16日〜18日
新幹線で名古屋
そして近鉄名古屋に乗り換え
名古屋から二時間かかって辿り着いた駅は

でありました
さらにホテルお迎えの車で15分かかって
渡鹿野島へ行くための船着き場に着いた
これがその渡し船

で五分間乗って
やっと着いた
(久しぶりに遠くまできたもんだ・・・^−^^−^)
でも気の合う友との旅は最高にワクワク楽しい
ホテル着後さっそく島内を散策
ホテル目の前のビーチは白く美しく
湾になっているので波はせせらぎの様
冬桜がちらほら咲き始め・・・
が、二日目は冷たい雨・・・
ホテルでのんびりお昼寝と会話で終わった
初めての島でこんな時間を持てるのも
旅ならではの至福の時
夕食時には
初対面の三人の方々と意気投合し
楽しい晩餐となった
三日目お天気は上々!
名古屋で道草をするため
早めにホテルを出発進行

目的地は大洲観音と名古屋城へ
途中の駅まで車両は私たち二人だけ…二階席(ヤッタ〜

)
貸し切り状態の近鉄特急だったよ

大洲観音では境内で骨董市が開かれていたけれど
まあ・・私たちが骨董みたいなもんなんで
そこは素通りして
お賽銭と参拝で旅のお礼をした

お昼はもちろん名古屋といえば
きしめん!!が、なかなかありつけず
やっと一件神社近くのお店に入り舌包み
さあ!次は待ち望んでいた名古屋城へ
名古屋城はことのほか思い入れがあり感動的だった
亡き両親の話に遡る…
父は戦前名古屋の三菱重工に勤務していたが
ミンダナオ島へ出兵した
当時三歳と生まれたばかりの次兄をかかえ
名古屋に住んでいた母は
名古屋も戦火にみまわれる…名古屋城も危ない…
空襲になりつつある昭和19年に
迎えに来てくれた人達と
母は二人の息子を連れて父の故郷である新潟へ疎開した
そして昭和20年5月14日 名古屋空襲で
大、小天守閣、本丸御殿はじめ建物のほとんどが
消失したという
名古屋城は徳川家康が東海道の要所として
大坂(大阪)方への備えとして
清須から名古屋城へ遷府を決定し
慶長15年(1612年)加藤清正、福島正則、前田利常
北国、西国諸大名20名に普請を命じ
慶長17年にほぼ完成した平城で
明治維新をむかえるまで御三家の筆頭尾張徳川家の
居城として栄えたという
名古屋城はもっとも名高いのは金鯱で
鯱(しゃちほこ)は
室町時代後期城郭形態の完成したころから始まったといわれ
当時は火除けのまじないであったものが
城主の権威の象徴として大棟に飾られ
金鯱は尾張名古屋のシンボルとして伝承されたが
戦火により天守閣と運命を共にした
名古屋城は昭和34年再建され再びその姿をみせるようになった
ということです。
もし母が疎開していなかったなら
そして、名古屋で空襲にあっていたなら
今、私はここに存在しない・・・・・
また横浜に生まれ静岡、名古屋で生きた母が
あの豪雪地帯に移り住んだ苦労は想像を絶する
けれども、当時
新潟の地へ母子を呼んでくれた父の故郷に
感謝の念は尚一層つのった
そんなこんなで近くて遠かった名古屋城と
ご対面することができた!
帰りの時間が迫っていたので
あまりゆっくり見学はできなかった
今一度、もっと時間をとって
じっくり温故知新といきたい


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