なんか一部では、橋下大阪市政での大阪市音楽団問題が出ているようですが、私は私で「
日本のクラシックホ-ル」という本を見つけました。
「
世界の夢の本屋さん」という本を見たとき、
「日本の本屋って、なんでダサイんだろう!世界には、なんて素敵な本屋があるんだろう!」と思ったものでしたが、なるほど、建築には“様式”てのがあるのですね。
日本が文明開化の頃はお雇い外国人が官庁とか駅とか富豪の屋敷なんかを設計して、時代が下がってそれらが美術館だの図書館(!)だのに払い下げられたりして文化財として残っていますが、書店はそうはいかない。
それでも江戸時代の形式の本屋だったら味わいもでるでしょうが、基本的に、十把一絡げの書店って外装とか外壁なんて関係無い、商品本意で勝負!という形・思想で経営されております。
音楽ホールも帝国劇場のような、国の威信がかかったものはともかく、公共ホールだの個人が中心となったオーチャードホールやサントリーホールだのって、外観は時代だの文化だのは継承していないでしょう。
音楽ホールの建築記を読んでも、音響と従来のホール、それも公共の多目的ホールを想定して“ここが違う!”という差異の強調で、建築文化の威厳は味方に付けているわけではないのですね。
それがどう悔やまれるのかというと、外装に威厳があったら、それに相応しい内容でないとちぐはぐだ、というマッチ:match:調和の感覚が形成されないんじゃないかと思うのですよ。
吹奏楽はどんなジャンルの曲でも演奏できる!という姿勢に特化しているから、
この曲・演奏はミスマッチ:mismatchだね→(洗練されて)→いいね!ミスマッチの妙だね!という可能性が潰えてしまったのではないかと。
んで、この本では「何故現代の建築物は無味乾燥の建物ばかりになってしまったのか?」という座談会が収録されてまして、非常に興味深いです。
デザインは収益の数値化がとても難しい、今大きな建築物は個人の支出では無理・大勢の人からお金を集めないと無理なんだけど全員の意思統一は不可能・だから「儲けろ!」という欲求で束ねるしかないから外観は無味乾燥…等々。
「藝術は利益というものに馴染まない」なんてところで思考停止している人には、とても参考になるんじゃないかしら。

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