ジャン・ピエール・ド・コサードについては、履歴のほかに知られていることは少ないのです。1675年にフランスのトゥールーズに生まれ、イエズス会士となり、1708年に司祭に叙任されました。説教者であり、霊想指導者であり、黙想を愛するひとでした。ド・コサードは、その生涯で、『種々の祈りの状態についての霊的指導』あるいは『神の摂理への放棄』として知られる本を、ただ一冊、書いただけでした。しかもその本は、死後百年たってようやく出版されたものでした。しかし、その本によって、彼の名は知られることとなったのです。
ド・コサードの中心思想は、「放棄」という言葉で表されます。こう書いています。「わたしたちが、自分の心のきよめのためになすべき、ただひとつのこと、それは、自分自身を永遠に神に放棄することです」
ド・コサードは、放棄を、受動的な諦めの態度ではなくて、日々の生活の中で絶えず神を意識すること、と理解していました。信者は自分自身を、芸術家の手にある作品として考えるようにと、ド・コサードは勧めます。
作品が、彫像であると考えた場合、その作品にとって、彫刻家が彫り、削り、みがく作業は、つらいものであるに違いありません。作品が、絵画であると考えた場合、その作品にとって、画家が顔料を砕き、粉にし、混ぜ合わせ、絵具を整え、画板にのせるまで、忍耐深く待ち続けなければなりません。わたしたちがなすべきことは、ただ、画板を用意し、それをきれいにしておき、しっかり二本の脚で立てておくことだと、ド・コサードは言います。二本の脚のひとつは「謙遜」。そして、もうひとつが「神への放棄」なのです。
「いま、このときだけを、考えなさい。未来は、神の摂理の御手に、放棄するのです」と、ド・コサードは言います。いま、とは、芳しく花開く、聖なる瞬間であり、ひとつの聖礼典であると、ド・コサードは書いています。「あなたの粗野な願望に比べたら、いま、この瞬間には、無限に豊かな富が秘められています。あなたは、ただ、あなたの信仰と愛の度量にだけ従って、その豊かさを楽しむことができるのです。魂が、多く愛し、多く願い、多く望むなら、多く得ることができるのです」
ジャン・ピエール・ド・コサードの言葉は、「いそいで」「はやく」「もっと」という内なる衝動に駆り立てられて生きているわたしたちにとって、とてもふさわしいものに思われます。ド・コサードは、こう言います。「わたしたちは、聖パウロに倣い、一瞬一瞬、こう祈るべきです。『主よ、わたしは、何をしたらよいでしょう?』」
これが、わたしたちの、今日一日の祈りとなりますように。
バーバラ・サンプソン少佐
Major Barbara Sampson
Major Barbara Sampson,
Words of Life, The Salvation Army, 2005 Pentecost Edition, p.70.