2012/3/7

ICD設置手術  

ICDの機械は、国内でも数社が販売しています。
大きさや、動作設定に若干仕様差があるようです。
細かい設定が出来るという理由で、『セント・ジュード・メディカル株式会社』製の機械に決まりました。

ペースメーカーと比べると、巨大な装置に見えました。

機械を入れる手術は『局所麻酔』によるもので手術中は意識があります。
退屈しそうだったのと、緊張を和らげるためにBGMをリクエストしました。
知ってましたか?海外の医療ドラマのように、手術中にBGMをかけてもらうことが出来るのです。

リクエストしたのは『スタジオジブリのアニメ曲集』。
自分でCDを持ち込んでも良いそうです。

ICD設置手術

2010年3月8日(月)AM

『仮面ライダーのBGM』が流れていたら、もっと「改造手術」のような雰囲気が味わえたのでしょうが、ジブリの映画音楽でリラックスして手術を受けることが出来ました。

執刀してくださったのは、男性の主治医の方でした。
『心臓カテーテル検査』を行った部屋で、局部麻酔を注射して設置手術が始まりました。
麻酔が効いていて、痛みは無いのですが・・・胸にポケットを作るために開いた胸の肉を広げる作業は、なんだか今まで体験したことない感覚でした。
メスと指先で、肉の繊維を切断して広げていく感触が伝わってきました。

次に太い静脈にICDから伸びるリードを挿入して、その先端を心臓の右心室の肉壁に食い込ませます。
心臓の中には神経が通っていないので、痛みはありません。

設置後に、動作確認を行い。
正常の起動と動作を確認して、胸を閉じて手術は終了しました。
BGMの曲で、2回聴いた曲が3つくらいあったので90分くらいの手術だったと思います。(もっと短かったかも知れません)

病室に移動

術後の安静は、病室でした。
身体を動かしてはいけないと注意を受けていたので、食事は母に手伝ってもらいました。
トイレは尿管から排泄されていたので問題なし。便は幸い安静の時期にはありませんでした。

当時書いた日記を読むと、術後一日目からICDを入れた方の胸の皮膚がだいぶ『つっぱり感』を持っていたようです。
テープで、あちこち固定されていて『動けなかった』とも書いてあります。

二日目くらいからは、テープの端の皮膚に痒みを覚えました。
特別、以上な事ではありませんが・・・だいぶ痒かったようで「痒み止め、早く持ってきてくれ!」と、日記に書きとめてあります。

この頃「尿意で目覚めた!」とも書いてあるので排尿チューブも外されています。
排尿チューブを外されるときも、滅多に出会えない感覚を体験します。
なんかこう・・性器に芯があって、それを中心にグルグル回転してるような・・。
で、チューブが抜けるまで熱い感覚が、脳天に突き抜けます。
生殖器は神経の塊のような場所なので、こんな不思議な感覚を味わうのでしょう。

***************************

本日は以上です。
明日は、『退院、日常生活の留意点
を書きます。

読んでいただき、ありがとうございます。

7

2012/3/6

数秒間の不整脈  

検査入院の予定は『4日間』でした。
それは、すぐに検査が出来て結果に異常がなかった場合の日数だったようです。
ワーファリン(血液を固まりにくい状態にする薬)を飲用している自分の場合、血液の状態が落ち着かないと『太い静脈』にカテーテルを入れる検査は出来ないので、ワーファリンの飲用を止めて『ヘパリン』を点滴で身体に入れて血液が、普通に固まる状態?になるまで様子をみました。
『大出血』のリスクを抑えるためです。

幸い、状態は良好で入院から5日目には検査が行われることになりました。

『右の太もも付け根辺り』から静脈にカテーテルを入れる検査なので、お約束の『下腹部の剃毛』が待ってました。
「別に、毛を剃る必要ないんじゃないの?位置的にさ!」
と、腹の中では思ってましたが・・指示には従わねばなりません。
前日の入浴時に、専用バリカンで下腹部の毛を全て剃毛しました。

心臓カテーテル検査

意識のある状態で『尿管』を付けられたのは、初めての体験でした。
検査前に、看護士さんが来て性器に設置するのですが・・・この時ほど
「男性の看護士さんが居て、良かった〜っ!」
と思ったことはありません。
医療の現場で、男性も女性も関係ない・・とは、判っているのですが、やはり意識のある状態で異性の看護士さんに『尿管』を付けられるのは恥ずかしいものです。
が・・・この男性の看護士さんのスキル不足か経験不足か、なかなか『尿管』が性器の中に入って収まらない。
結局、女性の看護士さんが数人来て設置完了。
この経験で、「なんかもう、恥ずかしいとか、ど〜でもいいや〜!」と吹っ切れてしまいました。

