冰壺。中国ではカーリングのことをこう呼ぶらしい。今回は、躍進目覚しいアジアの超大国について、この漢字をキーワードに探ってみようと思う。中国語を勉強したことはないが、漢字を見れば何の話かぐらいは想像がつく。また、中日に関しては
自動翻訳もそこそこ使えるものがあるため、なんとかなるだろうと検索を始める。以下、入手した新聞記事等の情報と、国際大会での同国の成績を時系列順に整理してみた。
■黎明期
2001年の新華社通信による報道が今回ネットで入手できた最も古い情報である。ハルビンで開催される国際大会についての紹介記事だ。これによると、中国にカーリングがはじめて導入されたのが1995年。翌年には全国大会が開催されたという。しかし、競技が行われるのはもっぱらハルビン周辺に限られるとされる。2001年2月、ハルビンの氷上に集結したのは、10チーム。性別の記載はないが、男子のみだったらしい。中国勢4チームの中では、ハルピンの体育学校と思われるチーム名が見られる。さらに韓国代表チーム、そして日本からも4チームが参加。日本選手権3位の常呂町チーム、日本全國青年冰壺比賽(ジュニア選手権?)3位の軽井沢チーム、青森から2チームである。
2001年5月29日付け解放軍報には、中国選手権の模様を伝える記事が掲載された。「我が国のカーリング競技のスタートは遅かったが発展は急速だ」との題されたものである。同大会に参加したのは、男子11チーム、女子6チーム。男子はハルピン市体育学校、女子はハルビン市重点体育学校が優勝した。また、男子優勝チームは2000年4月からこの競技を始めたのにもかかわらず、上述のハルピンでの国際招待試合では韓国代表チームを破るなど、急速に強化が進んでいることが紹介されている。なお、この当時、専用のカーリング場はまだなく、夜間にスケート場で練習していたという(
2006年1月25日付け人民日報)。
2002年、世界カーリング連盟に加盟(
2003年12月16日付け人民日報)。国際舞台登場の準備が整う。
■02-03シーズン
2002年11月の女子パシフィック選手権(ニュージーランド)で世界連盟主催大会に初出場を果たす。だが、1勝もできず最下位に終わった。一方、日本は優勝している。同シーズンのジュニア大会には出場していない。
2003年1月5日付人民日報英語版に、中国女子選手へのインタビュー記事が掲載されている。「中国カーリングチャンピオンは99歳までプレーすることを望んでいる」と題されたものだ。「9歳から99歳まで」というのがカーリングのキャッチフレーズらしい。同記事によると2003年、初めて中国の冬季全国競技会にカーリングが採用され、ハルビンチームがリーグ戦4連勝で優勝したという。初代王者となったZhao Zhenzhen(18歳)は、もともとはアイスホッケーをやっていたが2000年にカーリングに転向、チームメートもスピードスケートからの転向組が主だと答えている。また同年1月、青森で開催される冬季アジア大会についてハルビンチームのコーチは、次のように話している。「冬季アジア大会では中国を代表して戦います。技術的には、世界の中ではまだまだですが、それでも、精一杯プレーして相手国から何かを学び取りたいと思います。」
さて、青森での冬季アジア大会といえば、小野寺、林が同地へ渡るきっかけとなった大会だ。
2006年2月15日付けの朝日新聞はこう伝える。
「前回五輪のチーム解散後も、小野寺と林は現役続行を希望した。だが、地元では仕事がない。 そんなところに、冬季アジア大会の開催を03年に控えた青森市側が「選手兼指導者がほしい」と名乗り出た。2人は津軽海峡を渡った。」
しかしながら二人は、同大会に出場しなかったらしい。
2006年1月16日付け東奥日報に次のような記述がある。「〇二年から青森市文化スポーツ公社職員となった。仕事は青森冬季アジア大会カーリング会場の青森市スポーツ会館の開館準備。国内でも有数のカーリング場を持つ同会館は、仕事と練習が両立できる最高の環境。アジア大会本番では、会場スタッフとして競技運営を支えた。」
