小さい頃、東長寺という有名な真言宗のお寺の中のアパートに住んで
いた、境内は広く何時も子供達の、遊び場になっていた
東長寺の由来は、弘法大師が唐からお帰りになられた際ある船宿を
買い取られ、多くの仏典や教本を奉納されて、真言密教が長く世に
伝わるよう、東長密寺と名付けられたと言う いわば真言宗発祥の由緒
ある名刹である
しかしその割には余り目立つ訳でもなく、何処にでもある普通の御寺と
いう風情であった
お寺の中はは広く、三角ベースの野球や らんちん パッチン等に興じる
子供達の歓声が、終日途絶えることがなかった
子供達のボス格はお寺の次男でヤッちゃん、見た目も良かったが
大の裕次郎かぶれ
ある時など小さな子供達(私もその一人)を集めて、裕次郎のように
足を引きずって見せ
どうや、似とろうが、裕チャンにそっくりやろ
どこがどう似ているのか、さっぱり分からない子供達も
うん、よう似とう そっくりバイ
すると彼は満足気に、ポケットから小さな紙袋を取り出し 中に入って
いる、バターピーナツを子供達に分けるのだった
これがやたら旨く、境内の掃除や講堂のぞうきんがけなどキツイ仕事も
この褒美が待っているので、子供達は嬉々としてやっていた
夏の夜の肝試しも忘れられない、お寺の奥には御墓が並んでおり小さな
空き地もあって、昼間は缶蹴りやおたすけ(鬼ごっこ)などで遊んでいた
夏休みになると四〜五人で集まり、肝試しをしようという事になる
まず言い出した子供が、昼間目印になる物をお墓の上に置いておく
今晩八時に集合バイ、逃げなんな
各々持ち寄った物を(例えば新聞紙とか空き缶など)墓の上に置いて
前のものを持ち帰り、次にバトンタッチする
こうすれば実際に行ったことが証明できる、これは恐ろしかった
昼間の雰囲気とはがらりと変わり、辺りはシーンと静返って今にも
何かが出てきそうだった
とにかく前を見ず、下を向いて目印を取ったら一目散に駆け出した
心臓がバクバクしているのがよく分かる あれは心臓の弱い者は止めた
方がいい、子供でも心臓発作がないとは限らない
夏休みと言えば宿題の日記帳もてごわかった 真面目に日記を付けるのは
最初の1週間ぐらい、その内だんだん面倒になり、やがてほったらかしに
なる
ようやく休みも最後の二、三日になって、慌てて日記帳を開き空白を
埋める作業に取りかかる
しかし1ヶ月近い空白を全て覚えているはずもなく、やむなくデッチ
上げることになる、^^
今日は電車に乗って何処そこへ行ったとか、見てもいない映画を見に
映画館に行ったとか、家族で海水浴に行ったなど創作活動に余念がない
どうにか日記が終了してもまだ問題は残っている、天気も付けなければ
ならない、これにも一苦労させられる
日記はごまかされても、天気は歴然とした事実で本来ごまかす事は
出来ない筈なのに調べるのも面倒で、勝手に曇りとか、晴れにしてしまう
あとで皆の日記帳を見た先生も、可笑しかったのでは なにしろ天気が
それぞれで違っている
しかし、それで先生から叱られたという、記憶がないのは先生も子供の頃
同じような覚えが、あったからではないだろうか
今になっても夏休みの時期が来ると、日記帳のことが思い出されてなら
ない
私は中学に入った頃引っ越したので、その後ヤッちゃんと遊ぶ機会は
なくなった、ただ時々お寺には様子を見に行っていた
それが行く度立派になって、最後に行った十年程前にはそれはもう総て
建て変わり、堂々たる門構えになっていた
ヤッちゃん才覚があったんだなと、感心することしきり
ところが二年前のある夏のこと、たまたまテレビで博多祇園山笠の
実況があり、懐かしく見ていた所、山が東長寺の前で挨拶するのを
門前で手を合わせて返答される、御住職がおられた
あ、ヤッちゃんだ、!
