2006/8/26
「若者/中高年の対立軸の真相」
蟻の兵隊という映画
蓮ユニバースに出張ってって監督や権さんとだべる。
業界でなんで「蟻の兵隊」がヒットしたのかと風評を呼んでいるという。そりゃそうだ。常識では戦争ドキュメンタリーが6週間も上映され、まだ終映日が決まってないなんてない話だ。「いったいどうやったんだ?!」そうだよねえ。
ははは。無理無理。これは出会いのものなんだ。企画して出来るもんじゃないよ。
「観る会」を丸ごと買っても無理。買って出来ることとできないことがあるのさ。
それが人間関係というやつだ。
観る会隊長LEIKOさんは自分の才能を自負/自慢している。
「わたしは人みつけてくる才能があるのよ。この才能お金にならないかなあ。」
この才能が「観る会」を象徴している。
わたしは中高年だが、ただ中高年であるわけではない。泉津やたくと関係をもっている中高年なのである。逆にいえば、泉津は若い。しかし、ただ若いのではなく、わたしと結びついた若者なのである。
これこそが核心である。
若者が動いているのではない。中高年とコンタクトをもった若者がうごいているのだ。
私はこのような人間関係こそが、成熟した社会で可能かつ必要なものだと思っている。
通常、社会でも人間関係は個人が帰属する社会のもとづいて行われる。名刺の肩書きがそれだ。肩書きの人間関係は意味がある。つまり、社会が認めたということだから。たとえば、「◎◎高校校長 何の某」と仕事をするとき、それは<何の某>さんと仕事をするのではなく「◎◎高校校長」と仕事をする。何の某さんも校長の役割を演じていく。相手の人も「校長という役割に準じた行為」を期待するわけだ。そのことによって社会の網の目は出来上がっている。もしそこにトラブルがあれば、社会がそれをカバーしたり損害を補償したりする。そうすれば、最低限のラインはキープされるわけだ。世の中にある程度のサービスが行き渡るまでは、そのような人間関係が社会のベースを作る。
でも、それだけじゃつまんないでしょ。
だって、そういう人間関係はわたしじゃなくてもいいわけだから。「何の某」さんがいなくなっても「◎◎高校校長」はいくらでもいる。それじゃ、わたしの値打ちはどこにあるってことになるわけで。
社会を維持する役割演技は大人の基本だ。それはある程度「わたしでない何らかの役割」と「わたし」のブレンドだ。基本は役割で、それにトッピングのように「わたし」をふりかけて。それでお金をもらって生活するのだ。権力にしたがって役割をとりかえて、あれやこれやと動いてお金をもらう。
でも、それはやりたいことではなかったりする。だから帰属集団や名刺の肩書きに関係のない超個人的な人間関係がパワーを発揮するのだ。そのような人間関係のためにうってつけのツール、それがインターネットなんだと思う。わたしはインターネットでそういう人間関係を多く得た。属性一切不明の字面だけのコミュニケーション。これは意思ある個人の出会いには最適だ。げんに隊長はわたしを字面だけで一本釣りした。そして見見事につられたわけである。
有名なエピソードとしてポール・ビクシーの発現がある。手元に資料がないので記憶に頼った記述だが、出典は『「個を見つめるダイアローグ」』村上龍×伊藤穣一である。ルートサーバーが攻撃されたとき、ビクシーのシステムだけはダウンしなかった。アメリカがビクシーに同じようにシステムをつくりたいといったら、ビクシーがそれは無理だとこたえた。彼のシステムは個人的な人間関係にもとづいて作られている。金も権力でどうにもできない人間関係が最大のバックアップなのだということだ。
リナックスもまたしかりだ。
「(命令と規律は)軍隊のパレードでは見事に機能するが、実生活において、目標が多くの重なりあう意志の真剣な努力によってしか実現できないような情況では何の価値もない」(伽藍とバザールp52)
「自己中心的なエージェントがそれぞれ効用を最大化しようとして、その過程で自己調整的な自立的秩序を生み出し、それはどんな中央集権的計画の何倍も複雑で効率が高くなる。」(同書p53)
観る会はまさに「自己調整的な自律的秩序」なのだ。そういう関係で年齢などと言う属性は全く無意味だ。そこがどうして理解されないか。それは、この関係を見る人が、そのような人間関係を理解しないからだろう。
「蟻の兵隊」の宣伝に有名人、著名人が一切登場していないのにお気づきだろうか。
姜尚中氏、高橋哲也氏、小熊英二氏などこの種のテーマに当然登場するはずの人がでてこない。それはなぜか。プロの宣伝スタッフがそれを断固として選ばなかったからだ。
「ウチには残留兵たちと『観る会』がある。これでいくんです」
うれしいねえ。
属性なんか「っけ!」なんだってば。
マスコミの人たち、今度ネットでであった異世代の人間関係ってやってみれば?
その方がまだましだとおもうなあ。
肩書き「観る会」の竹薮でした。
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