2006/8/6
「教育基本法「改正」論議のデタラメを突く(2)」
]その他
教基法改正法案の国会質疑を振返り、『《愛国心》のゆくえ』(世織書房)の著者である広田照幸さん(東京大学大学院教育学研究科教授)に聞いた記事。(インタビュア一=小野方資さん 東京大学大学院)
(『日教組教育新聞』7月1日号)2回目です。
Q7,子どものモラルが低下したから、教育基本法を変えるんだという主張もたびたび答弁に出てきたが。
モラル低下論の俗説は多々あるし、子どもの凶悪犯罪の増加論も言われるが、むしろ統計的には深刻な問題を起こす子どもの割合は減っている。軽微な逸脱を繰り返した者も、ほとんどは健全な大人になっている。
もしも改正論者の言う通りなら、二十代三十代の若い「大人」たちがとんでもない状態になっていないといけないはずなのだが、実際は違う。
今の日本は子どもたちの道徳的社会化に失敗しているのではなくて、単に、大人社会に同化・適応する期間が延びているとみるべきだ。
Q8,宗教的教育・道徳教育・命を大切にする教育ということが与党の共有した答弁だったが。
実に短絡的な「処方箋」だ。
超越的な価値や世俗道徳を教え込むことで、秩序正しい人間をつくるというのは粗雑な教育モデルだ。人間の内面の複雑さや微妙さを少しもわかっていない。
この点は、実は「右」も「左」も同じ袋小路に陥っているように思う。
Q9,子どもたちの行動の問題点への対応を、価値や道徳を教え込むことで解決しようとする点で、他のやり方はないのだろうか。

他者との相互信頼や社会への信頼の形成は、知識伝達を通してやっていく道があるはずだ。
戦後の「社会科」教育の一つの目標はそこにあった。もちろん、信頼に足る社会のあり方が並行して追求されねばならないのだが、「社会のしくみ」を理解し、「社会の一員」としての自覚ができるような教育。たとえば、ちゃんとした社会観や人間観を練り上げるような教科教育の可能性がもっと試みられるべきではないか。
Q10,教基法改正論者の多くは、家庭・地域の教育カ低下論の同調者が多いが。
「家庭の教育力の低下」は幻想だ。
この点は、『日本人のしつけは衰退したか』(講談社)という本で明らかにした。
今は、親が最終的な子育ての責任を一身に担う時代になった。さまざまな家族の中には子育て責任を果たしきれないケースもうまれ、問題が目につくようになってきている。地域の教育力は確かに低下しているが、それは、かつての一枚岩的な『共同体』が成り立たなくなってきているからで、社会変動の必然だといえる。
「地域」に教育を期待しないシステムを作るべきだ。改正論者のような家庭・地域・学校の連携論は、『村共同体』を懐かしむノスタルジーの産物だ。
ここでも「価値の多元性」が無視されている。
安易な連携論は行政の過剰な介入や、市民レベルでの相互監視などをよびこんでしまい、地域の中の『問題家庭』をあぶり出すような結果につながりかねない。
多様な個人が、バラバラでもそれなりの相互信頼をもって生きられるような社会のデザインが必要だ。
危倶される教育行政の現場支配
Q11,現行法と政府案が連続しているという主張の中に、「教育における不当な支配の排除」が挙げられていたが、改正案での不当な支配の排除の意味は、行政庁の行為を他の法律で定めれば「不当な支配」には当たらないことになっているのではないのか。
そのとおりだ。教育にはそれなりの現場の自由度が必要で、その点でとても深刻な影響が憂慮される。
戦後行政が教育現場をコントロールしょうとして現場との長い闘いがあった。その際、現行教育基本法の「不当な支配の排除」の文言は過剰な行政による介入への歯止めになってきた。それが外されようとしている。
Q12,与党・政府は、国家が教育に責任を持つべきであるという発言・答弁が目立った。教育内容の決定も国の責任に含まれる。行政や法で決めることは「不当な支配」ではないとされてきた。また、与党の質疑では、不当な支配の主体として、一部イデオロギー勢力なるものが挙げられていた。そして、その勢力により道徳教育粉砕運動が行われて子どもの道徳観が低下した、との町村元文相答弁もあったが。
かつては体制選択を伴うイデオロギーの綱引きが、ある種のバランスを結果的に作り上げてきた。今、心配なのはそのバランスが崩れて、教育行政の現場支配が一方的にすすみそうなことだ。
行政の過剰な介入に対する歯止めがうまく作動しないと、官僚が作り上げた「教育」像によって現場は硬直化してしまう。
未だに、森喜朗元文相などは東西冷戦時代の像を引きずっているようだ。
冷戦後の現在、考えなければいけないのは、一元的価値でまとまった国民・国家を望ましいと考えるか、それとも、多元的な価値が尊重される国民・国家を望ましいと考えるかの選択だ。
日本は官僚制がちゃんと機能しているから、かえって行政の介入を徹底的なものにしてしまう。
