聖書 ヨハネ6:1-15
1.お腹を空かせた群集を前に、イエス様は弟子たちに、「この人たちに夕食を食べさせるには、どうしたらよいだろう?」と尋ねられました。場所は人里離れた丘の上で、手ごろな食堂も弁当屋も近所にはありません。
2.男だけで五千人、女と子どもを併せたら一万人にもなる人々が、そこにいました。一人100円で予算しても、百万円はかかるでしょう。「二百デナリでも足りません」というフィリポの言葉は、それ位の金額を意味します。
3.そこにたまたま、お弁当を広げている少年がおりました。おそらく、お母さんが持たせてくれたものでありましょう。目ざとく見つけたアンデレが、イエス様のもとに引っぱって来ました。しかし、「何の役にも立たちません」というのが、アンデレの率直な意見でした。
4.自分の限界というものを、きちんと見極めて生活する、というのが、わたしたちの在り方でしょう。いろいろ試したり、失敗を重ねたりする中で、おのずと「自分はここまでしか出来ない」「これ以上は無理」「自分は役に立たない」という線が、見えてくるものなのです。
5.弟子たちの常識的で合理的な判断に照らせば、五つのパンと二匹の魚が、一万人の空腹を満たすのに、とてもとても足りないことは、明らかでした。弟子たちは、限界を、見極めていたのです。
6.ところがイエス様は、「役に立たないもの」を御手にお納めになって、感謝の祈りをささげられたのでした。
7.「何の役にも立ちません」というのが、わたしたちの、自分に対する、多少卑下を交えた、しかし、正直な自己評価であることでしょう。しかし、役に立たない自分を、わたしたちが主の御手におささげするとき、驚くべきことに、主が感謝して用いてくださるというのです。主が、足りないものに感謝してくださるという、この不思議!
8.役に立たないと思われていたものが、主の御手の中で、感謝と祝福をもって取り分けられたとき、それは、主の御心のままに、十二分に用いられることとなりました。そうして、これこそが、世々の聖徒たちが、繰り返し繰り返し経験し、証言し続けて来た、神の不思議なのです。
2005年7月10日(日)三位一体後第七聖日
説教要約
説教者 山谷 真 少佐