ゲーテアヌム建設現場で講義するルドルフ・シュタイナー(唯一の写真)        「ラディカル」とは「ラディッシュ」と同じ語源で、「根源的」という意味。表面のみならず、その「根」を見ようとすること。このブログはそういった意味でラディカルでありたい。

2018/8/20

マリリン・モンローとルドルフ・シュタイナー  ヨーロッパ精神史研究所より



 日本でも、紹介している記事がネットで散見されますが、マリリン・モンローがルドルフ・シュタイナーの著作や講演録を読んでいたことは、周知の事実です。

 自分の「セックスシンボル」としてのイメージに、不満を抱き、俳優として認められたいと願っていたマリリン・モンローは、1951年に、マイケル・チェーホフ(1890-1955)に出逢いました。

 マイケル・チェーホフは、有名な戯曲化アントン・チェーホフの甥で、人智学徒でありました。

 マイケル・チェーホフは、実際に二度、ルドルフ・シュタイナーと逢い、演劇の指導を受けた人物です。

 しかし、マリー・シュタイナーが、ゲーテアヌムの演劇指導者として彼を拒否したため、マイケル・チェーホフは、アメリカ合衆国に行き、そこで「アクターズ・スタジオ」を創設しました。

 このアクターズ・スタジオからは、ユル・ブリンナーやマーロン・ブランドなどの俳優を輩出しています。

 マリリン・モンローもこのスタジオで演劇を学び、真の俳優を目指しました。

 その際、マイケル・チェーホフの勧めで、マリリン・モンローは、ルドルフ・シュタイナーの著作に触れるようになったのです。

 ニューヨークの「人智学文庫」には、現在でもマリリン・モンローが借りたシュタイナーの書物の数々が記録されています。

 返却期間を過ぎても、なかなか書物が返却されないので、マリリン・モンロー宛に「催促状」が、送られています。

 結婚の失敗や流産などで、鬱病になったマリリン・モンローは、睡眠薬を常用するようになり、それが原因で死亡したとされていますが、まだまだ謎の多い死ではありました。

 死の床には、サイドテーブルがあり、そこにルドルフ・シュタイナーの「神智学」が置かれていたとの証言が残っています。

 検死写真にもこの「神智学」は、写っていたそうですが、のちにその写真は破棄されたとか。

 いろいろと不明な点や謎の多い話ですが、マリリン・モンローが、ルドルフ・シュタイナーの著作に新しい可能性を探し求めていたということは、事実です。


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