2015/1/3  10:51

おしらせ  

このブログの続きは、
「古い日記の続きの日記」というタイトルで更新中です。クローバー

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2012/2/28  6:24

※  

ここに入るための自分のパスワードを忘れているんじゃないかと、ちょっと
心配になったくらいのご無沙汰です。更新しなくちゃ。
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2012/1/10  10:42

(無題)  

2012年になりました。

机の上にもう使っていないリモコンがひとつ置いてあるのだけど、それが、よくジリ、ジリって
鳴るのです。気温の変化が器材に影響を与えているのかもしれないけれど、それにしても
そんな音がするのは、そのリモコンだけですから、中に、なにか住んでいるんじゃないかって
思ったりもします。コビト?

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2011/12/12  11:41

(無題)  


冬になってしまった。冬でいいけれど。

このごろ、老眼で難儀するようになってから、人の気持ちを斟酌することについて、
少し、謙虚になってゆきつつある。もともと、かなり傲慢で尊大だったのだから、
なまじの謙虚ではまだまだ不足であることは間違いないけれど。

謙虚というより、独善や勘違いというものの可能性が自分側にある、ということを、
5割以上で設定する気持ちが出てきたということかもしれない。
ひょっとして自分は違うかもしれない、と常に考えるようになった。
それは怯えではなく、間違えていたかもしれないことに固執せずに、一旦ご破算にする
作業でもあるように思う。

ものが見えないということ

わたしは視力がよかったことで、ずいぶんと恵まれてきたのだと思うけれど、
「正確に見えなくては、ものは的確に表現できない」という頑迷な思い込みのなかにいる。

今、近くのものがぼんやりしてしまう視界の中で、ぼんやりしか見えないものにわたしは
リアリティを感じることができない。それは、これまで視力がよかったからだ。
だけど、以前から視力の弱かった人にとっては、どうなのか。
リアリティをどこに設定して暮してきたのか。とても不思議な感覚がわたしにはする。

よく見えないものを「仮の姿」としか認知できないわたしと、そうでない人の世界は
明らかに、リアリティの設置場所が違うのではないか。

大学の頃、親友が、「あなたは見えすぎるのだ」とよく心配した。褒められるのではなく
懸念されたわけだけれど、その意味が、今ごろになって、ほんのすこし、わかってきた。


自分で他者に自慢できるような特性は、後年必ず失われる、と、わたしは何故か
信念のようにそう思っていて、従って、わたしの視力もこの先、もっと失われるはずだ。

そして、そこでもっと学べばいいと思っている。自分の肉体が感知し得るリアリティとは
まったく別のリアリティについて。

生は、「与えられ」、「奪われる」。この二つが、変えがたいものとしてあるのは、
或いは、わざわざ対になって存在するというのは、そこに生の意義があるからなのだろうと
思える。

だれも、それぞれの実存において、それを免除されることはない。
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2011/11/21  8:58

(無題)  

久し振りにこちらへ。


母が夜中に何度も起こしにくるようになった。
用件があるわけではなく、自分が起きたついでに声をかけにくるのだ。
「なに?」と言うと、「なんだ、いたんだー」と言って自分の部屋に戻る。
わたしはいたって睡眠には支障のない人間なのだけれど、
熟睡しているとき、一晩に何度もわざわざ「自分の名前を呼ばれて」起こされるのは、
睡眠障害というより、精神障害を引き起こすのではないかと、他人事のように懸念する。
母に注意したところで、ボケてしまっているのだから、あまり効果はない。

でも実は、今の母ではなく、若い頃の母に、わたしはもっと苦しめられた。
だから、ボケて尚、まだ、あなたはそうなのか、という思いがある。
それは何か感動的ですらある。
感動的なとど言えるのは、この束縛を、きっと諦めているからだろう、わたしが。

かしこみて。

ここで、上のようなことを書くのは、備忘録の為だ。安全弁として、今後
自分が陥る危険性を先に提示しつつ行きたい。無意識のうちに「どんづまる」
ことを避けたい。

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2011/10/17  9:43

(無題)  

山鳩(キジバト)が、今朝から盛んに鳴いているのだけれど、どこで鳴いているのか
見つけられない。結構年寄りの鳩だと思う。まだ若い鳩が、うちの庭の木に身を隠していて
わたしがベランダに出て呼ぶと(どうやって呼ぶんだいと聞くなかれ。いろいろね。)
ぱたぱたと出てきてベランダの前でホバリングする。
よくわからない。なにがあるのだろうか。

だいたい、鳥に感情移入するタイプは、「知能指数が低い」らしいのだ。むかし、友人が
そう自嘲気味に言っていた。自嘲気味ということは、彼女も鳥が好きだったのだろうか。
特に鳩は、「なにか頭を悪くする菌を持っていて」(うーん・・・)、一緒にいると
だんだんバカになるのだというのだ。なんか、こんなことを書くこと自体、わたしも
その鳩の菌にやられているせいかもしれないけれど。

それじゃぁ鳥を飼っている人は、みんなバカになってしまうではないか。

そう考えると、

当たっているような気もする・・・・。
あながち、嘘でもないかもしれない。

わたしは鳥を飼っているわけではないけれど、庭にたくさんいるので、保菌者だった可能性は
強く、もう発病しているに違いない。
でも、まぁ、鳥のことが判るなら、それもいいかな。

そんな話をわたしに吹き込んだ友人は、今、仔猫の「とらお」を育てるのに懸命らしい。
「わたしが、とらおを、立派な虎猫にしてみせます」なんて勇ましい葉書が届いた。
ほんとの息子達たちに対してこんな情熱を見せたことはついぞないように思うが
とらおには、かなりの母性を発揮しているようだ。とらおが心配である。

来年の年賀状は、とらおの顔写真入りになるような予感すらする。
写真の下には、「とらお 1歳」とか書かれているのだ。

そうか、そっちがそういう気なら、わたしだって、
「はとじろう たぶん1歳」とか書いて、鳩の顔写真入りにしてやる。

雌かもしれないけど。
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2011/10/6  18:31

(無題)  

図書館のロビーに東京都の子供の権利擁護専門相談事業のパンフレットが置いてあった。
それが目に入ったのは、パンフレットの表紙が奈良美智の絵だったからだ。
例の、目は半眼、口は真一文字の、無愛想でかわこわぁい女の子の絵だ。

久し振りにその「目」に出会って、なんとなく、立ちどまってしまった。

ひとにはなぜ、めぐりあわせというものがあるのだろう。

どうして、わたしは、自分を愛せなくなったのだろう。
従って、自分のために生きようと朗らかに意思することができない。
他者へ余計な心配をすることだけで取り繕って生きてきた。
少しは役に立っていると言いたいがためだけに。

奈良美智の女の子の目を見ていると、そんなことを考えてしまうのだ。



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