2009/12/1
日曜。上級希望講習会があって。なかなか厳しいよ。 審判
日曜は東京ミニ連で上級を目指す審判の方々の
講習会だった。
緊張の日。覚えがある。
久し振りにお会いする方々ばかり。そりゃそうだ。
自分がなかなか師匠の現場に出向くことが出来ていない。
総勢20名。本当はもっと上級希望者はいるのだが
上級を目指しますと連絡をもらったはいいが、一度も
お会いしたことがない方もいるくらい。
で、その20名の方々。
その中のお二人は希望を出したのがつい最近だから
今年度の審査には入ることは出来ない。
それなのにこの日に来るという意欲、姿勢。
そういう人に頑張って欲しいなと思う。
20名ということでこの日の割り当ては一人一本。
つくづく思ったのは。
やっぱり師匠のもとに来て勉強している人と
そうではない人との差が徐々に出てきている。
師匠が全て!ということではない。
他の上級の方々に審判を見てもらって積極的に
講評をもらっているかどうか、ということ。
手の挙げ方、追従するコース、選手へのボールの
渡し方、笛の音、ファウルの感覚、捉え方。
自己流で上級になれるほど甘くはない。
皆さんそれはわかっているのだろうが、諸事情、
多分主にチーム事情でご自身の審判を見てもらう機会が
なかなかとれないのが事実だろう。
だからそういう方々に対してどうしろこうしろとは
言えない。加えて皆さん社会人であって仕事との
兼ね合いだってあるだろう。時間には限りがある。
時間がない、ではなくてもちょっと休みたいな、と
思っても当り前のことだと思う。
しかしそれでは上級になることは相当難しいし厳しい。
特に自分と同年代の方々は、常に吹いて、講評をもらって
それを積み重ねていかない限りは審判の技術能力の向上は
期待し辛いと思う。
そして年をとればとるほど体力や集中力、脚力は衰える、はず。
だったら中年あたりの方々は出来るだけ早く上級になった
ほうが楽だと思うのだ。
あえて楽、と書いたのは。
講評されて指摘されて、自分でも審査、審査が必要以上に
プレッシャーになって平常心を保つことが難しくなる。
乱れた心で安定した笛が吹けるとは思い難い。
だからこそ早く上級になってしまったほうが楽なのだ。
そしてそこからが本当に審判を楽しむことが出来るように
なると思う。それは実感していること。
上級になる、ということは何も勲章をもらうことでは
ない。
それほど頑張ってきて結果を出したという意味。
それはきっと判定に、笛につながっていると思う。
自分のことではない。一般論として。
講師からの酷評やベンチからの罵声にも耐えてきた
という精神の強さも身につけつつ、判定力もつけ。
その挙句の上級であると思う。
そしてそこからが本当に審判が楽しくなってくると
思う。その楽しさがチャレンジに変わったり、余裕に
なったりするだろう。そして良い判定につながる・・・
かもしれない。
委縮したり動揺していていい笛が吹ける道理がない。
日曜の講習会の結果次第でまた次の割り当ての内容は
変わるかもしれない。しかしまだまだ勝負はこれから。
3月の関東招待大会での審査までなんとか。
自分に「反省をお願いします」なんて言ってきてくれる
あの人もこの人にも頑張って欲しいなと思う。
心からそう思う。
どうか諦めないで。
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講習会だった。
緊張の日。覚えがある。
久し振りにお会いする方々ばかり。そりゃそうだ。
自分がなかなか師匠の現場に出向くことが出来ていない。
総勢20名。本当はもっと上級希望者はいるのだが
上級を目指しますと連絡をもらったはいいが、一度も
お会いしたことがない方もいるくらい。
で、その20名の方々。
その中のお二人は希望を出したのがつい最近だから
今年度の審査には入ることは出来ない。
それなのにこの日に来るという意欲、姿勢。
そういう人に頑張って欲しいなと思う。
20名ということでこの日の割り当ては一人一本。
つくづく思ったのは。
やっぱり師匠のもとに来て勉強している人と
そうではない人との差が徐々に出てきている。
師匠が全て!ということではない。
他の上級の方々に審判を見てもらって積極的に
講評をもらっているかどうか、ということ。
手の挙げ方、追従するコース、選手へのボールの
渡し方、笛の音、ファウルの感覚、捉え方。
自己流で上級になれるほど甘くはない。
皆さんそれはわかっているのだろうが、諸事情、
多分主にチーム事情でご自身の審判を見てもらう機会が
なかなかとれないのが事実だろう。
だからそういう方々に対してどうしろこうしろとは
言えない。加えて皆さん社会人であって仕事との
兼ね合いだってあるだろう。時間には限りがある。
時間がない、ではなくてもちょっと休みたいな、と
思っても当り前のことだと思う。
しかしそれでは上級になることは相当難しいし厳しい。
特に自分と同年代の方々は、常に吹いて、講評をもらって
それを積み重ねていかない限りは審判の技術能力の向上は
期待し辛いと思う。
そして年をとればとるほど体力や集中力、脚力は衰える、はず。
だったら中年あたりの方々は出来るだけ早く上級になった
ほうが楽だと思うのだ。
あえて楽、と書いたのは。
講評されて指摘されて、自分でも審査、審査が必要以上に
プレッシャーになって平常心を保つことが難しくなる。
乱れた心で安定した笛が吹けるとは思い難い。
だからこそ早く上級になってしまったほうが楽なのだ。
そしてそこからが本当に審判を楽しむことが出来るように
