2011/5/30

国際人権からの追い風〜自由権規約「一般的意見34」  W板橋高校卒業式
  ★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
  最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!

  ■□■ 4月13日(水)第9回最高裁要請行動を行いました ■□■

 ◎ 国際人権からの追い風〜自由権規約「一般的意見34」
花輪紅一郎(藤田先生を応援する会)

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「オオハクチョウ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》

 ■ 「表現の自由」に関する国際標準
 私たちの今回の第9回最高裁要請文と弁護団による『上告趣意補充書(5)』の中心的テーマとなったのが、国連自由権規約委員会による「一般的意見34(19条表現の自由)」であった。
 この文書は、昨年10月に規約委員会第百会期で採択・公表され、12月に帰国中の岩澤雄司規約委員長が英文で紹介し、それを応援する会で独自に翻訳したものである。


 ■ 規約19条と憲法21条の違い
 同じ「表現の自由」でも、自由権規約19条と日本国憲法21条では、権利の規定の仕方がいささか異なっている。
 規約の方は、第1項でまず表現の前提となる(内面の)「意見を持つ権利」(the right to hold opinions)を不可侵なものとした上で、第3項で(外面の)表現の権利行使に制限が許される具体的ケースを2つ明文化している(他者の権利侵害と国家安全保障などに関わること)。言葉を換えれば、公権力とて無制限ではなく、個人の権利に介入が許されるのは所定のケースに限られると言う構成になっている。
 ここが、個人の権利を謳っているものの、公権力を制限する具体的条項のない日本国憲法とはっきり違っている点で、このため日本では、個人の権利が「公共の福祉」という曖昧な概念で簡単に制限されるという過ちが繰り返されてきた。憲法では「個人の自由」が適切かどうかが審査されるのに対し、規約では「公権力の行使」が適切かどうかの方が審査される

 ■ 自由と秩序
 個人の自由と社会の秩序とは、どちらが優先されるべきか。「表現の自由」は民主主義社会成立の基本だから優越的権利とされる、というのが法理論の原則と言われる。しかし実際には、秩序維持を名目とする国家権力による過度の介入が起こりがちなことは欧米諸国でも共通の課題である。
 そこで規約19条のように、優先的に「表現の自由」を基本権として保障した上で、「公権力の介入」を限定的に許容するという規定の構造が意味を持ってくる。

 ■ 国際先例の蓄積の成果
 そのやり方なら、権利はちゃんと尊重され、そして公の秩序維持に支障は生じないのだろうか。
 規約19条の運用に関して国連は、1983年の「一般的意見10」以来28年間数百件に及ぶ通報受理先例や締約国報告審査を積み上げてきた。これら蓄積を整理して条文の解釈と運用の指針を示したのが今回の「一般的意見34」である。9つの章と54のパラグラフからなる「表現の自由」確立のための大変詳細な説明となっている。

 ■ 板橋高校卒業式事件への適用
 藤田先生のケースは、元教員が卒業式開式前に保護者へ呼びかけたこと(表現行為)が、校長の卒業式を円滑に執り行う権限(公権力の行使)を侵害したかどうかが裁判で問題とされた。これが、国際人権の尺度によるならば、逆に表現行為に対するこのような公権力の介入が許されるか否かが審査されることになるであろう。
 その結果は、「一般的意見34」に引用された先例等に照らすなら、他者の権利を侵害することなくかつ国家安全保障を脅かすこともない藤田さんの行為に刑事罰を科すことは、許容されない公権力による不当な介入となることは明らかである。それはフォルホーフ教授『鑑定意見書』の論理の枠組みとそこから導かれる結論と全く一致する。
 最高裁は、「一般的意見34」から、世界標準による判断を導くべきである。もし最高裁がこれを無視しても、近い将来わが国が「自由権規約選択議定書」を批准した時に国際社会の舞台でどのような決着がつくか、ほぼ見通すことが出来るようになった。答えは明白と思われる。

『藤田先生を応援する会 通信』(第47号 2011/5/11)


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