聖書 ヨハネ3:1-8
1.ニコデモは律法学者でした。律法に記された掟を全部合わせると600にもなると言われます。ニコデモは、それらすべてを細大漏らさず守るため日夜努力し、そうすることで、自分を神に受け入れてもらおうとしていました。
2.しかし、いくら厳格に掟を守ろうと努めても、心には、けっして満たされない空しさがありました。それゆえニコデモは答えを求め、主イエスに面会したのでした。律法学者としての手前、この挙は、人目をはばかられましたから、夜陰にまぎれて主をお訪ねしたのです。
3.すべての会話がそうであるように、ニコデモは主との会話も、社交辞令から始めようとしました。ところが主は、前置きを全部抜かして、いきなりことの本質に入られたのです。ニコデモの心の内にある「求め」を、主は見抜いておられたのでした。
4.「新しく生まれる」。それが主の答えでした。神の国は、自分を神に受け入れてもらおうと思って、空しい努力を重ねることではありません。自分が、神によって触れられ、新しい命を授けられ、神の豊かな命によって生きるようになる。それこそが、神の国の本質であるのです。
5.わたしたちも「新しく生まれる」よう、招かれています。わたしたちもまた、神に触れられ、新しい命を授けられ、神の豊かな命によって生きる体験を、きょうという日に、持つことができるのです。
6.イエスを自分の人生の主としてお迎えするとき、「新しく生まれる」体験が与えられます。それが、なぜ、どのような仕組みで生起するかは、わたしたちの理解を超えています。それはちょうど、風が目に見えず、どこから、どのように吹いて来るか、わからないのと似ています。
7.しかし、風が吹けば、確かにそれと感じることが出来るように、「新しく生まれる」こともまた、わたしたちが、確実に体験し、確信することができるものなのです。
祈り:主イエスよ。わたしたちも「新しく生まれる」ことができるよう、きょうという日に、聖霊によって、わたしたちに触れてください。アーメン
2005年5月22日(日)三位一体祭
説教要約
説教者 山谷 真 少佐