武満徹が亡くなる前日、入院していた病院の個室で一人「マタイ受難曲」をラジオで全曲聴いたそうである。死を目前にして、武満徹は心穏やかにその日を過ごしただろうと想像する。
柳田邦男の「犠牲」という本と「マタイ受難曲」の中の第47曲「主よ、憐れみ給え」の関わりについては、読者なら皆さんが知っている。信仰にかかわらず、このバッハの曲は、私にとって常に心の奥深くで常に鳴り響く曲である。
ある方にメールで、昨晩、この「マタイ受難曲」の第47曲「主よ、憐れみ給え」について書き、その時に久しぶりにCDを取り出して聴いた。カール・リヒター指揮、アルトはヘルタ・テッパーだった。藤原真理のチェロによる演奏も好きだ。ペテロがキリストを裏切ったことを悔い、神に憐れみを乞う内容だから決して明るい内容ではない。しかし、そのペテロの心情が切々と流れ、心が深く揺さぶられる。
今朝6時、毎朝聴いているNHKFM「バロックの森」にスイッチを入れた。今日の曲目を担当者が紹介した。最初は「聖ペテロの涙」(ラッソ作曲)次は「マタイ受難曲」の第47曲「主よ、憐れみ給え」であると言う。
つい、7時間ほど前,メールでこの曲について書き、ついでに曲を聞き、この曲の内容であるキリストとペテロについて思いを馳せたばかりだった。たった、7時間前に聴いたばかりの曲が、まもなくラジオから流れる。しかも、メールの相手の方は、クリスチャンだった。
人との出会い、芸術との出会い・・すべてに偶然はない。すべては、我々の手の届かないところで神の定めた運命ともいえるもので必然的に結びついている。
人の想いは、時として天空に在る神へ届き、恩寵として我々にもたらされるのかもしれない。NHKFMで、偶々、話題となった旋律が選ばれ流れたに過ぎない。しかし、単なる偶然とは思えない恩寵・・・これが、シンクロニシティといわれる必然的な共時性である。
柳田邦男が、息子さんの死の際に、長男が偶然スイッチを入れたTVで放映されていたタルコフスキーの「サクリファイス」という映画の最終場面でこの「主よ、憐れみ給え」が流れていたという。私は、柳田さんの「犠牲」でこの事を知ったが、映画「サクリファイス」を見る機会が訪れない。近々、衛星放送で「サクリファイス」が放映されないものかと期待している。悲しみや無常の響きの中にも、恩寵の光が差し込むように、それだけが旋律を通した私の祈りである。

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