2006/4/21
ごめんなさい。ほんとに忙しくて、またまた再録させて頂きます。
今回は、人間はお腹の中にいる時から、すでに国家に管理されてるというお話です。
市場と国家っていうと、国家の方が先に管理し始める。
わたしは、これに気づいた時びっくり仰天しました。
街角の監視カメラどころの話じゃないのです。
長男を妊娠したのは1月で、竹薮の業界は目の色変わってる時期。
ちょうど生理の予定のころから、出血が始まり、ああ来たかと思っていたら
微量のまま一週間。
あら?
なんやら体調も悪くなってきて、胃も痛い。
しかし、仕事を休むなんてことは考えず、また2、3日。
ある日とうとうたっていられず、授業中に座ってしまい、
生徒の質問に対する反応も遅いことを自覚。
翌日やすんで医者にいった。
家から内科にいく間に産婦人科があったのがラッキーだった。
「不正出血があるんですけど」というと「不正かどうかは先生がきめることですよ」と看護婦さん。はたして妊娠しており、切迫流産であることが判明。
絶対安静。寝返りも打つな。
トイレ以外は起きちゃダメ。静かに通院し(歩きはダメ、車でゆっくり来い)ホルモン注射に通うこと。ということで1ヵ月くらい寝ていたように思う。
一ヵ月後くらいにもう大丈夫となって
「そろそろ母子手帳もらってもいいかな。役所にいってきて」といわれた。
役所?
「先生に頂くんじゃないんですか?」
「そう、市役所の戸籍のところにいって」
なんで、戸籍 なんだ?
で、いってみた。市役所にいって、戸籍係は?と聞くと、市民課へどうぞといわれた。ふむ、ちょっとやさしい言い方すんのね。で、市民課へいって「母子手帳が欲しいんですが」と伝えると、件の用紙が出てきたのさ。
妊・娠・届
???
母子手帳交付願とかではなく。
なんか、いやあなものを感じて、まあ、貰って帰り、早速大学の図書館へ。
そしたら、やはり!であった。
この届は、1937年成立、38年施行された母子保護法によるもの。
1937年といえば満州事変のスグ後、加えて世界恐慌の吹き荒れたあれた跡癒えぬころだから、人々は貧しく、産めなかったろうし、産んでも育てられなかった、あるいは、育てようとしても育たなかったというような状況は容易に想像できる。
富国強兵政策・健民健兵→母子保護法という流れ
であることはみえみえ、お腹にいる時から国が管理して、ちゃんと産んでもらえないと一銭五厘の葉書で兵隊を集めることはできなくなるわけだ。同時に軍事扶助法による母子家庭への経済的援助まで行ったりしている。
「母子保護法」を定めるにあたっては、キリスト教系の婦人団体である矯風会(風俗をただすという主旨なんだろうなあ/しかし戦前のキリスト者団体は結構過激で、婦人参政権運動などもやってたらしいが)や市川房枝氏の婦人参政権運動の立場から、刑法民法の改正やひいては婦人参政権なくしては、母性の保護はありえないというような運動を展開し「母性保護法制定促進婦人連盟」なんてのまでできていた。
しかし、結局、内容は単なる救貧法、そして実態は軍事法だったわけだ。
なるほど。
よくみれば現状では届出の義務はないらしい。
しかし、届けないと母子手帳は交付されず、ということは検査検診等はすべて自費だ。
これは痛い。
痛いながら妄想は膨らむ
考えてみれば、生まれたら出生届を出す。これでまた各種検診や予防接種がタダになる。そして6歳になれば自動的に学校にいくことになる。中学までは原則無料だ。したがって、届を出さずにこどもをそだてるとなれば
一体どれだけの金がかかることか、
しかも
非合法だ。
す ご い ・・・
というようなことを5分ほど妄想し、
竹薮はこどもを国家に売ることにした。
冗談ではない。
その時はっきり意識したのだ。
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この妊娠届は19年も前のことですから、今はもうすこし穏やかな制度にかわっているようである。しかし、ネーミングがいくら変ろうとも実態に変わりはない。いくら注意しても注意しすぎということはない。
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