2009/1/11

NAVA RASA H平安  NAVA RASA(9つの感動)

最後の9つめは『平安』(安らぎ)

考え事をしていたら寝られなくなってしまいました。
まさに心が平安でない証拠ですね(苦笑)

悩み事や心配、不安がなくなればどんなにいいだろう なんてよく考えることがあります。
それだけ心を平安に保つことってむつかしい時代になっているんだな。。と感じます。
昨今のニュースはほんとに心苦しく悲しくなるものがほとんどで、もともとテレビをほとんど見ない私はさらにまたテレビから遠のいてしまいます。
ただ、仕事で私は新聞を読まないといけないので、そういった心苦しい思いや感情から逃れることはできませんが。。
皮肉なものです。

そんな私も一箇所だけ前向きになれる場所があります。
『舞台』という聖域。
舞台の上ではすべてがPOSITIVE。
一つ一つの演目が終わるたびに心がホッとし、喜びに変ります。
安らぎは「緊張」があって初めて訪れる、解き放たれた時にやってくるもの。
NAVA RASAの最後にあるのもそういう理由からなのかな。。と妙に納得してたりして。。
やっぱり「人生」と共通するものがありますよね。

私の心に、
あなたさまの心に
平安が訪れますように。Shantam.



クリックすると元のサイズで表示します
0

2009/1/9

NAVA RASA G驚愕  NAVA RASA(9つの感動)


8つめは『驚愕』
幼いころに人を叩いたりしたら親や先生から注意、怒られたものだ。嘘をついたりしてもそうだ。そんな経験があって多くの人が「人を傷つけたり、嘘をついたりするのはいけないこと」という認識を持っていると思う。

しかし。。
残念ながら傷つけたり傷つけられたりすることが日常茶飯事のように起こっている。
悲しいけれど現実である。
さらに驚くのは 多くの人が「傷つけられた人」よりも「傷つけた人」の味方をすることだ。ここ数年、私はその事実に驚愕するのであった。

いろいろな状況によって、例えば 『多勢に無勢』だったり、『力関係』であったり、『損得勘定』であったりしてそうなってしまうのだろうが、いかがなものであろう?

私はかつての仲間だった(と私が勝手に思っていただけなのだろうが)人のそんな心を垣間見たときに思ったである。それって傷つけることとなんら変わりはないもの。
揺るぎない意思のもとに何が正しくて何がおかしいのかをきちんと判断できる目を持たないといけないと。

人の心はもろくて弱いもの。仕方ないとわかってはいるけれどやっぱり実際にそんなのを目にしたり感じたりしたら驚くよ。だって私も人間だから。

美しい舞いを見てもらいたいから、人の姿に学ぶことが多いこのごろです。


クリックすると元のサイズで表示します
0

2009/1/7

NAVA RASA F嫌悪  NAVA RASA(9つの感動)

7つめは『嫌悪』

嫌悪感。。
いやだなあ。。とか、きらいなものとか不快なものに対して起こる感情ですよね。
人それぞれで許容範囲も違うし嫌悪の対象も違うと思うのですが。。

私は『長いものに巻かれろ』的なものを見たり、感じるととっても不快な気分になります。もちろん自分の身を守ることはとても大切なことですが、あきらかに違う範囲で行き過ぎたものを目にするとウンザリしてしまいます。
あとは逃げることに対しての『正当化』でしょうか。
でも結局これって口がうまくないとできないワザですよね(苦笑)

私は器用ではないので、すぐに人を信じてしまいます。
そして実践によって玉砕することが多々あります(笑) でも、それが事実なら事実を目にすることが私にとって必要なことなのでしょう。

そう思って日々お稽古です。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2009/1/2

NAVA RASA E恐怖  NAVA RASA(9つの感動)

6つめは『恐怖』

怖いものを挙げていくとそれこそいろいろあって枚挙にいとまなし ですが、ここ最近で恐怖といわないまでも恐ろしいなあと思うのは やはり 『人の心』でしょうか。

悲しい話ですが人間が生きていく上での天敵は『人の心』だと言った方もいらっしゃいました。否定できない部分があるだけになんとも複雑な気持ちになってしまいます。

やりたいことがある。
そのやりたいことに対してがんばれる。

これは時として嫉まれたり嫉妬による攻撃の対象となることが少なくありません。
考えようによっては恐ろしいことです。
不満のないことが不満のある人にとっては許せないことなのでしょうね。。

こうしてみるといろんな多面性を持っている人間はほんとに恐ろしいなあ。。と思うし同時に魅力的であったりします。インド舞踊から『人間』を学ぶかのようです。
同じ多面性ならやっぱり魅力的でいたいです♪

