2006/5/23
わたしの仲間はいろいろいる。
元生徒達。
高校や大学の時の友人。
これまで関わって来たいろいろな活動でしりあった人たち。
そして
ネット上で知り合った人たち。蟻の兵隊を観る会の隊長であるLEIKOさんもネット上の知り合いだ。その方達も「蟻の兵隊」に協力してくれている。
このあいだ、ネット上で知り合った方3名とお茶した。うち、2名はウチの長男とおなじ発達障害を持つ方。わたしは、自分のサイトで高機能自閉症という障害についてのコンテンツも書いているので、それをよんでメールくださったりした方達だ。高機能自閉症は最近話題のADHDなどと同様の知的障害を伴わない発達障害で、今のところ福祉の対象にはならない。ところが最近、「片付けのできない女」などがマスコミに報道され、ついで学習障害LD、さらに自閉症スペクトラム(健常者と重度自閉症をつなぐグレーゾーン)という考え方も紹介され、社会的認知もちょっとだが、高まって来た。でも、ちょっとだ。
そういう子をもった母親はもう針のむしろだ。つれて歩くたびに病院でスーパーで「なにあの子?」みたいな白い目にさらされ、学校にはいるとしつけがなってないといわれ、しかし、なにか違うと、ただでさえめんどくさい子をつれて、あっちの病院、こっちの病院と歩き回る。その度に、判断をせまられ、対応をせまられる。
障害児を持った親は強い。
強くならざるをえないのだ。
障害児に限らず、育てにくい子を持った親は強くならざるをえない。
とくに、母親は、今の世の中のシステムでは育児の全責任を負わされているのに近いので、説明責任、自己判断、自己責任というめんどくさいものを背負い込む。学校に説明する責任、ジジババに説明する責任、養護学級にやるか、普通級でいくかという判断、カミングアウトするかどうかという判断。そしてそのことにまつわるデメリットを受け入れる責任。障害のない兄弟姉妹への配慮。もう問題は山積なのである。
外にむけて交渉し、自らを内省し。ちょっと大層だが、でも真実だ。
そんな女たちだから、話は早い。うごかなきゃいけないってことがわかっている。
試写の後の第一信
『帰り道で雷雨にあったぞ!
試写会開始時間には地震はあるし、怒涛の幕開けって感じだね。
世間を揺るがし、社会に雷を落とす。
大成功を祈る!』
また感想では
『戦争には反対。でもチケットはいいです〜。
というのは情けない。
何もしないで居るということが、戦争賛成にカウントされる
かもしれないことを忘れてはいけない。 』
思いはあらわさなきゃないも同じ。
思いは行動を伴ってのみ我が子を守れるということを経験しているから、こういう表現になるのだ思う。
そして、彼女達はがさつではない。
がさつでは障害児によりそえないからね。
在京の彼女たちは、延安の娘にも、蟻の兵隊にも即反応してくれた。
ほかにも日本のあちこちで、同じように子育てになやんでいる人たちが、「蟻の兵隊」について語ってくれている。
かつて、学生運動の頃
動けば傷つき動かねば病む現状では
深海魚のように自ら輝かなければ
どこにも光はない
というフレーズがもてはやされた。
一見かっこいいが、これは間違っていると、今思う。
わたしたちは深海魚のように海底で地上にとどかない光をはなっているのではない。
日常の中で、微細ではあるが、お互いに反照しあっていきている。
わたしのところへぽつんぽつんと届くメール。そして一回届くや否や、確かな絆になる関係は
わたしたちが孤独な深海魚でない証拠だ。
こういう関係があるということは、困難を得たからこその幸せだ。
奥村さんの背後にはこういう女たちがいる。
いわゆる「しとやか」からは徹底的に遠い女達である。
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