なると思う。それは実感していること。
上級になる、ということは何も勲章をもらうことでは
ない。
それほど頑張ってきて結果を出したという意味。
それはきっと判定に、笛につながっていると思う。
自分のことではない。一般論として。
講師からの酷評やベンチからの罵声にも耐えてきた
という精神の強さも身につけつつ、判定力もつけ。
その挙句の上級であると思う。
そしてそこからが本当に審判が楽しくなってくると
思う。その楽しさがチャレンジに変わったり、余裕に
なったりするだろう。そして良い判定につながる・・・
かもしれない。
委縮したり動揺していていい笛が吹ける道理がない。
日曜の講習会の結果次第でまた次の割り当ての内容は
変わるかもしれない。しかしまだまだ勝負はこれから。
3月の関東招待大会での審査までなんとか。
自分に「反省をお願いします」なんて言ってきてくれる
あの人もこの人にも頑張って欲しいなと思う。
心からそう思う。
どうか諦めないで。
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2009/11/30
極論。それが答え、かも。 日記
「JIN」を観て。
「坂の上の雲」を観て。
ボクシングも観て。
自分はやっぱり器が小さいと嘆く。
護衛の仕事じゃ納得がいかない!と自分を卑下して
やりきれなくなる人に対して
そんなことはない、あなたがいなかったら今の自分は
いない、あなたは最高の護衛だ、と励まし慰める
場面があったけれど。
そんなことを言われて嬉しいか??
その人は海軍を作る仕事がしたい!護衛の仕事じゃ
不満だ!!と思っている。何かを作りたい、誰かを
守るだけじゃ不足なんだ、と思っている。
しかし、最高の人間を護るという仕事に就いている
限りは何かを作り出すことは出来ない、まして
その最高の人間という存在がない限りはその人の
価値がなくなる、という意味になってしまうではないか。
決定的な励ましで慰めかもしれないが、絶望的な
通告にも聞こえる。
なんて思ったのは。
誰かに何かを感謝しようとついこの間思ってメールを
うちかけて止めた。
まるでその人の存在は自分にとってありがたい、
という意味になりそうだった。
そうではない、その人自身が尊いのだ、と伝えたいと
思ったのだ。
もちろん、適材適所はある。
そしてそれをどう考えても転んでもそこしか自分の
生き場所がないとしたら。また、そこで必要とされる
自分であったら。そしてまた、その必要というのが
たまたま自分であって、それが他の誰でもよいとしたら。
そこでまた最上の励まし言葉としてはきっと、
誰でもいい、なんてない、君は、あなたはただ一人の
たった一人の人間だから。
つまりはOnly One、みたな。
もしくは。
そう、誰かが必要とする、なんて所詮は幻想。
誰でもいい。もともとそんなことに期待するだなんて
甘い。必要とされようとされまいと自分自身で
意味意義を見出して役割を果たせばよろし。
後者は常々自分が思っている、というか掲げている
信念。
とすると、だ。
あなたが護衛として必要、という事実。
しかし自分は他のことをやりたい!という気持ち。
どちらも正しい。どちらにも現在があって未来もあること。
人から必要とされていようがいまいが自分の思うとおりに
生きるしかない、というのが結論かな。
謙虚に考えるならば、やはり必要とされている場所で
頑張るのが幸福への近道かもしれないけれどね。
なんだかさ。
送っても帰らないメールとか、機嫌しだいでその人にとって
自分の存在価値があるとかないとか。
茶化されたりけなされたり笑われたり。それも人間関係の
一つとみなされたり。
そういうことってよくある上下関係。横のつながりでは
あり得ないよね、まずは。
上下関係はどこでもある。
その上下、上であれ、下であれ、楽しさ辛さはあるだろう。
でもそういうことに多少疲れた、というか、結局は
なじみきれないというか。
生きること自体辛いことが多い。
他者との関係性ではなく、自身の才能の限界、見つからない夢、
生まれ持った因縁、家庭環境、身体の不自由、精神神経の病。
せめて、近隣の人間、日常の関係の中では優しい触れ合いや
相互理解、感謝の気持ちの表現をもって、厳しい人生を
楽しく積極的に過ごして行きたいよ。
どうにもならないことは人間関係だって若いころは
思っていた。人の感情とか好きとか嫌いとか。
そうではない。
もっと過酷で抗えないのが運命だったり宿命だったり。
どんなに愛し合っていても戦争という大きな力で
いとも簡単に近しい人との別れを強制されてしまうのだ。
どんなに夢や希望を持って生きていても飛び出してきた
車から避けることは出来ないのだ。
やりたいことをやって。
優しい気持ちで人と触れ合って。
もう、それが全て。
そう出来ないこと、人に心を砕く、時間を費やすことは
したくはない、しない。
カウントダウンの人生。無駄なことはしないというのは
ちょっと極論だけれど。
思ったとおりに生きてこそだと思う今日この頃だ。
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「坂の上の雲」を観て。
ボクシングも観て。
自分はやっぱり器が小さいと嘆く。
護衛の仕事じゃ納得がいかない!と自分を卑下して
やりきれなくなる人に対して
そんなことはない、あなたがいなかったら今の自分は
いない、あなたは最高の護衛だ、と励まし慰める
場面があったけれど。
そんなことを言われて嬉しいか??