明日は豆乳鍋でミニミニパーティです♪ 楽しみます♪



0

2008/12/31

NAVA RASA D活力・パワー  NAVA RASA(9つの感動)

5つめは『活力』 パワーと言ったほうがぴんとくるかもしれません。

私の周りには、やりたいことを明確に行動してる人がたくさんいます。そんな人たちの姿に励まされながら感化されながら私も大好きなインド舞踊のステップを踏んでいます。おかげで
『よくがんばるわねぇ』
『パワーあるわねぇ』
と声をかけていただけるように。
いえいえ、好きなことですから自然に身体が動いてしまうのです。

『○○がしたい』『○○がやりたい』
言葉にするのは簡単ですがいざそれを行動にうつすのはとても難しいこと。行動に移せない人もまた周りにいて。。
やりたいことを続けるのは決して楽しいことばかりではありません。ガマンしなければならないこと、人に言えない辛いこと等々言い出したらたくさんです。そして。。条件が整っていない悪条件の中での努力が必要になってきます。
全てが用意されているわけではありません。踊りで言うのであればお稽古のスペース、時間等々、できない理由を考えるのは簡単です。
だってみんながみんな好条件のもとにやりたいことをやっているのではありませんから。

その中で『今、できること』をどれだけ見出せるか。
「好き」であればどんな悪条件の中でも『今、できること』はある。見つけられる。
やりたいことに限らず恋愛でもいえるのではないかなあ。。と思います。
『どれだけ好きか』=『活力(パワー)』
雄雄しさも必要ですよね(笑) 来年も雄雄しい私でがんばります♪

クリックすると元のサイズで表示します
0

2008/12/30

NAVA RASA C怒り  NAVA RASA(9つの感動)

4つ目は『怒り』

できるのであれば持ちたくない感情です。
でも『怒り』って一番身近にある、一番起こしやすい感情の一つではないかなと思ったりします。私の周りで怒ったことのない人って見たことがありませんもの。それだけ身近な『感情』なのでしょう。

『怒り』ってすごくパワーを要します。
『怒る』のは簡単ですが『安らぐ』のはとてもむつかしくありませんか?
だから私はできる限り『怒り』の基となるものには触れないように気をつけています。
だって。。
『怒り』ってすごいパワーを使うんですもの、だったらそのパワーをもっと有意義なものに使いたいって思いますもの。

しかしながら『怒る』とはいうのは時によって必要であったりします。
ある演目の中でパールバティ女神は夫であるシヴァ神の眠りを邪魔したことから怒りに触れ雷を落とされます。
その後、反省している女神のことを思いやって逆にシヴァ神は女神の機嫌をとるのです。
これは極端な例ですが怒るのならその後のことも考えて怒らないと通じないと思うのです。

一方的に感情をぶつけるのは『怒り』でもなんでもありません。
『怒り』は一番身近にある最大のマイナス要素です。
自分のパワーも消耗するし、確実に人も遠ざけてしまいます。

愛情のないところに『怒り』は存在しません。
それは似て非なるもの、『八つ当たり』です。
怒られた本人が「八つ当たり」でなくて『怒り』なのだと理解するそこにはある種の『愛情』がないと理解できないと思っています。

これは私自身がいろんな人から八つ当たりされ(?)た末の境地です(笑)
だから私は愛情を持てない人以外には怒らないようにしています。
というより怒れないのです。(笑)
だって。。
それ以外は全部「八つ当たり」になってしまいますもの。
そんな無駄なエネルギーは使いたくないですもの(笑)

今年も残り あと1日。有意義に過ごしています♪
0

2008/12/28

NAVA RASA B慈悲  NAVA RASA(9つの感動)

3つめは『慈悲』

『慈悲』。。 悲しみ、慈しみ。。 慈悲の心は「優しさ」をあらわすという。。

昔の話である。
先輩といっしょにお稽古をしていたのだが、どうもうまく行かなくてダメ出しが続いた。
結局、進むべきところまで進めず申し訳ない気持ちで私は先輩に声をかけた。
「すみません」
と。

すると突然、指導にあたっていた人が憤怒の形相で振り返り叫んだのだ。
「『すみません』 はこっちに言ってちょうだい!!!!」

まさに鬼だった。
一瞬、何が起こったのか理解できず呆然となったのを今でも覚えている。
あの鬼のような目は今でもしっかりと脳裏に焼き付いている。

そして月日は流れ、立場を変えて同じことが起こった。
リハーサル途中、私はあるスタッフに対して注意した。自分の役割を把握しておらずランスルー(本番通し)でありながらそのことも理解せずに違うスタッフの流れをとめてまで自分のことをやり始めるからだ。
「違う人の担当を邪魔しないで! 本番と同じ流れでやってるの!! きちんと説明してるはずよ!!」
と。

