自分たちを取巻く現実から「神は我々の味方なのか」と問う。
そう問わざるをえない現実の生活において、神が共にいるのだという神への信頼が形成され、「イエスは黒人だ」と信仰告白するに至る。
このように生活現実との格闘において生まれた神理解に特徴的なのは、神から来る「力」への信頼だ。
なぜなら、生活の苦しみ、絶望から人を解放し、生活を変革するのは、神の「力」にほかならない。
前に紹介したミルトンが、別の機会に半生を振り返りながら語った。
「俺が、これまでの三十四年間の人生で学んだこと、それは自立した人間になること、力を持たなければいけないということだ。そして、金やこの世の力を持たない時に、人は神から来る力を得る必要があるんだ」
その言葉に対して、横から彼のルーム・メイト、アルバート・ジーが反応した。
「そう、俺たちが人々に伝えたいこと、それはつきつめて言えば、『あきらめるんゃない。そのまま続けるんだ』ということなんだ。それが説教で言いたいことのすべてだよ。なぜなら、神は絶望の中で働いて下さったんだから」
この世の力を奪われた状況において、神から来る「力」を求め、それに信頼を託しながら、人々に「あきらめるんじゃない」と説き続ける福音の使者たち。
末吉高明『黒人文化と黒人イエス』
日本基督教団出版局、1986年、pp.214-215.