2006/7/8
ご無沙汰しました。
暑さと湿度に弱くってぐったりしてます。
マスコミ露出が始まっています。
みなさん、テレビ、ラジオ、新聞雑誌にご注目ください。
昨日は、観る会の大学生部会主催で学生限定試写がおこなわれました。
竹薮組泉津がリーダーとなり、歯ぎしりしながら頑張ってました。
わたしは、仕事の加減で、最後の5分くらいにようやく会場着。ドアの外からでも泉津の声が聞こえました。奥村さんの若者へのメッセージとして
「戦争は過去のものではない。
家族の中で戦争を語り継いでほしい」
と訴えられました。
そこです、そこ。そこが問題。そこが気になる。
これまた、竹薮組のたくが「真実を明らかにしたい、知ってほしいという“熱い思い”を通して、熱くなるということを学べた」とメッセージを送ってきた。まあ、19だもんな。そういうもンかとも思うが。
しかし、『熱くなる』って何?
あるいは『暑苦しくていやだ』ってのも聞く。
運動をやっていて思う。
運動は非日常だと。日常化した運動もあると思うが、基本的には非日常だ。
非日常がもたらす興奮、それはここちよいし、その興奮が大きなことをなしとげる「エネルギー」でもあるかもしれない。
だから、
熱くなりたいのは非日常をもとめることであり、
暑苦しいのはいやだっていうのは、日常の中に非日常のテンションを持ち込むなということだと思う。
どちらもわかる。
そしてどちらも足りない。
なぜなら非日常のままでは日常の変革はできないし、
非日常を拒否していたら日常の風通しはよくならない。
イベントをきっかけにして、日常の変革すること。
それがイベントの意義だ。
奥村さんの話を聞いた。そのことをきっかけにして、聞いた若者が全員、自分に祖父母の話を聞いてみる。祖父母が話さなければ、どうして話さないのかと聞いてみる。祖父母の方から、なぜそんなことを聞くのかと問い返されえるかもしれない。孫も祖父母もこたえる言葉を探さなければない。これが日常の変革だ。
阪神淡路大震災のとき、若者のボランティアが多く行われ、「今時の若いもん」が見直された。ボランティアをした若者には、もともと社会参加の経験があり普段もいろいろ活動しているが、特に大きな災害だからと活動を拡大した者もいただろう。しかし中には、非日常を求めて被災地に出かけたものもいるのではないか。つまり、何か充実したい、熱くなりたいと言う動機だ。日常の中では熱くなれない。だから被災地に行く。そういうことだ。
それもアリだと思う。
しかし、それをきっかけにして、日常のなかで動きを変えてほしいと思う。
毎日、日常のおもさに堪えながら、めんどくさい活動を続けていくからこそ、天啓のように非日常がやってくるのだ。いつもいつも非日常だけに参加しているだけでは、自分から非日常を呼び込める人にはなれないだろう。
だから奥村さんはいう。
「奥村の話をきくことで終わりにするな。
君の家族の話を聞いてほしい。
そして祖父母を見送ってほしい。
さらには君が君の孫に伝えてほしい」と。
今回のイベントは、奥村さんにとっては天啓だった。
しかし、私たちは天啓をうけるほど、まだ活動してないよなあ。
と、おばさんは思うのだ。
減らず口ご容赦。
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