2006/8/31
「海南島戦時性暴力被害訴訟 第一審 判決」
蟻の兵隊の事実/背景
昨日、東京地裁に行ってきた。法学部に長いこと(10年以上)いながら、傍聴にいったのははじめてのような気がする。文字で読むのと実際に法廷にいくのは大違いだった。以下、裁判内容の紹介をしながら昨日の感想を述べる。
ここでは紹介を忘れてしまっていたんだけども、こういう告知が回ってきた。
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海南島戦時性暴力被害訴訟
第一審 判決日決定!!
原告 陳亜扁さん来日!!
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● 2006年8月30日(水)
● 15:00
● 東京地裁 103号法廷
※大法廷に変更しました!
(→地下鉄丸の内線霞ヶ関駅 A1出口すぐ)
http://courtdomino2.courts.go.jp/K_access.nsf/CoverView/HP_C_Tokyo?
★傍聴券が配布されます!!
来れる人は14時00分に地裁前に集合してください。
(14:10傍聴券配布)
中国海南島・戦時性暴力被害訴訟(「慰安婦」裁判)の第一審判決の
日時が決定しました!!中国南端の海南島から、日本軍性暴力被害者の
方が来日されます。
日本敗戦61年を経てもなお、彼女たちは偏見や差別、暴行によって
受けた精神的・身体的な傷に苦しみ続けています。
社会的に大きな影響力を持つべきこの裁判、そして、おばあさんたちの
苦しみを無視しないためにも8月30日、ぜひ裁判所に足を運んでください!!
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ここで活動している<みはる@ビートニク>さんが「観る会」に参加していたので、わたしも参加した。こうやって活動が日常の世界にチャンネルが増えていくのだ。知り合いがいないとどうしても他人事になってしまうなあ。
そこで出動したわけだ。
戦時性暴力被害者とは一般にいう「従軍慰安婦」のことだ。従軍慰安婦という語感は性労働者のニュアンスが否めない。お金のために身を売る人たちだ。現実にそういう人もいた。内地では埒があかない。大陸で一儲けしようと日本から満州に渡った性労働者も多くいた。そういう人たちもいってみてビックリ仰天、内地とは大違いな事情があったときく。たとえば、厳寒の地でのコンドーム洗い。小屋のようなところにずっといて、片端から兵士の性欲処理の対象になる。ウチの母は「便所も同じ」ような扱いをされたんだという。母は素人だったが、そのような玄人の人に多く助けられて引揚げてきたからだ。そのかかわり合いの中で聞いた話を母は「便所も同じ」と表現した。その「便所」のように男の相手をした女たちが、一日分のコンドームを洗うそうだ。コンドームを洗うということが今では考えられないが、ゴムの「サック」を水で洗う。その時どんな思いがするだろうかと思う。またあしたも「便所」になるためにあらう多数のゴムサック。。
男が生物として性欲をおさえがたく「たまる」だのなんだのいうのは、ジェンダー神話に過ぎないことは、もう常識になったんだろうか。今もなお、そのようなジェンダー神話に支配され、みずから獣欲を男らしさと取り違え、人間以下の生物になりさがっている男は少なくないかもしれない。
話を戦時暴力にもどそう。
そのような性暴力被害者に輪をかけて、現地で略奪された人はもっとひどい。「蟻の兵隊」の中にでてくる被害者の鄭さんもそうだ。突然、なぐられひきずられ連れて行かれて監禁され、暴力的に性被害に会い、半死半生の目にあってそのあげくに両親がお金を払って引き取ったという。もし、ご両親にお金がなければ、そのままなくなったのだろう。そういう暴力にさらされた人が、多くいるのだ。そして今、それを告白している旧日本兵は山のようにいる。
にもかかわらず、事実を認めず、さらに国家無答責により賠償の責任はないというのが現状だ。
