2007/12/2

「国民基金」とは何であったのか(下)  ]その他
 ■ 「国民基金」(女性のためのアジア平和国民基金)とは何であったのか(下)
−−「国民基金」推進派は反省し新の解決に向けて努力を!

女性史研究者 鈴木裕子

 ■ 「国民基金」(アジア女性基金)推進派の論理


 「国民基金」(女性のためのアジア平和国民基金。略称は当初「国民基金」を使用、のち「基金」側は「アジア女性基金」を専ら使用)発足から間もないころ、雑誌『世界』1995年11月号に「基金」推進派と「基金」反対の韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の往復書簡が同時掲載された。
 両者には「慰安婦」問題認識の決定的な違いがみられた。まず「基金」推進派の主張を紹介する。
 「問題は、日本政府にとって、『従軍慰安婦』問題は国家が犯した戦争犯罪であると法的に認めることは難しいということです。日本国家にそのことを認定させ、裁きを受けるように、あるいは自らを裁くようにさせる方向に国際的キャンペーンが行なわれていますが、これを達成するのは難しいと考えます」「このような日本国家にいま戦争犯罪を認め、法的責任をとるように求めても難しいと思います。それを受け入れるには戦後日本の歩みの全面的な見直しが必要になるでしょう。そのような主張はすでに久しくなされていますが、合意にはほど遠いのが現実です」(大鷹淑子・下村満子・野中邦子、・和田春樹「なぜ『国民基金』を呼びかけるのか」)。

 これに対する挺対協側の主張・反論は、以下のようなものであった。


 「金銭的補償は賠償のひとつの重要な形態」だが、「知識人といえる私たちまでが、お金を要求することに夢中になり、お金をもらえばすべての目的が達成されると見なすようになってしまえば、誰が歴史のなかの正義を追求し日本政府の責任を問えるのでしょうか」「先生方がおっしゃるように、日本の現実が基金案以外は望みがたいというのは、正直なところでしょう。しかし、私たちはむしろ、日本の政治、社会的現実がそうした雰囲気であるからこそ、ますます基金案をためらうのも事実なのです。日本がこれほど過去の非人道的犯罪を隠蔽し糊塗し擁護しようとするので、幾ばくかのお金や物質的利益ですべての懸案に決着をつけようとすることは私たちの良心が許さないのです」(李効再・手貞玉・池銀姫・朴元淳「やはり基金の提案は受けいれられない」)。

 一目瞭然、本紙の読者は韓国挺対協の主張の正しさに首肯せざるを得ないであろう。「国民基金」の呼びかけ人、推進派の人びとは、歪んだ歴史を正すべき「知識人」としての役割を最初から放棄し、国家犯罪の犯罪性に目をつぶり、法的責任の不履行に加担しているのである。「慰安婦」問題は、まさに戦後日本の歩みの歪みの典型、歪んだ戦後史を映し出す鏡で、被害者との真の和解、友好を築くためにも戦後史の「全面的見直し」や法的責任の履行が必要であるにもかかわらず、「金銭的解決」で決着を図ろうとする「国策」に加担したのであった。翌96年8月以降、基金側は、見舞金から「償い金」と名を代え、一方的に「償い金」支給を強行する。

 ■ 旧「国民基金」関係者は、今すぐ誹議中傷をやめ、猛省すべきである

 「国民基金」は今年3月、解散したが、7月の米国下院決議可決が意味するように、被害当事者・関連団体・国際社会は、日本軍「慰安婦」問題は解決されたものとはみていない。
 国民基金は、自らの過ちを認めるべきだとわたくしは考えるものだが、解散後、旧「国民基金」関係者による歪曲・自己正当化のための言動にはまことに凄まじいものがある。
 とくに「国民基金」反対の中心を担った韓国挺身隊問題対策協議会および初代会長・共同代表を務めた手貞玉氏らへの誹諺中傷ともいうべき非難の凄まじさには看過することができない。

 「国民基金」呼びかけ人で、理事でもあった大沼保昭氏の近著『「慰安婦」問題とは何だったのか ×ディア・NGO・政府の功罪』(中公新書、07年6月)を見ると、わたくしは率直に言って、この言説に植民地主義的思考と、女性蔑視意識の臭味を感じてならない。
 大沼氏が、「慰安婦」被害女性を、限りなく「金銭授与」の対象とみなし、韓国における「慰安婦」問題を、韓国ナショナリズムの権化と歪曲し、断罪しているのは明らかである。
 「女性の性に対する観念を徹底的に変える社会的な意識変革が先行しなければならない」「『慰安婦』たちがもつ歴史的な意味を明らかにし、公的にも社会的にも整理しなければならない。いまやすべての歴史叙述を改めるべきである」と、当初から「慰安婦」問題を女性の人権問題として公論化し、男性中心に叙述されている歴史の見直しを迫った手貞玉氏(詳しくは手貞玉著、鈴木裕子編・解説『平和を希求して一「慰安婦」被害者の尊厳回復へのあゆみ』白澤社刊・現代書館発売、03年)の言葉の一部のみを切り取っている。
 そして、全体での文脈や96〜97年当時の日本の「反慰安婦」キャンペーンの状況や背景(この当時、奥野誠亮元法相はじめ、いわゆる右翼「歴史修正主義者」の元「慰安婦」にたいする「公娼」「売春婦」呼ばわりが猛烈になされていた)をことさら欠落させ、自らや「国民基金」(アジア女性基金)を正当化させたあげく、自分たち自身が日本ナショナリズムに陥っていることを自覚してはいないのである。
 要するに、反フェミニズムの立場、性暴力の軽視・容認、日本の戦争犯罪・戦争責任・植民地支配責任に対する回避の姿勢に終始しており、「国民基金」自体がもつ犯罪性に加え、さらに歪曲・誹諺中傷を撒き散らし、罪の上塗りを重ねているのは誠に恥ずべき行為といえよう。大沼氏らの猛省を強く促したいと思う次第である。

『週間新社会』(2007/12/4)


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