2006/4/16
以前、問題主婦に書いたものの再録です。国家と憲法について。
憲法は、「Rule of Low /法治主義」という発想でできている。
法治主義と言うのは、法によらないと誰かが誰かを統治することはできないということ。
つまり、王様の気分とか、お気に入りであるか否かとか、
そういうことで勝手に政治の方針変えられちゃたまらんぜ。
これが法治主義。
つまり憲法とは基本的には統治権の制限なんだな。
まあ、産業革命や宗教改革やなんかで封建的な土地制度に縛られない新興階級がいっぱいでてきて、土地制度(王様のものだな、基本的に)に関係なく喰っていけるから、王様に楯突くというわけだ。だもんで、「国王は君臨すれども統治せず」って方向で、法治主義を打ち立てた。
王様といえども好き勝手にはできない、法律に従わないとだめよ!ということね。
統治権を制限するなら、
国民の義務なんてのはおかしいわけで、
義務を持つのは国家の方だよ。
第一二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、
常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
これは憲法の一般的義務規定というもの。前半がすごいでしょ。
『国民の不断の努力によって』だって。不断と言うのは普段からってことで、これは洒落でも何でもなく、マジな話。というのも、国家の統治権てのは、手にした人はすごい利益を生むわけで、ムネオさんとかもハルホさんとか、その辺の絡みでしょ。でもだれかに利益になるってことは、別の誰かには不利益なわけ。だから、王様のものでなくても、だれのものでも統治権は制限しなきゃいけないわけで、不断に普段から監視してないと、大変なことになる。だれもわたしの権利侵害をする権利はないよ!だからわたしは不断に普段からチェックしてるわよってことね。で、後半は国家にたいしてじゃなくて、国民/市民お互いの話で、極端なワガママはなしね、ということ。
それで選挙だけども、それはこの前半にかかわってくる話。
選挙と言うのは、わたしたちを統治する人を選ぶこと
日本だと、統治する人が準拠する法律/条例をつくる人を選ぶこと。
だから、それはわたしたちにとっては死活問題。
だから、選挙権。選挙させろよってこと。
じゃあ、なんで義務なのか。そこを考えるために歴史なんかみてみるかな。
普通選挙の実施は日本の場合、1925年、この拡大の歴史は、治安維持法とセットで拡大してきたの。制限が一つ外される度に、治安維持法が厳しくなる。だから、国民のいうことなんか聞いてたまるかと言う統治権と、勝手にきめるなという国民とのつばぜり合いはほんとに厳しかった。文字通り掛け値なしの命がけだったってことだね。そして、婦人参政権は1945年。ようやく女ももの言えるようになった。「自由の国」アメリカだって、婦人参政権は修正条項で1919年にできたんだけど、最後に批准したのはメリーランド州で、批准自体は1941年で、批准文書を国務省に送付したのは1958年だって。
そのぐらい、厳しい闘いの成果として、選挙権はあるんだよね。
だから、不断に普段から努力しなきゃいかんと、
だから義務だと。
でも、今、日本は世界で最低の投票率。
なぜか?
低投票率で済んじゃうからでしょうね。
国家が必死になって、国民を説得しなければできないことがない。
戦争もない。餓えもない。国民に無理を強いなくてもいいもの。
ケネディは演説がうまかった。国家が何をしてくれるかではなく、国家に何をできるかを考えよという名文句をひねりだした。つまり、戦争になったら死んでくれよということだ。でも、現在の戦争ではミサイル一発で済むのだ。
だから国民を説得する必要がない。
日本は100万人以上の引きこもりや、世界有数の高齢社会といわれながら、それを全部家庭で背負えるほど豊かだなんだ。だから、なにかやろうとしても国民には内緒でこっそりできる。無駄に道路を作ろうが、どぶにお金を捨てようが困らないほどの豊かさだ。
だから、低投票率でアリバイ的に統治権を維持できたんだと思う。ある意味では官僚制を含めて社会や国家のシステムが成熟して、統治する側もされる側も無責任でも平気でいけちゃうようなところまでいっちゃったという感じかな。
豊かというのはそういうことだ。
ものが有り余ってると、国民と国家の対決が鮮明にならない。
簡単にいえば、命がけではなくなったからかな。
でも、そろそろ大きな動きがきますよね。
国際的にも国内的にも、新しい秩序が必要になってる。
だから、統治権を持ってる人たちは、先手を打って自分の利権を守ろうとしている。
国民への権利侵害は、ミエミエに行われたりしない。
国家は国民に銃を突きつけたりしない。
銃を突きつけられたら、だれだって、国家と国民が敵対関係になってるのがわかる。
でも現代の国家はそんな芸のないことしない。
国民に豊かなメニューを示す。
どれでもお好きなのをどうぞ。
まあ、なんて御親切。ニッポンていい国ねえ。
だけど、ちょっとまて。
メニュー以外のことをする自由はあるか?
ないさ!
メニュー以外のことをできなくて、
「どれでもお好きなものを」って言えるのか?
権利侵害はじつに洗練された方法でおこなわれる。
現在の統治権の浸透は北朝鮮ほどわかりやすくないのだ。
おまけに「ぷち・なしょなりずむ」だ。
国家と敵対せよとはいわない。
でも、
国家は常に成行き注目の取り扱い注意の危険物だ。
国家をコントロールするためなら、
ほんとなら
ありとあらゆる手段を行使すべきだ。
だれがやったって同じじゃないなんて、しらっというのは、
かなりのお馬鹿さんだということを知っといた方がいい。
そういうこというのは、すでに国家にやられちゃってる証拠。
蟻さんになって踏まれてしまってるのに気づいてない証拠。
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