移動用ベッドに寝かされて、検査室へ行きました。

SFっぽく見える設備は杏林大学病院で見た検査室と、ほぼ同じでした。

女医さんは、赤いフレームのメガネでした。(検査用勝負メガネかな?)
男性の先輩医師の指示の下、検査開始。
局所麻酔を注入、痛覚の麻痺した足の付け根からカテーテルを静脈に挿入。
挿入されるカテーテルの行方は、モニターの透視画像で確認しながら心臓まで運んでいるようでした。

痛みは『麻酔の注射針が刺さる瞬間』のみ。
後は、ただ女医さんの真剣な横顔をボーっと見て年齢を推測したり、天井に取り付けられた『検査機器の移動用レール』を固定してるネジの数を数えたりしていました。

「今から検査を行います。名前を読んだら返事をしてください。」

というような言葉を医師にかけられました。
いよいよ検査のクライマックス。
『不整脈(心室細動)』を起こさないか?の検査です。

言葉をかけられてから、いつ名前を呼ばれるのかと待機していました。
『すぐに』名前を呼ばれたので返事をしました。
自分としては、言葉をかけられてから名前を呼ばれるまで30秒も経っていなかったと思ってます。
ところが・・・・。
検査を始めてから、約8秒間、不整脈(心室細動)を起こしたことが心電図に記録されていたのです。
自分では気が付かないほどの短い時間、自分は気を失っていたかも知れません。

ICD(植え込み型除細動器)

『心臓カテーテル検査』を終え、導き出された結論は・・・。
運転免許センターに提出する書類に「運転を控えるべきとはいえない」とは書けない。
つまり「運転をひかえるべき」。
数秒間の不整脈は、今後も自分に失神の可能性があることを示しています。
そんな人間が、車を運転したらどうなるか?運転中に失神したら・・・?
自分と、第三者の命を奪う大惨事を起こしかねないということです。

凹みました・・・。
20万円くらいかけて習得した自動車と中型二輪の免許を取り上げられる。
もう、自動車やバイクを運転することが出来なくなる。
もし、この先、年老いた父が車の運転を出来なくなったら・・と考えると、免許証を手放すわけには行かない。絶対、手放せない!
この時は、自分の健康以上に『生活の利便性の消滅』を強く恐れていました。

医師に『ICD(植え込み型除細動器)』を勧められたのは、検査から数日後のことでした。
胸の筋肉内にポケットを作り設置し、リードを心臓の右心室の組織に固定する。
設置されたICDは、24時間365日。常に心臓の状態を監視し、状態の記録を取り、もしも心室細動が起こった場合は、即座に心拍を正常化させるための『電気ショック』を放電します。
この頃、街で見かけるようになった『AED(自動体外式除細動器)』と『監視装置』が一つになったような治療機械、それが『ICD』です。

ICDの設置には、医師たちの意見が分かれたそうです。
検査で確認されたのは『約8秒間』の心室細動。
致死性の不整脈ではあるが、手を加えずに自己復帰したとのことから
「将来、失神するような不整脈が起こるか起こらないか判断できない。」
でも「失神するような不整脈が、将来にわたり起きないとはいえない」という、とてもグレーな判断から『万が一の備え』にICDが必要であると判断したようです。

医師の話を、聞けば聞くほど「自分には必要ないんじゃないか?」と思っていました。
『起こるか、起こらないか判らない不整脈の備えに、何百万円もする機械を身体に入れる。しかも、ひとたび身体に入れたら「強い電磁波」を起こす機械の近くには近寄れない。MRIで身体の検査が出来なくなる。この先、電化が進む暮らしの中で、生き難い人生が頭に浮かびました。』
リスクの方が、とても大きく感じていたのです。
なので、ICDを勧められてから、ずっと拒否の姿勢をとり続けていました。

決断に至った、医師の言葉

同じ病棟内には、何人も「ICDの設置に悩んでる人」「既に設置している人」がいました。
デイルームで、自分が家族とICDの話をしているのを聞いた患者に声をかけられました。
すると、同じように悩んでる患者が、次々に会話の輪の中に入ってきました。
年齢はバラバラでしたが、悩んでることはみんな同じなので、すぐに打ち解けて話をすることが出来ました。

