南海に浮かぶ常夏の島・タホト。一年中花が咲き乱れ、極彩色の蝶や鳥がジャングルの木々の間を飛ぶ、まさにこの世の楽園だ。
褐色の肌の人々は、色鮮やかな布を身にまとい、女は髪に花を挿している。腹が減れば魚を採り、腹が満たされれば歌を歌って、誰もがいつもふんわりと笑って暮らしている。
この島の東に住むリンという少女には、ちょっと変わった特徴があった。
彼女のほくろは、すべて蚊の形をしていたのだ。
だから両親もともだちも、リンを見るたびに、「あっ、リンちゃん、蚊」と言って、手や額をばちっとやる。特に親切な人は、あっ、ここにも、ここにもと、バチ、バチとやる。
そのたびにリンは、つややかな肌をさすりながら、「ちがう、これは、ホクロ。あたしのホクロは、蚊のかたち、なんだってば」と言う。
昨日も、言ったでしょう、とリンにいわれると、みなやっと思い出して、ほろほろ笑う。つられてリンも、ほろほろ笑った。そして翌日にはもうみんな忘れていて、またバチっとやってくれる。
リンが12歳のとき、北半球のどこかの国から、カメラをかついだテレビ局の人たちがやってきた。彼らは、島じゅうを取材したあと、ホクロのことを誰かに聞きつけ、リンの学校までやってきた。
見慣れぬ一団の中でも、ひときわきれいな女の人が、リンににっこり微笑みかけた。「レポーターのアズサです、よろしく」。白い肌とピンクのくちびる。後ろでひとつにゆわえた黒髪。スラリとしたパンツスーツ姿。その姿かたちの美しさに、リンはみとれた。
リンはカメラの前で、はしゃいで話した。ところが、ひととおり話を聞きおわったレポーターのアズサは、眉間にしわをよせ、リンの手首にある蚊のホクロをなでながら、哀れむように言った。
「ひどい話。あなた、愛されてないのよ。だって愛されていたら、みんな毎日忘れるわけないでしょう。嫌われてるようではないけど・・・・・・」
そうしてさらに、父さんも母さんも、兄弟の中で、リンのことだけをしからないと聞くと、「やっぱり」とうなずいた。「みんな、あなたのことなんてどうでもいいのよ」。
さっきまでふくらんでいたリンの気持ちは、ぺしゃんこになった。今まで感じたことのない黒いもやもやが、リンの心の中に広がった。
黙り込んだリンを励ますように、レポーターのアズサは、リンの肩に手をおいた。
「ご両親やお友達と、正面から向き合って、話してごらんなさい。もっと私のほうを向いて、ぞんざいに扱わないでって。そうしたらきっと、ぶたれなくなる。あなたは、自分の力でこの問題を解決できるの。逃げないで。あなたにはその力があるわ。ね、それも撮らせてもらっていいかしら? いいわよね」
彼女の目はきらきらして、自信に満ちていた。それがいっそう、リンを不安にさせた。彼女はカメラといっしょに、当然のように親友のハナのところまでついてきたけれど、それをどうこう言う余裕は、リンにはなかった。
「ねえ、ハナ、あなた、わたしを毎朝たたくのは、わたしの、蚊が、ホクロっていうことを、忘れてしまうから、よね。それは、あたしのことを、愛してないから? どうでもいいから、忘れちゃうの?」
リンの親友のハナは、とても賢い子だった。
「ばか、逆だよ。愛しているから、頭がまわるより先に、手が出ちゃうんだろ。ああ、リンを、蚊にくわしちゃいけない、って。それに、あんただって、ムスカの足を、毎朝、踏んづけてるじゃないか。あれは、愛してないからか?」
ハナのいつものぶっきらぼうな口調が、リンの不安をふきとばした。そうだった、リンは笑い出したくなった。リンは、同級生の男の子、ムスカの足を、毎日踏んづける。彼の足には、ムカデの形のホクロがあるのだ。ホクロだって毎回言わて、ほろほろ笑うのに、翌朝には忘れて、またつい踏んづけてしまうのだ。そしてリンは、ムスカのことが大好きだった。
リンとハナの会話を聞いていたレポーターのアズサは、その目の輝きを失っていた。そして、つまんない、ここは使わなくていいわよ、と後ろを向いて言った。
テレビ局の人たちは、その日のうちに帰っていった。しばらくして、放送されたビデオが送られてきたけれど、リンはまったく出てこなかった。
それから7年の月日が流れた。その間ももちろん、リンは毎日、バチンと蚊のホクロをたたかれては、毎日ほろほろ笑っていた。
19歳になったリンは、結婚することになった。
相手は、足にムカデの形のホクロのある初恋の男の子、あのムスカだった。ムスカもまた、足を踏んづけられては、毎日ほろほろ笑ってた。
結婚式の日、またあのテレビ局の人たちが、カメラを持ってやってきた。レポーターのアズサも一緒だった。
海辺の式には、島中の人が集まった。砂浜には花びらがしきつめられ、テーブルには、大きな皿に盛ったフルーツやごちそうが、ところせましと並べられた。高座できらきら光る服を着て、手をつないでほほえんでいるムスカとリンは、王様と女王様みたいだった。
でもリンは、レポーターのアズサが、こう言ってるのを聞いてしまった。
「仲が良いのなんて新婚のあいだだけ、どうせすぐうまくいかなくなる。私は、そんな夫婦をいくつ見たかわからない。だから私は結婚なんて信じないのよ。
リンは、愛されなくなったら、すぐわかっちゃうわね。蚊のホクロをたたかれなくなるから。まあ3年以内てとこかしら。彼女はある意味ラッキーとも言えるわ。夫の愛が消えたのかまだあるのか、普通の女は不安に胸を焦がすけれども、彼女にはそんな必要がないのだから」
そう話すレポーターのアズサの顔は、やはり美しく、自信たっぷりだった。でも。もうリンがそれで不安になることはなかった。前の経験からも、彼女の言葉なんて信じるに足りないとわかっていたし、だいいち、ムスカの愛がなくなるなんて、恋を失ったことのないリンには、想像もつかないことだった。
だが、結果からいうと、レポーターのアズサの言ったことは、正しかった。ごく部分的にだけれども。
結婚して3年を過ぎたころ、本当に、ムスカがリンの蚊のホクロをたたくことは、めったになくなってしまった。
でもそれは、愛されなくなったからではなかった。子供が生まれ、リンが太ったおかげで皮膚がのび、もはやホクロはとうてい蚊には見えなくなったからだ。
さらに20年、30年と月日は流れるにつれ、蚊のホクロはしわやたるみの陰にかくれ、すべて姿を消した。だからムスカも、まったくたたかなくなった。
リンの蚊が消えて、ムスカはリンをたたかなくなったのだけれども、一方で、太りもせず、しわにもならないムスカの足には今もムカデがいて、リンは今も毎朝、踏んづける。そして、二人でほろほろ笑いながら、おはようのキスをする。

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