Q13,教職員の評価や学カテストも学カ低下論と関わって語られたが。
自己点検・改善のようなレトリックで語られたが、実際には市場化と競争のシステムとして制度化されようとしている。
短期的には教員を努力に駆り立てるように機能しても、長期的には教育の不安定性や教員の地位低下の形でマイナスの影響が及ぶだろう。
教員はだんだんリスクの高い職業になりつつある。職業としての魅力が低下するし、職業生活の安定性が揺らぐので、長期的な成果をめざして努力することができなくなる。
悉皆の学カテストも最終的には調査・改善のためというより、市場的競争のなかで刺激を高めようということだ。
英米の事例と決定的に違うのは、個々の学校が置かれた社会的文脈−地域の特性や生徒の属性が考慮されていないことだ。マイノリティーの比率とか生活扶助の比率とかを考えた上で、テストの結果が吟味されているのが英米で、日本の場合そういう社会経済的な背景要因に踏み込まない。
だから、点数が高いか低いかは「学校の先生の教え方の結果だ」という短絡的な解釈がはびこるだろう。現場の個々の教員や学校が、テストの点数で理不尽に責められる事態が懸念される。
競争で現場を動かそうとしているから、熱意やまじめさにあふれた教員文化が破壊されようとしている。
これまでは、教員集団内のインフォーマルな評価や、教育に対する職業的な熱意が、現場の教員の努力を作り上げてきた。ところが、今、進みつつある市場主義的競争がそれらを掘り崩しかねない。
それなりの熱い思いを抱いて教育に関わってきた先生たち、「人間金じゃ動かないぞ」という人間観の先生からみれば、ばかげた仕組みに見えるだろう。私もそう思う。
Q14,歳出削減の動きのなかで、教育予算の拡充についてはあまり論議されなかった。改正案にある教育振興基本計画についての論議も深まらなかったが、この基本計画が持ち込まれた場合の影響は。
基本計画は、改正に関して文科省が取引したということだろうが、これが持ち込まれると、市場化一競争化がいっそう進むだろう。
もっと長期的に重要だと思うのは、政治的な観点で議論され決定されるべき問題が、行政的な手続きへと倭小化されてしまう点だ。
制度の枠組みをつくったり変えたりするときには「価値選択」が必要で、つまり何を優先的に考慮するかについてきちんと議論しなくちゃいけない。
でも、それがきちんと議論されなくなってしまう。すなわち、大きな制度改正などが、いつのまにか上から降ってきて、数値目標が出されて”やれ”となってしまう。それがもっと日常化するだろう。
選択肢のあり方含む教基法の議論を
Q15,与党案提出者側はすでに十分時間をかけて議論したうえでの法案というが。
本来は、もっと違う選択肢の可能性も含めて、改正の是非と改正案の方向について議論されるべきだった。
今回の議論は狭い論点・現状認識で行われていて決して十分ではない。
民主党案が出てきて明瞭になったのは、仮に教育基本法を変えるにしてもその方向にはいろんな可能性がありうるのだということ。
民主党案には与党案以上に問題をはらむ部分もあるけれど、注目すべき面白い文言も入っている。
これからの教育のデザインには多様なものがある。だから、”改正する””改正しない”という二者択一なのではなくて、われわれが選択すべき選択肢はたくさんある。改正の仕方はたくさんあるし、改めて現行法を選び直すという選択肢もある。
今の青少年や教育をどう理解するかということと、未来にどんなビジョンを選択するかということをきちんと踏まえて、選択肢のあり方を議論しなおすべきだ。
われわれが代表として送り出した人たちの視点や議論の幅が余りにも狭いので、このまま改正に向かえば拙速というほかない。
むしろ、国民レベルで議論しなおす必要があるのではないか。これからのことについてはいったん仕切りなおせということだ。
Q16,秋の臨時国会に、また政府案がそのまま国会に出てくることになると思われるが、運動の課題としては。
日教組の皆さんには将来の社会をプランニングする勢力になってほしい。
ながらく反対を旗印にする運動をしてきたが、東西冷戦を軸にした対抗構造はもはや終わっている。新しい仕組みが求められている。
今の教育政策に見る支配的な動きは市場原理に任せた英米型の新自由主義の考え方が主流になっている。しかし、当然のことながらそれがいつまでも主流であるとは思われないし、未来の社会モデルは複数ある。
日教組には今回の政府案の背景となったものとは違う、グローバル化のなかでの公共性や教育の枠組みなどのプランナーとなってほしい。
狭い『教育論』ではなく社会設計の観点でのビジョンを提案する役割が求められている。
「こういう制度をつくったほうがいいですよ」「この方がお得ですよ」というビジョンを出せばもっと発言力が増すはずだ。(終)
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