8月27日、日曜日。
本日は手近な所の山にハイキングがてらのウォーキングに行こうと思っていたのだが、朝起きると大変からだが重かった。
おそらく、筋肉が疲労しているものと思われる。
というのも、ここのところ、マッスルトレーナーで毎日1時間のウォーキング。
さらにはEMSトレーナーおよび体幹トレーニングなどその他筋トレにより、満遍なく体中の筋肉を鍛えている。
疲労が蓄積するのも道理であろう。
なので本日は家で静養することとして、ついでに明日はまっつんとの会合で
「最近、有力になってきた邪馬台国畿内説を検証する」
というテーマで討論することになっているので、畿内説と北九州説について最新の理論を調べることにした。
畿内説と言うのは、奈良県桜井市三輪山近くの
纏向遺跡(まきむく遺跡)を邪馬台国の都に比定する説。
最近の発掘の成果により、前方後円墳の発生時期が三世紀前半にもさかのぼり、そして前方後円墳は畿内から九州、東北へ伝播していった、という物証が多く出土した。
つまり、物的証拠から、当時の日本の中心、少なくとも文化の中心は畿内にあったというのが明らかになってきたのである。
これに対し北九州説。
北九州には畿内ほどの遺跡は出土していない。
しかし、北九州に邪馬台国があったとした方が、魏志倭人伝の説明に矛盾なく位置関係を説明できるの、ということだそうだ。
つまり、証拠は文献であり、実際にフィールドワークをしないアマチュアが唱えやすい説であるとも言える。
ちなみに北九州説を唱えているのは推理作家である松本清張や、本来は思想史研究家の古田武彦。
なるほど、ここまでの経過を展開すると、素人の唱える北九州説と、プロの唱える畿内説、どっちが正しそうかと言えば、畿内説だろう。
ちなみにこれまでの俺とまっつんの立場は
畿内説:まっつん(文学部で古代史履修。専門は万葉集)
北九州説:俺(法学部で行政法を履修。専門は憲法の判例)
という、実に分かりやすい構図だったりする。
しかし、俺も魏志倭人伝とか古事記の天孫降臨、神武東征のくだりとかをもとに、
「天皇家の祖先は九州出身」
と言っているだけで、別にそれにこだわっているわけでもない。
ただま、これまでの二節の対立の経緯を見ていると、北九州説を唱える人も、畿内説を唱える人も、真実を知りたい、という純粋な探究心ではなく、北九州にあってほしい、畿内にあってほしい、という仮定というよりも願望で、調べているような気がする。
仮定を前提にそれを裏付けるための調査は学問の王道なのだが、その過程が願望となっては、結果出てきたものを客観的に分析できるのかどうかは疑問。
また、捏造などはさすがにしないだろうが、自分に不利な発掘物とかを闇に葬ることとかしないだろうか。
例えば、畿内説が京都大学を中心としていることは、なんとなく畿内中心史観の恣意的な調査であるような気がしないでもない。
また、北九州説の古田武彦氏は、論拠の一つとしてきた『
東日流外三郡誌』が偽書であることを認めてない。
んで、それ以外の人たちのいろいろとホームページを見てきたんだけど、結構感情的になって、お互いを皇国史観と罵ったりとか、相手側の人間性を否定してみたりしてたりとか、やや脱線気味な論調のところが多かった。
まあ、そのへんの危うさが、古代を語るロマンなわけかもしれないけど。
今日のところはとりあえず、
古田氏の唱える
九州王朝説には完全にはうなずけないけど、当時の日本が一つでなくて、その中のどれかの国が日本の王を自称して魏に使いを送ったという部分。
近年の発掘調査から、三世紀前半の文化の中心が畿内であったっぽいという部分。
これらを踏まえて、明日のまっつんとの対決に臨もうかね。