その人は海軍を作る仕事がしたい!護衛の仕事じゃ
不満だ!!と思っている。何かを作りたい、誰かを
守るだけじゃ不足なんだ、と思っている。
しかし、最高の人間を護るという仕事に就いている
限りは何かを作り出すことは出来ない、まして
その最高の人間という存在がない限りはその人の
価値がなくなる、という意味になってしまうではないか。
決定的な励ましで慰めかもしれないが、絶望的な
通告にも聞こえる。
なんて思ったのは。
誰かに何かを感謝しようとついこの間思ってメールを
うちかけて止めた。
まるでその人の存在は自分にとってありがたい、
という意味になりそうだった。
そうではない、その人自身が尊いのだ、と伝えたいと
思ったのだ。
もちろん、適材適所はある。
そしてそれをどう考えても転んでもそこしか自分の
生き場所がないとしたら。また、そこで必要とされる
自分であったら。そしてまた、その必要というのが
たまたま自分であって、それが他の誰でもよいとしたら。
そこでまた最上の励まし言葉としてはきっと、
誰でもいい、なんてない、君は、あなたはただ一人の
たった一人の人間だから。
つまりはOnly One、みたな。
もしくは。
そう、誰かが必要とする、なんて所詮は幻想。
誰でもいい。もともとそんなことに期待するだなんて
甘い。必要とされようとされまいと自分自身で
意味意義を見出して役割を果たせばよろし。
後者は常々自分が思っている、というか掲げている
信念。
とすると、だ。
あなたが護衛として必要、という事実。
しかし自分は他のことをやりたい!という気持ち。
どちらも正しい。どちらにも現在があって未来もあること。
人から必要とされていようがいまいが自分の思うとおりに
生きるしかない、というのが結論かな。
謙虚に考えるならば、やはり必要とされている場所で
頑張るのが幸福への近道かもしれないけれどね。
なんだかさ。
送っても帰らないメールとか、機嫌しだいでその人にとって
自分の存在価値があるとかないとか。
茶化されたりけなされたり笑われたり。それも人間関係の
一つとみなされたり。
そういうことってよくある上下関係。横のつながりでは
あり得ないよね、まずは。
上下関係はどこでもある。
その上下、上であれ、下であれ、楽しさ辛さはあるだろう。
でもそういうことに多少疲れた、というか、結局は
なじみきれないというか。
生きること自体辛いことが多い。
他者との関係性ではなく、自身の才能の限界、見つからない夢、
生まれ持った因縁、家庭環境、身体の不自由、精神神経の病。
せめて、近隣の人間、日常の関係の中では優しい触れ合いや
相互理解、感謝の気持ちの表現をもって、厳しい人生を
楽しく積極的に過ごして行きたいよ。
どうにもならないことは人間関係だって若いころは
思っていた。人の感情とか好きとか嫌いとか。
そうではない。
もっと過酷で抗えないのが運命だったり宿命だったり。
どんなに愛し合っていても戦争という大きな力で
いとも簡単に近しい人との別れを強制されてしまうのだ。
どんなに夢や希望を持って生きていても飛び出してきた
車から避けることは出来ないのだ。
やりたいことをやって。
優しい気持ちで人と触れ合って。
もう、それが全て。
そう出来ないこと、人に心を砕く、時間を費やすことは
したくはない、しない。
カウントダウンの人生。無駄なことはしないというのは
ちょっと極論だけれど。
思ったとおりに生きてこそだと思う今日この頃だ。
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