2015/9/6

ブログ引越ししました  膠原病

新しい免疫ブログりんりんはこちら

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2015/9/4

合併症が次々と  膠原病


奇跡の連続投稿3日目です(奇跡なんかい!)


9月2日から書いている過去に起きた出来事から読んでくださっている方、どうもありがとうございます。

どうしても重くなってしまう内容ですが、
そこが私の人生の第二部のスタート地点になっているのでどうしても欠かせないのです。

死産という経験があって命に対する思いが深くなった、
そしてどん底から救ってくれたのは愛犬のぐんである、
3月11日の東日本大震災があってそれまでよりもいっそう真剣に命と言うものを考えるようになった。
9月2日から書いてる内容を簡潔にまとめるとこんな感じです。

ところがですよ、
なにかをやらなくては!と焦る気持ちとは裏腹に膠原病は悪化して誰かの役に立つことはおろか、
普通に生活することさえもままならない体にどんどんなっていくんです。
具体的には死産のあと、腎機能が悪化したままなかなか元に戻らず、
というのはたんぱく尿がずっと出ていたのと、肺に重大な疾患が発見されたこと。
重大な疾患というのは過去に罹患した間質性肺炎の寛解後の壊死した場所に
アスペルギルスと言う真菌の仲間、いわゆるカビがコロニー(巣)を形成してしまったことです。
それについても過去の記事で散々書いてますが、当時の主治医に肺の切除まで提案されたものの
紹介された専門医で手術は不可能と診断され要するに治る見込みはないとはっきりと言われました。
少なくともうちの病院で今までに治った患者は0ですと。
病院に通っているとよくあることですが、このままでは死ぬと医者に言われたのは初めてではありません
ある日突然血を吐いて死ぬことがあるとまた言われました。
そんなことを医者から言われたらどう思いますか?
最も簡単な答えは「絶望」。
そして絶望の最中に今度は膠原病の合併症であるループス腎炎で入院を余儀なくされたのでした。
ここまでくるともうひらきなおるしかありません。

死んだと思えばなんでもできるんじゃないの?

この入院を最後に私は病院とさよならをしたわけです。
だって、病院で治る方法がないんでしょう?
ならば通う意味ないじゃんねぇ?そうでしょう?
病院にさよならすることを決めて、同時に長年修行してきた温灸治療を
武器に治療院を開業することを決心したのです。

死ぬよ死ぬよって医者から脅かされてビクビク寿命を小出しに生きていくよりも
こんな時代に戦争やテロや事故や災害で誰がいつ死んでもおかしくない時代だからこそ
やりたいことやって死のうや、少しでも人の役に立ってから死のうやってそう思うんです。


こんなふうにして私の3回目の人生の転機はおとずれました。





今日も最後までお読みくださいましてありがとうございました。

今日までは過去のお話です。
次回からは未来に向けての話になっていく予定です。
そこでブログを引っ越しすることに決めました。
たかがブログといえども10年近く書いてきたteacupブログです、愛着があります。
辛い過去でも大切な思い出、初心は忘れず前に進むための引っ越しです。
皆さん引き続き応援の方よろしくお願い申し上げます!

ブログタイトルは同じ「免疫ブログりんりん」です。

http://s.ameblo.jp/gunmame1107/








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2015/9/3

子供が教えてくれたこと  膠原病

さて前回の続きです。



読みながらいまだに少し動悸がします、涙も出ます、とても辛いですが
こうしてもう一度振り返るだけの気持ちの変化がありました。

死産を経験後、数年間は妊婦さんを見ると激しい動悸がおきました。
ある時バスに乗り、バスが発車するのを待ちながらぼんやりと外を眺めていたときのこと、
まだ歩き始めたばかりの足どりもおぼつかない小さな子供が
パタパタパタっと前のめりにかけて手を広げて待つ
お母さんの胸に飛び込んでいくシーンを見たことがあります。
とても微笑ましい光景ですよね?
でも当時の私にはその光景が胸に突き刺さり、
見た瞬間に涙がどっと溢れてきて止めることが出来なかったのです。
普通の心情なら微笑ましい親子の一場面が当時の私にとっては
苦しみ以外のなにものでもなかったのです。
また、妊婦した芸能人が大きなお腹を幸せそうに撫でながら
インタヴューされている場面を見ても胸の辺りが苦しくなってくるので
急いでテレビのスイッチを消していました。
もちろんその人たちが憎いとか羨ましいというのではなくて、
身体が勝手に反応して心臓がバクバク言い出し口から飛び出しそうになるのです。
心臓が口から出るわけないんだけど、それくらいの激しい動悸がするんです。
あれはおそらく病院へ行っていたら死産の経験によるPTSDと言う診断だったと思います。
で、精神安定剤が出て薬漬けのパターンですね。
そこは冷静に自分で判断できたので薬に頼るつもりは毛頭ありませんでしたが。


