読んだ本、観た映画の備忘録です。読んだのを、観たのを忘れてもう一度買ってしまったり、借りてしまったりを防ぐ私的メモです。f(^-^;
2005/11/11
拙いサイトですが、ご訪問くださいました皆様に感謝申し上げます。
11月いっぱいで、「どくしょう・らくしょう」は一旦クローズの予定です。
きっかけは、やはり読書でした。
作曲家の故武満徹氏の文章を読みながら、いろいろと考えたことがありもし今後
何かブログやサイトを自分で開くとしたらちょっと違った形で自分なりに書いて
みたいなと考えたりもしました。
間もなく今年も終わります。
目標は、月に一回芝居か映画を観て、一週間に一冊読む!と目論んでいましたが
残念ながら、完全には達成できなかったです。
また、書き始めたとき是非またご訪問いただけたらと思います。
それではまた
m(_ _)m みんすけ
2005/10/28
ハンナ・メーカ著 鴻巣友季子訳
米国初版1994年 日本初版1998年7月 晶文社 P245
今年読んだ本の中で、恐らく私のベスト3にエントリーが確実のエッセイ。
もし、突然に体の五感のうちのひとつ、ふたつを失ったとする。
いままでの経験から知覚・認識していた世界とは全く別の世界が突如として出現
することになる。
著者は、スキー場での衝突事故をきっかけに原因不明で聴力を失ってしまった。
その過程は、数ヶ月のうちにどんどんと進行してしまい補聴器をつけてようやく
なにか音が発生しているのだということのみ感じる程度。
ただし、平素は彼女はコミュニケーションに不自由をせず、BFとボートハウスに
同居し沢山の猫と聴導犬と暮らしながら執筆を生業としている。
彼女は、「聴く」ことと「リスニング」について書いているがそこから発見
していったことを健聴者(という言い方も変だが)にとって新鮮な驚きとして
再度見つめなおすことを考えさせるさまざまをつづる。
耳というのは、とても繊細な感覚器官で耳の穴に入ってきた音が(音波ですね)
鼓膜を揺らし、骨をいくつもつたわってナノの世界のゴムのように自在に伸び縮み
する神経器官を伝わって、脳に音として認識される。
その奇跡のような繊細さ。
私たちは、案外ぞんざいにいろいろな音を聴いてしまっているのかもしれない。
ハンナは、「聴かなくて済むノイズから自由になる」幸福について書く。
また、動物たちの世界で人間の可聴音域以外で静かな自然の中がどれだけ騒々しい
のか。エコロキューションという、音波を反響させて獲物の位置をナビする
蝙蝠を初めとする動物たち。
音波探査機ソナーの生まれとその働き。
静かな森と静かな海は人間が聴こえないだけで、いろいろなコミュニケーションを
交わす動物たちがいっぱいだということだ。
聴力を失ったあと、ハンナは聴導犬シーナの存在に心を支えられる。
それは、ルポとして涙を誘う美談仕立てとは一線を画している。
彼女は、自分の大切なメイトが聴き取った音から限りない豊かなものを伝えられ
自分の考えと行動をふくらませていくのだ。
聞こえない自分のメイトを暴走してくる車から守ろうとその身を投げ出すこと
すら躊躇しない聴導犬は、共に生活する人にとってどれだけ大切な
「耳」なのかと思う。
また、無二の親友はABSでプロのダンサーを一時期志した女性で、彼女から
「音を言葉で聴く」「音を感覚としてとらえる」
つまり、LISTENINGとよばれるくくりわけの行動の中から最も繊細な
豊かな(アート的感覚とも呼べるだろう)ものを掴み取る。
バッハのスコアを読み、自分の脳裏に響いていた音の記憶を再創造するような
素晴らしい楽しみについて書いている。
幾つか、その知己を通じて得たと思われるモダン・ダンス界の巨匠
故マーサ・グレアムのことばが引用されているが、はたと膝を打ってしまうような
名言ばかりで、その言葉とハンナの現在の獲得している世界との関連が深く
静かに伝わってくる。
心の感度を上げておくことは、どんな人にも思いがけないプレゼントをもたらして
くれるものなのだと。
シーナは、ハンナの友人のスタジオでバレエのレッスンをするくだりがあって
ユーモラスで楽しい。
「彼女は、シーナにポワントすら教えようとしているんじゃないかしら。」
と書いている。
少し長めだけれど引用しておきたいのは
『大事な知覚能力が不調をきたしたとき、不運な事故にみまわれたときもものごと
を把握するレーダー装置の一部が失われたとき、人は懸命に探り始める。
構図の変わってしまった世界にいる自分の認識や理解や共感が、人々の営為の