すると相手にされていたスタッフが、その注意されたスタッフに対して言ったのである。
『すみません』 と。

このときに私は数年前のことが理解できたのである。
なぜ鬼のように変貌したかを。
私もこのとき、同じことを思ったのだ。
「『すみません』 はこっちに言ってちょうだい!!」と。
舞台はすべて連帯なのだ。流れを止めているのは一人ではなく、自分の役割を留めてまで相手するのもまた原因なのだ。

「『すみません』 はこっちに言ってちょうだい!!」
私はまさに同じことを思った。

ただ、私はそこで『すみません』と声をかけたスタッフには怒らなかった。
怒りは自分の中で消化させた。
なぜなら、それはそのスタッフの相手を気遣う最大の思いやりであるからだ。
慈悲を優しさというのであれば それは怒られたスタッフに対する慈悲から発せられた言葉なのであろう。
だから私は叫ばなかった。憤怒の形相をすることもなくただ、そのスタッフの「優しさ」を
受け入れた。
そして黙々と自分のやるべきこと、ステップを踏んだ。

慈悲を知るというのは 孤独を知るということ。 だからそこに優しさ、慈悲の心が存在するのだとおぼろげながらに思うのだ。舞台はいつもいろんなことを教えてくれる。

今日は稽古納めです、パキパキとステップ踏んできます♪ それが私の「役割」ですから♪

クリックすると元のサイズで表示します
0

2008/12/26

NAVA RASA A楽しさ  NAVA RASA(9つの感動)

2つ目は『楽しさ』
踊っていると楽しい。それだけでほんとに私は楽しい。そんなせいか、ご覧になっていただいた方から「ほんとに楽しそうやね」とか「楽しんでるのがわかる」といったお言葉を頂戴することが多いです。これってありがたいことです。感謝です。

自分が楽しまないと見てくれている方々にその楽しさが伝わらないとよく言いますが、この「楽しさ」の裏側にあるものは「苦悩」であると思っている。だから「踊れる」というその一瞬が喜びの塊なのである。

舞台はほんとに非日常的で普段の生活の中では経験できない要素を多く持っている。楽しさを求めてお手伝いに入ってくれる方も多い。
しかし、舞台は小手先で通用するものではない。中途半端に楽しさだけを追求するとナタラージャ神からの雷を受けることになる(笑)
「やったことないから」「演目の最後がわからないから」等々。
舞台という現実を目の前に怖気づいて言葉巧みに逃げに走る人も当然のことながらいる。

自分の限界を極限まで求められる舞台前の緊迫した空気の中で
できないことを正当化してごもっともな理由を考えるのか。。
それとも。。。
できない中で、どうしたら最善策を見出させるのか最後の最後まで苦しみながら臨むのか。。

舞台は不思議だ。
「苦悩」とともにとりくんできた舞台は『達成感』が心を楽しませてくれるのである。

楽しさを求めるなら「苦悩」する楽しさもセットで考えないとほんとの『楽しさ』ではないのかもしれない。。なんて思ったりしています。
踊りのアイテムを離れてこのNAVA RASA(9つの感動)を勉強しています。
インド舞踊は人生に共通するものがあるな。。とますます私の心をとらえてなりません。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2008/12/25

NAVA RASA @愛  NAVA RASA(9つの感動)

インド舞踊の表現にNAVA RASA(9つの感動)があります。アイテムにもなっています。そのうちの一つ一つの感情表現を自分なりに考えて勉強しています。
1番目は『愛』
愛と一言でいってもいろんな愛がありますよね。
大切な人を想ったり、小さな子どもを慈しんだり、友達に対しての思いやりだったり。。
人生でいろんな「愛」を経験し、表現することによってご覧になっていただいてる方にその感情を呼び起こすのがRASA(感動)。

怒りと愛は対極するものだと思っていましたが、延長線上にあるものかもしれないと思うようになりました。
舞台を通して怒る時は愛情を持って怒らなければいけないということを学びました。
そこに愛情がないとただの感情的な人になってしまいますもの。それでは想いは伝わらないし、怒られている人はなぜ怒られているのか理解もできなくなってしまう。

いろんな愛をお届けできるようにこれからも楽しんで勉強です。

クリックすると元のサイズで表示します
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