国家無答責は原則としてよろしくないと考えている。法治主義は国家の個人に対する権利侵害を規制するためのものだ。それゆえ、個人の権利が侵害されているにもかかわらず、国家無答責ということはあり得ないだろう。日本国憲法制定以前の国家の行為であれば、それについて国家無答責を主張することは可能だが、戦後を問題にするものであれば、国家無答責の主張は難しいだろうと思う。
さて、昨日の雑感である。
ハイナンNETという組織の呼びかけに応じて出かけたのだが、ハイナンNETは若い人中心の組織らしく、この手の集会のなかでは画期的に若い人が多かった。だもんで、おばさんには動きが不満。「ちゃっちゃとやろうよ、ちゃっちゃとぉ」といいたいが、普段活動していないのに、大きな態度ってのもどうかと我慢我慢。アバウトにならんで、ちょっと歩いて裁判所に入場。その様をマスコミがぱちゃぱちゃとかじ〜っとか撮影する。その後傍聴整理券を配布される。聞くと、今日の傍聴希望者は席の数よりも16人多い。そこで抽選となる。まあ、多分当たるだろうと楽観してまつ。はたして当たる。○○君はずれたっての声。あらら。聞いたことのある名前だった。蟻の兵隊にも協力してくれてる学生さんだ。残念。
その後荷物検査を受けて法廷へ。ここが大法廷か。100名程度は入れるらしいが、決して大きくはおもえない。これが裁判の公開の実態なんだなと思う。原告席には原告二名のほか関係者が10名近く座っている。原告2名は今日のために中国から来日した方。一人は陳亜扁さん、もう一人は遺族の方か。陳さんは非常に小柄で痩せている。ほんとに痩せている。年齢はウチの母の1つ下。それを思うと、彼女達の戦後は来てないのだとつくづく思う。母は「決して報われない犠牲。それが戦争」という。その戦争は母にとって過去のものになってるが、陳さんにはそうではないのだ。目を転じると被告席には2、3名。この差がなんとも。国に取ってはたくさんの行政裁判のごく一部なんだろう。しかし、原告のおばあさんに取っては、一生をかけて戦う人生のテーマだ。これが国家と個人の関係だ。マスコミの撮影が始まる。映るのが不都合な人は外で待機していいと再三のアナウンスがある。2分の撮影。長い。なんか途中ですくっと立ってカメラに向かって手を振ったりVサインしてやりたいなどの天の邪鬼な気分がむくむくと湧く。しかし、自分のフィールドではないので、ビートニクさんに迷惑かけちゃイカンとまた我慢。
開廷、判決。
「主文 原告の要求(?ここ曖昧な記憶)はすべて却下する。訴訟費用は原告の負担とする」
これだけ言って閉廷。5秒かからなかったと思う。これだけかい。
民事訴訟では主文だけ言い渡し判決理由は朗読しないが、事情によっては朗読することもあるときく。これだけの人数があつまって、原告のおばあさんも来日して原告席にすわっているのだ。もっとやりようがあったろうにと思うのは素人なんだろうか。
これだけか。
これしか表現しないのか。日常の生活から時間を取ってでてきた100名もの者にたいして、通常の枠を決して乗り越えることなく、ただそれだけしか述べないのか。国家として行為するってこういうことか。この感覚、なんというか思いっきり雑に扱われた感覚は、報道や判決文を読む時にはわからないことだと思う。
外にでて「裁判所前集会」に参加。
ここでは第四の権力に遭遇。第四の権力とは立法、司法、行政につづくマスコミだ。
この写真がわたしの視野だ。陳さんがみえない。
集会はまず、原告と支援者のためのものではないか。それなのに、なぜマスコミが前に出るのだ。
納得がいかない。集会主催者はマスコミを下げるべきだった。ここでも我慢したが、この点だけはビートニクさんにきちんと伝えた。まず集会をし、マスコミ用の撮影はあとでやればいいと。でも、あれだけ出しゃばってて、いったいどこの局がニュースとして伝えたんだろう。私はまだ見ていない。新聞にはでてたけど。ネット上でもひっかからないけども。
なんとか聞き取れたところでは、戦時性暴力被害の事実は認定されたということだった。
これは一歩前進だ。「従軍慰安婦」などいなかったなどという人たち。裁判所が認定したんだからね。
いいね。今後寝ぼけたことを言わないように。次期自民党総裁候補も良く判決を読んでほしい。
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