なかで、外の世界にしっくり溶け込んでいるだろうか。ふれあう世界、出会う
人々のなかに、自然と溶けこんでいるだろうかと。』
健聴者とて同じことだと思う。
コミュニケーションはぞんざいに聴いているところには、本当には成立しにくい
ものではないかと考えさせられる。
ハンナは聾唖者、失明した人にも豊かな読書の生活をと「音読」サービスも
含めた障害者向けの図書館サービスの設立に尽力した。
また、当時のレーガン大統領に啓発するようなメッセージを公開した。
選挙キャンペーンで老齢であることをイメージさせないために、側近によって
補聴器をとりあげられた大統領に「ありがとう。」と感謝の言葉を述べて
自分の補聴器をピンク色に鮮やかに塗りましたと書く。
「あなたが、補聴器をつけているところを国民が知ることで人は誰でも耳が
遠くなるときがくる可能性があること、また数百万人単位の成人後の事故等に
よる難聴・失聴の人々を勇気づけることを知らせる機会を失い」「残念でした」
と、ちょっと辛いユーモアを込めてあてこすっている。
しばらく前から補聴器を使うようになった私の父。
聞こえる私の言葉は父にとって、変らずしっくりと自然に溶け込んでいる
「あなたの娘の声」として聞こえていますか?
その声を私はいつまでもあなたに伝え、聞かせたいのです。
Hannah Merker
ハンナ・メーカ
作家。10歳で地方新聞に創作の短編小説を
発表したという根っからのライター。
成人後、失聴。
米国議会図書館の「障害者のための図書館」
創設に尽力。
現在、ロングアイランドに浮かぶボート・ハウス
に住み、各誌に寄稿している。
2005/10/22
ジョン・マグレガー著 真野泰訳
英国初版2002年 日本初版2004年11月 P366 新潮社
NO NAME
名もなき市井の人々にも、毎日のドラマがありその生死もニュースなどにはならずに
瞬く空の星ほどもさまざまには存在している。
ひっそりと知られることもなく。
ある、英国の街のひとつの通りを挟んで住む沢山のひとびとの名前を与えられない
登場人物たちが、てんでがやがやと突然あなたの前で動きしゃべりだす。
読み始めてしばらくは、それがしんどい程なのにしばらくするとびっくりするだろう。
映画のような残像を脳裏にくっきりと残しながら、名前のない人々が生き生きと
それぞれの物語の断片を、カードを撒き散らすように語り継ぐ。
込み入った脚本の映画を忠実にノヴェライズしたような手法。
もともとの文体はさらに斬新な印象が強いのではないかと予想する。
夏の終わりの一日の出来事とその三年後と、ひとりの女性の妊娠とひとりの少年の死。
錯綜した物語はぴったりと閉じあわされた秘密のしるしのように最後に見事に
完結する。
物語の中でちょっと印象的な一部分は、ドライアイの大学生の男の子の話。
彼は現代の化石のコレクターで、がらくた(道端に捨てられた注射器の針とか)
や、ぱっと思いつきで撮ったポラロイドを蒐集している。
その瞬間とか時の化石がそういったものなら、プリクラがなぜすたれないのか
謎がひとつ解けそうだ。
女子高生たちは、化石ではないにしろ自分をイコンにしたい欲望とあわよくば
自分自身を完全に他対象、完全に抽象化してしまったような存在に置いてしまいたい
と考えるのか。
この物語の男の子は、「誰か」が見ていてあげなくちゃという気持ちからと説明
しているのだけれど。
私が本当に感心してしまったのは、読後のあと、しばらく間をおいて読んだ
翻訳を担当した真野氏によるあとがきである。
原文は関係代名詞が極端に少なく、分詞を重ね息の長い文章にしたり反復のリズム
を作る、いわば詩が連なったような小説だとのこと。
引用符やダッシュといった余計なものも使わない。
言葉とは意味を担った音ということを頭に置いて、日本語への翻訳は遂行された。
その努力は、物語のクライマックスで報われていた。
ひとりの少年が車にはねられる・・・その、はじめからおわりまでを出来事に
してみれば数分のことを、ストップモーションの連続のような執拗な言葉と言葉と
言葉で鮮やかに表出してみせる。
私は読んでいるときは、気がつかなかったがこの作品の構成はとても凝ったものだ。
日本では、子どもが生まれるまでのことを「十月十日」というがイギリスでは
the nine months of pregnancyと言い、この物語の
一人称の語りの部分が各章とも、9つのパラグラフでできていて登場する3組の
