしてそんな中、33歳学生が秋葉原で買い物をした帰りに、貢物を持ってやってくる。
のはずが、やつは部屋に来てかばんをあわてて探り出し、言ったもんだ。
「すみません、持ってくる予定のエスカフローネを忘れました」
するとなにか。君はただ、うちにご馳走を食べに来たわけ?
ちなみに今日の晩御飯はおでんだけど。
多少なじったが、なじったところで忘れ物が出てくるわけでなし、適当なところで勘弁してやる。
ちなみに33歳学生の母君は、肺がんで3年前に亡くなられている。
なのでうちの母親は、なるべくうちに来たときにはうちのご飯を食べていってもらいなさい、と言っているわけなのだが。
そしてネット環境のない33歳学生は、俺の端末で、所沢市の社会福祉関係情報の調べ物を始める。
やっぱり今の大学生は、ネット環境がないときついみたいね。
そして画面を見ながら、
「そういや君、ラスベガスにいったんならカナダまで行ったの?」
と、訳の分からないことを言い出した。
「は?ラスベガスは南の方だぞ」
「え、そうだっけ?」
そこで俺は、
「これをニューヨークとするだろ、するとロサンゼルスがここでな、ラスベガスはこっち」
と、茶碗をその位置に置いて説明する。しかし、いまいち反応が悪い。
こいつ、教養はあると思っていたのだが、一般常識は弱いのだ。
そのあたりを責めてみる。
「つか、お前は自分の好きなものへの興味はあるけど、それ以外への情報へはそっけないよな」
「うーんまあ、そうかな」
「情報ってのは本を通してみるだけじゃ、その本の筆者のフィルター越しでしか伝わらないんだぞ。たとえば俺はタイで、両足のない物乞いが、白人にポーズを要求されてポーズして写真を撮られてお金をもらうというのを見ている。それについてお前はどう思う?」
「いや、君がそれについての感想を求めているのでなくて、そういう現実が、その場にいない人にとってはそれを報じた人のフィルター越しに感じるしかないって言っているのはわかるよ、でも」
というわけで、文献越しの現実しか見てない33歳学生に、現場主義、とりわけ旅行の大事さを語る俺なのでした。