オーケストラの演奏で、一生懸命自分の「音」を出すように、自分が何者かを知り、それを人生の中で表現することが大事です。その一方で、他者の音も聞いて、ハーモニーを生み出すこと。自分とは違った他者の生き方を理解しながら、新しいものをつくり出すこと。 同じ時代に存在している仲間と大きな音楽をつくっていくことが、生きる目的となる世界を「響き愛」と表現しています。 また、私たちの人生は、自分のことだけでなく、他者の役に立つことに取り組むことで成り立っています。「生きている」ことは「生かされている」ことですが、「生かし合っている」姿でもあります。太陽が植物を照らしていくように、お互いが照らし合って、生かし合っていくことを「照らし愛」と表現しています。 ★私の活動や考え方について詳しくお知りになりたい方は、リンクにある「オフィスたぐち」のホームページもあわせてご覧ください。

2017/6/20

考察メモ  

介入の方法があってその支援のために理論がある。

理論があって介入の方法が見つかるというのは逆転している。

理論は現実の一部分であり解釈に過ぎない。

主体性と自然性、そして関係性の理論によって進めてきたのは、自由への解放であった。

従って私のやり方には、固定から解放へと開くことによって問題を消していく側面がある。

しかし、逆に拡散した問題を凝縮させていく理論が必要であり、そのための介入法も必要である。

結局、人生にしても、社会にしても、自然界にしても、発見されるクロスは、時間軸と空間軸である。

時間軸についていえば、不満があればそれに執着して過去が生まれ、その過去を取り戻すために未来が生まれ、そこに発展や改善という衣が着せらせる。

仮に、満足があれば、それはその時点で差引もなく消化されて、過去も生まれず、未来も生まれない。

それは感謝や受容、いまここの満足として記述される。

そして、空間の広がりは凝縮していくことと拡散していくことであって自己評価を大事にすれば個として確立するが、それは他者評価を無視することになり生存性を低める。

他者評価を大事にすれば生存性は高まるか、自己を喪失する危機となる。


正確には他者評価というよりは適応優先ということになる。


動物の場合には、個性の表現と適応優先は一致する。自然淘汰のなかで本能の発現イコール適応だからだ。

また、動物には時間はない。

ぺっとなどおあずけが出来るものは違うだろうが、自然状態では快不快は今ここで起きている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人間は本能が壊れている。

個体幻想を本能のかわりに、共同幻想を現実のかわりとして生きているが、これが一致しない。

不適や生きずらさはここから生じる。

個体幻想の表現として芸術や宗教があり、共同幻想としての現実も歪められていく。

お互いをゆがめて一致をみるのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この表現によれば、愛も神も真実も・・すべてが幻想ということになる。

しかし、幻想という言葉は不適切であって人間にはこれ以外の現実もないのであるから、これを実在、現実と呼んでもよい。

言葉のあやである。

では、なぜ、幻想というのか。

それは、現在の共同幻想たる現実が個性の表現と適応を同時にすすめるにおいて、うまくいっていないので、一旦解体して再構成しようとしているのだと思う。

しかし、現実を幻想と呼ぶことのリスクがある。

それによって、人生がほとけて砕けていく。糸をほどくように虚無が襲ってくる。

幻想がまずければ、すべてが想念で出来ているといってもよい。

それをどのように変えればよいのか。

以上が心の働きというものである。

それをもうひとつの物質の目でみて再構築することもできるという具合である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いのちが導く生き方、自然性を取り戻した生き方

そこにおいて、個人がもっている「個性」「自己評価」「自己イメージ」

それはどうやってできて、変えることができるのか、変えてはいけないのか、

共同化された幻想が現実となるのであれば、共同化されない自己幻想は現実ではない。

共同化されない幻想は自己幻想として処理されるが、本当は実在の一部ではある。

自己実現という意味が明らかになってくる。

自己受容、自己統合、から自己実現になるというのは本当なのか。

すべてが共同化されても自分はなくなる。

すべてが共同化されないと自分は現実ではなくなる。

共同化されたのが現実、残りが自分だとすると。

自己を実現するとは、その残りを現実化していくのか。

しかし、それをし尽せば自分はなくなる。

現実を拒否すれば、自分を保てる。

現実、つまり共同幻想を受け入れれば、自分の一部が現実化する。

他者を受け入れれば、自分の一部は他者として現実化する。

自己実現とは自己消失とはならないか。
0




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