品格十分 大僧侶のご様子だが私には子供の頃、足を引きずって歩いて
見せた、あの姿が忘れられず、何か可笑しいような懐かしいような
そんな気がして仕方がなかった
そう言えば二人で見にいった、錆びたナイフの再放送をケーブルテレビで
見るたび、貴方の事を思い出す
子供の頃の思い出は、何時まで経っても忘れられない
テンテンテテン、テンテンテテン、テンテンテテン 澄み切った秋空に
相撲太鼓が鳴り響きます
十一月になると、大相撲九州場所が始まり、関取衆が大挙して福博の
街にやって来ます
昔は各部屋ともお寺に宿泊していました、子供の頃近くに若松部屋が
あってよく見に行っていました
褐色の弾丸房錦や、潜航艇岩風、我らがまっちゃん大関松登など
そうそうたる関取衆がいて、何時もサインを貰っていました
稽古はほとんど朝で、テントのような物の中に土俵が作ってあり
若い力士が、土にまみれて汗を流しています
稽古は厳しく少しでも気を抜くと、兄弟子のシナイが飛んで来ます
恐いもの見たさで、テントの隙間からよく覗いていました
この頃房錦関の付け人さんと仲良くなり、よくお寺の境内で遊びました
シコ名を聞いたらだんご山といっていましたが、これは多分ふざけて
言ったのでしょう
子供達の楽しみは、お寺を回ってサインを貰うことでした ある日
何時ものようにお寺にいって、テレビでよく見る平幕の力士にサインを
頼んだ所、今忙しい、と断られてしまいました
そのくせ、付き人とキャッチボールなどしています
滅多にないことで、悔しくてトボトボ歩いていると、偶然若いお相撲
さんに出会いました、勿論名前も分かりません
こういう事の後ですから、誰でもいいやという気持ちでサインを頼むと
そのお相撲さんは、遠慮勝ちにこう言いました
わたしは、他の関取衆がサインした上に 書けるような身分では
ないので一番下にしますが、それでいいですか もちろんOKです
そしてサイン帖の一番下に、大鵬幸喜とサインしてくれました
この時は新十両になったばかりで、ほとんど無名でしたがやがて二年
程で横綱になり、その後も数々の大記録を打ち立てました
それから大鵬の姿をテレビで見る度、応援を続けました 一代年寄りに
なり、たしか理事長もされました
まさ心技体揃った、昭和を代表する名力士だったと思います
残念ながらそのサイン帖は、紛失して手元にはありません
しかしあの時の事は、今でも鮮明に憶えています
大学で麻雀クラブの部長をしていた、最初は麻雀クラブそのものは無く
有志達と相談して学校側と掛け合い、何とか設立の許可を貰った
卒業するまでそれは天国だった 結構な部室を与えられ毎日タダで
麻雀は打てる、おまけに部費まで出て、部員の飲み食いにも困らない
部長、部長と呼ばれて、とても勉強所ではなかった そんな頃女の子の
新入部員、二人がやって来た
部長さんですか、? 入部したいんですけど宜しいでしょうか
一人は小柄でややふっくり型、もう一人は背が高くスラッとしている
勿論即OK
部室に案内するから、一緒に付いておいで
部室に行くと部員達が、授業も出ず麻雀を打っている
皆新しい部員を紹介しよう、ええと長島さんに
こちらが栗本さん、宜しく頼むよ
長島です、栗本です、宜しくお願いします
皆の目は長身の栗本さんの方へ向けられた、スタイルがよく顔も当時
アイドルだった、五十嵐淳子に似ている
これはクラブに嵐が巻き起こるぞ そんな予感がした
予感は的中した栗本さんは(愛称でクリちゃんと呼んだ)はモテに
モテた、男を惹きつける何かを持っている
話をする時目線をそらさず、真っ直ぐ相手を見る、それもつぶらな瞳で
これでは男はイチコロ、モテるのは当然で自然の摂理、魅力的な女性を
ほったらかしにするのは、却って失礼に当たる
しかし様子がおかしい、みんな三月と持たない、早い者になると一月で
別れている、それに誰も憔悴しきって、元気を無くしてしまっている
どうした、元気が無いじゃないか 身体でも悪いのかい