「お金のこと」「設置後の生活のこと」、不安材料が多すぎて・・出来るならICDを設置したくない。
ICDを既に設置している高齢の男性に、胸のICDを見せていただいたこともあります。
ICDが入っている胸の肉の異様な膨らみ・・・ICDを入れたら、自分の胸もこう見えるようになる。
「嫌だ!絶対に、い・や・だ・!!」
健常者から、ますます遠くなる自分の身体・・。

「もし、将来のいつの日にか・・ICDを入れずに、再び不整脈が起こり死に至っても、それが自分の人生の幕引きとして受け入れられる。」

諦めというか、自暴自棄というか・・・その考えを「潔し」と思っていましたし、医師にも上記の文章とほぼ同じことを伝えました。

死ねなかったら、どうするんですか?

医師は続けました・・・。
「不整脈を起こし、失神に至る。
前のように、たまたま「応急処置」を知っている人に助けられるようなことが起きずに、長い無酸素状態に脳がさらされ、その上で蘇生されて、もはや「自分が誰かもわからない」、食事も着替えも糞尿の世話も誰かに頼らねば出来ない。そんな貴方を誰に世話をさせるのですか?」

自分のことだけを考えていることに、気づかされました

「死ねなかった場合に家族が負うリスクの重さ」に思いが至りませんでした。
『失神時、手当て不要』のお願いを書いた紙を、常に持ち歩くことも考えましたが・・・もし、自分の目前で倒れた人がいたら、何をおいても救急車を呼び、知ってる限りの手当てをすると思いました。

「死ねなかったらどうするんですか?」

一生、忘れられない『宝の言葉』です。
この医師の言葉で、自分はICD設置を決断しました。

******************************

本日は以上です。
明日は『ICD設置手術』を書きます

読んでいただき、ありがとうございました。
8

2012/3/4

ICD(植え込み型除細動器)を入れるまでの経緯  

免許証更新

無事に心臓の手術を終え、新潟に帰郷して一年後のことです。
心臓の血行再建手術をしたことで、『障害者手帳4級』を持っていました。
手帳は「バスに乗る時」、「映画館で映画を見る時」に割引を受けられ、とても助けられていました。
ある日、『自動車運転免許センター』から免許証の更新手続きの案内が来ました。
市街地から少し離れた更新センターへ出掛け、書類に『失神・気絶したことがある』にチェックを入れたら、係りの人に呼ばれて、「失神の原因」を聞かれました。
「2008年3月に、先天性の心臓疾患が原因と思われる失神で・・・」と、失神時の状態から入院、手術のことも全て話しました。

すると、現在の主治医に『運転を控えるべきとはいえない』という書類を書いてもらって提出してほしいと依頼されました。
その書類が納められるまでの間、免許証は停止されることになりました。

「(面倒くさいなぁ・・・。医師に書類書いてもらうと4,000円くらい取られるし、失神したなんて報告しなきゃ良かったかなぁ・・。)」

と、邪な考えが頭をもたげましたが・・・。
報告してしまったんだから、しょうがない!
医師に書類を書いてもらうしかない。・・まあ、手術後に特別な異常もなかったし、すぐに書類書いてくえるだろう。
・・・なんて、この時は物凄く安易に考えていました。

検査入院

書類の事を医師に話すと、「現在の心臓のデータを診ないと書けない」と言われて検査入院を勧められました。
『心臓に機械的なカテーテルを入れて、不整脈が起きないか確認する検査』が目的で、4日程度の期間の入院になると言われました。
「4日くらいなら、まあ良いか。」
くらいに考えていましたが・・これが4日では退院できない事になってしまうのです。

2010年2月4日(木)
雪が積もって足元の悪い新潟大学医歯学総合病院の敷地を、父と共に入院の為の荷物を持って新入院棟の受付に向かいました。
中に入って、今までの『病院くさい』建物ではなくて驚きました。
杏林大学病院でも思ったのですが、この頃の大学病院はなんとなくショッピングのオフィスビルのように垢抜けたイメージがあります。

