
「定福院」(埼玉県栗橋町)
「私は支倉常長の子孫である」
「え、あの歴史上有名な・・・。で、何をした人でしたっけ」
「痴れ者めが。江戸時代にメキシコ経由で、ローマ法王に謁見したのだ」
「帰ってきたら、アジャパー。キリスト教が禁令になっていたという悲喜劇の人物でしたっけ」
「そうだ、しかも墓は3か所もあって、死んだあともなんだか落ち着かない。一体私に何を言わせたいのだ」
「どうして、ローマ法王に会ったのにメキシカン・ハットなのですか」
「いや、よくぞ聞いてくれた。我が家に代々伝わる書では、常長はメキシコには卑弥呼がいると、勘違いしていたそうだ」
「卑弥呼? ですか。そりゃまたどうして」
「常長は、文永・弘安の役に兵士として参加していたんだ。従軍中に国の統一というものが本当に人の幸せに必要なんだと実感した。心の平和と国の統一と言うのは不可分だとアイデンティティのソシオサイコロジカルな面を洞察したわけだ。だから、日本古代の統一者卑弥呼に憧れていたというわけだ」
「無学なものでお尋ねしますが、文禄・慶長の役では」
「いや、その通り。ちょっと間違えた」
「で、なぜまた、その卑弥呼を求めてメキシコになったのですか」
「メキシコは地元の言葉でメヒコと言われていた。今も言われているがな。当時、日本に漂着した者がさかんにメヒコ、メヒコという単語を口にしていたが、誰もが知らない言葉は知っている言葉に間違えるだろう。もとより、国を見事に統一した卑弥呼に憧れていた常長は、これは何かの恩寵に違いないとして、時の伊達宗政にとりいってローマ法王に会うという大義名分でメヒコに渡ったのだ」
「ひょっとして、おかぶりになっているその帽子は」
「いかにも。常長がメヒコに行ったときのお土産だ」
「私は、仏教にも心の問題だけでなく政治にかかわってもらいたいと羅漢の姿になって政見を訴えているのだ」
「すると、あなたは仏教の中での政治喧伝者。プロパンガンディスト」
「そこじゃ、そこ。それを仏さまは堂々とお認めになられたんだ。しかも、羅漢の誰もがそれはいいことだと、ニコニコしながら認めてくれる。ところが、誰一人として、政治的にはならない」
「むしろ、やはり政治よりも心が大切とプロパガンダされたのはあなたの方」
「ははは、そうじゃそうじゃ。というわけで、明るくメキシカンハットをかぶりながら修行しているわけだな」
「いえいえ、心理的なものは政治的にならざるを得ません。真に心を見つめればきっと・・・」
「いやいや、そんな論理はもはや通用しないのが悟りかな。わははは」

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