大会公式サイトに出場選手の記載がないため、日本がどのような顔ぶれで地元開催の大会に臨んだのかは不明だが、
中国は予選リーグで日本に4-11、韓国に3-10と大敗する。結局この大会は、決勝で日本が韓国を延長第11エンド、7-6の僅差で下して優勝したのだが、
大会レポートには「カーリング娘」との言葉が早くも登場しているのに注目。
■03-04シーズン
2003年12月16日付け人民日報に、日中親善試合開催を伝える記事が掲載された。この大会は2年に1回開かれるものだという。記事は、中国代表のハルピンチームが男女とも、長野のチームに2回勝利したことを伝える。また、カーリング専門チームはハルピンに1チームあるのみで、試合経験が不足しているものの、五輪出場を目指すとしている。
2003年11月パシフィック選手権(青森)出場。2勝5敗で5位。日本は全勝優勝。
2004年世界ジュニア選手権B(デンマーク)出場。上位2カ国が世界ジュニア出場権獲得する大会だが、9か国中3勝5敗で同率5位に終わる。
■04-05シーズン
中国女子カーリングが大きく飛躍したのがこのシーズンだった。
2004年11月パシフィック選手権(韓国)出場。予選リーグ3位、準決勝で韓国に勝ち決勝進出。日本に敗れ準優勝。
2005年3月世界選手権(スコットランド)出場。予選リーグでチーム青森の日本を破り7位。日本は9位。
2005年1月パシフィックジュニア選手権(東京)出場。予選1位の日本を決勝で破り優勝。
2005年3月世界ジュニア選手権(イタリア)出場。3勝6敗で9位。パシフィック・エリアからは中国のみ出場。
2005年4月13日付け新華社通信記事によると、長春開催の2007年冬季アジア大会をにらんで、カーリング中国選手権がはじめて同地で開催されるという。参加チームは北京、ハルピンからの男女それぞれ11チームずつで、長春からの出場チームはない模様。しかし、カーリングの拠点が大会を機に長春にも広がっていくのではないか。
■05-06シーズン
2005年12月パシフィック選手権(台湾)の予選リーグで日本を破るが、決勝で日本に敗れ準優勝。なお、このときの中国代表に上記のインタビューに登場したZhaoは入っていない。だが、出場選手は皆、競技歴5年ということで、Zhaoと同時期に始めた可能性が高い。
2006年1月パシフィックジュニア選手権(北京)、日本を決勝で破り優勝。
2006年3月11日からの世界ジュニア(韓国)には日本は不参加。
2006年1月25日付けの人民日報に、カーリングを取上げた記事が掲載される。北京でのパシフィックジュニア選手権で男女ともに中国が優勝したことに触れつつ、競技について一般向けに解説。そのなかに、北京に専用カーリング場があるが、これが中国唯一との記載がある。
2006年2月21日付けハルピン新報がカーリングの紹介記事を掲載。囲碁や将棋と比較して知的な性格を紹介しつつ、トリノでにわかファンになった筆者のような者にも分かるような基本的な戦術を説明。中国カーリング界のメッカとも言えるハルピンだが、この記事の内容を見る限り、一般市民への浸透はそれほどでもないのかもしれない。
以上、だらだらと長くなってしまったとはいえ、中国カーリングがいかに目覚しく発展しているかは理解されよう。特に、2003年の冬季アジア大会前には、「相手国から何かを学び取りたい」としていたのが、2005年のパシフィック選手権では早くも、日本を破るところまで迫ってくるとは驚きだ。日
本女子が世界選手権に初めて参加したのは、90年4月。世界での経験という点に関して中国には大きく差をつけているとはいえ、近年の直接対決の結果を見る限り、実力的にはもうほとんど差がないのかもしれない。
トリノ五輪で大ブームを沸き起こした日本のカーリング。だが、台頭するアジアのライバル国を前に、先行きは決して安泰ではない。今回のブームを単なるブームに終わらせることなく、競技の普及、強化につなげていけるかどうか。今まさに、この点が問われているのである。