お世話になる10F西のナースステーションに直行。
挨拶を済ませ、病室に案内されました。
「あれ?・・・この部屋、なんか暗いなぁ・・。」
その日の新潟は、どんよりした曇り空で昼でも辺りが暗かったのですが、室内は輪をかけて暗い。
原因は・・・室内の照明が、ベッドに付いてる『間接照明』しかなかったせいです。
太陽が出ているなら、広い窓から光が入り明るいのかも知れませんが・・曇り空になると『滅入りそう』になるくらい暗く感じました。
4人の相部屋で、またしても通路側。
窓際のベッドが良いと思っても、こればかりは自由が利かない。
諦めて、荷物をロッカー?に収め『病衣』に着替える。
名前とIDの入ったハンドタグを付けられ、心電図をナースステーションに送信する機械を付けられ入院の準備完了。
『4日間だけの検査入院』というキーワードが頭にあったので、気持ちにゆとりがありました・・・この頃は。

しばらくして主治医登場。
男女二名。男性の方が先輩みたいで、女性は美女。
国立大学病院の職員採用基準にも『美女』の縛りがあるのか?と、思ってしまいました。

最初に出された食事は『常食』(制限の無い食事。デザートまで付く)でしたが、食後の血液検査で『肥満になりかけてる』と判断され『低塩心常菜』というカテゴリーの食事に切り替えられました。

どんな食事かというと、文字から受ける印象通りで「塩分が控えめ」「量も控えめ」「デザートなし」「肉も少ない」・・・イメージ的には、差別的な表現ですが『老人用の食事』みたいなものです。
「出汁」で塩分の不足からくる、味覚的な物足りなさを緩和されているのですが・・・。
味覚の好みは、『ハッキリした味』が好きなので辛かったです。


****************************

本日は、以上です。
ご覧いただきまして、ありがとうございます。

明日は『数秒間の不整脈』からスタートします。




1

2012/3/3

手術後の経過  

手術後にICUに居たのは、一週間でした。
これは、一般病棟に戻ってカレンダーを観て初めて判りました。

手術日:2008年5月20日(火)
4F(一般病棟)へ移動:2008年5月27日(火)

この後、退院の『2008年6月23日(月)』まで経過観察の検査と、体力を戻すためのリハビリが続きました。
もし、手術後にも『不整脈』の危険が残るようであれば、胸に『ICD(植え込み型除細動器』を入れることになってましたが、術後のカテーテル検査の結果から正常な血行再建が確認され機械を入れなくても退院できることが決まりました。
嬉しかったです。
この時は、まだ胸に『ICD』を入れることに躊躇いがありました。
「(そんな機械を胸に入れたら、今まで通りの生活が出来なくなる!)」と思っていたんです。

手術後に行われた検査

1:心電図検査
2:採血
3:心臓カテーテル検査
4:心臓エコー検査
5:MRI
6:造影剤注入CT検査

などなど・・・「検査承諾書」の必要モノ、不要のモノ、いろいろな検査がありました。
病院内の移動は、全て『車椅子』を使用し看護士さんかヘルパーさんに送り迎えしていただきました。
ブラジル人のヘルパーさん(母国では看護士だったようです)もいました。明るくパワフルで楽しい方でした。

書き忘れていました。
記憶の無い期間の自分は、勝手に病室・病棟を出ていく『放浪癖?』のようものがあったようで、看護士さんたちは手を焼いたそうです。
ベッドの脇に、『載るとナースステーションにアラームが点くマット』が敷かれて行動を監視されていたそうです。

まったく、記憶にありません。

退院、帰郷

術後の経過も良く、退院する日が決まりました。
2008年6月23日(月)
退院日が決まってからは、とても憂鬱でした。
退院後に帰る場所は、『三鷹のアパート』ではなく『新潟の実家』だったからです。

「人が住めるようなアパートじゃなかった!」

アパートを見た母が、怒りを込めて自分に言うのですが・・・。
自分の脳内にある『アパートのイメージ』は、安アパートではあるけれど『人が住めない』なんて酷い場所ではありません。
倒れるその日まで、紛れも無く『幸せ』・・・だったと思うのです。
でも、もしかすると本当は『違う現実』があったのかも知れません。
退院後に『三鷹のアパート』に行ってないので判りません。

退院前の土曜日に、言語聴覚士の先生が『件の約束のモノ』を持って病室を訪れてくれました。
『よく冷えたコーラ』
本当に嬉しかったです。

手術の執刀を担当していただいた先生も、正常な状態に戻った心臓を写したMRIの画像を焼いたモノを持ってきたくださいました。
初めて自分の心臓の形を見ました。
医療機器の進歩は凄いなぁ・・・と、しみじみ思いました。

退院の当日は、両親が迎えにきてくれました。
担当の看護士さんは、エレベーターの扉が閉まるまで見送ってくれました。
この方も、モデル並に美人でした。(絶対、就労人材の審査基準に『美女であること』の文言がある!と思っていますw)

