2008/2/18  23:46

祝1カ月!  ブログは難しい



ブログを始めて満1カ月!
いや〜、よく続きました。自分をほめてあげたい。
ご褒美にチョコレート。
ってことで、堀ちえみではなく歌っている杉真理(バカンスはいつも雨)が好きな40男です。
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2008/2/13  3:11

ようこそエルヴィスの世界へ  オールディーズ

 1973年、ハワイからエルヴィス・プレスリーのライブが世界に衛星放送されました。番組のタイトルは「アロハ・フロム・ハワイ」。リアルタイムで見ることはできませんでしたが、大学生のときに日本テレビでこのアロハ・フロム・ハワイとビートルズの来日公演を再放送する番組を見ることができました。確か司会は山口みえ、提供はバブルスターだったような……。

 日本ではエルヴィスはあまり評価されてませんし、晩年の太ったイメージが先行して敬遠する人も多いようです。でも、アロハ・フロム・ハワイ当時のエルヴィスは円熟したエンターテイナーとしての実力、雰囲気を遺憾なく発揮していると思います(しかし、この4年後にこの世を去るとは誰が想像したでしょうか)。

 ハワイでのライブでもっとも好きなパフォーマンスが「WELCOME TO MY WORLD」です。皆さんもエルヴィスの世界に遊びに来ませんか。

WELCOME TO MY WORLD
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2008/2/10  2:02

エルヴィス・プレスリー・ファンクラブ(EPFC)  オールディーズ

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 エルヴィス・プレスリー・ファンクラブ(EPFC)に入って20年近くになります。およそ2ヶ月に1回のペースで会報が届き、エルヴィスに関する様々な情報を知ることができました。ファンクラブ会員としての最大の楽しみは、毎年1月8日のエルヴィスの誕生日にあわせて東京・九段会館で開かれる「生誕祭」イベントでした。

 エルヴィスの映画やビデオの上映、湯川れい子さんのトークショーに加え、「日本のエルヴィスコンテスト」がイベントの目玉。ファンクラブの会員がステージで歌い、パフォーマンスを競い合うもので、その昔、「お前はオールディースを聴いているようだけど、一発屋が多いだろ。でもエルヴィスはいっぱい良い曲がある」とエルヴィスを僕に勧めてくれた、幼馴染のMくんも10年近く前に出場しました。

 しかし、今年の1月は「生誕祭」は開かれませんでした。

 どうしたのだろうと思って、久しぶりにファンクラブのホームページ(http://www.interq.or.jp/great/elvis/Index.html)を見たら、湯川れい子さんのコメントが掲載され、会長でクラブ運営を一手に引き受けていた赤沢忠之さんが昨年11月に急逝されたことを知りました。

 赤沢さんとは直接面識があったわけではありませんが、エルヴィスファンの一人として、長年、日本のファンのために尽力していただき感謝の気持ちでいっぱいです。

 日本のエルヴィスコンテストでは、ケントスなどで歌っている若者が出場したり、その後、インパソネーターとして活躍するロックンロール歌手を何人も輩出しました。

 昨年はエルヴィスの30回忌であり、今年は全世界に衛星生中継された「アロハ・フロム・ハワイ」から35年。赤沢さんのご冥福をお祈りいたします。

JAILHOUSE ROCK 1957年


THE WONDER OF YOU
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2008/2/8  1:45

Oh!愛しのガールグループU  オールディーズ

 1960年代のガールグループ・ブームを代表するのがシレルズ。ベイビー・イッツ・ユーと並んで、彼女らが歌ったウィル・ユー・ラブ・ミー・トモロウは決して色あせることがない名曲です。

 作詞・作曲はキャロル・キング&ジェリー・ゴフィン。キング&ゴフィンは大学の同級生で1958年に結婚しました。ニール・セダカの紹介により「アルドン音楽出版」に所属し、プロのソングライターチームとして活動を開始。同曲が2人の初のビルボード1位作品になりました。

