2006/5/26
実は木曜日、ちょっと遠出する用があり、そのついでに諏訪大社に詣でた。
蟻の兵隊の大ヒットを祈願するためだ。
本気で何かするときは、神頼みをする。しかも然るべくする。
子どもがうまれてから、子どもがアレルギーなので、線香がだめなので、基本は神社。
で、神社に昇殿参拝するのだ。祈願をしてから、おみくじをひくのだ。
さて、蟻のおみくじは?
内緒
今日は、フジのドラマをみた。
「ザ・ヒットパレード」というもの。早い話が、渡辺プロダクション賞揚番組だ。
しかし、出ているのは、わたしにとってはまさに懐かしいものばかり。
大学時代に一生懸命練習した1001(ジャズのスタンダードナンバーを集めたソングブック)なんてのが、あんな昔(つまり、戦後)からあったとはしらなかった。それほど、ジャズを求め、みな真剣にコピーしたのだな。なんで手書きの楽譜なんだろうと不思議だったが、戦後五線紙に手書きで書かれたもの(番組中ではガリ版刷りみたいだった)が版下になって上質紙に印刷され丈夫な表紙がついただけだったんだ。「すぎやまこういち」がテレビマンだったこと。プロダクション制度がアーティストの生活を守るためのものってのも。
わたしは昭和29年生まれだ。
わたしの意識のなかでは現在の中国は「中共」であって中国ではなかった。
家にはじめて洗濯機/冷蔵庫/テレビ/掃除機が来た時を記憶している。家が水洗トイレになった時も。洋式トイレにはじめて入った時も。
ほんとに、この50年で、日本は様変わりしたのだ。
猛烈にかわった。
その間、戦争の総括はなおざりにされた。
奥村さんはずっとだまっていた。
今もだまっているひとがいる。
それらを全部「なおざり」のままで、憲法『改正』や教育基本法『改正』がすすむ。
人間が作った社会を相対化するもの。
たとえば、自然、宗教、芸術といったものが全て骨抜きにされてしまった。
今日のドラマでいえば、渡辺晋がはじめてジャズクラブのステージに上がったとき、一切楽器を弾けなかったというのが象徴的だ。その後死にものぐるいで練習し、人気ミュージシャンになっていく。センスのいい人だったのだろうが、やはり素人だったのではないかと思う。それが洋楽の翻訳ということだ。その事自体は悪いことではない。しかし、そこに負け組から勝ち組への単純なシフトがある。対照するに、民謡などの「芸」の世界なら、受け継ぐものがあったはずだ。
戦後、リセットされたかのように、全てがリニューアルされたのだろうか?
リセットされたせいで、戦争を総括し否定的に伝承するということが一切なされなかった。
そして、戦前日本は形をかえて生き延びたということだろう。
今日、ウチの母と靖国の話をした。
「ばあちゃん、靖国どう思う?」
「べつに、いいんじゃないの」
「小泉が参拝しても?」
「お国の為に死んだんだから、お国が弔うのは当然でしょ」
「そしたら、蟻の兵隊で奥村さんと小野田さんが対決したシーンはどう思う?」
「どんなだったっけ?」
ありゃりゃ、まあ83歳だからな。しゃーない。ざっと説明。
「むずかしぃのぉ」
「どうする?」
「わからんことは、神様にまかせる。あの師団長は地獄で蛆になっとる」
「じゃあ、小野田さんと奥村さんはどっちが地獄におちるの?」
「どっちも落ちんやろ」
「なんで?」
「どっちもえらい」
そうなんだ。
いままで、そんなことを言った人はいないよ。
なにを伝承すべきなんだ?
昭和のなにを考えるべきなんだ?
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