みんな母の日はお花をプレゼントしたり、温泉に招待したり、手作りの何かをプレゼントしたり… 思い思いの一日を過ごしたことでしょう。
私は母には先月末の父の三回忌に一年ぶり会いましたけど、一言も正面から話はしなかった。
周りの親戚には怪訝に思われないよう形だけは取り繕いましたが、用事があると早めに席を立った私たちでした。
親不幸な息子でしょうか。
親子だからといって私たちは絆が深いわけでもなく、心に蓋をしているわけですから、たぶん今のところ私は歩み寄る気もないし、また当分関わることはないでしょう。
親を大事にしないなんて…と言われるだろうけれど、『この人は親ではなく他人』と心に刷り込みしたあとは、親のことを考えない日々が続いています。
人として許すことが出来ないことをした。
親子だからといってひいき目にしないのが私。
許す許さないとかそういう意識を持っているわけではなく、親の記憶に蓋をした。ただそれだけである。
縁を切ったわけであるが、法事には行くのは、妻の説得でもあるが、亡き父の顔を立てなきゃというのもあるし、ただそれだけのことなんだが、甘ったれてると誰かに言われたけれど、意味がわからない。
私はこのまま親と関わることなくてもヘーキ。そう心に蓋をしてしまってるし、この頑固さは自分でも手を焼くほどで、私は謝る気はないし、例え母が歩み寄ったとしても私はこれまでと姿勢は変わらない。許す許さないの怒りの感情はないけれど、心の鍵は開ける気はないし、それぞれが好きに生きればいいじゃん。無関心に徹してるだけ。
でも、縁を切った友人に対しても同じ姿勢。
穏やかに話すことはあっても表面だけで心を開くことは決してないはず。
そういう姿勢って実は妻にも向けています。
気が付いたら誰に対しても心に蓋をしてしまったな。
本当の私はどこ?みたいな。
感情を無にする癖が慢性化しているよなこの頃かな。

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