2018/1/13

歴史的事実を無視した教育勅語の閣議決定を、日本教育学会が根本から批判  ]Vこども危機
 ◆ 「教育勅語」の教材使用は問題
   70年前の衆院「排除」決議の重みを無視したデマゴギー (週刊金曜日)


 教育学の研究者らでつくる日本教育学会(会長・広田照幸日本大学教授)教育勅語問題ワーキンググループは、昨年12月12日、文部科学省に「教育勅語を肯定的に使用したりその理念を指導原理にしたりすることはできない」とする『教育勅語の教材使用問題に関する研究報告書』(同学会ホームページで公開)を出した。

 安倍内閣は、昨年3月31日、教育勅語について、「教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切」だが、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」との見解を閣議決定した。
 文科省の藤江陽子(ふじえようこ)大臣官房審議官も、閣議決定と同趣旨を述べつつ、教育勅語には「夫婦相和し、朋友相信じなど今日でも通用するような普遍的な内容も含まれている」として、「適切な配慮のもとに活用していくことは差し支えない」(2017年2月23日衆議院予算委員会第一分科会)と述べた。


 文科省は、「教育勅語の具体的使用状況は学校設置者が指導監督する」と筆者の質問に答えた。
 試しに東京都と大阪府に教育勅語の指導に関する調査をしたり、通達などを出したことがあるか聞いたが、都も府も「ない」と回答した。
 また、都は「(昨年の)閣議決定をもって、教育勅語を教育における唯一の根本として位置付けられた戦前のような形で教育に用いることは不適切であることや、教育の場における教育勅語の活用を促す考えはないとの政府見解を踏まえつつ、憲法の基本理念や教育基本法の定める教育の目標等に基づいて、学校教育を推進していく」と回答。
 大阪府教育委員会も、「教育勅語を唯一の価値観として教えるのはダメだが近現代史の資料として使うのは問題ない」と答えた。

 ◆ 客観的根拠を欠く
 同報告書の執筆者の一人である小野雅章日本大学教授は、藤江審議官の「普遍的な内容も含まれている」について、「間違い」と指摘する。
 教育勅語には12の徳目が挙げられているが、それらはすべて戦争になったら「一身を捧げて皇室国家に尽せ」という最後の徳目にかかる
 「このことは、1940年に教育勅語の解釈を確定した文部省(現文科省)の協議会でも確認されています。だから、『夫婦相和し』などの徳目を最後の『皇室国家に尽せ』から分離することはできません」と指摘した。

 小野教授によれば、教育勅語は1890年に明治天皇の名で出されたが、作成にかかわった井上毅(いのうえこわし)は明治憲法でも「臣民」の良心の自由に干渉しないとの原則が認められていたので、その原則との整合性に気を配り、苦肉の策として大臣の副署のない勅語(天皇が直接国民に呼びかける言葉)の形にしたという。
 だが、その後保守的な官僚らによって御真影(天皇皇后の写真)とともに学校の奉安殿に格納するなどの教育勅語の権威付けが行なわれ、ついには原爆が落とされても、広島工業専門学校(広島大学工学部)は生徒の安全より御真影の無事を文部大臣に報告したというような倒錯した事態になった(同報告書39頁)。
 「教育勅語は天皇制教化の『装置』でした。今の入学式卒業式の国旗国歌の強制も同じ」と小野教授は言う。

 また、同報告書の執筆者の一人である中嶋哲彦名古屋大学大学院教授は、これまでも教育勅語問題は国会で取り上げられてきたが、昨年の第193国会では延べ43もの会議で取り上げられ最多となっただけでなく、政府答弁も、「一般論として教育勅語を教材として使用することが認められる」とまで述べ、「従来と異なる」と指摘する。
 その上で、「唯一の指導原理でなければ教材として使ってもよい」との政府見解について中嶋教授は、1948年に衆議院で教育勅語について「指導原理的性格を認めない」と宣言、「排除」が決議されており、同年参議院でも「失効」が確認されているなどの歴史的事実を無視しているとし、「客観的根拠を欠いたデマゴギー」と批判している。
永尾俊彦・ルポライター

『週刊金曜日 1167号』(2018.1.12)


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