1995年だった。「アダージョ・カラヤン」というCDが大ヒットし、アダージョという言葉が日本中に広まった。クラシックの分野でカラヤンの人気は死後も衰えることなく続いていることを証明するような現象だった。その後も、カラヤンだけではない指揮者や演奏家による「アダージョ」現象は続いたらしい。CDもたくさん発売されたが現在は、その頃から10年以上が経過しそんな現象も沈静化している。
私にとっては、カラヤンのCDが売れようが、アダージョが注目されようがそれは売る側の仕掛けであってどうでも良いことだった。幾つかのアダージョへの理屈を書いた本も出たようだった。
要するに音楽の持つ「静かにゆるやかに」を基調とし「くつろぎ」を得ようとする姿勢を強調するのがこの現象だった。
モーツアルトに限ってみると、彼がアダージョ(Adagio)として銘打っているのはすべての分野に置いて第2楽章が多い。私が自然と好む旋律もこの第2楽章が多い。特徴は
短調、ペシミスティック、暗い、哀しみのイメージに彩られている。どう見ても「やすらぎ」のアダージョ現象とは違うような気がする。
私とて、いつも音楽に第二楽章的な感情を求めているわけではない。感情を高揚させる
ジャズや、踊りたくなるようなギターの激情的な旋律も好きである。しかし、モーツアルトの第二楽章アダージョを聴いていると、
「最後にたどり着く至高の旋律」
と思えてくる。そこには闇だけではなく、闇があるからこそ見えてくる月や星のような穏やかで静かな輝きがある。モーツアルトの光とは、むしろこの闇にこそ含まれているのではないだろうか。
−モーツアルトの代表的なアダージョ−
1,ピアノ協奏曲第21.22.23番第二楽章
2.協奏交響曲第二楽章
3.フルートとハープのための協奏曲第二楽章
4.クラリネット協奏曲第二楽章
5.ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第28番第二楽章

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