2006/6/18
「蟻の兵隊」の映画に出演したことをきっかけに、奥村さんは語りかけをはじめている。
観る会の若者たちは、活動する中で、奥村さんと話す機会があって、そこで、奥村さんにいろいろ質問してなんやかやと聞き出している。
そのやりとりを聞いていると、聞く方も拙いし、語る方も言葉が追いつかない。
それが当たり前だろうなと思う。
お互いに「戦争」という大きなテーマをはさんで、言葉を耕して行くことが大事だ。
たとえば、今日、泉津から次のような話をきいた。
「奥村さんにどうしていま話す気になったのかと聞いたら、いつも三つの答えが返ってくるんです。生活が落ち着いたこと、現在が昔の危険な状態と似ていること、じいちゃんの話を孫に聞いてもらいたいこと。この三つです。」
これはどういうことだろう。
じいちゃんの話を聞いてほしいというのは、事実として学ぶと言うよりも、もっと身を寄せて聞いてほしいと言うことだろう。思うことと知ることは違う。思うは知るにつながるが、知るは思うにつながらないこともある。思えば思うほど知ることは避けられない。
だからまず思え。
奥村さんは思いを込めて告げているのだ。
想像力、じいちゃんの話として聞くと言うのは、自分に関わりのあることとして聞けということだ。あるいは、もっと積極的に自分の話としてきけということだ。「奥村さんはもうひとりのわたし」である。さらにもっと積極的に「奥村さんを撃った人はもうひとりのわたしである」「奥村さんに刺された人はもうひとりのわたしである」そのような想像力だ。
質問者は自分から出て、解答者の声を聞かねばならない。
そのためには今の自分を否定できなければならない。
今の自分が不幸だと知ること。それがもうひとりの自分の不幸に通底していくのだ。
現在の危険な状況ばかりでなく、底の浅い豊かな日常。
権力は戦争しろとはいわない。
だれも拳銃を突きつけたりはしない。だが、もっと巧妙にわたしたちの首をしめてくるのだ。
ゆたかなメニューの中にしめされる危険な罠。
そのことに気づく感性と、底の浅さを自覚した状況嫌悪から共感は湧く。
「僕らの平坦な戦場・・・」/ウィリアム・ギブスン
その戦場の蟻の兵隊として我々はいる。
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投稿者:泉津真弓
ことばを耕したい。
涙が出てくるほど切実な思い。
あぁ。頭と心をフルに使って!
なんと、「若い男」であることよ>私