聖書 マタイ28:16-20
1.ガリラヤ山頂に11人の弟子たちが集いました。そこにいるべきひとりが、欠けていました。イスカリオテのユダです。
2.ユダの心には「イエスは本当に救い主なのか?」という疑いが巣食っていました。その疑いは日増しに大きくなり、ついに、銀貨三十枚でイエスを敵に売り渡したのでした。イエスが十字架につけられると、ユダにはもはや、信ずべきものが何も残っておりませんでした。絶望したユダは、自ら命を断ったのでした。
3.復活の朝を経て、いまガリラヤ山頂に11人の弟子たちが集いました。彼らの眼前に、よみがえられた主イエスが立っておられました。ところが弟子たちは、その目で復活の主を見つつも、半信半疑であったのです。
4.聖書は、弟子たちの中に「疑う者」がいたと明言しています。わたしたちにとって、たとえ自分の目で見たとしても、信じきる・まかせきる・ゆだねきるのは、なかなか容易ではありません。たえず疑い・躊躇・後悔・憂い・悩みが、心をふさぐのです。
5.復活の主を目の当たりにしつつも、なお、信じきることのできない「疑う者」とは、わたしたち自身の姿でもありましょう。
6.そんな「疑う者」に、なんと主イエスは、近寄ってくださるのです。わたしたちのすぐそばまで来て、励ましてくださるのです。「まだ疑っているのか。まだ信じないのか。見なさい。わたしには、天と地の一切の権能が授けられている。」
7.信仰に徹し切ることのできないわたしたち。そのわたしたちに、主は、近づいて、こうおっしゃってくださるのです。「たとえ、あなたが信じることができなくても、わたしはあえて、あなたを信じて、福音を宣教するつとめを、あなたにゆだねよう」
8.主は言われます。「わたしは世の終わりまで、いつも、つねに、あなたと共にいる。だから、勇気を出しなさい」 この主の約束に、励まされましょう。
2005年7月3日(日)三位一体後第六聖日
説教要約
説教者 山谷 真 少佐