信仰の英雄 オスカー・ロメロ大司教
Archbishop Oscar Romero
救世軍を創立した動機を、ウイリアム・ブースはこう述べた。「嘆く女性がいる限り、飢えた子どもがいる限り、刑務所に幾度も出入りする男がいる限り、わたしは戦う。神の光を受けず、闇にさまよう魂がいる限り、わたしは戦う。死ぬまで、わたしは戦う」 連載シリーズ「信仰の英雄」の今回は、カトリックの大司教に挙げられた、ひとりのサルバドル人をご紹介する。彼は、声なき人々の声として、決断し、立ち上がった。
苦い思いから解き放たれたとき、はじめてわたしたちは、苦痛から一歩踏み出し、出られるようになる。苦難を受け入れる決断をしたとき、苦難は、実り多きものとなる。そして、世界のすべての苦難をも、自分の身に負う。ナザレのイエスは「悲しむ人たちは幸いである」と言われた。
聖書のヨブ記の物語は、苦難の意義について、他に類を見ない鮮やかな描写をしている。なぜ自分が苦しまなければならないのか? ヨブが理由を問い求めたとき、病み悩むヨブを訪れた友人たちは、こう答えた。「ヨブ自身のあやまちが原因である。神は無実潔白の者を、絶対に罰したりなさらない」
ヨブは友人たちの主張を拒否し、かみつき、傲岸不遜だと非難した。ついに神ご自身が現れ、ヨブにお答えになった。神は創造の神秘をヨブにお見せになり、それに比べれば、ヨブの苦難がいかにちっぽけなものか、目を開かれた。「立て、男らしくしゃんとせよ。宇宙がいかに畏怖すべきものか、しっかり見よ」と、神はヨブに語られた。
サルバドルの殉教者オスカー・ロメロの生涯は、ヨブの思想を絵に描いたようである。貧しい家庭に生まれ、大工の徒弟として奉公したが、カトリックの司祭となると、すぐ高位聖職者に挙げられた。ローマに留学し、帰国して教会当局に勤務し、カトリックの位階制度を短時間で登りつめた。温厚で敬虔な人柄。教会の規則に良心的に従う点で、まったく欠けるところがなかった。ロメロが六十歳の一九七七年に、サンサルバドル大司教の地位に推挙された。政治体制から睨まれるような人事を避けるには、これが一番妥当な人選だと、大多数が考えていた。
国民の大多数は自分の土地を持たず、経済的に困窮していた。多くの小作人がゲリラに入り、土地を公平に分配する新政府を樹立しようと、戦っていた。これに対し、特殊部隊と政府系右翼民兵組織が、貧しい人々を標的に攻撃した。裏でゲリラ支援をしているというのが口実だった。
ロメロが大司教に就任して二年の間に、約三十万人が殺害された。数万人が村を捨て、難民化した。
ロメロは自分が牧する民衆に対して、常に深い同情を感じていた。しかし、抑圧と暴力を容認し命令もする政治指導者の責任のことは、長年見て見ぬふりをして来た。残虐行為は、あくまで一時的現象に過ぎないと、ロメロは自分に言い聞かせようとしていた。
その幻想を、身近な親友の死が打ち砕いた。その衝撃によって、ロメロは全く変えられ始めた。大司教就任から数週間後、軍の特殊部隊は、イエズス会士で反体制活動家であったルテリィオ・グランデを、若い同僚二名と共に、殺害した。グランデの死は、ロメロを完全に変えた。広場に民衆が群がり溢れる葬儀ミサにおいて、ロメロは良かれと思いつつも、これまで一度も出来なかったことを、あえて行おうとした。ロメロは民衆の苦悩を、自らの苦悩として、受け止めようとした。悲しみに打ちひしがれる十万数万の群集に対して、大司教は説教を語った。そのとき何が起きたか、イノケンティオ・アラスが記録している。
「ミサが始まると、大司教睨下は汗びっしょりになられ、顔は青ざめ、びくびくしておられました。説教が始まると、いつもよりゆっくり話しておられるように思いました。目の前に開かれている歴史の扉の向こうへ、気が進まず、しぶしぶ入って行かれる。そのように、わたしには見えました。しかし五分後のことです。聖霊が大司教の上に降られたのを、わたしは感じました。ルティリオの名前に触れたとき、何万もの民衆が拍手喝采しました。それにつれ、見る見るうちに大司教は力強さを増して行きました。次の瞬間、大司教は歴史の敷居を越えていました。扉の向こうに行ったのです。水による洗礼があり、血による洗礼があります。しかし、民衆による洗礼というものもまた、存在したのでした」
ロメロはこの経験の後、小心で小器用な人間から、力強い預言者へ変貌を遂げた。全国に放映された日曜ミサの説教で、ロメロは、貪欲で残酷なサルバドルの独裁者を公然と非難した。会衆の大部分を占める貧しい民衆には、慰めの言葉を語った。双方の陣営に暴力停止を呼びかける一方、資本主義と開発の名目で民衆を抑圧している、政界及び経済界の「構造的悪」を攻撃し、手をゆるめなかった。
「兄弟姉妹のみなさん。残念なことに、わたしたちは過度に霊的かつ個人主義的な教育を施された結果の産物なのです。わたしたちはこう教えられて育ちました。『自分の魂を救いなさい。他の人の心配など、しなくてよい』 苦痛については、こう教えられて来ました。『がまんしなさい。天国に行けば、すべて忘れられるから』 しかし、こんな考え方は、間違っているのです。それは、救いではありません! キリストの救いとは、人間存在を、あらゆる束縛と抑圧から解放するものです」
ロメロの支持者が恐れたように、ロメロの変貌ぶりに脅威を感じた人々は、彼を批判し、攻撃し始めた。ロメロが放送していたラジオ局は爆破され、部下の司祭は暴行を受け、殺害され、教会は略奪された。大司教に挙げられて三年後のこと、ロメロはガン専門病院の礼拝堂でミサを捧げている最中、暗殺者に銃撃され、凶弾に倒れた。
ロメロの死を悼む人々は、連帯し、それにより、強くなった。そして、殺された大司教が残した使命を引き継ぎ、「神の拡声器」となって、ロメロのメッセージを広め、歓呼を持って迎えられた。
他者の苦痛を、わたしたちも同じように捉えられるなら─つまり、他者の苦痛を自分の苦痛とすることが出来るなら─わたしたちは敗北や挫折ではなく、貧しい人々の共感を得る。そして、貧しい人々の社会に迎え入れられる。民衆との連帯によって、地獄は、全部とはいかずとも、くつがえされることが可能になる。そして、未来に向かい愛と希望の種子をまくことが出来るのである。
救世軍機関紙『ときのこえ』
2003年9月15日号(第2416号)p.6.
オスカー・ロメロのイコン