 ちなみにニール・セダカのヒット曲「オー・キャロル」はキャロル・キングがモデル。そのキングはセダカへのアンサーソング「オー・ニール」を発表するもヒットしませんでした。オー・ニールは聴いたことがありませんが、その昔「オニール」っていうスポーツカジュアルブランドがありましたよね。

WILL YOU LOVE ME TOMORROW ( The Shirelles 1960年)


  
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2008/2/5  1:10

ブログは難しい  ブログは難しい

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 ITリテラシーが低いにもかかわらず、ブログに挑戦して半月あまり。これまでに15本をアップしました。んー、やっぱり難しい。タイトルに「MY GRAFFITI」とつけたのに、落書きではなく、理路整然と書いてしまう。文章の調子も最初は「だ」調で始めたのに、いつのまにか「です」「ます」調に。
 個人的なことを書いていながら、少なからずいるであろう「読者」を意識してしまうからなのでしょう。でも、薄っぺらな人間で、ちょっと変わった趣味の男もいるなあ、ぐらいにしかたまたま読んでくれた人は思っていないのに。
 とはいえ、自分自身で言うのも変ですが、よくもほぼ毎日コンスタントに書いてきたと関心します。結構書くネタがあるから不思議。もっともかみさんから呆れられていますが……。もっとやらなければならないこともあるし、早く寝なきゃいけないし。仕事もがんばらなくてはいけません。人生ほどほどが肝心です。

(デューク・エイセスってドゥーワップしてたんですね。格好良くてびっくり!)


(本家はもっとすごい!一人で歌っていたとは)
Mr. BASS MAN (Johnny Cymbal)
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2008/2/4  21:12

19のままさ  ライフスタイル

 大学入学のために上京したのは19歳の春。「森尾由美みたいなマネージャーがいるサークルに入って、おそろいのスタジャンを着たい」――そんな夢は、入学直後から崩れていきました。軟派なやつら、キャピキャピした女の子達に馴染めませんでした。「おしゃれ=アイビー」には興味はあったものの、キャンパスライフに「ちょっと違うんじゃないの?」と疑問を感じ、もっぱら田舎から上京してきた友達や一緒のアパートに住む友達と付き合っていました。

 田舎モノだったからと言ってしまえばそれまでですが、当時は土地も株価も天井知らずのようにどんどん上がり、先行きに対する楽観論が蔓延していました。学生も世の中の気分同様に、まさに映画「バブルへGO!」に出てくる劇団ひとりたちのよう。

 「貧乏学生で、次男坊の俺なんか東京で家持てないよ、これじゃ」と、かなり自分中心の考えながら、世の中に対するものの見方が変わっていきました。勉強らしい勉強はしませんでしたが、「スモール・イズ・ビューティフル」や「オルタナティブ・テクノロジー」といった成長一辺倒とは一線を画す理論の本を読み、リベラルな考え方にシンパシーを抱くようになりました。

 アイビーやロックンロール、プロレスを通じて知った「健康的」「豊か」「明るい」アメリカに対しても、冷静に見る目を持ち始めたのはその頃でした。
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 こう書くとなんだか相当まじめに学生運動でもやっていたのかと思われてしまうかも知れませんが、そんなことはありません。アパートの友達O君に誘われダンパに行きましたし、夜の繁華街をうろちょろ。もちろん健康的で明るいアメリカは大好き。アルバイトで稼いだお金で、こつこつとへリーンボーンのツイードジャケット(マクベス)、袖が革のスタジアムジャンパー(ゴールデンベア、サークルに入らなかったためワッペンや刺繍なし)などマストアイテムを買い揃えていきました。

 世の中に対する見方や趣味も、また不恰好な人付き合いの仕方も19歳のころと大きくは変わっていません。言葉を変えれば、「成長していない」ってことですか!?

19のままさ(浜田省吾)
 

路地裏の少年(浜田省吾)


 浜田省吾のファッションセンスは僕と相容れません。ただ、彼はアパートの友達O君が通っていたK大学の先輩で、同大学のキャンパスも2駅先。なんとなく気になる存在で、社会人になってCDを買って聴くようになりました。取り上げた2曲は19歳の頃の甘酸っぱい思い出を甦らせてくれます。
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