あれから今年で8年目です。

8年経ってやっと当時を客観的に話すことが出来るんです。

そんな症状が落ち着いたのはおそらく...
というより確信をもって言えますが、愛犬のぐんがきてくれたおかげなんです。
亡くなってしまった我が子は男の子でした。
ぐんがきてくれたその日からぐんは私にとって息子そのものになりました。
そしてぐんがきてくれた2011年3月はけして忘れることのない未曾有の災害、
あの東日本大震災が起きた年でもあります。
あの地震で子供からお年寄り、動物たちもたくさんの尊い命が一瞬にして奪われました。

地震が起きたときぐんが我が家に来てまだ1週間しかたってなくて
私は4ヶ月のラブラドールを守るように抱えてテレビ画面に映る津波の映像を
信じられない気持ちで見てました。
私は神奈川県の自宅にいましたので震度5だったので怖かったけど
家具が倒れるとか甚大な被害はありませんでしたが
津波の映像を見てる時体が勝手に震えてしまいました。
実際にその場にいた方たちの恐怖はどれ程のものだったのでしょう。

その後は私が言うまでもなく日がたつにつれ報道される死傷者の数が増え、
地震と同時に起きた福島第一原発の事故の後遺症は取り返しのつかないことになり
現在も福島のみならず日本中が不安を抱えたままであることは歴然たる事実です。

2011年3月11日以降、私は自分に何が出来るのかをずっと模索してきました。
当時耳にした言葉、お金がある人は金を出せ...経済的援助、
体力がある人は力出せ...瓦礫処理などのボランティア、
知恵がある人は知恵を出せ...復旧に向けた具体的案など、
どれもありません!
すごく悔しくて歯痒くて考えても仕方ないけど私なりに毎日考えてきました。
考えた結果、財力もない、病気で体力もない、知識もない私がどういうことをしたら良いのか?
とにかくやれることをひとつずつクリアしていく方法しかありません。
バカなりに少しでも役に立てることとは?

そしてその頃から次第に震災で亡くなった子供たちも、病気でなくなった子供たちも、
今この瞬間にもテロや戦争の犠牲となってる世界中の子供たちも、
8年前に私が失った子供と同じくらいに尊く大切で、自分の子供のように
守るべき存在だったんだということに今更ながらですが明確に気がつきました。
このように8年前の妊娠からの死産、ぐんとの出会い、東日本大震災などの出来事が
命の大切さを改めて私に教えてくれたんだと思います。
逆に言えばそんな当たり前のことがわかっていなかったなんてなんという愚か者なのでしょうか。
自分の子も他人の子も世界中の子供たち全てが大切な地球の宝物なんです。

こうして書いてるうちにどんどん感情が高まり矛先が国や政府に向き始め
毒舌が目を覚ましそうになるのですが誰かのせいにしたり頼ったりするからだめなのです。 
反戦のデモは必要、声を上げることは必要、だけど私には私にしか出来ない
反戦デモ以外の別の使命があるはずだ、そう思うんです。
これはもちろん私だけに限ったことではなくて
この世に生まれてきた人間一人一人にあるはずなんです。


さてさて感情が高まって今回もまとまりがつかなくなってきました(笑)

続きはまた明日にでも。





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2015/9/2

過去をふりかえって...  膠原病

いよいよ9月になりましたね〜
私は9月生まれなので、ああ、また中身の成長なしにひとつ年を重ねるのね〜
と言うやるせなさと、大好きな8月が去ってしまった寂しさで
なんとなくセンチメンタルになってしまいます。

って一体どのへんが?