いや身体は何ともないけど、、ただ
ただなんだい、そう言えばクリちゃんと別れたそうだね
何かあったのかい
それが実は、彼女は色んな人の話を聞きたいって言うのさ
彼は遠い昔の事を話す様に、外の景色を眺めながら
もうあなたとはお会いしません、お元気で、彼女はそう言うんだ
僕には何が何やらさっぱり、分からないんだよ
何人かに聞いてみたが、どれも同じような話だった、
そうか、彼女は飽きっぽいんだ、要するに気が多く相手が見えて
しまうと、もう疎ましくなる、そんなタイプの女性なんだ
男性に憧れを持っているが、欠点を見つけるとイヤになる
恐らく完全な男性を求めている
私は一人合点がいった、これは用心しないとエライ事になる、それから
成るべく彼女とは距離を置いた
彼女の魅力に惹かれて、後で泣きを見るのはイヤだったからだ
しかし、意外な事から彼女と付き合うことになった
クラブで、一泊の親睦旅行をしようを言う事になり、鬼怒川温泉に
行くことになった 総勢十名ほど、今から考えれば学生の身で温泉とは
まあその時は、余り違和感はなかった
宿につくと早速卓を開いて勉強会、引っ掛け 迷彩 女の子に男達が
嬉々として教えていた、、夕食が終わると各々好きな所へ出かけて行った
温泉に浸かる者、運動がてらその辺を散歩する者、私は外へ出るのが
おっくうで部屋に残っていた
誰もいなかったが、クリちゃん一人残っていて二人きりになってしまった
最初は無言だったが、何時までも黙っているのも具合が悪く私の方から
声を掛けた
クリちゃん、たしか小樽だったね
あそこは寒いんじゃないの
僕は九州なので寒さに弱くてね
部長さんは福岡でしたね、あったかそうで
小樽は寒いけど良い所ですよ
冬になると雪虫が舞って、それは幻想的なんです
彼女は真っ直ぐこちらを見つめ、北国の素晴らしさを私に聞かせるの
だった
部長さん、福岡のお話も聞かせて下さい
その夜は二時間ばかり話しただろうか、私の面白くもない話によく笑い
時には悲しげに、一生懸命聞いてくれた
こんな経験は初めてだった、なんて素晴らしいんだ 今までの彼女に
対するイメージは、吹き飛んでしまった
旅行から帰ると毎日のように話をした、もう彼女なしではいられない
昼間は大学近くのポプラ並木を散策し、夜になると互いに電話を掛け
合って、取り止めのない事を喋っていた
長電話をして、大家さんに何回も注意されたが、そんな事は耳に入らない明日は何を話そう、何処に連れて行こうか、そんなことばかり考えていた
しかし別れはある日突然やって来た 友人が彼女に会って
クリちゃん、あいつも卒論で忙しいので
付き合いも、程ほどにしてくれないか
今年も留年すると、大変らしいから
私の身を案じてくれたのだろう、それを聞いて彼女は
分かりました、あなたの仰る通りにします
あっさりと答えたらしい、それからは校内で会っても知らん顔
声を掛けると、小走りで駆けて行く
一体何が! 何か悪いことを言っただろうか、彼女の気に障る事をした
だろうか、後で友人に訳を聞くまで何がどうなったのか、さっぱり
分からなかった
私の方は彼女の面影が忘れられない、無視されるのを承知で帰りの
電車に乗る彼女を追いかけ、ホームに立つ姿を見ていた
一時は友人を恨んだが、今から考えると丁度私にも飽きが来ていた所へ
友人の話があり、渡りに船で乗ったのではないだろうか
それが証拠に彼女は、すぐに新しいボーイフレンドを作り楽しそうに
話をしていた、その姿を見るのは辛かった
相手が私の友人だったので、なおさら傷が深かった
その後私は卒業し社会人になり、大学に残った彼女の消息は分から
なかった しかし彼女がよく着ていた草色のコートを見かけると
思わず駈け寄り、確かめたものだった
それからは面影を追い辛い数年を過ごした、それは本当に切なかった
しかし今君が幸せなら言うことはない、素晴らしい想い出をありがとう
あの輝きのような三ヵ月の出来事は、一生忘れる事が出来ない

0