三ヶ月ぶりに歩く屋外。
普通に歩いてるつもりでも、年老いた両親の歩くスピードに追いつけない。
身体能力は使っていないと衰えるのです。

「(これから一体、どんな生活が待っているんだろう?)」
「(入院費は、一体、幾らかかったのだろう?)」
「(家族に、どれだけ謝らねばならないんだろう?)」
新幹線の車窓を流れる風景をぼんやり見ながら、そんなことを考えていました。

*****************************

お付き合いいただき、ありがとうございました。

明日、3月4日(日)から3月10日(土)までの7日間は
ICD(植え込み型除細動器)を入れるまでの経緯』を書かせていただきます。

1

2012/3/2

ICU:集中治療室(その2)  

ICUは、時間の流れの判らない部屋でした。
時計が無かったのです。
おまけに、屋外の様子が確認できる窓もありませんでした。
激しい痛みと闘ってるうちは、それでも良かったのですが・・・。
痛みに慣れてきて、わずかでも余裕が出てくると『時間が判らない』ことが、物凄く苦痛に思えてきました。

ICUで唯一、患者に与えられる『娯楽』はTV。
カードなしでも観れるので、時間を気にせずに観ることができました。
病院のテレビは、すべてカードを購入して視聴するシステムでした。
特別室とICDだけが、カードなしで観れたようです。
テレビから『現在の時間』を想像することを覚えてから、『時間が判らない』ストレスから開放されました。
当時は「地デジ」が無かったので、データ放送や番組表で時間を知ることはが出来ませんでした。


長い間、ベッドに寝たきりで寝返りもうてません。
尿は、膀胱に溜まるとチューブから自動的に出て行くのでトイレに行く必要もありません。
幸い便意は、身体を動かせるようになるまでありませんでした。
食事をとっていなかったせいか、便秘になっていたのかは判りません。

『看護師さんたち』『リハビリの先生方』が、時々様子を見に来てくれました。
「(この大学の女性職員は、ある程度以上のルックスがないと採用されないのでは?)」と、密かに思ってました。
美形の職員さんが多かったのです。

術後、初めて上体を起こす

ICUのベッドは、入院棟のベッドとは仕様が違ってました。
腰掛けていられる『椅子』の状態にまで、完全変形するベッドです。
そんなベッド、観た事がなかったので興奮しました。
「(かっこいいーっ!SFしてるーっ!!)」
このベッド、幾ら出したら手に入るのだろうか?と真剣に考えていました。

上体を起こしたとき、胸に『痛み』ではなく『重い圧迫』を感じました。
重さを感じるモノなど、身体には付いていないのに『重い』。
(この『重い』は、4年経った今でも続いています。)

この頃から、食事が出てきました。
スプーンで食べる流動食?のようなモノでした。
『食事をとり、薬を飲む』というサイクルのはじまりです。
薬の喉通りが悪くて、飲み込むのに苦労しました。
食事をとれば便が出るのが理で、ほどなくして『便意』が復活。
『簡易トイレ』に座るまで看護師さんの手を借りて、そこから先は自分で出来ました。
「病人のケアをするために、いろんな人がアイディアを出して商品が生産され、助けられているんだなぁ・・・。」とケアグッズを見る度に感謝していました。

苦境にも華

時系列は少し戻りますが・・・手術の翌日。
言語聴覚士の先生が訪ねてくれました。
先ほど述べたように、この方も綺麗な女性で『成海璃子』に似ていました。

「え〜っ!全然、似てないよ〜!www」

と、いう意見が出てきたら・・・脳が『記憶の置き換え』を行ったのだと言い張ります!

自分の右の手を両手で包んで励ましてくれたのを覚えています。
「手術の次の日なのに、よく言葉を話せますね?」と、驚いていました。
時々、意識が飛びそうになりましたが『この人と話しをしていたい!』という、若干邪な気持ちに支えられた願いは、理屈を超えたパワーを生むのです。
楽しいおしゃべりが続きました。
話の最後に、一般病棟に戻ったら『コーラが飲みたい』とお願いしました。
食事制限がされていたので、長い間、清涼飲料や菓子類を口に出来なかったのです。
彼女は、快く引き受けてくれました。

***************************

本日は、ここまでです。
明日は土曜日なので、『BWG症候群発症から入院、手術』の様子を記すトピックは明日で終了です。
日曜日から、新しいトピックに変ります。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
2



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