あー、そうか。
館関連書籍を読んでいて、博物館と(芝居)小屋では系統が異なることはわかっていた、うたの世界も、今じゃもう違っているけど、口伝の時代には著作権というものは無かった(けど伝えている人の意向は尊重する、かな)わけで、著作権意識をあまり持っていない日本の吹奏楽人って、作っている意識よりも伝えている意識があるのかもしんない。
加藤一氏の怖い話しを読んでいたら、前書きで
「作品てのは作った人がモノに魂を込めている。怪談てのはすでに魂が入っている怪異を記録しているだけのもので、作品ではない」という感じのことを書いてまして、自己認識が凄いというか、哲学持ってるなぁと。
んで、こういう「人から聞いて集めた怪異集」てのは著作権が難しいんですよね。話してくれた人を匿名として扱っているから、他の本で似た話しがあったところで権利の主張が難しいわけで。
で、加藤氏や
平山夢明氏だって、本当は集めた話しを文章化するときに凄い才能を使っているだろうに、「自分たちは話しの収集家」という立場を貫いている。(といっても著作権を放棄してるわけでは無いんだろうが)
吹奏楽の作曲家が紙に魂を塗り込んでいるのは解る。
出版社が清書などで頑張っているのもわかる。
(プロの?)演奏家が演奏行為に集中しているのもわかる。
しかし、だからこそそれらの人たちが「自分たちは作品を作っているわけじゃない、紹介しているんだ」という一群の心理は、理解出来ないのかもしんない。
芝居小屋、音楽ホールが劇場法制定に全く興味を示さないように、
ある種の演奏家、演奏団体には「魂を込める」行為には全く興味を示さないのだ。
だって吹くの難しいし、怒られてばっかりだし、やっててある程度までしか面白くないんだもん。