今月の聖書の言葉
「走り抜こうではありませんか。信仰の創始者でありまた完成者であるイエスを見つめながら。 ヘブライ人への手紙12:1」
キリスト教保育連盟の月のテーマや聖書の言葉をそのまま頂いているのですが、
動会シーズンですので、この言葉が選ばれたのでしょう。
「走り抜く」という言葉に心が留まります。
以前勤めていた幼稚園で森を作ったときに「心が躍った」と
協力をしてくださったおじいちゃんが
「先生、走り抜けなければなりませんぞ」と言われたのを時々思い出します。
それは新園舎を建てたときでした。
そのままご奉公することにはなりませんでしたが、
こうして「森の風」で歩き始めてやはり、
自分に与えられているミッションを走り抜けるということを
おじいちゃんの言葉と一緒に思い出すのです。
其々その人でなければ埋めることのできない場所、働きというものがあります。
それを走り抜く・・しかも、「幼子に学びなさい」「心の貧しい人は幸い」と
言われ十字架(自我)に死んだイエスを見つめながら・・・
人の賞賛や評価を見つめるのではなく・・・
無心になって日々淡々と走り抜くことができたら幸せだろうと思います。
今月のテーマ「はずむ」
先日、田んぼに朝早く行くと、何やら木が揺れています。
「あっ、サルの群れ!」と思わずサルが警戒しない程度に近づくと
彼らは高い木に絡んでいるアケビを一心に食べています。
「うくう」「うくう」と何とも言えない声を出し合って、
何か合図か話をしているようです。
大きなサルもいれば小さなサルもいて・・しばらく様子を見ていると
木を揺らしながら去って行きました。
やれやれと立ち上がって帰ろうと向きを変えると、
なんと後ろに立派なサルが一頭だけいるではありませんか。
でもそのサルも何事もなかったかのように去って行きました。
見ているつもりが見られていた訳です。
この時期になると、必ずアケビやわずかな栗を食べに来ます。
一番上の田んぼの稲を刈っていると、
カヤネズミ(日本で一番小さいネズミ)の巣があり、
お米を食べた跡がありました。イノシシもお米を食べに来て、
田んぼの中には小さな足跡と大きな足跡が残されています。
秋の実りを当てにしているのは勿論私たちばかりではないのですね。
子ども達とムカゴをとりながら歩いたり、
アケビや栗を見つけるのは本当に楽しいものです。
もちろんドングリも。常さんの小屋のそばにクヌギの木があって
大きなまん丸のドングリが落ちていました。
夢中になって拾いながら「おかあさんのおみやげにしよ〜っと」
「お母さんに持ってってあげる」^^
いつも土の中から出てくるお芋や地上に実っているものを
見ては不思議なことだな…と思うのですが、皆さんはいかがでしょう。
土地が肥えていてこんな風にいつも実りを
もたらせてくれるところに住んでいるって、本当にありがたいことです。
そんな小さな木の実、草の実、畑のお芋・・
それを見つけて拾ったり、
掘り出したりする子ども達の心はいつもはずんでいます。
自然界と連動するかのように秋の子ども達は顔立ちも姿も逞しくなってきます。
きのうも大きい組の子たちは雨の中でしたけれど、
Mさんに頂いた栗を栗きんとんにして「ありがとう」を言いに行きました。
ただ、手をつないで歩いているだけなのに、本当に楽しそうでした。
「ありがとう」を言いに行くという行為に心を弾ませてもいたのでしょうが、
「仲間」になったんだな・・・とその姿を見ながら思いました。
小さい組も雨の中散歩に出かけ、
「片岡温泉に行ってくる!」と水たまりで遊んできたようです。
やはりその姿ははずんでいました。
共通のイメージを持って遊ぶということがその学年なりに
深まってきているのを感じます。子ども達も充実の秋を迎えるんですね。
稲刈り・「城山苑」との交流会・
「森の風の運動会・収穫祭」などのちょっと節目になる出来事があり、
またお母さん達はバザーに向けて心を合わせていくこの時期、
みんなで心を弾ませながら田んぼで過ごし、畑で過ごし、
山を歩き、ともに仕事をしながら「森の風」を創っていきたいと願います。
そして神様がくださろうとしておられる「実り」ともいえる「恵み」をひとりひとりいただきましょう。