とかは聞かなーい(笑)



最近は高熱出してない、
入院してない、
指なくしてない…
ところを見るともしや健康なのでは?

ついに!!


昔からそうなんですが、調子がいいと天のそのまた上まで調子に乗り過ぎるたちなので、
自分を戒めるために自分の過去記事を読んで数々の過ちを思い出したりしています。
あ、このあたり少しだけ成長してるかも?(笑)


私は同じtea cupでブログをもう1本書いていますが、
現在そちらの「ぶろぐりん☆は〜と」は愛犬ぐんのお話が主となっています。
ここ「免疫ブログりんりん」をまず書き始め、
その後に新たにアカウントを作って「ぶろぐりん☆は〜と☆」を書き始めました。

内容は、「免疫ぶろぐりんりん」 → 自らの病気膠原病のことを中心に治療などの話

    「ぶろぐりん☆は〜と☆」 →  愛犬ぐんの話



というふうになっています。


何故そのようになったのかなんですが...

2007年の9月から10月にかけてあまりにも辛く耐え難い出来事が私自身の身の上に起きたので、
ブログの存在そのものから逃げたくなってここ「免疫ぶろぐりんりん」を閉鎖して
「ぶろぐりん☆は〜と☆」を新設して新たな気持ちでスタートしたのです。

そのように一度は閉鎖したブログだったのですが、
悲しい事も記されていれば楽しい事はその倍以上に記されている
大切な私の宝とも言えるブログだったのでアカウントまでは消しきれず、
しばらく閉鎖し間をおいてから再開したのです。
そんな経緯によりブログが2本になってしまいましたとさ!(笑)

そうこうするうちに2011年3月にぐんが我が家へやって来て、
それまでに綴った悲しい事の何倍も幸せで楽しいブログを書いて行こうと思い
現在のような犬ブログ「ぶろぐりん☆は〜と☆」が誕生しました。


2007年の9月末から10月にかけての「ぶろぐりん☆は〜と」の自分の記事、
昨日初めて読み返すことが出来ました。
8年目にしてやっと少し前に進めているのかな?


その内容は妊娠と死産です。

内容が重く長いので今回はここまでにしておきます。
そして何故今ごろ過去を話すのか。
続きはまた明日にでも...
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タグ: 温灸 死産 SLEと妊娠

2015/8/6

1年4ヶ月経ちました  治療

通院&服薬をきっぱりやめてから今月で1年と4ヶ月が経ちました。

と言うかまだたったの1年と4ヶ月なんですね〜


薬を飲むのをやめてから気が付いた体の変化はいろいろありますが、
その中の一つが異常な量の汗をかかなくなったことです。
去年までは8月である今の時期、朝起きたら水浴びをしたかのような汗をかいてました。
布団が腐るんじゃないかと思うぐらいでした。
暑いことは去年も今年も間違いないんでもちろん汗はかきますが、去年までがいかに異常だったか。

薬をやめたことと食生活の改善で体温調節システムやその他ホルモンの働きが正常に戻りつつある、
と、そんな感じがしています。
考えてみればホルモンを狂わすような食べ物をたべたり生活習慣そのものを正さないで、
化学合成されたホルモン剤でごまかそうとしても無理なんですよね。

私は膠原病のSLEだけでなく、甲状腺機能も低下しているので
甲状腺のホルモン剤も飲んでいましたが飲んでいてもさっぱり良くはならず、
数値を測るたびに薬がどんどん増えていきました。
現在はそのホルモン剤も全く飲んでいませんが飲んでいた頃よりも体調はずっと良くなってます。

4年前の3.11以降は福島及びその近県で子供達の甲状腺の異常が増加しているという話も聞きます。
もちろんこの先は甲状腺異常だけでは済まないでしょう。
それは決して化学合成された不自然なホルモン剤やその他の薬では改善されないこと、
原因を取り除かない限りは解決にはなりません。
原因を取り除くにはどうしたら良いのか、大人は真剣に考えなければいけません。
放射能で狂わされた免疫システムを更に化学薬品で狂わすことの恐ろしさ…
経験した者としては非常に危惧しています。
そしてそれら科学薬品を飲んでいる間はその恐ろしさには気がつかないのです。















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