双子を考えるとかけるの2で18になる。
2つの伏流となるストーリーの掛け合いが交互に18回ずつとのことだ。
そんな仕掛けもわかると、読み終わった後の自分で受けたイメージを反芻する時の
楽しさも味わいも一層深いものとなって楽しい。

Jon McGregor
1976年大西洋のバーミューダ島で生まれる。
父親は教会の司祭。
英国のノーフォーク州で育つ。
大学を卒業後、皿洗いをしながら小説を
執筆し、この長編はデビュー作。
ソーシャルワーカーの奥さんと現在は
ノッティンガムで暮らす。
2度、来日している。
2005/10/13
東京するめクラブ 村上春樹・吉本由美・都築響一
2004年11月初版 P382 文藝春秋社
秘境をお三方が探検してこられました。
名古屋を振り出しに、熱海、ハワイ、江ノ島、サハリン
でとどめは清里。
文章は監修は主に村上氏。吉本氏の鋭いコメントは相当
楽しい。都築氏の写真も細部をついつい眺めたくなり
昨今はやりの『廃墟系』もしっかりチェックされている。
一番面白かったのは江ノ島探訪。
島に在住の方、いらっしゃるんですね。(あたりまえか)
江ノ島島民ということに・・・
戸籍に藤沢市江ノ島なんて格好いいと思います。
出身地は実は「うふふふ。竜宮城なんだけど」
って、インパクトありそうで面白い。
ああ、こんなとこそういえば近いけど行った事なかったかなあというロケの各個性的
魅力を十二分に。あとがきに、現在はこのとおりではないかもしれないから
そうじゃなかったとしても勘弁してくださいとご丁寧に但し書きつき。
雑誌の連載だったから、「じゃあ、行ってみるべ」な御仁が続出したのでは
ないでしょうか(笑)
でも、行ってみたいなという各地でした。
私にとっての身近な秘境を探しだしてみよう。
2005/10/8
コンテンポラリーダンスユニットのイデビアン・クルー
最新作を新宿パークタワーホールで観た。
このホールは、都庁の隣のビルの3つとんがった波みたくなったビルの3Fにあり
同じフロアにはお洒落な(しかし高価で目が飛び出る)コンラン・ショップが
あったりします。
舞台を観る前にちょっとしたアクシデント。
全席自由だったので、チケットをもぎってもらい列の 最後尾に並んだ・・・
はずだったのですが、一番先頭の 方が荷物を置いてお手洗いに立たれていた。
それで、戻られても「私が先頭です」と声をかけて いただけなかったので、悲惨な
ことになってしまった。
反対側が見えないから、私の反対側にどんどんと列が いつのまにか伸びていた。
会場を整理していたお姉さんにお願いして、「ここ!」 と割り込ませていただいた
けど、ものすごく恥ずかしかった し、第一周りの人だって「え、なに?」って感じ
だったはず。
せめて、「先頭はこちら」って ちゃんと掲示板に日本語書いていてくれたらこんな
思いは しなくてすんだのにと、楽しみにしていた舞台の前に 滅茶苦茶に動揺して
不愉快な思いをした。
舞台のタイトルどおり、観客の私はいきなり『迂回プリーズ』 って、やられたよ。
で、ひとりで観にきたから余計始末悪いというかすぱっと 気持ちを切り替えられない。
座って、もんもんもんもんと考え込んでいるうち、仕事の 疲れもあっていきなり
爆睡してしまう。
舞台の始まる衝撃音で目がさめた(笑)
井手茂太の動きから目がはなせない。
このひと、しゃべったりしたらすごくぎこちないのかなとも勝手に想像してしまう。
でも、いざ動いていたら、または目だけで雰囲気だけで感情を伝えようとしたら
原型の10倍くらいのパワーを放出してくれそうだ。
日常の人が、がつんとぶつからずに済んでいるのはお互いに恣意的に好意的に
敵対的に、友好的に無意識に迂回しあっているからだけれどもそれを様々な
動きのスキットで見せる。
途中で粘っこいブルースで女性とデュエットするんだけど、「くわあーっ」って
感じで面白い。
女性ダンサーたちは、個性的な方たちが多くこれは悪意でもなんでもないけど
踊る片桐はいりとか、踊る増田明美(元マラソン・オリンピックランナー)とか
踊る・・・まあ、様々でひとことで感想を言え!と迫られたらとりあえずは
『芸達者!』と答えてしまいたい。
面白かったし、何より終わって体をとりあえず動かしたくなった!すごく!!
http://www.idevian.com/ja/index.htm
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