聖書 エフェソ4:25-5:2
1.「神にかたどってつくられた新しい人を着なさい」と、今日の聖書は、わたしたちに勧めます。
2.最初の人間アダムは神に背き、善悪を知る知識の木の実を食べました。その結果、自分が裸であること知ったので、いちじくの葉で覆ったのです。いったい生まれながらの人間は、さまざまな知識で自分を覆って見栄えをよくしようとしますが、それらはしょせん、いちじくの葉に過ぎません。
3.むしろ聖書は「新しい人を着なさい」と勧めます。これは、わたしたちがキリストを信じることにより、古い人間の性質を脱ぎ捨て、「キリストにある新しい人」の性質を獲得できることを意味しています。
4.古い性質に生きる人間は、罪深い行為をあたりまえの自然のように思って、恐れたり恥じたりせずにやってしまいます。しかし、「キリストにある新しい人」の姿が聖書を通して示されると、わたしたちは「神の標準」に気づかされ、自分にとって、罪の赦しと、罪の力からの解放が必要であることを、悟らされるのです。
5.「神の標準」として、今日の聖書は、わたしたちキリスト者が、お互いに愛し合い、赦しあい、助け合うように、命じています。それは、わたしたちが、「キリストのからだ」の肢体とされているからにほかなりません。
6.「神の標準」を、単に自分の力で行っていこうとするなら、それは、わたしたちにとって負い切れない重荷となってしまうことでしょう。そうではなく、わたしたちが、キリストと一体に結ばれ、キリストの「くびき」につながれて歩むことによって、また、わたしたちがお互いに「キリストのからだ」であると自覚して生きることによって、聖霊の力が与えられ、「神の標準」を生きることが出来るようにされるのです。
7.キリストに結ばれたわたしたちお互いが、「キリストのからだ」の肢体であるとの自覚をもって、愛し合って生きて行く。これこそが、神がわたしたちに求めておられる生き方です。そのためにこそ、主イエスは十字架について贖いの代価を支払ってくださったのです。
2005年10月30日(日)三位一体後第二十三聖日
説教要約
説教者 石川一由紀 大尉