創立者受賞者のヨゼフ・コーベル中佐は、イエスの弟子の苦難を知る人だった。1949年当時、中尉であったコーベルは、妻エルナと三人の子と共にチェコスロヴァキア、ブルノ市近郊の小隊に赴任していた。一家はアフリカへ海外宣教に出発する直前であったが、共産主義政権によって嘘の容疑で逮捕拘留された。「危険な宗教的影響を、特に青少年に対して及ぼした」というのが容疑の内容であった。それから十年もの年月を、コーベルは救世軍士官として、イエス・キリストのあかしのゆえに、刑務所で過ごさねばならなかった。しかもその間、末の息子は、受難日礼拝に出る許可を得ようとしただけで、銃殺されてしまった。
これほど厳しい試練の中にあって、コーベルの信仰と謙遜な精神は、いよいよ輝きを増して行った。その著書『敵の陣営の中で』で、彼はこう回顧している。
同じ囚人房の仲間のことが、だんだんわかってきた。ひとりは年老いた男で、かつて郵便局長をしていたが、非合法の政治集会に出席して逮捕された。もうひとりは農夫で、農場を没収に来た政府の役人を殴り倒してしまった。学生の青年は、自由選挙を訴えるビラを撒いたかどでつかまった。泥棒や酔っぱらいや仕事を怠ける人間も、共産主義政権に抗議した実直な人間も、共に重罪として収監されていた。
毎日毎日、わたしは自分の名前が呼ばれるのを待ち続けた。名前が呼ばれて、裁判所に連れて行ってもらえさえしたら、用意しておいた言うべき言葉全部を、しゃべることが出来る。そうすれば当局も、わたしの容疑が嘘であることを認めて、無罪を宣言してくれるはずだ。すぐ家に帰してくれるに違いない。それなのに、来る日も来る日も、わたしの名前が呼ばれることはなかった。
とうとう耐え切れなくなって、わたしは主に叫んだ。「なぜなのですか、主よ?」
囚人房が夜の帳に包まれたとき、わたしはささやくような声で「御心のままになりますように」と、主に祈った。しかし心の奥底では、ゆっくりと、自分も気づかないうちに、苦い思いがふくらみ始めていた。聖書にもこう警告されている。「苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい」(ヘブライ12:15)
祈ることは禁止されていたが、囚人房でひそかに祈り、囚人仲間にあかしをすることさえした。もちろん、密告されないよう慎重に行った。聖書の話を語って聞かせ、神を信じないと言う者たちが大半であったが、喜んで聞いた。
自分の秘密の場所を作った。囚人房の隅の二段ベッドの裏側にうずくまり、ひざをかかえ、頭を伏せて、床に座った。居眠りしているように見えたはずだが、わたしはそうやって密かに祈っていた。悲しみも恐れも、失望も焦燥も、すべて主に申し上げた。
何度も何度も「なぜですか?」「いつまで続くのですか?」と神に叫んだ。
囚人房の隅でわが家を夢見、かわいい子どもたちや、愛する妻を想った。白昼夢の中で、家族みんなに「愛しているよ」と語りかけた。友だちのことも考えた。過去に友だちに言ってしまった冷たい言葉を、ひとつひとつ謝った。刑務所の中で感情が枯れ果てることはなかった。囚人房の隅で祈ったり夢見たりしていると、時々涙があふれて、頬をつたった。
ある日、深い瞑想に入っていると、自分でも気づかないうちに、大きな声で祈り出してしまっていた。「いったいだれとしゃべっているんだい?」と声がした。
あわてて目を開くと、囚人仲間のひとりがいた。共産主義政権の刑務所では、祈ったり神について話すことは厳重に禁止されていたので、わたしは恐ろしくなった。ひょっとしたら看守に密告されるかもしれない。そうしたら、厳罰を受けることになる。独房での禁固だろう。それを考えると、「祈っていたんだ」とは、どうしても言えなかった。
それで「えっと、その、と、ともだちに話していたんだ」と言ってしまった。男は「はあ? そばにはだれもいないじゃないか?」と、つぶやいた。
しばらく黙っていると、その男はこう切り出した。「もうちょっとそばで、そのおしゃべりを聞いていてもいいかい?」 返す言葉がなかったから、うなずいて「うん」と言うほかなかった。
男は怪訝な顔で見ていた。わたしは目を閉じた。わたしは言葉を選びながら、神が彼を愛しておられることが伝わるようにと祈った。イエスがカルバリの十字架で身代わりに死んでくださったこと。それゆえ、罪を洗い清められて、心の平和が与えられること。祈り終わると、男は黙って向こうへ行った。わたしはしばらく無言で囚人房の隅に座っていた。もし看守が来たら、告げ口するだろうか。密告する気だろうか。ところが、看守が来ても、男は何も言わなかった。ただ、自分の場所に黙って座っているだけだった。
次の朝早く、その囚人仲間は、わたしの一挙手一投足をじっと見つめていた。やがてわたしが囚人房の隅にうずくまると、近づいて来て、言った。「そばで聞いていてもいいかい?」
もく怖くはなかった。「もちろんいいよ。どうぞご自由に」
ちょっと間を置いてから、男はこう言った。「他にだれか連れてきて、いっしょに聞いてもいいかい?」
わたしの驚きの表情を読み取って、男は弁解した。「そいつは友だちなんだ。だから、信用していいよ」
こうして、わたしたちは、小さな祈祷会を始めた。ときには四、五人集まることもあった。そして、まったく神の恵みと言うほかないのだが、だれひとり密告する者はいなかった。囚人房で一番意地悪な男すら、密告しなかった。それどころか逆に、看守が近づいて来ると、みんな合図を送ってくれたので、見つかる寸前に解散することが出来た。
食べ物が深刻な悩みだった。看守が扉を開けて囚人房に大きな食器盆を入れた途端に、囚人同士の喧嘩が始まるのだった。空腹で栄養不良の男は、仲間に肘鉄を食らわせて、先になろうとした。あっと言う間に、二人分の食事をせしめた。
このため、遅れた者には、空っぽのお盆と食器しか残っていなかった。何も食べる物はなかった。わたしは、食べ物のために動物みたいに喧嘩する気にはなれなかった。空腹のまま食事の時間を過ごすことが何度もあった。
ある日、「石の心を持ったやつ」と形容するほかないほどの男が、みんなを押しのけて、先になり、二人分をせしめた。彼がそんなことをするのは、はじめて見た。だから内心、驚いていた。だが、もっと驚いたことに、男はその食べ物を自分の皿には入れずに、近寄って来て、わたしの皿に入れてくれたのだ。
それ以来、同じようにして、男は何度もわたしを助けてくれた。特に喧嘩がひどい昼食時に助けられた。わたしは彼に、神についての話をよくするようになった。以前わたしは彼を憐れみの目でしか見ていなかったが、今は喜びをおぼえるようになった。
その男が囚人房を去る日が来た。だれかが囚人房を出るときは、みんなが手を振って、それから、去る人間が短い別れの挨拶を語るのが慣例だった。だが、男は何も言わずに、扉の外で待つ二人の看守のところへ向かった。囚人房の仲間全員の目が、男に注がれた。扉を出る直前、男は立ち止まって振り向いた。じっと見つめる囚人仲間たちに男は目を走らせ、わたしを見た。その時わたしは、はじめて彼の表情に、魂の深いところからの輝きを見た。言葉では言い表せない喜びと、愛情と、魂の覚醒とを、男の最後の姿に一瞥することが出来たのだった。男は向き直ると、黙って囚人房を去って行った。